【愛しい時間】
2017年12月9日
咳が止まらない──。
日中はもちろんだが、特に寝入りと目覚め前になると、酷くなる。他者から打撃を加えられているのかと錯覚するほど激しく身体に衝撃を覚える咳が、ながいときで数分間続く。
おかげでここ数日、もう体力的にも耐えられなくなってきたので、今日は少し遠くまで出向いて、主治医の診断を仰ぐことにした。
──明日の祝いの席の間だけでもどうにか咳を止めたい──
かれこれ3年も診ていただいているドクターだけに、処方は的確だったようだ。原因と思われるいくつかの可能性を考慮して、それを多角的に改善するための組合せが選ばれた。帰宅してすぐに服用してからは、今のところ驚くほど穏やかに過ごせている。
今夜は、洗濯物を届けに母に会いに行く予定にしていた。それまでに、少し前から用意していたフォトフレームを仕上げる作業をこなした。母が愛した指揮者=クラウディオ・アバドのポートレート(去年、ベルリンフィルの本拠地で買ってきたもの)と、母がこの世に授けた兄とぼくのツーショット写真を──。
この春、ぼくの展示機会に忙しい兄が足を運んでくれた。たまたまその場に居合わせた知人が気を利かせて、1枚、撮って下さった。2人揃って写真に収まるなんて、大人になってからは記憶にない。
──その奇跡のような兄弟写真には、最近忘れられがちなぼくらの名を入れた──
写真を見せると、母は照れることなく、とても嬉しそうに溢れんばかりの笑みをこぼしながら画面を撫でるようにして眺めていた。
写真を窓際に飾ったあと、間髪入れず母に訊ねてみた。
「はい問題です〜兄貴とぼくの名前はなんだっけ? 写真に書いておいたよ」
「えへへ〜なんやったっけ?」
今日もいつも変わることなく、顔をくしゃくしゃにして母は笑った。
既にベッドに横たわっていた母は、もちろん入歯を外していたから、とても面白い笑顔だった。初めて入歯にしたときに見た歯のない母の表情は目を背けたくなるほどだったが、今ではなぜだか、可愛らしく思える。
──お互いに何をしてあげられたのか?──
そんなことは問うべきではないのだと、今夜、改めて感じた。
今の母は、ただこうしているだけでいい。ぼくも、ただ母のそばにいるだけでいい。
──ただただ、同じ時を過ごす──
それを超える愛しい時間など、この地上にあるはずがない。
家に帰って荷物を置いたぼくは、寝不足のまま一日中動き回った疲れも忘れて、気持ちを弛めにいつもの場所へ向かった。
予定外の訪問だったけれど、そこにも、ただ同じ時を過ごすというだけの、何ものにも代え難い愛しい時間が溢れていた。
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