【ひとりぼっちの再会記念日(1)】
2022年11月3日
1年8ヶ月──。
その時間がどれだけ永かったのか、あれから1年が過ぎた今、もうあまり思い出せなくなっている。
それも無理もない。会えなかった時間のことを考える以上に、〈あの日〉の出来事が、ぼくをずっと苦しめているからだ。
このところ、極めて調子が思わしくない。そのわけは、きっとこうだ。
10月初旬、寒さが強まってきた頃に、ぼくはひとり、鍋料理を拵えていた。
──私はこれしか作れないから──
いつもそう自重気味に口にしては、ぼくのためによく作ってくれたのが、キムチ鍋だった。それを再現してみようと試みたはいいものの、完成した鍋を前にしてひとり箸を突きながら、激しく嗚咽したあの夜以来、もう一ト月近く、強い抑うつ状態に陥っている。
今日、11月3日は、パンデミック以降、会えないままになっていたぼくたちが、ようやく再会を果たした、いわば記念日である。このところ苛まれている抑うつ状態は、この日に向けた〈記念日反応〉だったのかもしれない(悲嘆反応の代表的なもののひとつ)。
今年が始まったばかりの、あの大雪が降った日、彼女が突然の病に見舞われなければ、今日この日を共に祝っていたのだろうか? それとも、共に尋常ではない辛抱を重ね、遂に再会を果たした記念すべき日さえ忘れて、今日という日を当たり前の日常として過ごし、冗談ばかりの底抜けに楽しく穏やかな時間を〈当たり前のこと〉として満喫していただろうか?
──出逢ってからずっとそうだったように──
そんなことをふと想像すると、自ずと感情の扉は解放されて、今日まで嫌というほど飲み込まれてきた悲嘆の嵐がぼくの心を掻き乱し始める。
互いに代わりの効かない仕事をしていたこと、業務として身近に接する人が多いこと──そして何より、それぞれ自ら事業を営んでいる立場として、自由勝手な行動をしたくはなかった。そのこと以上に、最も考慮したのは、〈お互いの安全〉である。しかし、それは苦しい決断になると承知していた。でも、ときに痛みを伴うこととなったが、十分に話し合って、状況が許すまで会わない選択をした。けれど、その期間は想像を遥かに超え、互いの苦しみはとうに極みを迎えていた。
そのため、少しでも希望に光を照らそうと、2021年夏ごろから再会の目処を立てようと計画していた。タイミングは初秋──どうしても穴を開けられないぼくの業務の都合を優先させてもらい、無事に作品を発表できた後、ゆっくり休暇をとって、離れて暮らす彼女の暮らす街へしばらく骨休めに行く予定にした。
ところが、仕事上のトラブルに巻き込まれ、出発は延期を余儀なくされた。悲願の再会まで、さらに一ト月ほど待たなければならなくなった。
──さらに辛抱に辛抱を重ねた──
彼女との再会を穏やかな気持ちで迎えるようにするために、不遇のその状況を飲み込むよう努めた。
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