主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【やさしさという名のエール──母と婚約者 ふたつの死(18)】

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2022年4月8日

一日も早くこの状況から抜け出したい──。

残された自分の人生を全うするために、強くそう願っていた。

しかし、そのためのエネルギーは、未だ一切ない。そんな状態で無理し過ぎていたのだろう。現実と理想のギャップに、完全に打ちのめされている。

母の介護者としての9年間、あらゆる感情の波間を行き交い、ときには酷い抑うつ状態に陥った経験から、考えうるすべての手法を学び実践してきた。ところが、今はそれらを試す気力さえない。規則正しい生活だとか、丁寧に暮らすといった基本的な習慣でさえ、今はできない。それを実践するエネルギーが、今のぼくには、微塵もない。

母と彼女が相次いで先立って以来、前向きな言葉を自らに投げかけ続けてきた。


──生きているだけで幸運──


朝、自然と目が覚める。そして一日が無事に終わり、床に就く──当たり前のようにして過ごしてきた日常は、誰にも等しく与えられるものではない。だから、こうして淡々と毎日を過ごしていられるのは、紛れもなく幸運なのだ。

ところが、苦悶するなかで絶えずそう自らに言い聞かせながら、疑問に思ったことがある。

生きていることが幸運であることは間違いない。けれど、あまりにその幸運を強調し過ぎて、死そのものが悪いことのように感じられてきたのだ。

死は、先だったものにとっても望まなかったことかもしれない。遺されたものにとっては、このうえなく悲しいことである。しかし、決して忌むべきものではないのだ。


──死は、生と同様に祝福されるもの──


人生やり残しなしと言い続け老衰で逝くという目標まで果たした母と、ぼくとの未来を見ぬまま急逝した婚約者──その相対するふたつの死別を相次いで体験した今、そう思えるようになった。


──ぼくの悲しみは果てない──


それでも、ふたりの終は、それぞれの生を全うした証──死をもって表現された「人生の成就の標」を確かに心に受け容れるためにも、ぼくは今は思い残すことなく、完全に悲しみ抜く──それを果たすことが、ぼくにとってのグリーフケアとなるに違いない。

グリーフケアと言えば、彼女の自宅で催されたお別れ会が、ぼくにとってまさにその最初の機会となった。

病院から彼女を自宅に帰した日の夜とその翌日、一日半に渡って行われたお別れ会は、生前の彼女がどれだけ多くの人たちに慕われていたのかをぼくに物語る場となった。延べ100名以上の方がいらしたのではないだろうか──客足は絶えることがなかった。

「延べ」とわざわざ記したのは、2日間に渡って足を運んで下さる方が多かったからだ。それだけ彼女が多くから慕われた人生を過ごしてきたかがわかる。

そして驚いたのは、そのほとんどの方が、ぼくのことをご存じだったことだ。彼女との会話にもよく登場していた皆さんとは、パンデミックを乗り越えて顔を合わせていく──まさかこんな形でご挨拶することになるなんて、無念としか言いようがなかった。

そのなかのおひとりが、手土産持参で声をかけて下さった。


「彼がいなり寿司が大好きだから一緒に食べに行きたいんだけど、味見してからにしたいから気になるお店をチェックしに付き合って──と言われて出かけたことがあるんです。きっと渡せなかったと思うので、今日買ってきました」

ぼくは平静を装っていた。その瞬間に泣き崩れてしまわないように。

さらに、もうひとつ、届けられなかった彼女のやさしさを知らせて下さった。


「お母様を亡くしてきっと寂しいと思うんだよね。だからいつでも私のところに飛んで来られるように、新幹線の回数券を贈ろうと思ってるんだ」


そう話していたときの彼女の表情がすぐさま思い浮かんだ。

なぜ、どうして、こんなにもやさしい人が、若くして先立たなければいけないんだ──。

それから1日半、ぼくは語り続けた。ぼくたちのこと、彼女が倒れるまでのこと、そして、彼女の最後の意志を叶えるまでの出来事を──。

ぼくの話を傾聴いただきながら、心の落ち着きを覚えていると、語りの合間に、ぼくを励ますように声をかけて下さる方が多かった。

何組もいらっしゃる皆さんが口口に伝えて下さったことが、今もぼくの心の支えになっている。


「ここ数年の彼女は、本当に見違えるように変わりました。それはきっと川瀬さんのおかげなんだと感じていました」


──ぼくたちが過ごした時間の確かさを知らしめる証人──


こんな悲痛な現実を目前にして、これ以上の慰めの言葉はなかった。

どうやらご友人の多くは、彼女の訃報を知り、遺されたぼくのことを特に心配して下さっていたようだ。大切な友を喪った悲しみに耐えながら、まだ実際に顔を合わせたこともないぼくのことを案じて下さるだなんて……。

彼女のやさしさは、ご友人らの輪のなかに今も確かに息づいている。


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