【魂の浄化──映画《ボヘミアンラプソディ》から呼び覚まされる想い出】
2018年11月9日
公開初日の映画を観に行ったのはいつ以来だろう?
もう夜も更けた時間だった。〈ボヘミアンラプソディ〉を突然に聴きたくなって、Spotifyから居間のテレビスピーカーに接続して再生を始めた。
──そういえば、今日が公開初日だ──
観たい映画は、独りで観に行くことがほとんどだ。そのとき湧き上がった様々な想いをそっと独り噛み締めたいし、圧倒的な時間を体験したあとは、自然と言葉を慎みたくなる。そして映画なら絶対に、観終わったあとの街も静まり返っている深夜に観たい!
今夜も急に思い立って出掛けた。もちろん、ネットから座席指定をして予約。中央後方の、ぼくにとってのベストポジションからそっと味わうために──。
──「きっと泣くだろうな」──
伝記的映画──知っているエピソードの前後関係が事実と異なっている部分などあって途中までは冷静に観ていたけれど、幼い頃から聴き馴染んだ名曲の数々が流れ出すと、自然と込み上げてくるものがあった。
──そしてクライマックスへ──
最新映像技術を駆使したそのシーンは、本当に本人達が乗り移ったかのようで、その世界に没入していた。涙が流れ落ちていくに連れて、ながらく背負っていたものから解き放たれていく──そんな感覚に満たされていった。
──音楽の力=魂の浄化──
同時に、このクイーンというバンドを介して、我が家族にもたくさんの想い出があることを回想していた。
クイーンの全盛期、ぼくはまだ小学生。そんなぼくが子守唄代わりに彼らの曲を耳にしていたのは、12歳離れた兄がいたお陰だった。当時の兄は、高校生で思春期真っ盛り。70年代〜80年代初頭までのロックの名盤の数々が我が家には揃っていた。
David Bowie
Pink Floyd
King Crimson
Cream
Japan
そのなかでもよく掛かっていたのが、クイーンだった。
小学校の半ばに差し買ったころ、巷にはラジカセブームが到来。もれなく波に乗ったぼくは、本体と合わせてカセットアルバムを買ってもらった。最初に選んだのは、Queen “The Greatest Hits”だった。
その1曲目に収められているのが、今回の映画のタイトルにもなった〈ボヘミアン・ラプソディ〉だ。本編ストーリーでも取り上げられているが、それを聴いた当時も、アルバムクレジットをみて「6分」という曲の長さに驚いた記憶がある。
──「こんなに長い曲を書くなんてすごい」──
まさか未来に、自身が作曲活動を行うだなんて夢にも思わなかった少年の、それが素直な感想だった。
小学6年生のとき、母に付き添ってもらって、シーズンオフの西武球場まで向かった。
──クイーンの来日コンサートを観るために──
ぼくからせがんだのか? 生きることを楽しむ天才である母が勧めたのかは憶えていない。少し肌寒い西武球場の一塁側スタンドから、遠く離れたバックスクリーン側のステージを見つめては、曲の終わりで奇声をあげる大人たちに混じって大声を上げていた。
母と所沢で過ごす時間は、それが最後になるはずだった。
──この夏、母が所沢の病院に入院するまでは──
この秋の見舞い期間中、所沢駅はとても賑わっていた。
──西武ライオンズ 10年ぶり リーグ優勝──
ぼくが観たクイーンの来日公演は、今確認すると、1982年11月3日と記録されている。その年のライオンズは、所沢に本拠地を移してから初めての日本一を勝ち取っている。
──ライオンズが優勝した年に、またこうして所沢で過ごす時間が巡ってくるなんて──
──予め記された物語──
ぼくは今年、まるで予定されていた通りここへ帰り、何かの気づきを得るよう促されたのだろうか?
人はその歩みのなかで、いくつもの岐路に立ち、行先を思案する。しかし、もしかすると、自らどこへ向かうのか? 心の奥底では決めているのかもしれない。
──フレディ・マーキュリーの物語も同じだろう──
この曲を初めて聴いてから、もう40年ほどの時間が経った。歌に込められた意味に想いを巡らし、そこにどんな心境が込められていたのか?──その謎が、この映画を観てわかった気がした。同時に、〈ボヘミアン・ラプソディ〉というタイトルと歌詩との関連性も──。
歌詩の冒頭、「命を絶たれたある男」とは、フレディ・マーキュリーそのもの──そう解釈すると、全てが繋がる。
──何かを知るには、ながいながい月日が必要になることもある──
ぼくがクイーンに出逢っていなかったら──それからあとの出来事は、すべて違っていたかもしれない。
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