主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【彼女が荼毘に付された日──母と婚約者 ふたつの死(25)】

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2022年4月25日

真の悲しみを知らずにいた蒼い時代には、上辺だけの言葉をいくつも吐いていた記憶がある。当事者になった今、痛切に思い知らされているのは、そんなことなど、到底できない、ということだ。


──前を向く──


この悲しみは、決して消えない。和らぐことはあっても、なくなることはない。一度壊れてしまったものはカタチを取り戻せても、元通りにはなり得ない──それと同じだ。

あの大雪の日に彼女の危篤の報を受けてからの1週間が遂に終わろうとしていた。


──怖くて仕方がなかった──


彼女を喪う現実を直視するだけでも持て余すのどの脅威だというのに、遺体をみつめ、荼毘に付される様まで目にすることは、ぼくにはできそうにない……ずっとそう思い恐れていたのだ。

けれど、母を送るとき、彼女がぼくのそばに駆けつけてくれたこと思うと、ぼくは逃げ出すわけにはいかなかった。そしてもうひとつ、遠い未来で果たすはずだった彼女との約束を完遂する務めがぼくにはあった。


「私は60歳くらいで先に逝くから看取ってね」


祭壇には、彼女の近影としてご家族にお渡しした写真が遺影として飾られている。パンデミック直前に撮影したものだから、ちょうど2年前のものになる。祭壇の周りには、ご自宅でのお別れ会に届けられたたくさんの花たちが供えられ、厳かな彩りと光を添えてくれている。

葬儀はコロナ禍ということもあり、ご親族だけで執り行われることになっていたが、そのなかにひとり、法的には関わりのないぼくが佇んでいる。にも関わらず、光栄なことに、弔辞を読み上げる大役を務めさせていただいた。

前夜にひとり、この1週間のことを振り返りながら想いを綴った。彼女への最後の手紙を記すつもりで──。

この世では果たし得なかった彼女の希いを、ぼくたちはこの究極の悲しみのなかで、そして想像もしていなかった思わぬかたちで果たし得たのだった。それも〈他の誰にも容易く成し得ない〉在り方で実らせたのである。その事実を、この場ではっきりと彼女の歴史に刻みたかった。


──この役目を果たせるのは、ぼくしかいない──


その確信のもと、なかば絶叫しながら弔辞を読み上げた。

住職と彼女の遺影にそれぞれ一礼をして、マイクに近づくため、一歩前へ歩んだ。スマートフォンのメモを立ち上げ、最初のひと言を口にしようとしたときからもう、既に気持ちは溢れかえっていた。ゆっくりと、そして静かに深呼吸しながら涙を抑えていたせいで、緊張感を強調させる妙な静寂が場を包んでいたに違いない。しかし、もうここが彼女の人生の最後の場面である。2度とは戻らぬこの時に先を急ぐ必要はない──そう信じて、気持ちが整うまで間をとった。

常識的な弔辞がどのようなものかはしらない。適当とされる長さも文体も調べなかった。彼女と過ごした時間に感じてきたこと、皆が奇跡の目覚めを信じていたこと、彼女とご家族とぼくと医療チームで成し遂げたことが、どれだけ尊い出来事だったかということ──そして何より、自らの命を賭してまで与えられた生を全うすることの素晴らしさを教えてくれたことへの感謝を、ぼくなりの表現で伝えた。

彼女がもう絶対に目覚めることはないと覚悟してからのこの1週間という時間は、今まで経験したなかで最も恐ろしい──母との死別を上回るほどの── 時間だった。しかし一方で、振り返れば、この時間こそが、彼女が授けてくれた奇跡だったと思えた。最期まで立ち会うことを恐れ続けていたけれど、もしもこの1週間がなければ、ぼくはこの現実を到底受け容れられなかったに違いない。そして何より、彼女の終いから目を逸らすことは、ぼくが最も望まぬ行為を自ら実行してしまうことろだったのだ。


──後戻りのできない選択はしない──


この場から逃げ出していたら、この時間は2度とは戻ってこなかったのだから。


「お母さまを見送らないと一生後悔する」


そうぼくに告げた彼女の言葉が今でもぼくの脳裏にこだましている。感染拡大が予想されていた師走の東京に駆けつけて、ぼくのそばにいてくれたこと──あれほど心強いことはなかった。

彼女の棺には、贈られた花々をすべて切花にして収めることになった。すべての花を敷き詰めたとき、棺はもう花で溢れかえりそうになっていた。

ぼくは彼女の頭のところに立って、彼女の額に手を当てていた。その瞬間からわずか一ト月前、母を荼毘に付すとき、彼女が別れを惜しむように、母の額に永く永く手を当ててくれていた。そのことを思い出して同じようにしてみた。母の亡き骸よりも余計に冷たく感じたのは物理的環境的理由だけではなかった。


──ぼくの支えがまもなく、かたちを手放そうとしている──


母という支えを喪ってまだ一ト月だというのに──その恐怖が、ぼくの心をひどく凍えさせようとしていた。


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