2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
2021年12月3日に母を、2022年1月10日に婚約者を相次いで喪くし、今日まで何もできない毎日が続いた。寝て、起きて、食べて、寝る──たまに飲みに出ては暴飲暴食を繰り返し、自己嫌悪に陥って自制する──その繰り返しだった。たとえ酒場に出か…
2022年5月3日遺骨は、パウダー状になってもその質量は失われず、手にした瞬間にずっしりと重みが感じられた。となると、手放した途端、骨は一気に沈んでいくのではないか?──ぼくが勝手に期待していたイメージでは、水なもに粉となった遺骨がたゆた…
2022年5月3日葬儀を望まなかったのは母の意志だった。「田舎に墓があったら、誰もけえへんやろ」そう言って、母は33年も前に自ら都心部に墓を設けた。しかしそれから時代は過ぎた。ぼくや兄夫婦がこの先どこへ移り住むかわからない。求められれ…
2022年5月2日棺の蓋を閉じる前、亡き婚約者が母の額にながくながく手を触れていた。母に何を伝えようとしてくれていたのか、ぼくにはわかる気がした(その一ト月後、急逝した彼女を見送るとき このときの返礼のつもりで、ぼくも彼女の額にながくなが…
2022年5月2日母の火葬は、1週間後の12月10日に執り行うことになった。当時、東京もまだ感染拡大はしていなかったものの、婚約者を何度も往復させるわけにはいかないと思ったが、彼女の強い希望がぼくのこころを動かした。「お母様を見送らない…
2022年5月1日「人生、やり残しなし」在宅介護を続けていた間、月に一度行われるケアマネジャーとの面談で、母は毎回こう口にしていた。面談では毎月、目標を立てることになっていたのだが、母は問われる度にこう応えてはケアマネジャーを苦笑させる……
2022年5月1日母の亡骸に会いに行ったのは、息を引き取った翌日のことだった。当日は午前中から死亡診断が病院で行われることになっていた。遺体が戻ってくるのは午後になり、その後、お別れの支度を整えるため時間をいただきたいとの申し出が施設側か…