主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【封じた言葉】

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2017年12月7日

 

こういう情景を目の当たりにすると、つい考えてしまう。

 

 

──なぜこんなにも美しいと感じるのか?──

 

 

この景色は自然ではない。人が創り出した物体とこの地球が生み出した現象の対比だ。それを「ぼく」という謎の多い物体が受け止めている。邪魔に思える電線も工事中の柵も威圧感のある大型建造物も、この時ばかりはその美しさに貢献しているようにさえ思える。

 

風邪の具合が優れず、1週間が経った。今日、母は久しぶりに散髪をしてもらえる日だったから、どんな髪型にしてもらえたかと、それを話題にしようと思って出かけたが、夕方に会った母はもうすっかり散髪のことは忘れてしまったらしい。

 

 

──それでいい──

 

 

今日はいつも母とお話して下さるHさんがいらした。先日の編みものの成果は本当に母のものなのか確認すると、案の定、Hさんがやって下さった。と。

 

母はその会話を聞きながら──話しの内容が分かっているのかさえ曖昧だったが──朗らかに笑みを浮かべながら、威勢よく言葉を放った。

 

「もうなにもしたくありません」

 

語尾を強めてそう言い切ると、またいつもの笑顔で笑った。

 

 

──うん、それでいい──

 

 

何も欲がないこと。

 

 

──いつかぼくもそこまでたどり着けるだろうか?──

 

 

このところ母と時間を過ごすたび、そう考える。

 

いつだったか、母の様子を見つめながら、ひとの一生を放物線に例えてみたことがあった。今の母は、着地寸前…というよりは、既に地には着いていて、残りわずかになった幾重かのバウンドを繰り返しているころなのかもしれない。もうじき跳ねる余力もなくなり、惰性で転がり始める…そしていつか、静止する。

 

きっと最期のときは、少しだけくるりと、猫が丸くなってそっと尾を巻くように、ゆっくりとゆっくりと止まるのだろう。

 

最近の母との会話は、いつもの繰り返しになる。話題もないことが理由でもあるが、ぼくの顔をみると口にすることが「ふたつ」ある。ひとつは、そう言われたら相手が喜ぶこと。もう一つは…その反対。

 

 

──悲しくなること──

 

 

ここに綴り出すはるか前から、母をひとりで在宅介護しながら苦悩し、ときに己の深い闇を垣間見つつ、その時々に湧き上がったあらゆる心情を、許されると思われる範囲で赤裸々に、かつ、できる限り克明に、そして偽りなく記してきた。

 

しかし、どんなに絶望しようとも、口にも文字にもしなかった言葉がある。それを封じたのは、確か小学3〜4年生のころだ。

 

何の悪気もなく「その言葉」を口にしては戯れるぼくら子供たちに向かって、あるとき、教師が激昂しながら、学年全員が一瞬にして静まり返る勢いで訴えた。

 

 

──「絶対に口にしてはいけない」──

 

 

そう教えてくれたときから、ぼくはそれを封じた。

 

光が射し込む気配さえ感じさせない闇に沈んだときでさえ、その言葉を思い浮かべることはあっても、口にも文字にもしない──その言葉を、近ごろの母は口にする。おそらく、子供のころのぼくらと同じように、何の悪気なしに。

 

言霊だとかポジティブ思考だとか、うわべだけの文字列には依存しないようにしたいから、この2年ほど、そうした発想そのものにどうした背景があり、科学的にどう作用して効果を発揮するのかについて述べられた書物に目を通したりしている。そこから得た理屈を今の母に説明したところで、成果は得られない。むしろ、あのときの教師のようにするべきなのか? いや、過去にも自分をコントロールできなくなったぼくが気持ちを母にぶつけたときでさえ、反応はなかった。

 

 

──もうあのころから始まっていたのか? それとも、生まれながらにしてそういう質だったのか?──

 

 

いずれにせよ、母と言えども、他者をコントロールしようだなんて、それほど傲慢で卑しい思い上がった行為はない。

 

 

──母は、今のままでいい──

 

 

むしろ、今のまま、いつかそっと、くるりと回って止まることができるのなら、それこそ、誰もが望む穏やかな終を成し得たことになる。

 

 

──「人生、遣り残しなし」──

 

 

今も人生を生きる母が口にするには早すぎるその言葉が、近年の母の決め台詞だ。それを受けてぼくは

 

「誰もが夢みる穏やかな終を現世で果たしてから、あの世でそう言い放ってよ」

 

と、つい応じてしまう。

 

それを叶える方法は、誰も知らない。けれど、最近どういうわけか、母ならそれを完遂するのではないか? と想像することがある

 

 

──「ここはとっても居心地がいい」──

 

 

母がそう言うと、隣でHさんも頷いて言葉を続けた。

 

 

──「私も何ヶ所か知っているけれど、ここは皆さん本当に親切でいいわよ」──

 

 

ぼくもまったくもってそう思う。だからこそ、母をこのままここで…と願っていたんだ。

 

ふと入口にあるスタッフセンターに目を配ると、夜勤班への申し送りか、ケアプランの練り直しか、ケアマネジャーを中心に真剣な打合せが行われていた。帰り際、忙しい合間を縫ってケアマネジャーと二言三言、言葉を交わす。

 

その言葉のひとつひとつ、どれを切り取っても、とても心のこもったものであることが伝わってくる。ここは、ぼくの知る限り、全スタッフが同じ姿勢で入居者に向き合って下さっている。

 

この奇跡のような巡り合わせを手放したくない…そう思うと、また新たな「無謀とも言える決意」がぼくに湧き始めている気がした。

 

 

──自宅とここを行ったり来たり──

 

 

母とぼくの体力が続くときまで──。

 

また無茶なことを考え出してしまったのかもしれない。

 

幸い、未だ辛うじて時間も自由になる身。日々、明日の暮らしが危ういのは、今に始まったことではない。

 

 

──限界は、とうに超えてしまったのだけれど──

 

 

──まだ可能性は、ある──

 

 

その想いこそが、今日の夕陽をぼくに美しいと感じさせた本当の理由なのかもしれない。

 

 

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