【ふたつの三回忌──悲劇のあとの奇跡(6)】
2024年1月10日
2022年1月10日、午前2時1分──。
急性くも膜下出血で倒れた元婚約者に脳死判定が下った時刻だ。
それから2年──その瞬間に立ち会っていた当時を思い返すと、不可思議な記憶が蘇ってくる。
──恐れを感じなかった──
目の前の出来事に気持ちが追いついていなかったのだろうか?
いま現在は、その対極の感情が頭と心に充満している。
──言葉にし得ないほどの恐怖を覚えている──
その理由は、〈永遠の別れ〉を目の当たりにして、ぼくは遂に、〈喪うことへの恐れ〉を知ってしまったに違いない。
彼女の危篤の報を受けた夜から遡ること5週間──2021年師走の明けに、母がそっと息を引きとった。母の遺骨を共に拾ってくれたひとが、たった一ト月で突然に逝くだなんて──。
──明日は誰にも約束されていない──
母の老いを見つめた40代を通じて口癖のように呟いていたその言葉が、突然の死別という現実を目前に突きつけられた自分を押し潰しそうになっていた。
あのとき、ぼくの魂は奈落の底に突き落とされ、消滅しかけていた。それからも2年という時間は、行手も見えないまま暗闇を駆け抜けるかのようだった。
──ここから抜け出せるのか?──
そればかりを考えていた。
荒ぶる己の気持ちを鎮めるためにも、故人らの供養を進めていると、突然に運命は逆行していった。そして、驚嘆と感嘆が同居したかのような劇的な変化がわが身に巻き起こったのだ。その振れ幅の大きさに翻弄され心身が追いつかず、悲嘆とは別の感情の波間にたゆたっている。一日の終わりに疲れ果てて横たわりながら、ぼくに起こった出来事を俯瞰してみては、まるで他人事のように、別人の人生を歩み出したかのような錯覚に陥ることがある。
──ずっと夢のなかを生きているのかもしれない──
ぼくの魂は、連鎖したふたつの死別によって、あのとき一度は滅せられたに違いない──そう感じていた時期があった。その感覚を端的に表現すればこうだ。
──絶望──
以来、1年近くの時を費やして、徹底的に悲しみと向き合ってきた。その間、想像を絶する痛みに悶絶しながらも、絶えず忘れないようにしていたことがある。
──この出来事がぼくの未来をすべて決めてしまうわけではない──
悲しみがぼくを支配し、〈もう明日は来なくていい〉とさえ願った。そんな月日を過ごすなかでどうにか〈人を頼ろう〉と思えたのは、志し半ばで先立った友の存在があったからだ。
──君こそ天使だったのかもしれない──
そして忘れもしない、自ら計画した亡き婚約者の誕生日を祝う生誕祭を完遂した翌朝に、日本一の絶景を見つめながら嗚咽して感情を解きはなち、ある気づきを得たことを──。
──ぼくは、生まれ変わった──
幾度も危険な状態を体験しながらも無事に今日を迎えられているのは、あの瞬間があったからだと確信している。
だからといって、この悲嘆感情が消え去ることはない。こうして思い返しては、その死を見つめた直後とはまた異なる感情に襲われる。事実、京都でのグリーフケア研究の発表会のために当時を振り返っていたとき、呼び覚まされた感情と未来への不安が入り混じり、大きな渦となってぼくを飲み込みつつあった。出発当日の朝を迎えても気持ちは静まらず、出席をキャンセルしようとさえ考えるほどだった。
記憶はいつか、本人の都合よく書き換えられていくという。こうして言葉を綴るたびに、今とはまた異なる新たな気づきが授けられることを願って止まない。これからぼくにどれだけ時間が与えられているかは知る由もないが、願わくは、わが終の瞬間に、その歩んだ道程を懐かしく思い返せるほど、思いもよらぬ未来を見つめるほど遠く遠くまで歩んでいきたい。
今、ぼくに再び授けられた〈新しい奇跡〉と共に。
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