主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【ぼくを滑り抜ける風──母と婚約者 ふたつの死(27)】

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2022年4月28日

このところまた激しく泣き崩れてしまう日が増えている。今日もそんな1日だった。

調子が崩れかけた原因は、昨夜読んでいた本の序文だったと思われる。


──悲しみは、故人と2人で癒すもの──


そんな一文を目にした途端、床のなかで嗚咽した。

一夜明けて午後からは、通い出して8年目になる漢方内科の定期受診へ向かうことになっていた。感情を揺さぶられてしまったせいか朝まで眠れず、ようやく安眠へと誘われたと思ったころに目覚ましが鳴った。

いつものように、30分間ほどスヌーズ機能と格闘しながらようやく床を抜け出したあとは、簡単な朝食を摂る。電子レンジで温めただけの白湯もどきを飲み、有機豆乳に大豆由来のプロテイン、白と黒のすりゴマ、シナモン、ナツメグ、カルダモン、アップルシードル、ハチミツを合わせただけのドリンクをいただく──締めくくりは長年の習慣通り、漢方薬を含めた処方薬を服用し、目覚めの儀を終える。その後、手早く身支度を済ませ、必要なものがすべて納められた通院用の鞄を手に取り、家を出た。


──また世界が歪んで見える──


今日も自律神経が狂っているのだろう。彼女の危篤の報を受けた翌日、前日に降り積もった残雪を踏み締めながらこの道を歩いたときと似た図が目に映っている。無論、視界の歪みはあの日ほどではない。当然である。あれほどの衝撃は、もう二度と味わうことはないのだから(もしも二度目に見舞われたら、もう再起はできない)。

駅に着いて、音楽を再生し始めた。いくつかの偶然から引き寄せられるように思い出した、青年期に出逢った1曲だった。今からもう、27年も前のことである。


──OPCELL〈光からのトラベル〉(1995)──


歌声の美しさと包み込むようなサウンドの心地よさだけで当時のぼくは満たされていた。ところが今日、一瞬にして、歌詩の世界観がぼくの胸を掴んで離さなくなった。

この死別にまつわる一連の出来事と、この悲しみを今も必死に受け止めようとするぼくに、〈やさしさ〉と〈エール〉を送ってくれているように感じられたのだ。


──彼女からのメッセージ──


そして曲のエンディングで歌われる一節を耳にした途端、ぼくの空想力がまたも暴走し始めた。


──君は……誰なの…──


彼女は、何を伝えるためにぼくの前に現れたのだろう? パンデミックという危機を共に過ごし、そして、その渦中を抜け出せる兆しを見いだせそうになっていた矢先、足速に棲み家を変えて去っていった──。


──君は……誰なの…──


その言葉を反芻していると、特急電車がぼくの傍らを通過していった。


──ぼくは、この列車に乗せてはもらえない──


駆け抜けていく車両の様を傍観しながら突然にそう感じて、ホームでひとり、嗚咽し始めた。電車が過ぎ去ろうとすると同時に、疾風がぼくの身体を舐めるように滑り抜けていく──涙が止めどなく流れ出し、あまりの孤独感に怯えたのか、ぼくは自ずと、ひとり両肩を抱き抱えながら風を受けていた。


──この風をぼくの胸に留めたい──


この手からこぼれ落ちてしまった大切なものを取り戻したい一心で、咄嗟に、そう願った。

風は止み、そして、両肩を抱き抱えたままのぼくだけが残された。

彼女は過ぎ去った。未だ謎めいたままの〈気づき〉をぼくに残して。


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