主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【振り出し──母と婚約者 ふたつの死(21)】

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2022年4月14日

この悲しみに、再び打ちのめされてしまった。

婚約者の納骨式に立ち会うにあたり、ぼくは期待を抱いていた。この悲しみを共有できる輪のなかで、今からおよそ90日前──危篤から火葬を終えるまで──に体験した奇跡のような時間が再び訪れることを。そして、この悲しみに対する転換点を迎えられることを。

ところが、結果は真逆だった。


──ぼくは、2度、死んだ──


帰京して3日目の目覚めに、ふとそう思った。

どうやらまた生きかえったらしい。しかし、あのときと同じくらい酷い傷を〈また〉負ってしまったようだ。それも見た目からはわからない重傷である。どれだけの傷なのか? どう処置するのが適切なのか? それさえわからない。

帰京して数日経つというのに、身体の強張りが一向に抜けない。身体の内側で炎症が起きているのだろうか? 何をしても、ずっと緊張したままだ。


〈悲嘆に向き合う)とは、どうすることなのか?
〈悲しみを受け容れる〉とは、どんな状態を指すのか?


──自分の真の感情をどうしたら知ることができるか?──


ぼくはずっと、〈居心地のいい自分〉というものを演じてきたのかもしれない。ある小説から言葉を借りれば、ぼくはながい間、〈道化として生きてきた〉ような気がしてならなかった。


──存在を受け容れてもらうための仮面──


彼女の納骨式に係る時間のなかで、真の感情をあらわに出来なかったこと──その感情を封じ込めたことにさえ気づけずにいたこと──気づいたあともそれを抑え込もうとしたこと──その態度が極限へ達し突然涙が溢れてきたこと──。


──いま自分を守るのは、自分しかいない──


その場から背を向けて逃げ帰るように駅へ向かった。道中のバスのなかでも涙は止まらなかった。すべての悲しみとすべての悔しさとすべての怒りが同居したかのような、とても説明しきれない多様で複雑な感覚が渦巻いていた。

駅までのルートは、90日前のエピソードのリプライズのように、記憶に色濃く残る場面を次々に見せていく──あのときどんな心情だったのか? いまこうして思い返すだけでも痛みが再び蘇ってくる。いや、当時押さえつけていた痛みに、初めて向き合ったというべきかもしれない。

こんなにも深い悲しみを味わったことはなかった。どの記憶を呼び覚ましても、それは間違いないものだと思っていた。


──こんな痛みはもう2度と味わうことはない──


ぼくが期待していたのは、このことだったのだ。祈りにも似た希いだった。しかしその希いは、果たされることはなかった。また再び、同じくらいの強い悲しみが襲ってきている。


──悲しみに向き合い、それを受け容れる──


それはもしかしたら、素直になることなのかもしれない。

偽りなく感情を表現できるように、素直な心の持ち主として生まれ変わる──。

ぼくは、2度、死んだ──彼女の死とともに生きながらに死に、生まれ変わろうとする最中に、また死んだのだ。


──振り出し──


もう一度、この悲しみと苦しみと痛みと怒りに向き合っていく──もし3度目の死を迎えるようなことになったら、今度こそ、悲しみで命が絶たれてしまってもおかしくない。そこに至らぬ様に、あらゆる選択を慎重にしたい。

まずは何より、この傷を癒すことから始めよう。しかしそれがどうしたら癒せるのか? 何も手がかりがない。


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