2024年1月10日2022年1月10日、午前2時1分──。急性くも膜下出血で倒れた元婚約者に脳死判定が下った時刻だ。それから2年──その瞬間に立ち会っていた当時を思い返すと、不可思議な記憶が蘇ってくる。──恐れを感じなかった──目の前の出…
2024年1月9日2年前の1月6日、東京は大雪に見舞われていた。その午後、元婚約者は、急性くも膜下出血で倒れ、帰らぬ人となった。倒れる前夜のことは、今でもよく憶えている。その晩、ぼくは彼女の不安と悲しみに耳を傾けていた。離れて暮らしてい…
2022年12月5日仏壇ほか、母と過ごした記憶が棲む品品を手放したあと、即、家路に就く気にもなれず、ぼくはなかば意識的に帰路とは反対方向に車を走らせた。つい一昨日のことだった。母の命日に向かったのと同じ場所へまた身を寄せたくなったのだ。…
2023年12月16日京都の宿に荷物を預けた際に手渡された札──番号をみて、脳がざわついた。53──。(なにか、覚えのある数字だ。なんだろう?)と、考えることわずか3秒──そうかっ!翌12月17日は、は53歳の誕生日だった!母と元婚約者──わずか一ト…
2023年12月15日 仕事でも観光でもない理由で、わが生誕の地=京都へやってくる日が来るだなんて──生きてみなければ、人生は何が起こるかわからない。 #日本緩和医療学会 #オンライン心理療法 #コンパクト試験 #研究成果発表会 #死別経験者 #被験者…
2022年12月5日この日、11月24日に閉眼供養を終えた仏壇を処分しに資源回収センターへ向かった。わが家が暮らす地域では、仏壇を粗大ごみとして回収してくれるとのことだったので、やはり最後まで自分の手で締めくくりたい──そう考えて収集依頼…
2022年12月3日母がこの世を去ってから、一年が経った。母がながらく身を寄せていた介護施設で息を引き取ったのは、前日、12月2日の夜このことだった。病院で息を引き取っていればおそらく即座に死亡診断が行われていたはずだが、母と家族の希望…
2022年12月2日秋口から受け始めていたグリーフケアの過程で、担当医師から紹介されたオンラインによるグリーフケアに参加することを決めたのは、10月の中旬だった。その頃のぼくは、このままでは自分の身が大事に至ってしまうのではないか? とい…
2023年7月9日この出来事をすぐに書き留めておきたいと思っていたが、今になるまでこうして時間が過ぎてしまったことには理由がある。最も適した時機に、〈ぼくのもとに舞い降りた奇跡〉について触れるためにも、まずはそこに至るまでの間に起きた出来…
2023年1月6日あの日から一年が経とうとしていた。亡き婚約者の一周忌法要が執り行われることになった日取りは、奇しくも、彼女がくも膜下出血を発症して倒れた日と同じだった。東京から向かうぼくは日程が決まった当初から、ご家族にお伝えした。…
2022年12月18日出来立てのラザニアを目の前にする多幸感はこのうえない。だがしかし、高温なオーブンで焼かれたラザニアは、水分を飛ばすまで煮詰めたミートソースからあますところなく肉汁が流れ出し、同時に、惜しまず入れたとろけるチーズが、…
2022年12月17日誕生日の夜は、ひとり晩餐会を催した。ここ数ヶ月、身体のことに加えて、複雑化した悲嘆感情のこと、そして来る未来に備えて整えるべきことに取り組み続けた結果、少々、「治療疲れ」のような状態に陥っていた。あちこちの病院や治…
2022年12月17日52歳になった──。一年前の今日のことは、今でもよく憶えている。母が息を引き取ってから一週間後に母を荼毘に付し、さらにその一週間後がぼくの誕生日──どこか計画的に思えるこの流れから、ぼくはこれから、この世での生を終えるま…
2022年11月24日それは、亡き婚約者が繋いでくれたご縁だった。その声なき想いに応えることもまた、彼女への供養となる──。そのご縁の強さを改めて思い知ったのは、閉眼供養の日取りがきまったときだった。その日程は、まるで必然に導かれるように…
2022年11月24日母と婚約者のふたつの死から半年ほど経ったころ、この状況を一変させるためには、ここから新しい土地へ移る必要があると感じ、大小あらゆる準備を進めてきた。しかし、想像をはるかに上回る悲嘆感情に支配され続けたこともあり、その…
2022年11月18日ぼくがここへきた最大の理由は、彼女の生誕祭を、彼女と過ごした想い出の場所で行うためだった。彼女が先立ってから、その死を悼むばかりのこの一年のなかで、ぼくは心のどこかで──潜在的にと言ってもいい──祝祭の場を設けたいと願っ…
2022年11月18日ぼくが大好きな季節──秋──になった。──ここに立つのは、いつ以来だろう?──山間の寺院にある彼女の墓前に立ち、色づいた木々に時の移ろいを覚えながら、ふとそんなことを思い浮かべた。彼女の遺骨の埋葬に合わせて植え替えられた…
2022年11月17日2019年のクリスマスに初めて取り組んだラザニア作りからまもなくしてパンデミックが訪れるだなんて……。──あれから三年──玉ねぎ、にんじん、セロリを微塵切りにしたものと、牛と豚の合い挽き肉を、にんにくと生姜で炒めて、塩…
2022年11月17日人生でラザニアを自ら作る日が来るだなんて、夢にも思わなかった──かつてここに、そう記したことを憶えている。小学生の頃、友人のお母様に連れられて、渋谷パルコで初めて食べたのが、ラザニアに関する最初の記憶だ。食べたラザニ…
2022年11月11日映画の原案となった水上勉のエッセイ《土を喰らう日々──わが精進十二ヶ月──》は、生前、彼女が熱心に読んでいたものだった。彼女の没後、「遺品として何か持ち帰ってください」と伝えられ、ぼくは彼女の部屋から何冊かさの本を選んだ…
2022年11月11日「1」が並ぶめでたい気分の日──今から十ヶ月前の「1」が並んだ日には、「果たして今日がめでたい日なのか?」と、自問自答を繰り返していたことを、今でもたびたび思い返す。その日は、急逝した婚約者が遺した意志が叶えられた日…
2022年11月13日今、見たことのない景色を見つめている。ぼくの居場所は未だ変わらないままだ。しかし目の前に広がる景色は、初めて望む〈新しい景色〉へと移り変わった。それは、待ち望んだ景色とはまったく違うけれど、〈あの日〉から願い続けて…
2022年11月3日ちょうど1年前の11月3日午後、直前に受けたPCR検査が陰性を示したこと確認して、予定通り向かうことを彼女に伝えた。その夜、彼女の仕事終わりの時間を目指して、ぼくは東京から車を走らせた。車移動なら、道中、人との接触を限り…
2022年11月3日1年8ヶ月──。その時間がどれだけ永かったのか、あれから1年が過ぎた今、もうあまり思い出せなくなっている。それも無理もない。会えなかった時間のことを考える以上に、〈あの日〉の出来事が、ぼくをずっと苦しめているからだ。…
2022年10月15日2012年10月15日──あれから、今日で10年が経った。──あの時の不安が、今もどこかに棲みついている──今ごろになって、時折、そんなことを考えるようになっている。介護者としての時間を全うするということは、その結末…
2022年9月19日文化庁メディア芸術祭名古屋展、最終日──。台風の影響で、名古屋入りですら不安視された状況だったが、雨風の少ない午前中の移動を手配しておいたお陰で、無事に現地までは辿り着くことができた。しかし名古屋に着いてみると、暴風警…
2022年9月4日文化庁メディア芸術祭名古屋展──。この展示の話をいただいたのは、母の四十九日が過ぎて少し経った頃だった。問合せのメールの日付を見返すと、急逝した婚約者の命日からちょうど一ト月目──いま当時のことを思い出そうとしても、はっき…
2022年8月21日今年はずっと、泣き通しの日常が続いている。そして今日もまた、やはりぼくは泣いている。しかしこの涙は、この8ヶ月の間に流した涙とは、明らかにその性質が異なるものだ。いつもサプライズを仕込む側のぼくが、若者たちに仕込まれ…
2022年7月17日先立った婚約者を悼むための場所がある──そこに今夜もやはり向かうことにした。いつものようにひとりで向かう予定だったが、偶然、というよりむしろ、予め決められていたのではないかと思うほど自然に、その場に友人が合流してくれた…
2022年7月17日初盆に帰ってくる場所は、ここにもある。──わが家──あえて「華やかな彩りを」とお願いして仕上げていただいた花束を備えて、故人を悼む真夏の夕暮れ──。おかえり。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #ka…