2022年5月3日
遺骨は、パウダー状になってもその質量は失われず、手にした瞬間にずっしりと重みが感じられた。
となると、手放した途端、骨は一気に沈んでいくのではないか?──ぼくが勝手に期待していたイメージでは、水なもに粉となった遺骨がたゆたう図を思い浮かべていたが、それは期待できそうにない。
その予感通り、遺骨は水なもに触れた途端に、海中ヘと吸い込まれていった。まるで逆転した重力界で放たれた打ち上げ花火のごとく、海底へと矢のように進み、すぐさま見えなくなった。
──儚い──
ドラマティックな光景を思い浮かべていたが、今になって思うと、これでよかったのだ。大切なものは、あっという間に失われてしまう──忘れかけていたその真実を、極めて象徴的な場面としてぼくの脳裏に刻んでくれたのだから。
献水、献酒を捧げたあと、時間の許すまで切花を一輪ずつ手向けた。なるべく遠くへ放たれるように、吹き荒れる春一番の風に乗せるようにして、下から上に向けて投げ入れた。
着水した花々は波間で漂いながら、各々の約束の地を探し求めるかのように自然と流されて、それぞれの海路を進んでいく──花の行方に目をやっていると、たった一輪だけ用意されていた薔薇の花だけが、目が届く距離で静止するようにして水なもに浮かび続けていた。それはまるで別れを惜しむかのような姿だった。花首をこちらに向けて、ぼくたちをながくながく見つめていた。
船は港へと帰る──。エンジン音に紛れながら、葬送のための終曲〈See You, BONE.〉が流れ続けている。母と彼女の遺影が見守るなか、ぼくたちは、遺骨が放たれた箇所を見つめながら船尾のデッキに佇んでいた。
──ゆっくりと、そして静かに、涙が溢れ出す──
それに気づいた義姉が、ぼくの背中をそっと撫でてくれた。ここに亡き婚約者がいれば、きっと同じようにしてくれたことだろう。そう感じて余計に涙が溢れてきたが、この光景を記憶にしっかりと刻むために、目を閉じず、ずっと前を向いていた。
羽田空港の滑走路付近へ近づくと、船の動きが緩やかになった。飛行機が着陸するシーンを見せて下さるようだ。船のエンジンが止まる──すると偶然にも〈See You, BONE.〉のエンディングを迎えた。しばらくすると、轟音と共に、飛行機が着陸態勢で滑走路へ降りてくる。今日の風も波も、そして船の航路も飛行機の着陸までもが、まるで完璧に演出されたような葬送となった。
再び、船は港へと向かう──。往路とは異なるルートで、時折、護岸や貨物船の近くを航行するなど、さながら海上クルーズのような時間となった。子供のころ、まだお台場がほとんど空き地だった時代に唯一存在していた船の科学館に母と行ったことがあった。
今も残る大型船舶型の建物を海上から見つめながら、ぼくは当時の記憶を呼び覚ましていた。晴海あたりからタクシーに乗って向かう途中、海底トンネルを通ると聞いて、子供らしい空想力が爆発したことを今でもよく憶えている。
──海の中を通るんだ!──
当時の少年誌で描かれていた21世紀の図が目の前に広がると期待したが、どこまで進めど海は見えてこず、ただのトンネルを通過しただけだった。大人は嘘を付いているとさえ思ったが、大人の語彙力で考えれば、なにも偽りはなかった。ここは海の底を通る〈海底トンネル〉であって、〈海中トンネル〉ではないのだから。
そんな思い出話をキャプテンと義姉にしながら、ぼくはこの悲しみから意識を遠ざけようとしていた。
東京湾から運河に戻るころ、ぼくは船が描く航路の軌跡を見つめていた。
──過ぎゆくときに刻まれた、その軌跡にこそ意味がある──
たとえその奇跡は一瞬にして消え去ってしまっても、ここまで確かにやってきた事実がある。辿り着いたこの場所から再び、新しい旅を始めればいい。
──再び歩き出すまでに、どれだけ時が過ぎようとも──
ぼくはこのことを知るために、母のもとに生を授かり、亡き婚約者とめぐり逢った──今もこれからも、そう信じることにした。
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