主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【奇跡の時間のはじまり──母と婚約者 ふたつの死(17)】

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2022年4月6日

亡くなった婚約者の納骨式が近づいている。

四十九日のころはまだ感染拡大が続いていて、予定が組めなかったとご家族から伺っている。誰よりも感染拡大を抑えたいと願っていた彼女のことだから、その時期に人を集めることを望まなかったに違いない。


──彼女の意思が皆を守ってくれた──


そう思っている。

最近のぼくと言えば、悲嘆についての書籍で学んだ通りの状態が忙しなく現れている。


──記念日反応──


今はまさにこの状態に陥っている。

四十九日が迫ったころもそうだった。あのころも酷い抑うつ状態で、一日中何度も激しく泣いていた。納骨式が近づいてきたこの頃もまた、昼夜問わず泣き崩れている。

ふとした瞬間に日常の記憶の断片が蘇ってくるのだ。同時に、当たり前だった日常は戻ってこないことを感じて、号泣してしまう──離れて暮らし、パンデミックの影響で1年8ヶ月も会えないままとなり、振り返れば、共に過ごした時間は数えるほどしかなかった。その事実を振り返れば、日常のなかに彼女がいないことは当たり前だったはずなのに、どういうわけか、毎日の生活の隅々に、彼女との記憶が色濃く残っている。


食料品を買い出しているとき
窓辺でぼんやりしながらお茶を味わっているとき
料理をしているとき
ひとりで食事をしているとき
映画を観ているとき
本を読んでいるとき
音楽を聴いているとき
未来のことを夢みているとき
夜、布団に横になるとき


人と顔をあわせているときは気丈に振る舞うことができる。それは、彼女が搬送された病院のICUでも同じだった。

彼女の死亡宣告を受けた翌日の早朝から、彼女の最後の意志を叶える挑戦が始まった。その挑戦を乗り切り、午後を目前とした時間に彼女がICUへ戻ってきた。これから帰宅の準備を整えていく。

髪の毛も身体も綺麗に洗われた状態で戻ってきた彼女を観た瞬間のことは今もでよく憶えている。血の気の引いた状態で、恐れを抱いたと同時に、彼女の表情を生前の姿にどこまで近づけられるのか不安になった。


──エンジェル・メイク──


医療スタッフはもちろんその点に於いてもプロフェッショナルで、みるみるうちに元の姿を取り戻していった。お化粧は、彼女をよく知るご家族の手によって行われ、ぼくはただ見守るだけだったのだが、看護師の方から促されて、口紅を塗ることになった。もちろん初めてのことでうまくいかず、修正と仕上げはご家族にお願いした。

ところが、ここから奇跡の時間が始まった。まさにぼくが口紅を塗っているとき、ある連絡が入ったのだ。その報告を聞いたぼくは、驚きと共に口走った。


「彼女の誕生日と同じ数字だ」


彼女の願いが叶えられた瞬間だった。

目の前にいるもの語らぬ彼女が、感謝のメッセージを送ってくれているような気がして、彼女の急逝をめぐるご家族とぼくの苦悩が、ほんの少しだけ報われたような思いだった。

午後、退院──。関わって下さった医療スタッフ、そして院長に見送られながら、霊柩車に乗って自宅まで彼女を送り返す──病院の地下にある少し薄暗い車寄せから地上に上がるスロープに差し掛かったとき、外の様子が伺えた。ご家族とぼくはもちろんのこと、彼女自身の気持ちを映したかのように、滝のような雨がスロープから流れ込んできていた。

彼女の自宅まで30分ほどの道のり──ドライバーの方はぼくの心中を察してか、今日までのことを話す機会を与えて下さった。ぼくたちの出逢いから、コロナ禍に会えなくなった苦境を経て1年8ヶ月ぶりの再会を果たしたこと。そして、その一ト月後にぼくは母を亡くして、そのときずっと寄り添ってくれた彼女が、さらに一ト月後に急逝してしまったこと──。

あのときもぼくは、気丈に振る舞っていたのかもしれない。このあと、帰宅後の夕方から行われるお別れ会に備えて、気持ちを整えようとしていたのだろう。ドライバーの方との会話のなかでも、何度も溢れてくる涙を堪えていた。

彼女の自宅に到着した──。葬儀社の方の先導のもと、ご兄弟とぼくと3人で、彼女を家に帰した。今夕からその翌日、一日半かけて、自宅でのお別れ会が催される。この時世、通夜葬儀は近親者のみで行う必要があるため、顔を合わせたい方のための場がこうして設けられたのだ。

その場はまるで、彼女とぼくが過ごした時間がいかに確かなものだったかを証明するような、褒美のような時間になった。あの機会を頂けなければ、ぼくはもっともっと深い闇に沈んでいたかもしれない。


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