主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【或る区切りとして──叔父と叔母の墓前にて2021】

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2021年11月10日

悲しい出来事があった。

感情を容易く言葉に置き換えられるなら、きっとすぐに楽になれるのだろう。これまでも無数の感情にラベリングを施してきた。


──こんなときに混乱しないように──


これは「痛い」
これは「苦しい」
これは「辛い」
これは「悲しい」
これは「・・・」


しかしこうした分類に当てはまらない感情もある。仮に当てはまったとしても、その下層のサブカテゴリーに細部化されていく・・・そうして結局、どこまでいっても、この想いは収まるところを知らず、彷徨ったままになる──今の感情はまさにその類いに他ならない。

そんなことを思いながら、日が出る方角へ向かって車を走らせていた。


──叔父と叔母の墓前へ──


ここへ来るたび思い出されることがある。


──区切りをつける──


何かを変えたかったり、足りなくなったものを埋めたくなったり、止めどない想いに終止符を打つために、ぼくはここを求めている。実の親以上にぼくのことを気にかけてくれたお二人に、ぼくは今もすがっているのだ。

社務所で花束と線香を揃え、桶に水を満たして墓前へ向かう──霊園内には絶えず水が流された小さな水路が設けられていて、水流の音色が心地よく耳元をかすめていく。こだまするこの微かな水の音色が、ぼくの心象に広がる静けさを、より色濃いものにしてくれている。


──白妙菊?──


叔父と叔母の墓石を両側から支えるように、大きく育った葉がそびえていた。その様はまるで、立派に成人した子供たちが老いた両親を抱き抱えるようで、或る不安で心を硬らせたままのぼくの緊張を少しだけ和らげてくれた。


──叔父と叔母を知る全ての親族は今も健在──


その幸運をお二人に報告した。たとえ意思の疎通はとれないとしても、我が母も未だそこに含まれているのだ。こんな危機の真っ只中にいるというのに・・・。


──生きていることこそに意味がある──


その悲しみを超えるための誓いのような想いを込めて、墓前に手を合わせた。と同時に、意識は隣の墓石に向いていた。

ここへ「今」来たかった理由は他にもある。叔父と叔母の墓の隣りにある墓石に気づいたのは、何年前だったろう?


──9ヶ月だけのこの世──


「今日」は、誰に等しく約束されたものではない──その事実を知らせるメッセージのように、あるときこの墓石に目が止まった。

刻まれた生前のお名前を見ると、ご両親がお子さんに託された願いが十二分に伝わってくる。誕生は、ぼくより少しあとのお生まれだったようだ。


が・・・。


まさか・・・こんな偶然を望んでいたはずもない。

これは残酷な現実の表象か? それとも救済のメッセージか?


──果たして、命は自分のものなのだろうか?──


これまでの歩みのなかで、何度か深く考えさせられた問いが、再び意識の最上層へ浮上した。

この命は、親からの授かりもの。それはいわば「預かっている」ものではないのか? ならば・・・。そう、こんな話をする時間は、過ぎるほど十分にあったはずだった。


──後戻りのできない選択は、しない──


進んだ先に、望んだ「今」があるとは限らない。だから、道を間違ったら後戻りしてやり直せばいい。だからこそ、生きている必要がある。何度でも何度でもやり直すために。

もしも、進んだ道の先で、真に望んだ「今」に巡り会えたというなら、今すぐぼくに教えておくれ。

しかし、君がこうして無言を貫くのは、なぜだ? その望んだ「今」を独り占めしたいわけじゃないだろう。それとも、この浮世の苦しみを、絶えずぼくの傍らで共に味わってくれているとでもいうのか?


──「今」こそ奇跡──


「今」という瞬間は、この地上の誰もが未だ味わったことのなかった〈初めて〉の「今」なのだから。

ぼくがずっと君の傍らで語ってきた無駄話は、全部〈真実〉だったということを、まさに「今」、感じてもらえていたらと願う。そうさ、「今」のぼくには、もはや、そう願うことしかできないんだ。


──これが区切り──


己を何かに囚われてしまわないうちに、ぼくは後戻りしてやり直すよ。そのための忠告として、君のメッセージを受け止めることにする。


──有難う──


先人は偉大だ。「有る」ことは「難しい」と知っていて、こう綴ったのだから。ぼくたちが「今」ここに「有る」ことも、易しいことなんかじゃない──それを昔から「有難い」という言葉に託していたんだよ──。

そう伝えられなかった無念さが、日を追うごとに降り積もっていく。


──でもいつか、この感情を手放せる日が訪れる──


言葉はある種の呪い(まじない)である。故にぼくは、この言葉を呪いとして自らへ託する──真に望む自由に抱かれる日を迎えられるように。


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【介護者生活丸9年──10年目の介護記念日】

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2021年10月15日

9年前のあの昼間の出来事を懐かしむことができる日は、まだ来ないらしい。それまで聴いたことのないような大きな物音が鳴り響いた「あの瞬間」のことをだ。

そのときぼくは、眠っていた。それでも、音に携わる仕事をしてきただけに、その物音の発生源が「モノ」ではなく、間違いなく「ヒト」であると、まるでその瞬間を目撃していたかのように悟った。

母が自宅で転落事故を起こしてから、今日でちょうど9年が経った。あれから一段ずつ階段を下るようにして、母の老いは進んでいった。

この11月で、母が特別養護老人ホームに入居してから、丸3年になる。この間、パンデミックの影響で半分以上の時間、互いに顔を合わせることができなかった。


──母が老いていく姿をすべて見届けたい──


ぼくの願いは思わぬ障害で叶えられなくなったが、もし、すべてのシーンを目撃していたとしたら、ぼくは自己崩壊してしまっていたかもしれない。


──ぼくを守るためために必要だった──


9月末に、1年8ヶ月ぶりに母と再会を果たしたあと、ふとそんなことを思った。

パンデミックの最中に果たし得なかったことが、もうひとつあった。


──父の墓前に参ること──


この10月1日、東京では緊急事態宣言が解除された。感染拡大がおさまりつつあるこのときこそ、記念日に墓参りするチャンスだった。

花に関心がなかった父ゆえ、花を供える必要はない──母から伝えられている通り、今年も同じようにした。

墓へ向かう道中、父の愛飲した品にどれを選ぼうかと迷っていた。タバコはいつも通りのハイライトでいい。父が当時、毎日のように味わっていたというビールは、アサヒ・ラガー。今では手に入らない品ゆえ、同じメーカーでスーパードライにするか、ぼくが好きなクラフトビールにすることがこれまでんの慣例だった。

午後の遅めの時間、少しでも利用者の少ない列車に乗ろうと各駅停車を選んだ。乗降客の出入りがある出口付近は避け、かつ窓がすでに開けられ換気が万全と思われる座席に身を沈めた。そして今日もかつてと同じように、銘柄を考えていたそのときである。まさかの出来事が起こった。


──親族以外の人物のことが心に浮かんだ──


まさか君のことを思い出すだなんて・・・あれから日を追うごとに、その出来事が現実味を帯び始めているのだと、改めて思い知らされた瞬間だった。

父と同様、ビールを愛した君だから、今日は、君好みの銘柄を贈るよ。


──よなよなエール──


今では缶入りのクラフトビールの定番とも言えるほどの人気の品だ。

墓の最寄駅には、子供のころ、母に連れられてよく通った老舗スーパーマーケットがある。そんな懐かしい場所で、今はひとり、2年ぶりにビールを買った。

墓がある地域は、都心部にしては珍しい寺町で、大通りに囲まれた一角だというのに、寺街独特の満たされているようでどこか物哀しさを覚える静けさが漂っている。

普通に暮らしているだけで渦に飲み込まれて取り乱されてしまうような日常から束の間でも遠のき、再び心をチューニングし直すためには、こうしたひと気のない場所で、そっと静けさのなかに潜む時間がぼくには欠かせない。

寺の本堂脇にある井戸水をくんで墓前に立つころ、すっかり買い忘れた品があることを思い出した。


──線香──


墓参りには、線香専用の風防付きのライターを持参している。しかも今日は念のために、より火力のあるジッポーライターまで用意してきたにも関わらず、いずれも役立てられない。

しかし瞬時に頭を切り替えた。


──今日は父に、焔を灯そう──


タバコも愛した父は、きっといいライターを持ち歩いていたに違いない。今日は父の咥えタバコに火を点すようなつもりで、焔を供えることにした。

墓前を整えて、静かに手を合わせる──父と君が同じあの世に棲むことができているかはわからない。けれどもし、あの世で巡り会うことができたとしたら、世代を超えて愛したビールで盃を酌み交わせますように──そう願った。

次いで、家族に対する礼を──。ゆっくりと老いて行きながらも、今も現世での使命を果たさんと、無常の毎日を生きる母を見守って下さるお礼、そして、還暦を越えてなお社会の役に立つ勤めを果たしている兄夫婦の無事と、今にも崩れ落ちそうになりながらもぼくが健在であることを報告して、墓を後にした。

夕暮れ時の空を見上げると、真昼の月の名残が見えた。出掛けに家の近所で見上げた空に浮かんでいたあの月だ。

思えばこれまでも、苦しいとき、よく真昼の月を見上げていた気がする。


──母の終を見届けること──


それもまた、ぼくが母のもとに生を授かった使命のひとつであるはずだから。父と入れ替わるようにぼくが誕生したことが、その証なのだろう。


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【目と耳の検診から知る心身チューニング法(2)】

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2021年10月13日

続いて耳鼻科へ。待合で順番を待っている最中に、既に体力の限界に達しようとしていた。しかも、検査のための点眼薬で開放されたままの瞳孔には、病院内の白くて明るい照明がとても堪えた。瞼を閉じても強く光を感じるため、まずは俯く──それでも効果なく、今度は両手で目元を塞いだ。厚みのある手のひらの土手の部分を当てると、体温によるほのかな暖かさを覚えた。


──嗚呼、なんて暖かいんだ──


そのとき不意に、ある記憶が呼び覚まされた。あれは、ぼくが在宅介護者としての敗北を感じた日の朝のことだった。


「大きくて暖かい手や」


車に案内しようと母の手を引くと、母は少しはにかんだ様子でこう応えた。


「あなたが産んで大きく育てた手だよ」


ぼくは確か、こんな風に返した気がする。

その日は、ひとりきりで母と向き合う日常に限界を感じて、ショートステイサービスへ母を預けることにした最初の日だった。


──自宅で過ごしたい──


母がここで過ごす時間を1日でも長く保ちたかった。叶うことなら、この家で終を迎えてもらいたい──その願いがもう実現できないことを証明するような、とても象徴的な朝だった。そしてそんな日に、母はなんとも忘れ難い言葉を、手を強く握り返すというやはり忘れ難い感触を伴って、ぼくに授けたのだ。

母がゆっくり老い始めたとき、ふと思ったことがある。


──母の手の感触はどんなだったろう?──


握手やハグの習慣がない日本人にとっては、親の肌の温もりなど「忘れたまま」に日常を過ごしていくが当たり前だが、ぼくはどういうわけか、記憶にあるはずのその感触を呼び覚まさぬままでいいのか?──そんな疑問を抱いていた。

その欲求を必要以上に満たすように、その後は、母の入浴介助はもちろん、下の世話、そして緊急時に2階の寝室から母を担ぎ下ろすため、大人用の抱っこ紐を購入して、母をおんぶする日まで迎えることができた。


──これで、おあいこ──


幼きぼくに母がしてくれたことをすべて母に返した──そう思える瞬間だった。

あれは、母が特別養護老人ホームに入居するまえのことだから、既に3〜4年ほど時間が経ったことになる。時が経つのが早く感じるのは、きっと、自分の置かれた状況になかなか変化が起こせないからに違いない。それをなんとかしようと抗った結果の断片が、このドライアイと耳の不調として現れたのだろう。

それだけではなかった。この4年間、どれだけの危機が身体に起きたか? 2017年には、初夏〜秋口にかけて、全治4ヶ月を要した股関節痛に見舞われた。翌2018年の夏には、ほとんど眠らない状態で1週間の出張を乗り切り、帰京後、胸に痛みを覚えて救急搬送を自ら依頼したこともあった。2019年は重い荷物を背負い出掛ける出張が続いた年となり、秋には限界を来たし、背中に激痛がはしるようになった(現在も治療中)。同年末には、出張先で呼吸困難を発症。ことなきを得て帰京するも、その後息苦しさが取れぬままほぼ1年を過ごすことになった。

かつてこんな言葉を聞いたことがある。


──名馬は倒れない──


倒れてしまう程度だから、ぼくは名馬ではなかった。無論、名馬であることが唯一の価値観ではない。そして負け惜しみを付け加えれば・・・ぼくはそもそも、馬ではない。


──だからこれでいい──


自分が理想とするものをかたちにしたい──そうして限界に挑み、願いを音に変えて、その境界を見た──そのことを評価したい。これは、誰からも侵されることのない、自愛の心とも言える。

院内の明るい照明に耐えかねながら、こんなことまで思い返していた。

さて、いよいよ診察である。もう気力の限界に迫っていたので、キャンセルして帰ろうかと思った矢先、ようやく声がかかった。簡単に問診を受け、症状を伝えると、原因として考えられるのは・・・


──脳への過剰な刺激と血流の停滞──


目と耳から絶え間なく入り込む情報──それに脳が暴走しているのだろう。

そして、ビタミン不足も理由になりうると告げられた。


──思い当たる節がある──


気忙しさに追われて、栄養のバランスさえ考える余裕がなかったのである。

本日の聴力検査は、1時間待ちだという。さらに、診察時間の関係で今日は結果評価ができないと告げらたが、それでも了承して、待ち合いへ戻った。

長い待ち時間のあと、検査のためのブースに入った。検査中もいくつか異変を感じたが、後日受けた結果報告では、問題ないと告げられ、まずは安堵した。

それにしても、ここでも「血流」が指摘された。やはり健康は整った自律神経があってこそということに違いない。

帰り道、自然の力に頼ろうと、病院そばの森を伝って家路に就いた。秋晴れの蒼い空が今日は特に広く感じられた。


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【目と耳の検診から知る心身チューニング法(1)】

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2021年10月13日

1番──。

こんな位はもう久しく味わっていない。そんな有難いはずの位が、まさか病院の受付番号だったなんて皮肉だ。

パンデミックの最中、最も酷使したであろう目とみみに違和感を感じ始めていたのはいつからだろう。身体に備えられた機能に疎かにできるものは何ひとつないため、不備を感じたときには即、検査にいくのだけれど、信頼の置ける眼科医がいる病院では、このコロナ禍、一時、外来の受付が停止されていた事情もあり、伺う機会を逃していた。

しかし、9月ごろには、視界に浮かぶゴミが終始見えるようになり、市販薬では改善されず、かつ耳には時おり、突発的かつ断続的に、耳を刺すような耳鳴りが繰り返されるようになり、加えて、外耳に痛みを感じ始める状態になった。


──過集中──


近年、技術と経験と環境が整ったおかげで、何事も徹底的に作業を追い込めるようになってきた。端的に言えば、一音一音の磨き度合いを際限なく行ってしまうということである。ようやく理想としていた音作りが叶い始め、それに伴いより高い品質が提供できると感じたら最後、もう、入り込んだZONEからは出られなくなる──そんな傾向を自ら客観視しては危険を覚えてはいたものの、「理想」という名の誘惑に完全に溺れてしまっていたのだ。

10月──感染者数が減ってきたこのタイミングで受診しなければ、冬場になるとまたチャンスを逃してしまう──そう感じて、長い待ち時間を要する眼科受診と合わせて、耳鼻科の予約を入れた。

母の付き添いの頃から通い慣れたこの病院も、長らく続けられていた改築と増築が完了し、当時の面影は薄れている。受付の事務スタッフには男性職員の方も増え、支払いシステムは現代的に機械式へと移行していた。院内を歩くと、親御さんの付き添いと思われるご家族の方の様子が何組か目に入ってきた。陽気に日常のことをお喋りする方、会話ができない親御さんの傍でただひたすらに沈黙している方、意思の疎通はとれないまでも、子供のように駄々を捏ねる親御さんの対応に疲れ果てたのか、視線の先が定まらぬままに無表情で遠くを見つめる方・・・。


──ぼくは、このすべてを経験した──


病院内でそのことを思い返して苦しくなることはなかった。しかし瞬時に、自分の今後の人生の進路決定において非常に重要になると考えていた40代のほとんどを、母の介護に費やさざるを得なかったことについて、否応なしに振り返らざるを得ない心境に陥った。

一方で、いずれ迎える親の介護を、40代という比較的体力のある時期にできたことは、むしろ幸運だったとも思えた。ほとんどの場合、50代後半から60代にかけてそれが現実となると考えると、より過酷な日常に直面することが予想できる。

同時に幸いだったのは、そんな時期でさえ、恵まれた仕事の機会を得られたことにある。


──たとえこの先が途絶えてしまっても構わない──


そう思えるほどの、まさに「作品」と呼ぶに相応しい仕事に関われたのである。ぼくにとっての「作品」とは、至高の表現のことだ。つまり、この世にこれ以上、純真な想いを込めた仕事は、ない、ということである。それに関われたことほど幸運なことは、ぼくにとっては存在し得ない。だからこそ、きっと遠い未来に振り返ったとき、40代は公私共々、「満たされていた時代」として記憶の底から呼び覚まされることだろう。

午前9時前──眼科の予備検診から1日が始まった。視力検査を終えたのち、久方ぶりの受診ということもあり、まず先に医師による問診が行われ、その後、恒例の「瞳孔を開く目薬」が点眼された。15分ほどで瞳が開き切った状態になる。これで眼球の隅々まで検査ができるというわけだ。

明るい光りを眼に当てられた状態で検査は進む。過去にも何度か同じ検査を受けたけれど、今日ばかりは、わずかに痛みを感じるほど、目が強く染みる思いがした。差し込む光に反応して、医師の指で見開かれた瞼を瞬時に閉じたくなる──それほどの刺激だった。

ゴミが浮かんで見える問題に合わせて、疲れるとものが二重に見える症状もあると訴えたところ、左右の眼球の位置にズレがある可能性を指摘され、追って検査を行うことになった。ついでに、コロナ禍に受けるのを控えていた緑内障検査もお願いすることにして、眼科の検診を終えた。

今日わかったことは、極度のドライアイだということ。原因として、眼を酷使している環境は言うまでもないが、それによって酸素不足に陥るのだという。そう伺って、つまりは、血流不足であると自分では解釈した。


──自律神経失調──


結局のところ、大元の原因はそこにあると認めざるを得ない。

処方薬には、3種の点眼薬が用意された。これらを1日合計13回打つ──不覚にも、このおかげでZONEに入り浸ることから自ずと解放されることとなった。


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【貫いた辛抱──14,400時間(4)】

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2021年9月24日

今日の面会には、母との再会以外にも目的があった。この20ヶ月の間の母の移ろいを知りたかったのだ。15分間の面会時間の途中で、日ごろ母のお世話をして下さっている職員の方お2人から、最近の母の様子を聞かせていただいた。


「またに笑顔で応えて下さることもあるんですよ」

「おはようって声を返して下さる日もあります」


他にもいくつか様子を聞かせて下さったけれど、覚えているのこれだけ──ぼくの願いを写しとったかのような言葉ばかりだ。

表情だけでなく、身体にも変化が見受けられた。指先や肘の関節に硬直が見受けられるようになっている。その症状を抑える目的で、大きなクッションを脇の下で挟んでお腹の上で抱えるように座っていた。叶うことならそんな様子は目にしたくないと思うはずだが、そんな母の姿に、どこかしら可愛らしさを覚えた。

肌艶はまだ健在だった。元から白い肌だったが、屋内生活が続き、白さにより磨きがかかったようだ。白さは貧血も多少影響していると思われるが、血色はよく、とても穏やかな表情に見えた。

しかし、頬だけでなく、こめかみの辺りまで痩けてきている──その様子をみて、母から聞かされた父の闘病末期の様子を想像した。


「こんなところまで肉が落ちるんやなぁ」


癌に侵されていた父は、8ヶ月間を病床で過ごし、ぼくの誕生と入れ替わるように、41歳で先だった。贅肉はおろか、あらゆる肉がそぎ落とされていったという。


──当時の父は、こんな表情だったのか?──


ふと、そんなことが頭を過った。

僅かな対面時間だった──14,400時間ぶりの再会だったこと。秒数に置き換えると51,000,000秒もあること。それを聞いて「お金やったらええのになぁ」と思ったでしょ──かつて当たり前のようにしていたたわいもない話を再現するかのように、ぼくはひとり、言葉を発していた。側から見れば、まるで道化師のようだったかもしれない。もちろん、なんと思われようと構わない。もしも母を楽しませることができたのなら。

母の手に触れてみたい──そう思った。しかし硬直している手を握ることはもうできない。そしてこの時世である。なので、膝をさすってみた。でも堪えきれず、母の手に指先で触れてみた。次いで、手の甲で触れてみた。今も変わらず、母らしい冷たい手をしていた。

歩行がおぼつかなくなって、母に手を引いて歩くことが増えたころ、母はぼくの手を握って、いつも同じ言葉を繰り返し、笑みをこぼした。


「大きくて暖かい手や」


親子で手を繋いで歩くなんて、とても照れ臭いことだったけれど、そんな時間が授けられたことに、今は感謝している。

時間になり、担当の方が迎えて下さった。今日の目的はもうひとつ、今後のことについての確認だった。用意周到な母だから、自分を送る際の意思も予め伝えられていた。墓も自分で用意し、戒名までも自ら考えた。だからあとは、具体的な流れを確認すればいい。

通常の相談室ではなく、換気と感染予防対策の行き届いたコミュニティルームで詳細に流れを教えていただく──その応対は、丁寧であることは言うまでもないが、心の通った姿勢をどんなときも感じられるのが、何よりぼくを安心させてくれた。


──この施設に導かれたことも奇跡──


相談を終えたあと、母の入居時から始まっていた別棟建設が完成した話を聞かせていただいた。これまでに以上に地域との交流を図ろうと、専門業務目的で設計されたといってもおかしくない立派な設えのカフェが誕生していた。その一角には、ワークアウトのためのマシンやコインランドリー、スパも併設されている。

せっかくなので、カフェで一服することにした。平日の夕方──客はぼくひとりだが、奥の方に掛けられた黒板に絵を描いて子供たちが遊んでいる。こんな時間を持つのも、最初の緊急事態宣言以来、初めてのことだ。

オーダー時、ちょっとした愉快な出来事があった。ぼくも相変わらずの調子で、相手を一瞬混乱させるような妙な冗談をいい、応酬した。


──ぼくらしい時間だ──


席について、その些細なやりとりを思い返した。わずか二言三言の出来事だけれど、こんな瞬間さえ辛抱してきた20ヶ月だったのだ。

「コロナが憎い」だなんて思ったことはない。仮に母や自分や大切な人が感染して逝ってしまったとしても、そう思うことはないだろう。こんな今を生み出してしまったのは、人類に他ならないのだ。無論、ぼくもそのうちのひとりである。

いつかの真夜中、抱えきれない不安に襲われて、ここまで車を走らせてきたことがある。そのとき、気づきを授かった。


──この不安は、母の苦しみに寄り添っている──


そう思えば、「今」を越えていけそうな気がした。


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【貫いた辛抱──14,400時間(3)】

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2021年9月24日

ぼくが一方的に喋って、母がその様子を見つめる──それだけのやりとりに収まったのは、いつごろからだろうか? 特別養護老人ホームにお世話になり始めた3年前は、だいぶ子供がえりが進んで、思うときに思ったまま何でも口に出すようになり始めていたが、まだいくらかやりとりができていた記憶がある。

入居してしばらくは、面会時、大広間で他の入居者の方と寛ぐ母と対面していた。しかし、ぼく自身がその場に慣れることができず、その後は、母が居室で休んでいる時間を見計らって面会に行くことにした。

なぜ慣れることができなかったのか? 


──母の未来の図──


そこにその姿を見てしまったからだ。

まさに今の母がそうであるように、身体の自由が効かなくなり、会話もできず、100%要介助な状態になる様を、ぼくは見つめることができなかった。それに、普段は見かけない身体の大きなよく喋る男性がその場にいると、物珍しさからか、入居者の方から質問攻めにあうのも負担になっていった。子供の輪の中に入ったようで、毎度同じ質問の繰り返しになる。退屈させないようにと、都度、冗談を交えて違った答えを用意したりして、無駄なサービス精神を発揮してしまうのが、次第に苦しくなった。それに、面会は、母との時間を過ごすためのものでもある。そのことだけに集中したかった。

今日与えられた15分間、できる限り母に語りかけるようにした。始終目は虚ろで、ぼくに視線が注がれることはほとんどなかったが、それでもよかった。こんな危機に見舞われて、もう会えないままになる──そう案じたほどだったから。それを思えば、こうして顔を合わせることができただけで、有難いのである。

「あーあー」と、「あ」に濁点が付いたような声色で何かを伝えようとしてくれていた母──その様子を見て、相変わらずのぼくは、その音のひとつひとつに、何か意味が込められているのではないか?

会話が出来なくなったのは、その機能がなくなったからではないのではないか? 意思も言葉もまだあるが、それを伝えるための回線が途切れてしまっているだけ──いつからかそう感じるようになった。「あーあー」と、母がこうして絶えず声を発するのは、何か伝えたいことがあるからなのだ──ただそう信じたいだけなのかもしれないけれど。


──信じる──


冷静になって人との関わりについて振り返ってみたい。言葉や行動、ときには表情を使って、人は互いに意思を伝え合おうとする。しかし、そのひとつひとつが真実を伝えていると、どうして思えるのだろう? 言葉が交わせるからといって、その言葉が本心だと何が証明するのか? 流した涙は嘘じゃないと何故わかるのか? 贈りものが付け届けではないとどうしたら知ることができるのか?


──信じる──


それしか方法はないのだ。

「あーあー」という母の発する声に、何が込められているのか? 


「こんなところにながらく押し込めるなんて」
「1年8ヶ月も放っておくなんて親不孝ものが」
「はようお迎えにきて欲しいわ」
「あんたに逢えて嬉しいわ」
「目線は合わせられんけど喜んでるで」
「心では悦びあふれて泣いてんねんけど涙腺の回路が壊れとってな」
「ありがとうありがとう」
「ほんまにあんたが頼りや」


このすべてが込められているかもしれないし、すべてはただの音なのかもしれない。それとも、生まれたての赤子のように、原初の叫び=プライマルスクリームなのか? それは、ぼくには知る術がない。

──と、こんなことに思いを馳せていたのは、帰り道に寄った施設付近の公園を散策している時のことだった。一番大きな空が望める広場にたどり着くと、ちょうど夕暮れどきに差し掛かり、時刻は17時30分──子供たちに帰宅を促す放送が流れ出した。


「新型コロナウィルスの緊急事態宣言が発令されています」


時代を移す文言が取り入れられたアナウンス──それを聴くなり、子供たちはすんなりと家路に就き始めた。


「大人たちにも見習って欲しいものだな」


そんなことを思いながら、明るい光が刺す方向へ進むと、ナイター設備が整えられた野球場があった。指導している若者はたった一人──子供たちは、1チーム分=9人もいない様子だった。それでも二タ組に分かれて攻守交代しながらボールを追いかけ回していた。


──ぼくにもこんな時代があった──


無邪気さとはまさに「邪気が無い」と書く。ただただ夢中で、夢中であることにさえ気づかずに、「今」だけを信じている


──「今」だけを信じる──


それが、今日、母と再会する必要があった理由に違いない。14,400時間も費やして──いや、50年という月日を捧げて、確かな実感をもとに知り得た真実なのだ。

さあ時間だ。ぼくも帰ろう。人は、誰かの手本となり得るまで成長して初めて「大人」になる──その道を、今からぼくも進むのだ。


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【貫いた辛抱──14,400時間(2)】

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2021年9月24日

非常階段からバルコニーを伝うルートは、施設の外周をぐるりと一周する形で、思いのほか長い道のりだった。その間、担当の方より、母の現状報告をいただいた。久々の対面でぼくに動揺が走らないように、という配慮が伺えた。当たり前のこととはいえ、有り難かった。

起き上がっているのも難しいものと想像していたが、今日は比較的状態がよく、車椅子に移して身体を起こしている状態だという。

バルコニーから居室へ入ろうとするとき、窓辺から母の姿が見えた。身体は起こしているものの、眠っているようだ。

入室──。部屋の様子は少し変わっていた。いつだったか、母が脱力状態になってしまったため、車椅子ヘの移乗が困難になってきたため(介助者にも母にとっても)、身体を釣り上げるリフトを設置したいと確認の連絡があったことを思い出した。リフトの足場に場所をとるため、音楽やオペラ映像が楽しめるようにと設置したAV機器は少し離れた位置に移されていた。そのテーブルのうえに、先日催された敬老の日のためにぼくが贈ったお祝いメッセージが飾られていた。横に添えられた写真はだいぶ前のもののようだ。母がまだ周りに笑顔を振りまいている頃の様子が映し出されていた。

施設では、こうした催しをとても丁寧にやって下さる。家族の参加も可能だったのだが、母をここに住まわせてから一度も出席できなかった。それ以降のぼくといったら、週末や連休は決まって地方出張だった。その当時は、欠席する言い訳に都合がいいと感じていたが、こうも会えなくなると、今となっては複雑な心中である。

部屋の変化と記憶の旅を一瞬のうちに感じ取っている間に、母が目を覚ました。だが、予想通り、「感動の再会」といった類のリアクションはない。虚ろな眼差しで薄らと目を開けるも、ぼくに視線は注がれなかった。母は締まりのない口から、ただただ「あーあー」と、声を上げる。より正確に描写するなら、「あ」に濁点をつけたような声色だった。そのひと声に、どんなメッセージが込められているのか、感じ取ろうと努めたが、無論、母の真意は察することさえできるはずもなかった。

会話ができなくなったのは、面会ができなくなるよりだいぶ前から既にそうだった。なので、今日の状態が悲劇的だとも感じなかった。しかし、遂に案じていたそのときがやってきたことを目の当たりにした。


──笑顔が消えた──


会話が出来ずとも、笑顔で答えてくれた母がいた。たわいもない話題や冗談に、母らしさを刻印したようなあの笑顔を絶えず見せてくれていた。それが今、消え去ろうとしている。

老いゆく母を見つめてまもなく丸9年──人生の過程で育んできた機能や能力をひとつひとつ手放していく様子をこの目で見届ける間に、想像できるようになったことがある。


──笑顔を手放すときが、そのときが近づいたサイン──


人は生まれてから最初に「笑う」という能力を手に入れるらしい。泣き叫んびながらこの世に降り立ち、最初に笑うことを覚えるというのは、なんとドラマティックな物語なのだろう──人生のエネルギー量が放物線を描くように上昇し、そして減衰していくなら、壮年期を頂点にして時間軸をさかのぼるように進むはずだ。ならば、手に入れた順序の逆を辿るように能力や機能も手放していくのではないか?──そんなことを考えるようになった。

その放物線が着地に近づいていく過程は、決して美しいものではない。それをまざまざと見せつけられてきた。在宅介護をしていた頃、まだ意識がはっきりしていた母にとっては、できたことができなくなったり、時間の感覚や記憶が揺らいでいく自分の変化に恐れや不安を覚えていたはずだ。もっとわかりやすい言葉でいえば、悔しさや恥ずかしさのようなものを感じていたに違いない。それは母の表情からも窺い知ることができた。

それに対して優しい言葉をかけても、慰めにもならない。周りは何もできないのだ。そう、何もできないのである。その無力感を、あれほど思い知らされたことはない。

だが同時に、ただひとつだけ、できることがあると知った。


──そばにいる──


それだけでいい。それができるだけでも幸運なのだと。


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