主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【母を荼毘に付した日〈後編〉──母と婚約者 ふたつの死(32)】

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2022年5月2日

棺の蓋を閉じる前、亡き婚約者が母の額にながくながく手を触れていた。母に何を伝えようとしてくれていたのか、ぼくにはわかる気がした(その一ト月後、急逝した彼女を見送るとき このときの返礼のつもりで、ぼくも彼女の額にながくながく手を触れていた)。

4人で棺の蓋を閉じ、母との永遠の別れの支度を整えた。いよいよ母が炉に収められていく。ぼくは胸いっぱいで見逃していたが、兄の話によると、炉の番号は7番だったらしい。東京に越してきたときのマンションの部屋も7階だった。そして母、兄、ぼくの誕生日には、偶然にも全て〈7〉という数字が含まれている。


──これも母のメッセージなのか──


炉に火が入る──すると、これまでに聴いたことのないような音が鼓膜を叩き始めた。火葬場という場のイメージからは真逆の、近未来的な音が鳴り響き出したのだ。


──魂が宇宙へ還るトンネル──


きっと炉の先には、目に見えないトンネルが宇宙へと繋がっていて、母の魂は、そこからもとにいた場所へ還っていく──不思議なくらい自然と、ぼくにはそう思えた。

母が遙かなる原初へ還るまでの時間(収骨までの時間)、兄夫婦と彼女とぼくの4人は、別室で円卓を囲みお茶を頂いていた。そのとき、ふと感じたことがあった。


──これまでなら母が座っていたであろう位置に、彼女が腰掛けている──


その様子に、ぼくはさらなる安心感を得ていた。


──母よ、ぼくは間に合ったんだ──


ぼくが自分の人生を送る準備が整うまで、母はこの世で役目を果たしてくれる──母の介護をしながらその老いを見つめるなか、いつからかそう思うようになっていた。それが、いままさに叶えられたのだ。

彼女がいなければ、ここに大きな空席ができてしまっていた。母の喪失をこんなにもはやく埋めてくれるだなんて──ひとりそっとそう感じ入っていると、目の前に座っていた義姉は、大粒の涙を流していた。


「いい人と出逢えて本当によかったわね」


ぼくが感じ入っていた安心感を、言葉に表してくれた瞬間だった。この9年の間、介護者としてひとり苦悶のときを過ごしていたぼくを、義姉はずっと案じてくれていたのだ。言葉には表さないまでも、兄も同じ想いだったろう。2人は直接手は貸せないまでも、資金面での協力を惜しまず続けてくれた。

1時間ほど経った後、いよいよ収骨の時間となった。炉から母の遺骨が現れる様を少し遠めから4人で見つめていた。その瞬間まで忘れていたが、8年ほど前に母は大腿骨骨頭を骨折し、人工関節への置換手術を受けていた。その金属パーツがどんな様子で現れるのか、少し不安だった。しかし、処分の確認のため実物を見せられても、思いのほか動揺はなかった。遺骨についても同様だった。実に淡々と、特別な感情なく見渡すことができた。

遺骨は灰になった部分を含めて、収骨台へ全て移された。骨の部位についての説明を受けていると、顎や喉仏もしっかり残っていることに驚きを覚えた。


──88歳11ヶ月歳──


それだけ永く生きた母には、元来備えられた身体の強さがあったのだろうか? 炉は、遺体の状態に併せて調節されるという。焼き手の方の術がこの場に活かされたのかもしれない。

2人1組になって、母の骨を拾っていく。本来は兄夫婦が始めに行うべきところだが、ぼくと彼女にその役目を譲ってくれた。

大きく立派な形のまま焼き残された大腿骨を彼女と2人で拾い上げる──左利きのぼくは左側に、右利きの彼女は右側に立つ。それぞれの利き手に箸を持ち、大腿骨を持ち上げたとき、2人の目の前に、ぼくたちの両腕と母の大腿骨による大きな輪が出来上がった。

その輪は、〈正解〉の丸にも見えたし〈安心〉のサインのようでもあった。さらには〈婚姻の誓い〉にも〈永遠の輪〉にも思えた。


──幸福の象徴──


この輪はその証──そう素直に思えた。

収骨を終えて、骨壷に収められた母の遺骨を持ち帰るとき、箱を受け取って驚いたことがあった。


──暖かい──


高温で焼かれた骨は、未だ余熱を帯びていたのだ。

その足で、再び彼女を東京駅まで送っていった。道中、ある交差点で信号待ちをしていたとき、聴いていた音楽──Peter Gabriel “Wallflower” New Blood Version──に心を揺さぶられ、沈黙の間が続いた。その時、彼女がぼくの気持ちを察して、そっと首元に手を添えてくれた。こらえていたものが落涙へと変わると同時に、ぼくはまた驚きと共に未来への安心を得た。


──彼女の手の暖かさは、母の遺骨の暖かさと同じだった──


気持ちの揺れを抑えながら、無事、東京駅に着いた。新幹線の改札口で見送ったマスク姿の彼女が、生前に見届けた最後の姿だった。


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