主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【停まっていた時を動かす──映画《土を喰らう十二ヶ月》から思い出したこと(2)】

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2022年11月11日

映画の原案となった水上勉のエッセイ《土を喰らう日々──わが精進十二ヶ月──》は、生前、彼女が熱心に読んでいたものだった。彼女の没後、「遺品として何か持ち帰ってください」と伝えられ、ぼくは彼女の部屋から何冊かさの本を選んだ。この本は、もちろんその中の一冊に含まれる。

エッセイは「原案」であって「原作」ではない。映画は、エッセイをもとに独自の設定、物語が展開されていたものと思われる(原案のエッセイを読まずして鑑賞したため、正確なところはわからない)。

劇中では、まるでぼくが味わっている状況と同じような場面が連続していった──男寡としてひとりで暮らす表現者の男、妻への想いを残しつつ誰かと過ごす時間、親族との死別と葬送など──京都(わが生誕の地)の禅寺に小坊主に出された経験から得た料理の心得を実践し、毎日を丁寧に暮らしていく様は、かつて母を特別養護老人ホームに転居させたあと、ひとりになったわが家で、朝から味噌汁の出汁をとり、瞑想し、本を読み、自分の心のうちを内観しようとノートに想いを書き綴っていた当時の自分の姿と重なった。物語では、離れて暮らす恋人がたまに訪れては、主人公が腕を振るった食事でもてなす様も描かれていて、それも見事に、ぼくに授けられた〈束の間の愛おしい時間〉そのものに思えた。

鑑賞しながら、先だった婚約者がこのエッセイを愛したわけを知れたような気がした。彼女自身が幼いころからずっとずっと待ち侘びていた時間が、ぼくとのわずかな毎日で叶えられたのだろう。


──食卓は、安心安全の象徴──


ぼくも、ずっとこの想いを抱いてきた。その日一日、何があっても、食卓につけば、必ず安心でいられる──母は、その場を守り通してくれた。わが子が気を落として家に帰ったら、何も訊かずにそっと食事を差し出してくれた。


──まぁ、まずは食べえや──


そんな風にして、母の故郷の言葉である大阪弁でぼくをいつでも迎えてくれた。

劇中でぼくの心を震わせたあの台詞は、恐らく、原案のエッセイにはなく、脚本も務めた監督の人生経験から発せられた言葉であろうと察する。しかしながら、あの一節には、「食べて生きる」という人の営みに決して欠くことのできない真理のようなものが込められているように思えた。それは、母の介護のために憶えたわが料理体験を通じて、ぼく自身も大切にしてきたことだからだ。


──好きなひとと食べるごはんがいちばん美味い──


母も、急逝した婚約者も、その想いを強く深く共有できる相手だった。そんな二人に支えられて暮らしたこれまでのぼくは、まぎれもなく〈世界一幸せな男〉だった。

劇場に到着した途端に思い出したことがふたつあった。ひとつめは、パンデミック以降、今夜が劇場で映画をみた最初の機会だったこと。ふたつめは、パンデミック以前に最後に映画を観た劇場が、ここ、新宿ピカデリーだったことだ。そして、その最後の機会は、急逝した婚約者と一緒だった──彼女とはたくさん映画を観てきたが、それは、劇場で共に観た唯一の、最初で最後の映画鑑賞だった。


──停まっていた時が動き出す──


きっと、今夜ここにこうして呼び戻されたのは、彼女がそのサインをぼくに届けるためだったに違いない。

そろそろ、ゆっくり準備を重ねてきたことを、実行に移そう。今はぼくひとり、〈完全に集中できる時間〉があるのだから。

こんなにも自由な時間に恵まれたのは、無論、人生で初めてである。この、最も贅沢で豊かなときを得た幸運を噛み締めると、ぼくが喪ったものの大きさがいかほどのものかを改めて思い知らされる。


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