【出棺の午後に舞う雪──母と婚約者 ふたつの死(24)】
2022年4月21日
母の死から一ト月後に起きた婚約者の急逝は、文字通りあまりに突然な出来事だっただけに、未だ強いショックと深い悲しみに囚われている。
今まさしく〈はれもの〉な状態のぼくはその自覚があるゆえなのか、それとも元来そうして生きてきてしまったからか、素直に悲しみを表現しきれていない気がしてならない。特に誰かと顔を合わせているときがそうだ。苦しい心持ちを口にしたりはするけれど、過剰に心配を掛けたくない心理が働いていると自覚しているのか、言葉を選ぶのに相当苦心しているように思える瞬間がある。
最近になって気づいてきたのは、むしろ何も語らず静まっているときこそが、真の悲しみを表現しているのではないかということだ。
──あのときもそうだった──
突然に無口になったのは、堪えきれない悲しみに襲われていたからだった。そのときのぼくは、育んできた自分を俯瞰してみる習性を即座に発揮して、急に口をつぐんだことへの適当な理由を口にしていた。
──本当の感情に気づくことさえできずに──
あれから少し時間が経ったいま、あの状況になぜ深く動揺したかと改めて考えている。
──ぬぐいようのない孤独──
端的に言えばこうだ。今はもう、この世に、ぼくの絶対的な味方はいない──その不安と恐れが、ぼくの口を閉ざし、自分を殻に閉じ込めることで守ろうとしたのだ。
しかし一方で、こうも思う。
──約束を果たし得なかった魂の叫び──
彼女がぼくに伝えられなかったこころの叫び声が、他者の口を介して邪気を伴う言葉として発せられたのではないか、と──。
──イケナイ──
ひとたび悲嘆の渦に巻き込まれてしまうと、こうして拭いきれない後悔の念が心を覆い尽くし、自らを追い詰めてしまう。
──いや、そんなはずはない──
近ごろ身近で起こる出来事──ある媒介を通じて届けられる小さな希望──を振り返ってもそれは明らかだった。彼女からぼくへ、そしてぼくから彼女へ注がれた優しさは今も変わることはないのだ。
病院で意識を失ったままでもぼくを勇気づけようと、時刻や医療機器が示す数字を通じてサインを送ってくれたり、命が途絶えて棲み家を変えた後も、悲しみに暮れながら街を歩くぼくに、自分が見て育った絶景を見せようと意思を働かせてくれたのは、すべてぼくへのエールだった。生前の彼女が、あのチャーミングな微笑みを通して注いでくれたエールと完璧なまでに同じだった。
──ぼくはぜんぶ見逃さずにいたよ──
だからこそ、彼女は出棺のときさえも、葬送に相応しい象徴的なサインを送ってくれたのである。
──雪が舞う──
通夜へと送り出すため彼女が眠る棺を運び出そうと玄関へ差し掛ったときである。雪が舞っているのが見えたのだ。左右に大きく開かれた玄関扉の横長に四角い枠から覗いたその光景は、見事な借景の図だった。雪が舞う風景の向こう側に、お向いさんの親子が彼女を見送るため肩を並べて立ちすくむ姿が見えた。その立ち姿からは自ずと彼らの悲しみが伝わってくるようだった。
そして彼女の遺影を胸に抱き霊柩車に乗ると、ぼくは気づかされた。
──雪は、彼女の自宅の門前にだけ舞っていた──
様々な想い出をこの家に遺して旅立つ彼女を祝うかのような光景に思えた。
50メートルほど進んで車が右に曲がると、今度は西の雲の隙間から夕刻に差し掛かる時間の緩やかな陽光が差し込んでくるのが見えた。その先の行く手には、雪はもちろん小雨さえも降っていなかかった。
──大丈夫、大丈夫、大丈夫──
彼女とぼくがこれから行く道は、これまでと変わらず、何も案ずることはない──そう天から伝えてくれているようだった。
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