主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【〈あとがき〉喪われ、育んだ10年──母と婚約者 ふたつの死】

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2021年12月3日に母を、2022年1月10日に婚約者を相次いで喪くし、今日まで何もできない毎日が続いた。

寝て、起きて、食べて、寝る──たまに飲みに出ては暴飲暴食を繰り返し、自己嫌悪に陥って自制する──その繰り返しだった。

たとえ酒場に出かけても、心のうちを吐露するのには限界がある。楽しむために来ているお客さんにも、そして、そっと耳を傾けてくれる店主にも、ぼくの悲しみを背負わせ続けるわけにはいかない。

その苦しみを吐き出すために、ぼくはここに綴ってきたのだ。誰になんと思われようとも、そしてときに誰かを傷つけてしまおうとも……。

母の介護が始まったのが2012年秋からのことで、その負担がより重くのし掛かってきたのは、2014年以降だった。リハビリや病院受診への付き添いをこなしていた時期には、スケジュール帳は母の予定で埋め尽くされるほどになっていった。そこに日常的な家事と母の生活介助が必要になる──目の前のことをこなすのに必死になっていた2016年までの2年間の負荷は、自分の許容量を遥かに越え始め、遂には心療内科へ通うことを決断するまでに至った。

治療を始めてからさらに2年が過ぎたころ、母の介護度も上がり、在宅介護の限界が見え始め、いよいよ特別養護老人ホームへの入居申請を出すことにした。


──在宅で母を看取りたい──


ひとりで介護をする身では到底不可能な望みを抱いていたぼくにとっては、大いなる挫折を味わうことにはなった。しかし、当時の状況をいま振り返っても、限界の限界を超えていた状態だったことは間違いない。

2012年10月15日──この日、母が自宅内で転落事故を起こした瞬間が、ぼくの介護者としての歴史の始まりだった。既にその前年、これまでなかったような体調不良を見せ始めていたことを思うと、母を無事に看取るまで〈10年〉の月日を要したことになる。

晩年には、パンデミックという予想だにしなかった危機まで加わり、ぼくの心労はさらに高まった。 母と会えない時間が長引くなか、その過ぎし日を振り返ったとき、40代のほぼすべてを費やしてしまったことを思い患い、事実、心身に影響を及ぼすことになった。

その不調の原因は、無論、もうひとつあった。


──離れて暮らす婚約者と会えないこと──


ぼくたちは、お互いに励まし合い、この危機を乗り越えようとしていた。この期間、ぼくが私的には誰にも会わないと決めたのは、感染予防のことだけではなかった。


──彼女を安心させたかった──


ただその一心での決断だった。

感染を免れ、この危機を乗り越えた先にある2人の未来を信じていた。これから永い未来がぼくたちに約束されているのなら、今の隔たりはほんの僅かな期間に過ぎない。この危機を2人で超えることができたら、望んでいた高みを遥かに超える〈確かなもの〉が、ぼくたち2人に授けられるに違いない。だから、共にこの危機を乗り越えよう──〈会わない〉ことは、このうえなく苦しく厳しい選択だったが、それが未来を掴むための最善の方法だと信じて、2人で判断した。

しかしそのストレスが、彼女を襲った病いの魔の手を強めてしまったとも考えられる。あの当時の2人の状況から最善の選択をしたと確信すると同時に、ぼくはきっと、この後悔にながくながく苛まれることになるのだろう。

一度も言い争うことなく、冗談ばかりの毎日が、ぼくには何より愛しかった。彼女はどうだったろう? ぼくと過ごして幸せだったろうか? 彼女が求め続けていた安心のままに生涯を閉じることができただろうか?

唯一はっきりしていることがある。それは、幸せだったのは、ぼくの方だったということだ。


──嗚呼、いま再び、ひどく号泣し始めた──


ぼくが見届けて感じたことを「書かざるを得ない」と期すも、こうして書くことは、決して楽な行為でも気持ちを解き放つための営みでもなかった。それはときに、悲しみを強めてしまうことさえあった。彼女を荼毘に付した日のことを記していたときは特にそうだ。今もあのときと同じように泣き崩れながら、そしてやはりあのときと同じように今、希っている。


──誰か、助けて──


しかし、この悲しみには、この世でぼくしか触れることができない。


──ぼくを救えるのは、ぼくしかいないのだ──


一方で、わが幸運をいま再び噛み締めている。この悲しみに寄り添ってくれる目には見えない存在が、ぼくには今、2人もいるのだから。

母のもとに生を授けられた幸運と、彼女と出逢えた奇跡に、今改めて、胸いっぱいの感謝を。

有難うございます。

2022年5月5日
母と彼女と過ごした東京の自宅にて

川瀬浩介


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【母と彼女への葬送曲〈後編〉──母と婚約者 ふたつの死(34)】

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2022年5月3日

遺骨は、パウダー状になってもその質量は失われず、手にした瞬間にずっしりと重みが感じられた。

となると、手放した途端、骨は一気に沈んでいくのではないか?──ぼくが勝手に期待していたイメージでは、水なもに粉となった遺骨がたゆたう図を思い浮かべていたが、それは期待できそうにない。

その予感通り、遺骨は水なもに触れた途端に、海中ヘと吸い込まれていった。まるで逆転した重力界で放たれた打ち上げ花火のごとく、海底へと矢のように進み、すぐさま見えなくなった。


──儚い──


ドラマティックな光景を思い浮かべていたが、今になって思うと、これでよかったのだ。大切なものは、あっという間に失われてしまう──忘れかけていたその真実を、極めて象徴的な場面としてぼくの脳裏に刻んでくれたのだから。

献水、献酒を捧げたあと、時間の許すまで切花を一輪ずつ手向けた。なるべく遠くへ放たれるように、吹き荒れる春一番の風に乗せるようにして、下から上に向けて投げ入れた。

着水した花々は波間で漂いながら、各々の約束の地を探し求めるかのように自然と流されて、それぞれの海路を進んでいく──花の行方に目をやっていると、たった一輪だけ用意されていた薔薇の花だけが、目が届く距離で静止するようにして水なもに浮かび続けていた。それはまるで別れを惜しむかのような姿だった。花首をこちらに向けて、ぼくたちをながくながく見つめていた。

船は港へと帰る──。エンジン音に紛れながら、葬送のための終曲〈See You, BONE.〉が流れ続けている。母と彼女の遺影が見守るなか、ぼくたちは、遺骨が放たれた箇所を見つめながら船尾のデッキに佇んでいた。


──ゆっくりと、そして静かに、涙が溢れ出す──


それに気づいた義姉が、ぼくの背中をそっと撫でてくれた。ここに亡き婚約者がいれば、きっと同じようにしてくれたことだろう。そう感じて余計に涙が溢れてきたが、この光景を記憶にしっかりと刻むために、目を閉じず、ずっと前を向いていた。

羽田空港の滑走路付近へ近づくと、船の動きが緩やかになった。飛行機が着陸するシーンを見せて下さるようだ。船のエンジンが止まる──すると偶然にも〈See You, BONE.〉のエンディングを迎えた。しばらくすると、轟音と共に、飛行機が着陸態勢で滑走路へ降りてくる。今日の風も波も、そして船の航路も飛行機の着陸までもが、まるで完璧に演出されたような葬送となった。

再び、船は港へと向かう──。往路とは異なるルートで、時折、護岸や貨物船の近くを航行するなど、さながら海上クルーズのような時間となった。子供のころ、まだお台場がほとんど空き地だった時代に唯一存在していた船の科学館に母と行ったことがあった。

今も残る大型船舶型の建物を海上から見つめながら、ぼくは当時の記憶を呼び覚ましていた。晴海あたりからタクシーに乗って向かう途中、海底トンネルを通ると聞いて、子供らしい空想力が爆発したことを今でもよく憶えている。


──海の中を通るんだ!──


当時の少年誌で描かれていた21世紀の図が目の前に広がると期待したが、どこまで進めど海は見えてこず、ただのトンネルを通過しただけだった。大人は嘘を付いているとさえ思ったが、大人の語彙力で考えれば、なにも偽りはなかった。ここは海の底を通る〈海底トンネル〉であって、〈海中トンネル〉ではないのだから。

そんな思い出話をキャプテンと義姉にしながら、ぼくはこの悲しみから意識を遠ざけようとしていた。

東京湾から運河に戻るころ、ぼくは船が描く航路の軌跡を見つめていた。


──過ぎゆくときに刻まれた、その軌跡にこそ意味がある──


たとえその奇跡は一瞬にして消え去ってしまっても、ここまで確かにやってきた事実がある。辿り着いたこの場所から再び、新しい旅が始めればいい。


──再び歩き出すまでに、どれだけ時が過ぎようとも──


ぼくはこのことを知るために、母のもとに生を授かり、亡き婚約者とめぐり逢った──今もこれからも、そう信じることにした。


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【母と彼女への葬送曲〈前編〉──母と婚約者 ふたつの死(33)】

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2022年5月3日

葬儀を望まなかったのは母の意志だった。


「田舎に墓があったら、誰もけえへんやろ」


そう言って、母は33年も前に自ら都心部に墓を設けた。しかしそれから時代は過ぎた。ぼくや兄夫婦がこの先どこへ移り住むかわからない。求められれば海外へ出ることさえ考えられる──そんな可能性を思い浮かべると、海に散骨するのがよい。


──海は繋がっている──


海なら世界のどこへいても、拝むことができる。

そう教えてくれたのは、海外出張時に出逢った方だった。ご自身の経験を振り返りながらお話して下さったことがずっと記憶に残っていて、家族、親族に相談したところ、即、賛同してくれた。

自由を求めた人生を歩んだ母だから、遺骨さえもひとつのところに留まっているのは相応しくない──ぼくはそう確信できた。

海洋層のための情報を精査し、業者を選定してやり取りを進めたのち正式に契約を結ぶまでの間、船の出航場所などの下見をしておきたかった。母を送る最初で最後の機会だから、一切の疑問なく、イメージ通りに進めたかったからだ。

下見へ赴いたのは、忘れもしない、あの大雪の日の前日──2022年1月5日だった。下見を終えて海洋葬がより楽しみになったことを婚約者に電話で伝えて、予定している当日に感染拡大が進んでいなければ参列して欲しい……そんな会話をして、いつも通り、互いに感謝の言葉を交わし合った。

こんなにも困難に追いやられた時代に母までも喪うという痛みを背負うことになったコロナ禍だが、それでもこころ穏やかでいられたのは、彼女の存在なくしてはあり得なかった。その日も悲しみの真っ只中にありながらも穏やかに1日を終えられたのは、紛れもなく彼女のおかげだった。

しかし、その日の彼女は苦悶していた。


──人はなぜ、向き合えないのか?──


彼女の痛みを抽象化するなら、こうなる。たとえ50年連れ添っていても、互いに別々の方を向いている人たちは数知れない。その一方、ぼくたちは、出逢うまで50年近くを費やしたけれど、同じ目線、同じ視点を共有している。


「出逢うまで50年掛かったけれど、これはお互いにラッキーなことだよ」


そう伝えあって、電話を終えた。無論、その翌日の夜──東京に大雪が降った日──、彼女の危篤の報を受けることになろうとは予想だにしていなかった。

母の海洋葬は、父と母の結婚記念日に当たる3月5日に執り行うことにした。京都・平安神宮で挙式を上げてから65年──その13年後、30代も半ばを過ぎたころ夫に先立たれ、それから東京に移住を決めて大冒険を始めた母を送るなら、やはり東京湾が相応しい。

13時、越中島桟橋から船に乗り、散骨ポイントとなる羽田沖を目指した。当日はちょうど春一番が吹いた日で海上にはやや波がでていたこともあり航行は楽ではなかったが、幾多の荒波を乗り越えてきた母を送るには最高の演出だった。


──厳かなときは、より厳かに──
──賑やかなときは、より賑やかに──


母なら、口にせずともそうするに違いなく、ずべて母の思い通りにことが運んでいるように感じられた。

散骨ポイントに到着して、20分ほどの葬送の時間が設けられた。ぼくはそれに合わせて、音楽の準備をしていた。兄からリクエストされた母との想い出の曲(フェリーニ作=映画《そして船は行く》のオペラ歌手の海洋葬のシーンで使われているアリアやプッチーニ作曲の歌劇《トゥーランドット》から、母がよく口ずさんでいたパバロッティ歌唱による〈誰も寝てはならぬ〉など数曲)のほか、拙作からも2曲を選んだ。

〈See You, BONE.〉
〈KinemaMusik: Coda - ‘An Ending’〉

いずれも作曲だけでなく作詩も手掛け、かつ歌唱も行った、まさに〈全身全霊を捧げた〉楽曲である。母へ向けてはもちろんだが、これは、この日、まさか命を落として参列することができなかった亡き婚約者への葬送曲でもあった。前者は生命の尊さ、永遠の記憶と無償の愛への感謝を──後者は、パンデミック下に世界の安寧を祈るテーマのもと、離れて暮らす彼女への安心とぼくたちの健やかな未来への希いを込めた〈魂の結晶〉とも言える楽曲である。

母の遺骨は、パウダー状に加工されたうえで、水溶性の紙パックに包まれた状態に処理されていた。風に煽られて舞ってしまうことを防ぐためだという。通常は、参列者する人数に合わせてパックの数を準備するそうだが、事前の打合せで参列できなくなった亡き婚約者のことを伝えていたこともあり、当日は、彼女の分も合わせて数を準備して下さった。兄夫婦はそれぞれ一包ずつ、ぼくは彼女の分とニ包を東京湾に放つことになった。

音楽に抱かれながら、葬送の儀は粛々と進んでいく──。


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【母を荼毘に付した日〈後編〉──母と婚約者 ふたつの死(32)】

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2022年5月2日

棺の蓋を閉じる前、亡き婚約者が母の額にながくながく手を触れていた。母に何を伝えようとしてくれていたのか、ぼくにはわかる気がした(その一ト月後、急逝した彼女を見送るとき このときの返礼のつもりで、ぼくも彼女の額にながくながく手を触れていた)。

4人で棺の蓋を閉じ、母との永遠の別れの支度を整えた。いよいよ母が炉に収められていく。ぼくは胸いっぱいで見逃していたが、兄の話によると、炉の番号は7番だったらしい。東京に越してきたときのマンションの部屋も7階だった。そして母、兄、ぼくの誕生日には、偶然にも全て〈7〉という数字が含まれている。


──これも母のメッセージなのか──


炉に火が入る──すると、これまでに聴いたことのないような音が鼓膜を叩き始めた。火葬場という場のイメージからは真逆の、近未来的な音が鳴り響き出したのだ。


──魂が宇宙へ還るトンネル──


きっと炉の先には、目に見えないトンネルが宇宙へと繋がっていて、母の魂は、そこからもとにいた場所へ還っていく──不思議なくらい自然と、ぼくにはそう思えた。

母が遙かなる原初へ還るまでの時間(収骨までの時間)、兄夫婦と彼女とぼくの4人は、別室で円卓を囲みお茶を頂いていた。そのとき、ふと感じたことがあった。


──これまでなら母が座っていたであろう位置に、彼女が腰掛けている──


その様子に、ぼくはさらなる安心感を得ていた。


──母よ、ぼくは間に合ったんだ──


ぼくが自分の人生を送る準備が整うまで、母はこの世で役目を果たしてくれる──母の介護をしながらその老いを見つめるなか、いつからかそう思うようになっていた。それが、いままさに叶えられたのだ。

彼女がいなければ、ここに大きな空席ができてしまっていた。母の喪失をこんなにもはやく埋めてくれるだなんて──ひとりそっとそう感じ入っていると、目の前に座っていた義姉は、大粒の涙を流していた。


「いい人と出逢えて本当によかったわね」


ぼくが感じ入っていた安心感を、言葉に表してくれた瞬間だった。この9年の間、介護者としてひとり苦悶のときを過ごしていたぼくを、義姉はずっと案じてくれていたのだ。言葉には表さないまでも、兄も同じ想いだったろう。2人は直接手は貸せないまでも、資金面での協力を惜しまず続けてくれた。

1時間ほど経った後、いよいよ収骨の時間となった。炉から母の遺骨が現れる様を少し遠めから4人で見つめていた。その瞬間まで忘れていたが、8年ほど前に母は大腿骨骨頭を骨折し、人工関節への置換手術を受けていた。その金属パーツがどんな様子で現れるのか、少し不安だった。しかし、処分の確認のため実物を見せられても、思いのほか動揺はなかった。遺骨についても同様だった。実に淡々と、特別な感情なく見渡すことができた。

遺骨は灰になった部分を含めて、収骨台へ全て移された。骨の部位についての説明を受けていると、顎や喉仏もしっかり残っていることに驚きを覚えた。


──88歳11ヶ月歳──


それだけ永く生きた母には、元来備えられた身体の強さがあったのだろうか? 炉は、遺体の状態に併せて調節されるという。焼き手の方の術がこの場に活かされたのかもしれない。

2人1組になって、母の骨を拾っていく。本来は兄夫婦が始めに行うべきところだが、ぼくと彼女にその役目を譲ってくれた。

大きく立派な形のまま焼き残された大腿骨を彼女と2人で拾い上げる──左利きのぼくは左側に、右利きの彼女は右側に立つ。それぞれの利き手に箸を持ち、大腿骨を持ち上げたとき、2人の目の前に、ぼくたちの両腕と母の大腿骨による大きな輪が出来上がった。

その輪は、〈正解〉の丸にも見えたし〈安心〉のサインのようでもあった。さらには〈婚姻の誓い〉にも〈永遠の輪〉にも思えた。


──幸福の象徴──


この輪はその証──そう素直に思えた。

収骨を終えて、骨壷に収められた母の遺骨を持ち帰るとき、箱を受け取って驚いたことがあった。


──暖かい──


高温で焼かれた骨は、未だ余熱を帯びていたのだ。

その足で、再び彼女を東京駅まで送っていった。道中、ある交差点で信号待ちをしていたとき、聴いていた音楽──Peter Gabriel “Wallflower” New Blood Version──に心を揺さぶられ、沈黙の間が続いた。その時、彼女がぼくの気持ちを察して、そっと首元に手を添えてくれた。こらえていたものが落涙へと変わると同時に、ぼくはまた驚きと共に未来への安心を得た。


──彼女の手の暖かさは、母の遺骨の暖かさと同じだった──


気持ちの揺れを抑えながら、無事、東京駅に着いた。新幹線の改札口で見送ったマスク姿の彼女が、生前に見届けた最後の姿だった。


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【母を荼毘に付した日〈前編〉──母と婚約者 ふたつの死(31)】

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2022年5月2日

母の火葬は、1週間後の12月10日に執り行うことになった。当時、東京もまだ感染拡大はしていなかったものの、婚約者を何度も往復させるわけにはいかないと思ったが、彼女の強い希望がぼくのこころを動かした。


「お母様を見送らないと一生後悔する」


火葬当日は、都内での人との接触を減らすために、東京駅まで彼女を車で向かいに行き、そのまま火葬場へ入ることにした。

場内の集合場所へ到着してコートを脱ぐと、彼女が着ていたワンピースが、猫の毛だらけになっていた。その相変わらずの愛しいあわてんぼうぶりに、ぼくは思わず吹き出してしまった。

出かける前、調子を崩していた愛猫たちを病院へ連れていき、その後、知人宅へ預けてから東京へ向かうと聞いてはいたが、こんな風にしてぼくの緊張を解きほぐしてくれるなんて──。会場の係のひとにお願いして粘着クリーナーをお借りし、前も後ろも上から下まで綺麗に拭き上げて、兄夫婦の到着を待った。


「お腹痛くなっちゃうよね」


母には介護施設で2度、面会の機会があったが、パンデミックを経て、ようやく兄夫婦に紹介できる機会となった。その数日前、当日の段取りを相談していた電話口で紹介する件を告げると、彼女はやや緊張した口調で、そしてその緊張を自ら和らげようと、冗談でも言うような戯けたトーンそう返した。その様子にぼくはまた、気持ちが解きほぐされていくような安心を得ていた。


──これで大丈夫──


たとえ離れて暮らしていても、こんな風に、自然と愉快な毎日を過ごせる相手に出逢えたのだ。どうにかこのパンデミックを超えて、また当たり前だった日常が取り戻せる。このパンデミック下に母の喪失という大きな痛みを経験することになったが、2人でいれば、大丈夫──そう改めて確信することができたのだ。

母の火葬は、シンプルを極める形を採った。50年前、父を送るときは仕事関係のつながりもあり、盛大を極める葬儀だったらしい。それをひとりで仕切った母は、自らの経験から、子供たちに手を煩わせたくなかったのだろう。

母の棺には、母が捨てずに残していた父の葬儀の際に送られてきた弔電の束と、母が京都・本能寺で取得した花道の師範代の免状を入れた。装飾の類いはシンプルさを求める母は望まないと考え、花一輪さえ納めなかった。

それともう2つ──母の臍の緒と、母自らが考案した戒名を記した短冊を収めた。


──母のすべてが原初へ還る──


ぼくはどこかそんな気がして、母のもとに生を受けた使命を果たせたことに安堵していた。


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【夕闇に亡き婚約者と母を見送る──母と婚約者 ふたつの死(30)】

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2022年5月1日

「人生、やり残しなし」

在宅介護を続けていた間、月に一度行われるケアマネジャーとの面談で、母は毎回こう口にしていた。面談では毎月、目標を立てることになっていたのだが、母は問われる度にこう応えてはケアマネジャーを苦笑させる……そんなお決まりのパターンでいつも面談はお開きとなっていた。

ぼくはその傍らで、思春期のわが子を諭すような口調で必ず母に伝えていた。


「それは無事にあの世に辿り着いてから言って欲しい」


年齢の順番通り、ぼくが母を見送れるかどうかも保証はない。人は誰しも死と隣り合わせに生きているのだ。そして、母は何の根拠もなく老衰で逝けると思い込んでいたようだが、その確約は無論ない。例え希いが叶えられても、その過程でどれだけの苦痛が本人に及ぶか、自ら経験するまではわからないのだ。

まして、仕事とはいえ、これだけ大勢の介護の専門家を頼って暮らしている今、無自覚な言動をされるのは、とても腹立たしかった。

いつかどこかで母の再会が果たされるのだとしたら、ぜひ訊いてみたい。


──本心はどうだったのか?──


意思の疎通が効かなくなった晩年に何を思っていたのだろう。それを知るには、ぼくも母と同じくらい精一杯生きて、同じ境遇を味わえれば叶うのかもしれない。言葉を発せなくなっても、実は思考は完全に残っていて、口をきくための回路が働かなくなっているだけなのではないか?──老いゆく母を見つめながら、いつしかそんな想像をするようになった。


──いうことを効かなくなった身体という檻──


老いるとは、そんな檻のなかに閉じ込められていくことなのかもしれない。

〈老い〉という母の変化が進んでいくなかで、唯一の心の支えとなっていたことがある。


──母の笑顔──


人は、泣き叫んで生まれたあと、最初に手に入れる感情が〈笑う〉ことだという。その後、成長する過程でたくさんのものを手に入れ、老いてゆきながら、その一つひとつを手放していく。だとすると、最後に笑顔さえも手放したころ、いよいよ終が迫っている──ぼくのそんな予想どおり、母と最後に面会したときには、あの晴天を突き抜けるような笑顔は失われていた。


──嗚呼、やっとここまで辿り着いた──


母の後を追うようにして、突然急逝した婚約者を憶うばかりに、ぼくには、母の喪失に深く感じ入る余裕がなかった。しかし今、ようやく果たされた。


──母に向けた涙を流している──


2021年12月3日──母の法的な命日となった日、母の居室に何名もの職員の方が「お母様にお別れを」と挨拶にきて下さった。なかでもエンジェルメイクを施して下さった方は、涙を浮かべてお別れを告げて下さった。


──ここに導かれて良かった──


若くして夫に先だ立てるという悲劇を味わったけれど、母はやはり、幸運だったのだ。運を自ら手繰り寄せ、人生で一度たりとも独りにならず、自らが望んだ通りの最期を手に入れた。「葬儀はしない」と希望していたが、母の周りには、その別れを惜しむ人たちがこんなにもいたのだ。


「人生、やり残しなし」


まさに母が口にし続けていた通りの幕切れだった。

葬儀社との打合せを終えたころ、今は亡き婚約者が到着した。母の遺体を葬儀社に引き渡す時間が迫っていたので、あまり長い時間は取れなかったのだが、しばらく2人で母とのお別れの時間を過ごした。

母の遺体は、白く輝く衣に包まれ、丁寧な所作でストレッチャーに移された。これで、この終の住処を後にする。玄関まで案内してくださった職員の方も涙混じりの声だ。

エレベーターに乗ると、下階へ向かうはずが、最上階へ昇ってしまった。思わず皆に笑顔が溢れた。母らしい労いの表現でぼくたちにお別れを告げてくれているような気がした。

一階に着くと、予想していなかったことが起きていた。大勢の職員の方が、母を見送るため、待ち構えて下さっていたのだ。

霊柩車に母の遺体が移され、全員で母を見送った。お気持ちを届けて下さった皆さんにお礼を伝えたいと口を開いたが、多弁なぼくが言葉に詰まって、ただこう伝えるのが精一杯だった。


「普段なら気の利いた言葉を用意しておくんですけど……有難うございます」


ぼくの傍らには、今は亡き婚約者が、そっと寄り添ってくれていた。

見送った後、母の荷物の片付けを彼女が手伝ってくれた。そのなかに、生涯手放せないものが今もわが家に残されている。

2020年12月17日──ぼくの50歳の誕生日に母への感謝を綴って贈った手紙である。クリスマスシーズンにちなんだベルや花々で彩られた台紙に貼られ、そのうえラミネート加工まで施された状態で母の居室に飾られていたものだ。彼女が荷造りの手を止めてその手紙をじっくりと読んでいた姿が、今も目に浮かぶ。


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【初めて観た人の死に顔──母と婚約者 ふたつの死(29)】

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2022年5月1日

母の亡骸に会いに行ったのは、息を引き取った翌日のことだった。当日は午前中から死亡診断が病院で行われることになっていた。遺体が戻ってくるのは午後になり、その後、お別れの支度を整えるため時間をいただきたいとの申し出が施設側からあった。そのため、こちらはすべてが整ったところで伺う旨を伝え、それまでは今後の段取りを進めることにした。

まず葬儀社へ連絡し、夕方に現地で打合せをする約束を済ませた。次いで、今は亡き婚約者へ状況を伝えると、東京へ、ぼくのもとへ来たいと連絡が届いた。感染拡大はまだ始まってはいなかったため、ぼくもその旨、了解した。

午後、ひとり家を出た。すると目の前に、黒猫がこちらを向いて座っていた。すぐさま逃げ隠れてしまったが、黒猫が目の前を通り過ぎるのは幸運の兆しだと聞いたことがある。単なる偶然が呼び寄せた些細な出来事かもしれない。けれど、悲しみを未だ自覚できていなかったその日のぼくには、それだけでも確かな支えだと思えた。


──世界が母の葬送を祝福してくれている──


見上げると、眩しいほど蒼く澄み渡った快晴の青空が広がっていた。自ずと、母のあの朗らかな笑顔が脳裏に呼び覚まされた。


──しっかり母を送らないと、ね──


母が暮らした特別養護老人ホームまでは、車で30分ほどの道のりだった。最初に母をここへ預けたのは、2017年のころ。出張中に母をみてもらうためのショートステイをお願いしたのがきっかけだった。あのとき、母と2人で初めて行くこの道を進みながら何を考えていたのか、今でもよく覚えている。


──間に合わなくて、ごめんね──


母にはずっと自宅で過ごしてもらいたかった。母自身も同じ気持ちだったろう。それを果たせる状況を、ぼくは作れなかったのだ。

その翌年、2018年のちょうど今頃からお世話になり始めて2021年師走の初めに母が終を迎えるまで、3年半と少し……長いようで短かかった母の晩年が終わった。その間のちょうど半分の時間を、パンデミックの影響で会えずじまいになってしまったけれど、母はどこへ行っても人気者で、ここでも多くの職員の方に優しく接して貰えていたから、きっと安心な毎日を過ごせたことだろう。ぼくは、時代遅れと言われつつあるFAXを使って直筆の手紙を送り続けた。母の晩年に、こんな形で直接会えない時間があるだなんて想像だにしなかったけれど、ドラマティックとしか言いようがない母の人生らしいと思って納得しようと努めている。

15時過ぎ、施設へ着いて職員の方に案内されながら母の居室へ向かうさなか、息を引き取ったときの様子が伝えられた。


「大好きな音楽を聴きながら最期を迎えられました」


そう伺った途端、瞬時に込み上げてくるものを感じて、ぼくは落涙を必死に堪えた。

居室へ入ろうとすると、見た目からも責任感に溢れているとわかる若い男性職員が、こちらの方を向いて、深々と頭を下げて伝えてくれた。


「申し訳ありません」


彼は恐らく、ぼくが母の終の瞬間に立ち合えなかったことに責任を感じていたのだろう。そう察して即座に応えた。


「詫びていただくことは何も有りませんよ。みなさんのおかげでぼくの負担が減ったのですから、むしろお礼を伝えたいです。有難うございます」


本心からの想いだった。母が自宅内で転落事故を起こしてから特別養護老人ホームへの入居が決まるまでの6年近くの間、何度も何度も闇に沈んだ。母の在宅介護に追われてまともに働けなかったこともある。介護離職(ぼくの場合は、引退)を考えたことも数えきれない。あれだけ苦しく孤独感に満ち溢れた当時の日常のことを思えば、母とぼくを救ってくれたのは、この施設の皆さんだと言っても過言ではなかった。

そんな記憶を回想しながら母の居室に入ると、まず目に入ったのが、丁寧に整えられた床の美しさだ。時刻は、冬の緩やかな午後の日差しが西から差し込んでくるころだったこともあり、母の居室はあたたかな光に満ちて、まるで教会のなかにいるようだった。

母の死に顔は、とても美しく思えた。白く透き通るように見えほど綺麗な母の肌は、生命を終えたそのときでさえも健在だった。その影響か、神々しさを感じるほどの存在感を、母は死してなお放っていた。


──ぼくがよく知る母が帰ってきた──


去る9月下旬、母と最後に面会したときの姿が蘇ってきた。両腕が曲がったまま硬直し、目も虚で口も閉じられず、自慢の笑顔さえ消えてしまっていた。それは、ぼくが知り得ぬ母の姿だった。

あれから二タ月──介護者としての希いがひとつ叶えられた。


──初めて観る死に顔は、母にしたい──


今から四半世紀近く前、友人のご家族の葬儀に立ち会った際に失礼にもそう口にしてしまった蒼き希いを、ぼくはこの日、遂に実現したのだった。


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