主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【真・孤独のラザニア(1)──亡き婚約者の生誕前夜祭】

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2022年11月17日

人生でラザニアを自ら作る日が来るだなんて、夢にも思わなかった──かつてここに、そう記したことを憶えている。

小学生の頃、友人のお母様に連れられて、渋谷パルコで初めて食べたのが、ラザニアに関する最初の記憶だ。食べたラザニアの味よりも、突然に「ラザニアを食べに行きましょう」と、誘われたことの方が鮮明に記憶されているから不思議である。もしかすると、ぼくの遠い未来にラザニアを自ら作る日が来ることが予め決められていたのかもしれない。きっと、あの日のラザニアとの邂逅は、その予兆としての出来事だったのだ。

ラザニアを作るきっかけになったのは、亡き婚約者とよく観ていたドラマ《きのう何食べた?》だった。主人公の二人が暮らし始めた最初のクリスマスに出された想い出のラザニア──そのレシピをドラマのエピソードからメモに起こしてトライしたのが最初の機会だった。

当時、二人の時間が始まってから最初に迎える彼女の誕生日の、そのまさに当日から、ぼくは一週間の出張にでた。あまりに過酷な状況下に自らを追い込んでしまったせいで現地で呼吸困難を起こし、倒れる寸前だった。現場に混乱を招かないために、密かにひとり不調を紛らせ、どうにか無事に役目を務め上げ帰京するも、それからながく、身体が壊れてしまいそうなほどの激しい咳と不調に見舞われることになった。

戻ってから一ト月後、クリスマス前にも再び出張にでた。そのときも不調を引きずったままで、出張先の空港から乗ったリムジンバスにスーツケースを置き忘れるほど、まったく平常心を欠いた状態に陥っていた。

その出張での会食の席で、こう話していたことを今でも憶えている。


「帰ったら、ラザニアを作るんです」


ぼく自身、そのときを迎えることを、とても楽しみにしていたのだろう。周囲のひとに思わず話したくなってしまうほどだったのだから。

クリスマス直前に帰京して、イブには自分の作品展示のための設営に立ち会うという、不調の身体には過酷すぎたスケジュールだったが、二人で迎える初めてのクリスマスに、特別な料理を用意できることを楽しみにして、どうにか乗り越えた。

ドラマで描かれていたように、ラザニア・シートとチーズ以外、ミートソースもホワイトソースもすべて手作りした。不慣れな手順ゆえ、焼き上がりまで三時間ほどを要したが、その間、彼女は、今のソファーに横たわり、すっかり眠ってしまっていたので、待たせてしまう気後れなく作業に集中することができた。彼女はその日も、東京での仕事を終えて帰宅したばかりで、相当疲れた様子だった。そんな様を横目で見つつ、黙々と料理をする──こんな、何でもない日常が訪れることを、ぼくはずっと待ち侘びていたのだ。

時代が違えば「男が料理だなんて」と言われただろう。しかしそもそも、いついかなるときも、得意な方が得意なことをしたらいいのである。ぼくは自分が望んだ通り、料理好きの母のレシピを完璧に引き継ぐほどの上で前になった。それは、ぼくが母の介護経験を通じて授かった大いなる財産のひとつに他ならない。


──大切なひとと掛け替えのない時間を過ごす──


特別なことは何もいらない。ぼくにとってそれは〈日常〉を共に過ごすことであり、その象徴が〈食卓〉だった。


──食卓は、安心安全な場所──


母が守ってくれたその場所を、今度はぼくが引き継いでいる── それをこうして実現したことが何より嬉しく、誇らしかった。


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