主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【母と彼女への葬送曲〈前編〉──母と婚約者 ふたつの死(33)】

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2022年5月3日

葬儀を望まなかったのは母の意志だった。


「田舎に墓があったら、誰もけえへんやろ」


そう言って、母は33年も前に自ら都心部に墓を設けた。しかしそれから時代は過ぎた。ぼくや兄夫婦がこの先どこへ移り住むかわからない。求められれば海外へ出ることさえ考えられる──そんな可能性を思い浮かべると、海に散骨するのがよい。


──海は繋がっている──


海なら世界のどこへいても、拝むことができる。

そう教えてくれたのは、海外出張時に出逢った方だった。ご自身の経験を振り返りながらお話して下さったことがずっと記憶に残っていて、家族、親族に相談したところ、即、賛同してくれた。

自由を求めた人生を歩んだ母だから、遺骨さえもひとつのところに留まっているのは相応しくない──ぼくはそう確信できた。

海洋葬のための情報を精査し、業者を選定してやり取りを進めたのち正式に契約を結ぶまでの間、船の出航場所などの下見をしておきたかった。母を送る最初で最後の機会だから、一切の疑問なく、イメージ通りに進めたかったからだ。

下見へ赴いたのは、忘れもしない、あの大雪の日の前日──2022年1月5日だった。下見を終えて海洋葬がより楽しみになったことを婚約者に電話で伝えて、予定している当日に感染拡大が進んでいなければ参列して欲しい……そんな会話をして、いつも通り、互いに感謝の言葉を交わし合った。

こんなにも困難に追いやられた時代に母までも喪うという痛みを背負うことになったコロナ禍だが、それでもこころ穏やかでいられたのは、彼女の存在なくしてはあり得なかった。その日も悲しみの真っ只中にありながらも穏やかに1日を終えられたのは、紛れもなく彼女のおかげだった。

しかし、その日の彼女は苦悶していた。


──人はなぜ、向き合えないのか?──


彼女の痛みを抽象化するなら、こうなる。たとえ50年連れ添っていても、互いに別々の方を向いている人たちは数知れない。その一方、ぼくたちは、出逢うまで50年近くを費やしたけれど、同じ目線、同じ視点を共有している。


「出逢うまで50年掛かったけれど、これはお互いにラッキーなことだよ」


そう伝えあって、電話を終えた。無論、その翌日の夜──東京に大雪が降った日──、彼女の危篤の報を受けることになろうとは予想だにしていなかった。

母の海洋葬は、父と母の結婚記念日に当たる3月5日に執り行うことにした。京都・平安神宮で挙式を上げてから65年──その13年後、30代も半ばを過ぎたころ夫に先立たれ、それから東京に移住を決めて大冒険を始めた母を送るなら、やはり東京湾が相応しい。

13時、越中島桟橋から船に乗り、散骨ポイントとなる羽田沖を目指した。当日はちょうど春一番が吹いた日で海上にはやや波がでていたこともあり航行は楽ではなかったが、幾多の荒波を乗り越えてきた母を送るには最高の演出だった。


──厳かなときは、より厳かに──
──賑やかなときは、より賑やかに──


母なら、口にせずともそうするに違いなく、ずべて母の思い通りにことが運んでいるように感じられた。

散骨ポイントに到着して、20分ほどの葬送の時間が設けられた。ぼくはそれに合わせて、音楽の準備をしていた。兄からリクエストされた母との想い出の曲(フェリーニ作=映画《そして船は行く》のオペラ歌手の海洋葬のシーンで使われているアリアやプッチーニ作曲の歌劇《トゥーランドット》から、母がよく口ずさんでいたパバロッティ歌唱による〈誰も寝てはならぬ〉など数曲)のほか、拙作からも2曲を選んだ。

〈See You, BONE.〉
〈KinemaMusik: Coda - ‘An Ending’〉

いずれも作曲だけでなく作詩も手掛け、かつ歌唱も行った、まさに〈全身全霊を捧げた〉楽曲である。母へ向けてはもちろんだが、これは、この日、まさか命を落として参列することができなかった亡き婚約者への葬送曲でもあった。前者は生命の尊さ、永遠の記憶と無償の愛への感謝を──後者は、パンデミック下に世界の安寧を祈るテーマのもと、離れて暮らす彼女への安心とぼくたちの健やかな未来への希いを込めた〈魂の結晶〉とも言える楽曲である。

母の遺骨は、パウダー状に加工されたうえで、水溶性の紙パックに包まれた状態に処理されていた。風に煽られて舞ってしまうことを防ぐためだという。通常は、参列者する人数に合わせてパックの数を準備するそうだが、事前の打合せで参列できなくなった亡き婚約者のことを伝えていたこともあり、当日は、彼女の分も合わせて数を準備して下さった。兄夫婦はそれぞれ一包ずつ、ぼくは彼女の分とニ包を東京湾に放つことになった。

音楽に抱かれながら、葬送の儀は粛々と進んでいく──。


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