2021年7月4日
特別養護老人ホームに暮らす母の2回目の接種が完了してから、約1週間が経過した。その後、連絡もないことを踏まえると、大きな変調もなく過ごしているのだろう。
一方のぼくは、三重の基礎疾患がある身。感染拡大が報じられてから過ぎるほど厳格な予防対策を施した暮らしを続け、1年と半年を過ぎた。そこまで徹底した姿勢を貫いていたゆえか、ここ最近、明らかなエネルギー低下を感じている。
「そんなことまでして、効果があるのか?」
効果はないのかもしれない。しかし効果がないのかさえ、今は「未だ」わからない。
確かなことがない限り、できることはただ一つ。
──可能性をゼロに「近づける」こと──
現実のなかに完璧などないことことを思えば、可能性を「ゼロにする」ことも到底できない。それでも、近づけることはできる。
──Progress, not perfection──
「完璧より前進」──。
これは、昨日観た映画のなかにあった台詞だ。「可能性をゼロに近づけるため」にワクチン接種を受けた日だからこそ、ぼくはこの瞬間を何度も繰り返して記憶に刻もうとしたのだろう。
これまで、医療科学からのアプローチだけでなく、行動制限を含めた社会的取り組みまで、この都市生活を辛うじて維持できる限界に近いところまでいくつかの対策を試してきた。それでも、未だ感染拡大は抑えられていない。ぼくが暮らす東京では、人流が増加するたびに感染者が増えていくパターンから脱することができないままでいる。
それは、この方法には限界があることの証だ。だとしたら、次なる手段は、ワクチンを試すこと──感染する可能性を限りなくゼロに近づける──ぼくはその可能性に賭けることにした。
不安がないわけではない。現状を変えようと「前進」するため立ち上がって歩き出せば、同時に、転ぶ可能性が生じる。転んで回復可能な怪我をするくらいなら構わないが、後遺症が残る可能性はもちろん、それがときに、命を奪われることになる場合も考えられる。
しかし、「完璧」と呼べる確かなものは、この現実は、そもそも存在し得ない。
全世界が混乱し続けているなか、ウィルスの変異も活発化している現実──これ以上この暮らしが長引くと、ウィルスの危機だけではない更なるリスクに晒される可能性が増大していく。すると、幸いにも近代日本では見かけることが限られていた「望まない事象」を目の当たりにする危険も比例していく。そのとき傍観者でいられるのなら、まだいい。想像力を最大限に使いこなせば、ぼく自身が被害者となる、もしくは加害者になってしまうことさえ有り得るのだ。
そんなぼくの極端な妄想は、実はこのぼくにとっても、どうでもいいことだった──そう気づいたのは、今日になってのことだ。接種前までには、想像することさえなかった。
自分の感染リスクを減らし、大切なひとや他者に移してしまう不安を低下させる──そうすることで、社会全体の不安や苛立ちが軽減されていく──ぼくが接種以前に想像できたのは、ここまでである。
──他者──
今朝、突然にその言葉に違和感を覚えた。その「他者」が意味するのは、どこまでの範囲をぼくは想像していたのだろう? 仕事仲間を含め、いつもそばにいる人たちを「大切なひと」と呼ぶならば、この「他者」とは、誰のことを指すのか?
「これまで自分でも自覚できない間に、顔も名前も知らない誰かに移してしまっていたら」
症状が出ないこともあるこの感染症の性質からしてその可能性さえもゼロにはできない。
──恐ろしい──
ワクチン接種が、この恐ろしさからぼくを遠のかせてくれるのだと信じて、続く2回目の接種に望みたい。
予約は希望通り、3週間後に確保できた。ぼくの身体が見込み通り機能してきれたら、8月初旬には抗体が獲得できることになる。
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