2022-01-01から1年間の記事一覧
2022年7月3日寳登山神社、奥宮にて──。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫 #寡夫ロマンティック #シーズン1 #秩父 #寳登山神社 #巡礼の旅
2022年6月30日先だった2人に「元気でね」と、思わず口にした瞬間、その言葉の意味を初めて自覚して、その場で嗚咽した。以来、その言葉を思い出すたび、涙が溢れ出す──。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromanti…
2022年7月12日母が通った大阪府立豊中高等学校──。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫 #寡夫ロマンティック #シーズン1 #大阪 #豊中 #豊中高校 #巡礼の…
2022年7月12日戦時中、母が疎開先で通った大阪市立堀江小学校。創立100周年記念碑の前にて──。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫 #寡夫ロマンティック…
2022年7月12日母が通った小学校にて──。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫 #寡夫ロマンティック #シーズン1 #大阪 #豊中 #蛍池 #蛍池小学校 #巡礼の旅
2022年7月10日本家の墓前にて、母の旅立ちを報告──。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫 #寡夫ロマンティック #シーズン1 #京都 #妙心寺 #巡礼の旅
2022年7月10日結婚当初の父と母が見つめた仁和寺の御室桜──その65年後の図。春、桜が咲き誇るころにまた来たい。#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫…
2022年7月12日若きころのわが母が見つめていたかもしれない大阪の街並み#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #看取り #川瀬浩介 #元介護者 #死別 #遺族 #寡夫 #寡夫ロマンティック #シーズン1 #大阪 #豊中…
2022年7月10日母の初盆のため、本家の墓参りへ京都ひとり旅──。主たる目的を終えた夕刻、Brian Eno展《Ambient Kyoto》への入場時間待ちの間に、音楽とコーヒーのお店へ向かい、一日中歩き倒して疲れ果てた身体に、涼と甘いものを注ぐ。──迷った…
2022年6月25日先立った2人を連れて、無事に初日を見届ける──ようやく役目を果たせたような気がした。#森山開次 #NINJA #新版 #初日 #新国立劇場 #中劇場
2022年6月22日遂に劇場入りを果たした日──ここまで、ながいながい道のりだった。《新版・NINJA》と銘打たれ、2019年の初演時は小劇場──そこから中劇場へと場所を移して行われるこの再演は、ほとんど〈新作〉と言っていいほど印象が異なっている…
2021年12月3日に母を、2022年1月10日に婚約者を相次いで喪くし、今日まで何もできない毎日が続いた。寝て、起きて、食べて、寝る──たまに飲みに出ては暴飲暴食を繰り返し、自己嫌悪に陥って自制する──その繰り返しだった。たとえ酒場に出か…
2022年5月3日遺骨は、パウダー状になってもその質量は失われず、手にした瞬間にずっしりと重みが感じられた。となると、手放した途端、骨は一気に沈んでいくのではないか?──ぼくが勝手に期待していたイメージでは、水なもに粉となった遺骨がたゆた…
2022年5月3日葬儀を望まなかったのは母の意志だった。「田舎に墓があったら、誰もけえへんやろ」そう言って、母は33年も前に自ら都心部に墓を設けた。しかしそれから時代は過ぎた。ぼくや兄夫婦がこの先どこへ移り住むかわからない。求められれ…
2022年5月2日棺の蓋を閉じる前、亡き婚約者が母の額にながくながく手を触れていた。母に何を伝えようとしてくれていたのか、ぼくにはわかる気がした(その一ト月後、急逝した彼女を見送るとき このときの返礼のつもりで、ぼくも彼女の額にながくなが…
2022年5月2日母の火葬は、1週間後の12月10日に執り行うことになった。当時、東京もまだ感染拡大はしていなかったものの、婚約者を何度も往復させるわけにはいかないと思ったが、彼女の強い希望がぼくのこころを動かした。「お母様を見送らない…
2022年5月1日「人生、やり残しなし」在宅介護を続けていた間、月に一度行われるケアマネジャーとの面談で、母は毎回こう口にしていた。面談では毎月、目標を立てることになっていたのだが、母は問われる度にこう応えてはケアマネジャーを苦笑させる……
2022年5月1日母の亡骸に会いに行ったのは、息を引き取った翌日のことだった。当日は午前中から死亡診断が病院で行われることになっていた。遺体が戻ってくるのは午後になり、その後、お別れの支度を整えるため時間をいただきたいとの申し出が施設側か…
2022年4月30日2021年の師走に入った最初の日、まだ夜が明けぬままの未明の刻だった。東京には凄まじい風が吹き荒れていて、ぼくは床の中で眠れぬままの時間を過ごしていた。強い風が、安眠のため毎夜閉め切るシャッターを激しく叩く音が絶えず鳴…
2022年4月28日このところまた激しく泣き崩れてしまう日が増えている。今日もそんな1日だった。調子が崩れかけた原因は、昨夜読んでいた本の序文だったと思われる。──悲しみは、故人と2人で癒すもの──そんな一文を目にした途端、床のなかで嗚咽…
2022年4月25日彼女の葬儀を終えて火葬場へ移動する際、担当して下さったドライバーの方が労いと同時に、驚きを伝えて下さった。「あんなに花で満たされた棺は初めてです」遺影と共に助手席に乗ったぼくにそう話しかけて下さったとき、しばらく続…
2022年4月25日真の悲しみを知らずにいた蒼い時代には、上辺だけの言葉をいくつも吐いていた記憶がある。当事者になった今、痛切に思い知らされているのは、そんなことなど、到底できない、ということだ。──前を向く──この悲しみは、決して消えな…
2022年4月21日母の死から一ト月後に起きた婚約者の急逝は、文字通りあまりに突然な出来事だっただけに、未だ強いショックと深い悲しみに囚われている。今まさしく〈はれもの〉な状態のぼくはその自覚があるゆえなのか、それとも元来そうして生きて…
2022年4月19日納骨式から戻って以来、ほとんど寝込んでいた1週間だった。帰京直後にぼくのことを案じて集ってくれた友人の輪のなかで過ごした時間もあった。しかし、安心な時間があればあるほど、その輪のなかに彼女がいないことが強調されてしま…
2022年4月17日また酷い抑うつ状態に陥っている。彼女の納骨式に立ち会う間、亡くなった彼女のことを知る人たちに会えば、その時間は気が紛れるはずだった。ところが気づけば、その時間はぼくに、彼女の不在をより色濃く知らしめることになった。─…
2022年4月14日この悲しみに、再び打ちのめされてしまった。婚約者の納骨式に立ち会うにあたり、ぼくは期待を抱いていた。この悲しみを共有できる輪のなかで、今からおよそ90日前──危篤から火葬を終えるまで──に体験した奇跡のような時間が再び訪…
2022年4月10日彼女の納骨式に立ち会った。この日、樹木葬が執り行われ、彼女の遺骨を大地へ埋葬した。──儀式は、遺されたものの気持ちを静めてくれる──いつか、遠い遠い未来から今日のことを振り返る日を迎えることができたら、この日が明らか…
2022年4月8日母の喪失に備えて、グリーフケアや悲嘆に関する書籍を読み始めたのは、今から5年ほど前のこと。知識を蓄えておけば、予想できない悲しみを乗り越えるために役立つのではないか? そう考えて取り組んでいたことだが、同時に、絶えず頭の…
2022年4月8日一日も早くこの状況から抜け出したい──。残された自分の人生を全うするために、強くそう願っていた。しかし、そのためのエネルギーは、未だ一切ない。そんな状態で無理し過ぎていたのだろう。現実と理想のギャップに、完全に打ちのめさ…
2022年4月6日亡くなった婚約者の納骨式が近づいている。四十九日のころはまだ感染拡大が続いていて、予定が組めなかったとご家族から伺っている。誰よりも感染拡大を抑えたいと願っていた彼女のことだから、その時期に人を集めることを望まなかった…