主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【1400万人のなかのひとり──母と婚約者 ふたつの死(26)】

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2022年4月25日

彼女の葬儀を終えて火葬場へ移動する際、担当して下さったドライバーの方が労いと同時に、驚きを伝えて下さった。


「あんなに花で満たされた棺は初めてです」


遺影と共に助手席に乗ったぼくにそう話しかけて下さったとき、しばらく続いていた緊張がほんの少しだけ解きほぐされた気がした。

火葬場までのルートは、この1週間の間で見届けた思い出の場所を偶然にも巡ることとなり──絶景が見える交差点、彼女が通った小学校、2人で歩いた河川敷──この旅のエンディングにこれ以上相応しいものはないと思えた。

火葬場に到着すると、雄大な敷地に建てられた現代建築にまず目が止まった。素材の質感が剥き出しになったその建造物に少し冷たい印象を覚えたが、内部へ移ると、その質感がむしろヨーロッパの教会のような厳かさに似た雰囲気を醸し出していて、建物の深部──炉──に進むに連れて、何かに護られているような気配が感じられるようになった。

ほんの一ト月前、いままさに荼毘に付されようとしている彼女の立ち会いのもと、母の火葬を行ったばかりだった。


──この巡る命の輪のなかに、この地上のぼくたち全員が連なっている──


そう頭では理解できても、なぜこのタイミングで彼女が先立つのか? 未だ認めがたい感情が全身に渦巻いていた。


──誰もが死と隣り合わせに生きている──


息を吐く暇もないほどの日常を過ごすなかで、そんなことを考えていては、生きてはいけない。明日が必ずやってくるとは誰にも約束はされていないのは事実だが、「明日は来る」「明日はいい日になる」と信じていられるからこそ、ぼくたちは明日への希望を抱けるのだ。それは〈生への渇望〉と言ってもいい。


──ぼくたち2人の未来は、すぐそこまで来ていた──


2021年秋の感染者数激減は、その未来を夢にみた最後の希望だった。人の交流と往来が増える年末年始になればまた急増することは容易に予想できたため全幅の期待は寄せなかったけれど(事実そうなった)、いまこの現実を迎えた心境であの秋の再会を振り返ると、あれはまさに、この困難を辛抱したぼくたちに授けられた〈束の間の幸せ〉だったと感じられる。

彼女が荼毘に付される間、ぼくはご親族の輪のなかに混じり、食事をいただいていた。こうした席では無邪気に過ごす子供の様子が印象的だが、その場も例に漏れず、彼女の甥たちがなかなか箸を進められず親御さんを困らせていた。その子供らしさが、この悲しみを紛らせてくれる救いのようにぼくには思えた。

ところがしばらくすると、そのなかのひとりが鼻を啜り始めた。音に気づいて彼の方をみると、鼻を啜りながら天井を向いて目をしばしばさせている。


「誰かのために泣くのは恥ずかしいことじゃない」
「さっきおじさんがどれだけ泣いたか見せただろ」
「泣くのは、カッコいいんだ」


そう伝えると、少し照れた表情でぼくにこう伝えてくれた。


「オレ、〇〇さんのこと、好きだったんだ」


それを受けてぼくは、少し涙混じりの声ですぐさまこう切り返した。


「おじさんの方がもっと好きだったに決まってんだろ」


彼女と2人でパンデミックを超えて、こんな風に彼らと戯れる日がくることを、ぼくはずっと待ち侘びていたのだ。子育てという大役を放棄した無責任な身分であることは重々承知で、現代を生きる子供たちに、普通とは言えない道を歩いてきたぼくたちだからこそ、何か伝えられることがあるのではないかと感じていたのだ。


──明日のことは誰も知らない──


思い描いた通りにならないことがほとんどであることくらい、よく知っている。しかし、こんな未来は、残酷すぎやしないだろうか?

この旅で、いずれ彼女と2人でご挨拶に行くはずだったたくさんの方々と出逢えた。ひとりで挨拶を重ねるたび、無念さが募った。


──こんなはすじゃなかったのに──


彼女の骨を拾ったあと、ぼくはその日のうちに帰京することにした。帰りの新幹線のなかで、彼女の訃報を知らせる文面を書き上げた。

東京駅から在来線に乗り換えドア付近の壁にもたれかかったとき、車両全体の様子が見渡せた。その瞬間のことだった。


──1400万人のなかで、ただひとり──


この1週間に味わった体験を経て、今夜、この大東京にいるのは、このぼくだけだ。

自宅へ戻り、1週間分の郵便物を仕分けしたあと、一息吐こうとソファーに腰掛け、なんとなく時計に目をやると、指し示す時刻を確認して、また驚愕した。

帰宅して目にしたわが家の時計の時刻は、彼女の最後の意志を叶えた証として歴史に刻まれた数字の並びと同じだったのだ。


──これは何のサインなのか?──


再び街まで出て、ひとり呑み明かした。朝焼けにはまだ早い東の空は、穏やかな夕闇を先取りしたかのような瑠璃色に深く染まっていた。


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