主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【ご縁が繋いでくれた仏壇の閉眼供養(2)】

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2022年11月24日

それは、亡き婚約者が繋いでくれたご縁だった。その声なき想いに応えることもまた、彼女への供養となる──。

そのご縁の強さを改めて思い知ったのは、閉眼供養の日取りがきまったときだった。その日程は、まるで必然に導かれるように、彼女の生誕祭から一週間も経たないうちに設けられたのだ。あれだけ迷っていた閉眼供養が、生誕祭からの流れのなかで執り行えることになるとは……。


──彼女は、ぼくを自由にするために、ぼくの前に現れたのだろうか?──


彼女が先立ってからこれまで、幾度となく、そんなことを思い浮かべた。

もしそうなら、今、授けられたこの〈完全なる自由〉を活かし切りたい──そう思ったからこそ、ぼくは、母と、そして彼女と過ごしたこの家から旅立つ決心をつけたのだった。


──ここからどこまで遠くへいけるだろう?──


それは、決して物理的距離だけのことを意味してはいない。広義における〈成長〉を果たすことが、これからのぼくの〈新たな使命〉なのだ。

母が大切にしていた仏間用の座布団を準備して、部屋を整えた。座布団は、ずっと箱に収められたままになっていた。恐らく京都を出てから今日までの五十年間、まったく触れられずに保管されていたはずだ。箱の中がどうなっているかと思うと不安だったが、流石は総絹張りの立派な仕様ゆえ、虫食い穴ひとつなく、それは実に美しい輝きを放っていた。

自分の作品展示のために鍛え上げた空間整理能力を総動員して部屋を整えた。わが家には仏間がなく(京都での暮らしで日本間を維持する手間から解放されたかった母の選択だった)、殺風景にも見えるため、母が授与された花道の師範代の看板を添えてみることにした。これは、母を荼毘に付す際、一緒に葬ろうと葬儀場に持ち込んだものだが、焼け残る可能性があるとのことで持ち帰ってきたのだった。

そうした経緯を経て、今日、このようなかたちで役立てられた図を見つめたとき、ぼくはいつものように、その単なる偶然の出来事に、新たな意味を見出そうとしていた。


──すべては、予め綴られた物語なのかもしれない──


支度が整ったあと、供養をお願いしたご住職を迎えにいく時間になった。ふと時計に目をやると、母の誕生日と同じ数字を指していた。

そして、まだまだ奇跡は続く──。

今日は列席できない兄夫婦に部屋の様子を記録して送ろうと、撮った写真を確認していたところ、ぼくはまたもや、その〈偶然〉に驚かされることになった。


──やっぱり今日もそばにいてくれたね──


写真を収めた時刻は、彼女の誕生日と同じ数字だった。

あの日以来、ずっとこうした数字のサインがぼくのそばに出現している。彼女が誰よりも再演を楽しみにしてくれていた舞踊作品の準備期間中もそうだった。ふたりはいつもぼくのそばにいて、はっきりとわかるかたちで、ぼくに知らせを届けてくれる──迷っているとき、不安なとき、悲しいとき、歓びのとき、前に進むべきとき──そして、労いのとき……。

誰にでも授けられるわけではない、とてつもない〈大いなるもの〉が、ぼくに届けられたのだろう。こんなにも悲劇的な死別の連鎖という代償と引き換えにして──。

閉眼供養は、時間にしてみれば、束の間のひとときだった。それでも、お教に耳を澄ましていると、自ずと溢れるものが感じられた。言葉にはし尽くせない、素晴らしい時間を味合わせていただいた。

最後にご住職に促され、この場の唯一の列席者として線香をあげ、目を瞑り、手を合わせた。そして、わずか一音だけお鈴を鳴らし、その永い余韻が静まるまで、この空間にこだまする響きに意識を集中していた──音色が鳴り止んだあと、ふと気づいたことがあって、ご住職に今日のお礼と共に、お伝えした。


──この五十年で、一番綺麗な響きを奏でられました──


鈴は、その響きが、極楽浄土まで伝わるのだという。この、ぼくが奏でたなかで最も美しい今日の音色は、ぼくを絶えず見守ってくれている何代も何代も先のご先祖様が棲む彼方まで届けられたに違いない。そしてもちろん、母と彼女にも。

閉眼供養を終えてしばらく日にちが経ったとき、感じたことがある。


──この仏壇を閉じ、ご先祖様の魂を解放したのは、このぼく自身──


同時にこれで、この家に対してのぼくの役目を終えたと思えた。それはまさしく、ぼくが〈完全なる自由〉を得て、羽ばたく時が訪れた知らせでもある。

あの鈴の響きは、これまでのぼくの人生の終わりと、これから行く生まれ変わったぼくの人生の、その〈はじまりのとき〉を告げる音色だったのだ。

いつか手にする未だ見ぬ「今」を目の前にしたとき、今日のことをどんな風に思い出すのか? そのときを楽しみに待ち侘びたい。


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【ご縁が繋いでくれた仏壇の閉眼供養(1)】

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2022年11月24日

母と婚約者のふたつの死から半年ほど経ったころ、この状況を一変させるためには、ここから新しい土地へ移る必要があると感じ、大小あらゆる準備を進めてきた。しかし、想像をはるかに上回る悲嘆感情に支配され続けたこともあり、その準備は、かなりゆっくりなペースでしか進められなかった。

それでも、歩みを止めまいと、半ば無理をしながら進めてきた準備のなかでも、とても重要な機会を、この晩秋に執り行った。

閉眼供養──仏壇に込められたご先祖様の魂を解放する儀式である。

とは言っても、わが家は決して、熱心な信徒とは言えない。そもそも、母は自らが入る墓を自分で用意していたにもかかわらず、葬儀を望まなかった。それは、本来の仏教徒のあり方を明らかに逸してしまっている。

それゆえに、母の遺骨は海洋葬で海に散骨することにしたのだ。本人の意思に則っていたかは知る由もないが、母が墓を用意した三十年以上前に、海洋葬は行われていなかったはずだ。もし当時、海洋葬が一般的になっていたとしたら、母はきっと、その葬送を望んだに違いない。

母が愛したイタリアが産んだ名監督=フェデリコ・フェリーニの作品《そして船は行く》では、オペラ歌手の海洋葬のシーンが描かれている。母とその映画を観たという兄の話では、母は、その海洋葬のシーンにいたく感激していたというのだ。


──バレリーナかソプラノ歌手になりたかった──


昭和一桁生まれの母は、時代が許せば、別の人生を歩んでいたのかもしれない。

夢みた人生と現実は異なっていたものの、母は自分の理想を叶えたと、常々口にしていた。


──人生想い残し、なし──


それが晩年の母の口癖だった。


──男の子を二人産んで、それぞれに最高の教育を与える──


ぼくの誕生と入れ替わるようにしてこの世を去った父の没後、当時暮らしていた京都から東京へ移住することを決めた理由のひとつが、その〈教育〉だった。

あいにく、ぼくはその面では母の期待には応えられなかったが、ダンスのための音楽を奏でる作曲家としてのキャリアが拓かれたことを思えば、母が望んだ〈舞踊と音楽〉という夢を共にみることができたと言える。幼いころのぼくは、母から音楽の手ほどきを時折り受けながらも、正式な音楽教育を授けられることだけは一貫して拒絶してきたこともあり、きっと母は、ぼくのこの「今」に驚きと同時に、歓びを覚えていたに違いない。

晩年、介護施設で暮らした母は、あまり会話ができなくなってきても、ぼくが面会に行くと、職員の方に、笑みをこぼしながら自慢げに話していた。


「この子は、作曲をやってるの」


それはもう、すっかりカタコトになった口調だった。

好きなことを仕事にする苦悩を数えきれないほど味わいながら、こうして今もかろうじて踏みとどまっているのは、あの母のカタコトの言葉が、ぼくの耳のなかでずっとこだましているからなのだと感じている。

そんな母と過ごした50年という月日を、絶えず見守ってくれた仏壇を、遂に閉じる日がきた。わが家には〈今のところ〉、後取りがいない。ひとまわり年の離れた兄も、そして50歳を過ぎたぼく自身も、いつ何時、この身に何が降りかかるかわからない。母は、自身も若い頃に夫との死別を経験し、ひとり親として生きる選択をしたこともあり、何事も先回りして準備する用意周到な気質だった。そんな母の生き方にぼくは、ただただ感服するばかりだった。

今どき、ネットを引けばどんなサービスでも見つけられる。縁もゆかりもない僧侶を招いて、形ばかりのお教をあげていただくこともできる。しかし、それは何か違う気がしてならなかった。その違和感が、閉眼供養を行う決め手を失っていた理由でもあった。それゆえに、つい最近までは、母の三回忌までに行いたいという、消極的な姿勢を自ら感じていて、そのあり様に、自己嫌悪さえ覚えていた。

しかし、ぼくたちの〈ご縁〉は、突然にある繋がりを明らめ始めた。

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【ぼくだけのクリスマス(2)──亡き婚約者の生誕祭】

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2022年11月18日

ぼくがここへきた最大の理由は、彼女の生誕祭を、彼女と過ごした想い出の場所で行うためだった。彼女が先立ってから、その死を悼むばかりのこの一年のなかで、ぼくは心のどこかで──潜在的にと言ってもいい──祝祭の場を設けたいと願っていたのである。その場は必ず、〈確かな区切り〉になる──そう期していたのだ。

祝祭の場に届けられた品品をみて、ぼくは圧倒されていた。彼女が歓ぶことは何かを知り尽くした皆さんからの贈りものに、驚嘆させられたのである。


──彼女はこんなにも慕われて生きてきたのだ──


その事実を目の当たりにして、ぼくは安堵していた。自分のことにも周りのことにも全力で向き合った彼女は、その小さな身体で、たくさんの痛みを抱えて生きてきた。しかし、それと引き換えにして、そう容易くは手に入らない、真の友情と愛情をいくつもいくつも授けられていたのだ。

ながらく待ち侘びていた未来がもうすぐそこまできていたときに早逝した彼女の人生は、果たして幸福のままに幕切れを迎えられたのだろうか? 彼女を喪ったすべての人たちは、それぞれが割り切れることのない感情と抱えきれない悲しみを背負っている。しかし、その悲嘆を含めて、こんなにも彼女を想い慕う気持ちに溢れたものたちに囲まれていた彼女の人生は、紛れもなく、幸福だったと言えるのではないか?

彼女に授けられた戒名は、そんな彼女の人生を見事に写したものだった。


──美しく徳を積み、慈しみの心で周りを照らす──


生誕祭を終えた翌朝、午前の早い時間の新幹線で帰京する予定にしていた。ところが、長年の昼夜逆転状態が祟ったのか、真夜中に目覚めてしまったぼくは、その後二時間ほどベッドの上で悶々としながら眠気が再びやってくることを期待するも叶わず、結局、早朝にホテルを後にして、始発で帰ることにした。

身の引き締まる想いがする少し肌寒い早朝の空気を感じながら、まだ明けきらない空が顔を覗かせたままのホームに立つと、これまで様々な想いを抱いてここに立っていたことを思い出した。もう直ぐ始まろうとしていた彼女との時間に期待を膨らませてこの図を見つめていたのが、その最初の記憶だった。彼女の危篤の報を受けて、東京からひと時も泣き止むことなくここへ辿り着いたことも……納骨を終えた翌朝、ここから一刻も早く逃げ出したくて、呆然としたままここに佇んでいたことも……お互いに寂しくなることがわかっていたのに、ホームまで見送ってくれたときの記憶も……今となってはすべてが愛しい。

帰京の途──車窓から見つめていた図は、彼女の葬儀の朝に出現した〈あの絶景〉と同じパノラマだった。雪化粧をしたあの日の様子とは異なっていたが、出る朝陽に照らされたその光景は、ぼくがこれから行く広大な道を示してくれているように思えた。そしてそのとき、気づきを授かった。


──彼女の誕生日は、ぼくだけのクリスマスになった──


そう感じた瞬間、彼女への感謝の気持ちが自ずと立ち込めてきて、始発列車のひと気のない車内でぼくはそっと、感情を解き放った。

その出来事は、彼女との今世での歴史の幕切れを意味すると同時に、今日からの新たな関係の始まりを感じてのことだったのかもしれない。そのせいか、東京に降り立ったときには、あの日からずっと待ち侘びていた瞬間が、遂にぼくに訪れたように思えた。

ぼくは、立ち直ったわけではない。前を向けるようになったのでもない。なぜなら、ぼくはもう、以前のぼくではなくなっているのだから。


──ぼくは、生まれ変わったのだ──


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【ぼくだけのクリスマス(1)──亡き婚約者の生誕祭】

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2022年11月18日

ぼくが大好きな季節──秋──になった。


──ここに立つのは、いつ以来だろう?──


山間の寺院にある彼女の墓前に立ち、色づいた木々に時の移ろいを覚えながら、ふとそんなことを思い浮かべた。彼女の遺骨の埋葬に合わせて植え替えられた木は、すっかり鮮やかな真紅に染まっている。

年始の感染拡大の影響で、四十九日の法要は延期され、納骨は春先にずれ込んだ。彼女の自宅から遺骨を寺院へ送り出すとき、隣接する公園に咲き誇った桜が桜吹雪を舞い散らせていた図を、今でも鮮明に憶えている。


──彼女の葬送を祝ってくれいる──


一月十四日──彼女を葬儀場へ送ったときは、雪が舞っていた。その偶然のような出来事の連なりを振り返りながらいま思うのは、彼女は死して遂に、完全なまでに自然と一体の姿に還ったということである。

人の叡智は、厳しい自然と調和することではなく、その環から離れ、自律した周期で生存し発展する道を生み出した。そうして得られた利益の大きさはこの人類史に刻まれている通りだが、その利益が大きければ大きいほど、喪ったものも計りしれないのではないか?──この、あまりに悲劇的なふたつの死別を経験した身としては、ついそんなことばかりを考えてしまう──ぼく自身、人類の叡智のおかげで、今もここに立っているというのに……。

彼女自身の人生はどうだったのかを想像する──突然に襲った病と、瞬時に命を絶たれた終そのものは、何より本人が最も無念であったに違いない。しかし、彼女はすべての歓びと未来への可能性を喪ったと同時に、あらゆる痛みや苦しみから解き放たれたのだ。


──だから、今ぼくがひとり見つめているこの現実は、必ずしも悪いことばかりではない──


ここへひとりやってくるまでの時間、ずっとずっとそのことを考え続けていた。その〈時間〉とは、今朝からここへやってくるまでのことではない。〈あの日〉から今日までの〈十ヶ月〉の間にようやく辿り着いた、ひとつの解──いや、これは〈慰め〉として表す方が、ぼくのいまの心のうちをより正確に表していると言えそうだ。

数えきれない言葉を重ねて、どんなに思考を積み上げても、この悲しみが消え去ることは決してないとわかっている。ただ、今日という瞬間をどうにかやり過ごすためには、この感情を受け止め、自らを慰められるだけの器としての言葉がぼくには必要なのだ。


──言葉は心を育み、魂をかたち創る──


これは、そう信じているからこその営みに他ならない。

墓前にそっと、ふたりだけの繋がりを示すお供えをし、続いて本堂に納められた彼女の位牌に手を合わせ、線香を手向けた。通夜葬儀から今夏の初盆までお世話になったご住職にもご挨拶し、これまでの礼を伝え、寺を後にした。

次に向かった場所は、彼女が最期のときを迎えた病院──春の納骨のあとにご挨拶に伺う予定にしていたのだが、当日、あまりに大きな悲嘆感情に支配され、自らのコントロールを喪失し機会を失ったままになっていた。

現地へ向かう前夜、お世話になった医療チームへ宛てた手紙を綴っていた。約束なく伺うため、お目にかかれないこともあるであろうと考えてのことだったが、日付をまたぎ、彼女の誕生日当日になっても書き終わりそうにない、そのながいながい手紙は、お目にかからずに手紙だけ残して去る方が想いが伝わる内容に近づいていった。

すると、現実はまさに思い描いた通りになった。高度医療を提供するチームにとって、急な来訪に対応できるほど手隙の時間があるはずもない。ぼくは手紙だけを残し、今回の旅の最終目的地へ向かった。


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【真・孤独のラザニア(2)──亡き婚約者の生誕前夜祭】

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2022年11月17日

2019年のクリスマスに初めて取り組んだラザニア作りからまもなくしてパンデミックが訪れるだなんて……。


──あれから三年──


玉ねぎ、にんじん、セロリを微塵切りにしたものと、牛と豚の合い挽き肉を、にんにくと生姜で炒めて、塩コショウで味付けし、ダイスカットとホールのトマト缶をそれぞれ混ぜ合わせるという大鍋いっぱいのミートソースを煮詰めている間に、もうひと口のコンロでホワイトソースを拵える──溶かした無塩バターに全粒粉の強力粉(ここだけがぼくたちのこだわり)を溶き、粉が玉にならないようゆっくりと少しずつ牛乳を鍋に注ぎながら熱しつつ、素早く、しかし繊細な手つきでしゃもじを回していると、否応なしに、当時の記憶を呼び覚まされてくる──そのとき、死別から今日までに抱いていた感覚と異なる気持ちが湧いてきたことに気づいて、自分でも驚かされた。


──悲しみが懐かしさに変わろうとしている──


あれだけぐっすり眠っていたのに、ソースが仕上がりそうになると、それをなぜだか察して目覚める彼女──それに応えるように、ぼくは仕上がったばかりのホワイトソースを小さじですくい、味見をしてもらう──。


──嗚呼、あの愛しい時間が懐かしい──


これまでなら、ここで泣き崩れていたことだろう。でも今日は、そうならない──ようやく、少し前進したのだろうか?

今の体力と気力では、一度に仕込みから焼き上げまでは出来そうになく、今回は、二日間に分けて作ることにして、仕上げたソース類は冷蔵庫に収め、焼くのは翌日、誕生日前夜に行った。

ところが当日、思わぬ出来事がぼくに襲いかかり──前夜祭はこれまで味わったことのないほどの憤りがぼくを支配していた。こんな状態で焼くラザニアを果たして食べて良いものか? と思案させられるほど苛立ちが募ったが、オーブンに入れて焼き上がりを待っていると、あの愛しかった当時と同じ香ばしい匂いが立ち込めてきて、ぼくを再び、安心安全の境地へと誘ってくれた。

かくして焼き上がったラザニアは、見た目は変わらないものの、やはりどこか味が違っていた。


──真・孤独のラザニア──


真の意味で、それは、ぼくがひとりで味わう初めてのラザニアだった。

二人で過ごした初めてのクリスマスでお目見えして以来、ぼくは二人のために何度もラザニアを作った。「望む未来が見通せるように」と、蓮根を入れたバージョンも作り二人で味わった(亡くなった母は、蓮根を食べるたび「私は蓮根が好きやったから、望む未来を手にできたんや」と、蓮根を食べるたびに話してくれた。その話題をぼくも引き継いで、毎度話すものだから、周りからはとうに面倒がられている・苦笑)。感染拡大で会えなかった時期が続いても同じだった。たとえ離れていて共に食すことができなくても、こころをつなぐ思いでラザニアを作った。


──この味は、殿堂入りだね──


ぼくの作る料理のなかでも、特にこのラザニアが彼女のお気に入りだった。一度にたくさん作るから、いつも小分けにして、彼女にお土産として持たせていた。そんな当時のある日、彼女が暮らす街で人気だというラザニアを食べてみたという感想が送られてきたことがある。


「あなたの作る方がボリュームもあるし、ずっと美味しい」

「商売じゃないから採算度外視だし、何より、あなたのためだけに作っているから、当然でしょ」


そんな冗談を言い合っては、お腹を抱えるほど笑っていた毎日が懐かしい。

ぼくたちは、いつ何が起きてもおかしくない年ごろに差し掛かった、すっかり大人になってからの出逢いだったこともあり、こんな毎日が〈当たり前ではない〉ことをいつも忘れないようにしていた。だからこそ、毎日の会話は、必ず「今日もありがとう」と伝えて締めくくっていたのだ。もしも明日、最期の瞬間が訪れても悔いがないように──。

その瞬間が、現実としてこんなにも早く突然に訪れてしまうと、しなくて済むはずだった後悔が、次々に巡ってくる。

常に細心の注意を払って、先回りしては日常に潜む危機を回避しようとお互いに努めてきた。しかし、パンデミックという脅威に、ぼく自身が完全に翻弄されてしまっていたのだった──当時を振り返っては、ふとした瞬間に考え込んでしまって、自らを追い込んでしまう。


──もっとできることがあったはずだ──


それでも今は、考え得るシナリオのなかで、この結末を迎えた彼女の人生は、このうえなく幸福だったのだと信じようと努めている。そう確信に至るためにも、これからのぼくの人生を、これまで以上に輝かせたい。それが、先だった彼女への一番の供養になるに違いないのだから。


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【真・孤独のラザニア(1)──亡き婚約者の生誕前夜祭】

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2022年11月17日

人生でラザニアを自ら作る日が来るだなんて、夢にも思わなかった──かつてここに、そう記したことを憶えている。

小学生の頃、友人のお母様に連れられて、渋谷パルコで初めて食べたのが、ラザニアに関する最初の記憶だ。食べたラザニアの味よりも、突然に「ラザニアを食べに行きましょう」と、誘われたことの方が鮮明に記憶されているから不思議である。もしかすると、ぼくの遠い未来にラザニアを自ら作る日が来ることが予め決められていたのかもしれない。きっと、あの日のラザニアとの邂逅は、その予兆としての出来事だったのだ。

ラザニアを作るきっかけになったのは、亡き婚約者とよく観ていたドラマ《きのう何食べた?》だった。主人公の二人が暮らし始めた最初のクリスマスに出された想い出のラザニア──そのレシピをドラマのエピソードからメモに起こしてトライしたのが最初の機会だった。

当時、二人の時間が始まってから最初に迎える彼女の誕生日の、そのまさに当日から、ぼくは一週間の出張にでた。あまりに過酷な状況下に自らを追い込んでしまったせいで現地で呼吸困難を起こし、倒れる寸前だった。現場に混乱を招かないために、密かにひとり不調を紛らせ、どうにか無事に役目を務め上げ帰京するも、それからながく、身体が壊れてしまいそうなほどの激しい咳と不調に見舞われることになった。

戻ってから一ト月後、クリスマス前にも再び出張にでた。そのときも不調を引きずったままで、出張先の空港から乗ったリムジンバスにスーツケースを置き忘れるほど、まったく平常心を欠いた状態に陥っていた。

その出張での会食の席で、こう話していたことを今でも憶えている。


「帰ったら、ラザニアを作るんです」


ぼく自身、そのときを迎えることを、とても楽しみにしていたのだろう。周囲のひとに思わず話したくなってしまうほどだったのだから。

クリスマス直前に帰京して、イブには自分の作品展示のための設営に立ち会うという、不調の身体には過酷すぎたスケジュールだったが、二人で迎える初めてのクリスマスに、特別な料理を用意できることを楽しみにして、どうにか乗り越えた。

ドラマで描かれていたように、ラザニア・シートとチーズ以外、ミートソースもホワイトソースもすべて手作りした。不慣れな手順ゆえ、焼き上がりまで三時間ほどを要したが、その間、彼女は、今のソファーに横たわり、すっかり眠ってしまっていたので、待たせてしまう気後れなく作業に集中することができた。彼女はその日も、東京での仕事を終えて帰宅したばかりで、相当疲れた様子だった。そんな様を横目で見つつ、黙々と料理をする──こんな、何でもない日常が訪れることを、ぼくはずっと待ち侘びていたのだ。

時代が違えば「男が料理だなんて」と言われただろう。しかしそもそも、いついかなるときも、得意な方が得意なことをしたらいいのである。ぼくは自分が望んだ通り、料理好きの母のレシピを完璧に引き継ぐほどの上で前になった。それは、ぼくが母の介護経験を通じて授かった大いなる財産のひとつに他ならない。


──大切なひとと掛け替えのない時間を過ごす──


特別なことは何もいらない。ぼくにとってそれは〈日常〉を共に過ごすことであり、その象徴が〈食卓〉だった。


──食卓は、安心安全な場所──


母が守ってくれたその場所を、今度はぼくが引き継いでいる── それをこうして実現したことが何より嬉しく、誇らしかった。


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【停まっていた時を動かす──映画《土を喰らう十二ヶ月》から思い出したこと(2)】

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2022年11月11日

映画の原案となった水上勉のエッセイ《土を喰らう日々──わが精進十二ヶ月──》は、生前、彼女が熱心に読んでいたものだった。彼女の没後、「遺品として何か持ち帰ってください」と伝えられ、ぼくは彼女の部屋から何冊かさの本を選んだ。この本は、もちろんその中の一冊に含まれる。

エッセイは「原案」であって「原作」ではない。映画は、エッセイをもとに独自の設定、物語が展開されていたものと思われる(原案のエッセイを読まずして鑑賞したため、正確なところはわからない)。

劇中では、まるでぼくが味わっている状況と同じような場面が連続していった──男寡としてひとりで暮らす表現者の男、妻への想いを残しつつ誰かと過ごす時間、親族との死別と葬送など──京都(わが生誕の地)の禅寺に小坊主に出された経験から得た料理の心得を実践し、毎日を丁寧に暮らしていく様は、かつて母を特別養護老人ホームに転居させたあと、ひとりになったわが家で、朝から味噌汁の出汁をとり、瞑想し、本を読み、自分の心のうちを内観しようとノートに想いを書き綴っていた当時の自分の姿と重なった。物語では、離れて暮らす恋人がたまに訪れては、主人公が腕を振るった食事でもてなす様も描かれていて、それも見事に、ぼくに授けられた〈束の間の愛おしい時間〉そのものに思えた。

鑑賞しながら、先だった婚約者がこのエッセイを愛したわけを知れたような気がした。彼女自身が幼いころからずっとずっと待ち侘びていた時間が、ぼくとのわずかな毎日で叶えられたのだろう。


──食卓は、安心安全の象徴──


ぼくも、ずっとこの想いを抱いてきた。その日一日、何があっても、食卓につけば、必ず安心でいられる──母は、その場を守り通してくれた。わが子が気を落として家に帰ったら、何も訊かずにそっと食事を差し出してくれた。


──まぁ、まずは食べえや──


そんな風にして、母の故郷の言葉である大阪弁でぼくをいつでも迎えてくれた。

劇中でぼくの心を震わせたあの台詞は、恐らく、原案のエッセイにはなく、脚本も務めた監督の人生経験から発せられた言葉であろうと察する。しかしながら、あの一節には、「食べて生きる」という人の営みに決して欠くことのできない真理のようなものが込められているように思えた。それは、母の介護のために憶えたわが料理体験を通じて、ぼく自身も大切にしてきたことだからだ。


──好きなひとと食べるごはんがいちばん美味い──


母も、急逝した婚約者も、その想いを強く深く共有できる相手だった。そんな二人に支えられて暮らしたこれまでのぼくは、まぎれもなく〈世界一幸せな男〉だった。

劇場に到着した途端に思い出したことがふたつあった。ひとつめは、パンデミック以降、今夜が劇場で映画をみた最初の機会だったこと。ふたつめは、パンデミック以前に最後に映画を観た劇場が、ここ、新宿ピカデリーだったことだ。そして、その最後の機会は、急逝した婚約者と一緒だった──彼女とはたくさん映画を観てきたが、それは、劇場で共に観た唯一の、最初で最後の映画鑑賞だった。


──停まっていた時が動き出す──


きっと、今夜ここにこうして呼び戻されたのは、彼女がそのサインをぼくに届けるためだったに違いない。

そろそろ、ゆっくり準備を重ねてきたことを、実行に移そう。今はぼくひとり、〈完全に集中できる時間〉があるのだから。

こんなにも自由な時間に恵まれたのは、無論、人生で初めてである。この、最も贅沢で豊かなときを得た幸運を噛み締めると、ぼくが喪ったものの大きさがいかほどのものかを改めて思い知らされる。


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