主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【世界一幸運な男〈前編〉──母と婚約者 ふたつの死(15)】

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2022年3月27日

今年度のうちに、どうしても終える必要のある手続きをひとつ残していた。


──退所手続き──


晩年の母が暮らした特別養護老人ホームとの最後の手続きである。そのための連絡は2月中旬にいただいていたのだが、ちょうどそのころ、早逝した婚約者の四十九日が迫っていた影響か、ぼくは連日、ひどく泣き崩れる有様だった。食もあまり喉を通らず元気もない……簡単に言葉を選べば、抑うつ状態だった。事情を説明して、当面、手続きを延ばしていただいた。施設の方もさぞ驚かれたと思われるが、快く申し出に応じていただけたことで、ぼくは自分のペースで回復を待つことができた。

彼女は、施設から母を送り出すとき、ぼくの傍にずっと寄り添ってくれていた。その様子を施設の職員の皆さんにも見届けていただけたことは、いま思えば、まさに今、ぼくがどうにか手繰り寄せようとしている安心の礎のひとつなっていたと気づかされている。


──ぼくには確かなものがあった──


大切にしていたかけがえのないものがある。家族の困難に、彼女とふたり寄り添う姿を見届けていただいた皆さんは、その事実を明らかにする証人たちと言える。

予定していた手続きの約束も、前日に恩師の訃報が届いた影響もあってキャンセルさせていただくことになったが、その翌日、ようやく出向くことができた。実のところ、調子はその日も芳しくなかった。週明けまでさらに待っていただこうかと頭をよぎったが、他にも待たせていることが幾つもある。節目として期した春分の日さえ何もできなかった。もうそろそろ、多少の無理でも前進することはできる──そのきっかけを、この手続きの機会にしたかった。

車で30分ほどの道のり──母の亡骸に面会しに向かって以来、この道を再び行く。もうあれから数えて、間もなく4ヶ月になろうとしている。

施設に到着すると、手続きを担当して下さる方が出迎えて下さった。母がこちらに入居したのは、2018年の新緑のころ。あれからもうすぐ4年が経つ。正式な契約は、その年の師走だった。サインをしたときと同じ部屋に案内され、あのころのことを思い返した。


「これで最後の契約ですね」


入居時に担当していただいた方の労りの言葉が思い出された。

最後の契約書にサインをしてから今日まで、もっと短い時間だったように感じている。それはやはり、新型コロナウィルスの感染拡大の影響に他ならない。振り返ると、ちょうど総入居期間の半分ほどの月日、母との面会を辛抱していたからだ。

パンデミック以前から、母との会話はほとんどできない状態だった。


──母親の老いをしっかり見届けたい──


そう願ってはいたけれど、母の暮らしをずっと見守ってきた身からすると、その変化を受け容れていくのは、困難だった。


──面会するのが苦しい──


言葉を交わせないだけでなく、身体も起こせなくなってきたころから、そう思うことが増えてきてしまった。それでも、笑顔を見せてくれる母がぼくの頼りだった。仕事のことや支えあえる相手が見つかったときなど、喜ばしい報告には、ベッドに横たわりながら手を叩いて喜んでくれたこともある。


「お、お、おめ、おめ、で、とう」


言葉を発することができるときもわずにあって、時おりこんなふうに、途切れ途切れになりながら伝えてくれたりした。大阪生まれの母らしく、「と」にアクセントがくる見事な関西弁で、それを音として耳にすると、紛れもなく、母は未だ母でいる──そう感じることができた。

最後に母との面会を果たしたのは、母の具合が終に近づいてきた兆候が多く見受けられるようになったと連絡を受けた、2021年の9月下旬のころだった。

1年8ヶ月ぶりに顔を合わせた母は、目も虚ろで、遂にあの朗らかな笑顔さえ消えていた。それでも、相変わらず、母の白くて綺麗な肌は健在だった。この時世、指先で触れるのは避けたいと思い、手の甲と甲を当てて触れ合った記憶がある。いや、指先で触れるくらいはしたかもしれない。

嗚呼──叶うなら抱きしめたかった。もしそれで母を感染させて、ぼくが母を終に追いやるようなことになっても……。母を抱きしめておけばよかった。

母の亡骸に寄り添っていたときもそうだ。冷たくなった手を握ったり、車椅子生活で使われなくなったせいか、皺ひとつなくなった足の甲に触れたりはしたが、ぼくが夢にまでみていた通りの、神々しささえ感じさせるあまりに美しい床を整えていただけたことを言い訳にして、ぼくは母を抱きしめなかった。


──怖かった──


すべては言い訳だった。

パンデミックもそうだ。それを言い訳にして、老い行く母をひとりにした──ぼくは、怖かった。ただそれだけのことだ。


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【真夜中の儀式──母と婚約者 ふたつの死(14)】

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2022年3月25日

今日、空を見上げて想った。


──遂に春がやってきた──


この寒い冬にふたつの死別を体験したとき、ふと感じたことがあった。


──春よ、早く来い──


春が来さえすれば大丈夫。そのときすべてから解き放たれる──そう祈っていた。

しかし現実はどうだ? 解き放たれる気配は無論ない。それどころか、今日の陽気に包まれたぼくは咄嗟に想った。


──春が来てしまった──


あの冬の真っ只中に未だ居続けたい──そこから離れてしまうと、死別とはまた違った何かを喪ってしまう──そんな感覚に突然襲われたのである。

こんなにも苦しいのに、未だここに居続けたいだなんて……。


──どうかしている──


しかし今振り返っても、彼女の死に向き合っていた時間の出来事は、苦しみと悲しみと怖れだけに支配されていたわけではなかった。それはなぜなのか? こうして言葉にしながら、もうしばらく探求したい。


現地入りしてから4日目の未明、約束の時間から僅かに遅れて病院に到着した。エレベーターでICUのある階へ上がり扉が開くと、真っ暗なフロアのなかで担当の方がぼくの到着を待ち受けて下さっていた。ICUに入る前に、この3日間、ずっと寄り添って下さった医療チームの方々から、改めて現在の状況の報告などを受けた。担当医からの説明は、「翌朝、ご家族が揃ったところで改めて」とのお話だったが、これも医療チームからぼくへの計らいだった。


「ふたりになる時間、なかったですものね」


医師の立ち会いがあると気を遣ってしまう──そう察して下さったのだろう。

準備が整い、入室の許可が下りた。控室を出て、真っ暗な廊下を歩いた。背筋を伸ばし、俯かずに歩いた。そして、胸を張り、一歩ずつ確かな足取で進み、生を全うした彼女の人生の締めくくりに恥じないように、怖れを振り払いながら、前をしっかり見ていた。

ICUへ。最初のドアが開き、左手にあるシンクでまずは手を洗う。ペーパータオルで水気を拭ったあと、備え付けのアルコール消毒液で手指を消毒する。その後、次のドアが開かれ、処置室へ進む。迎えて下さった医療チームの皆さんは想像したよりも多かった。皆さんに気持ちが伝わるように、動作が流れないよう意識しながら、しっかりと都度立ち止まって挨拶を繰り返す。そうしてゆっくりと歩を進めながら、彼女のもとへ向かった。

彼女の個室では、ぼくの音楽が流されていた。《A Small Hope》──小さな希望というタイトルのアルバムだ。彼女が愛してくれた音楽が今、ふたりを包んでいる。

人生を表現し尽くさんと、森羅万象・喜怒哀楽・希望・絶望・夢・悪夢──そのすべてを網羅した多様な展開を有する音楽で、何より、この難局を彩るには相応しい音楽だとぼくには思えた。

彼女のベッドの傍に立った。人工呼吸器で今も心肺機能は維持されている。ここ数日見守り続けた様と、なんら変わりはなかった。

彼女の顔を見つめながら、伝えた。


「素晴らしい経験を授けてくれてありがとう。これから、よろしくお願いします」


これは、届けられなかった婚姻の言葉だった。周りで見届けてくれた医療チームがその証人である。


──午前2時1分、脳死による死亡宣告──


聴覚は最期まで生きる──そう伝えられているものの、彼女の脳波は、一度たりとも復活しなかった。科学的には脳が機能していない限り、聴くことはもちろん、感じることもできない──そう考えるのが妥当だ。それでも……。


──ぼくたちは目に見えないものを信じてきた──


音楽はまさにその象徴である。


──きっと伝わっている──


ぼくの音楽も、ぼくの言葉も、ぼくがそばにいることも、ぼくの手の温もりも。


「私は60歳くらいまで生きれば十分だから、そのときは浩介さんが看取ってね」

「お互いにいつその時が来るかわからないから約束はできないけれど、その順番が守れたら果たすよ」

「浩介さんはモテるから、私がいなくなってもすぐにまた別のお相手が見つかるから大丈夫」

「その言葉、そのまま返すよ。〇〇さんほどチャーミングなら、ぼくが先にいなくなっても大丈夫」


大丈夫、大丈夫、大丈夫──。


お互いにそんな風に冗談を交わしつつも励ましあいながら過ごした、あの愉快で安心な毎日は、これで終わった。


──ぼくは約束を果たしたんだ──


不思議だった。このとき、悲しみは湧いてこなかった。それどころか、ぼくたちだけが叶えた門出に相応しく、どこか晴々しい想いに満たされていた。


──もしかして、悲しみを乗り越えることがもうできたのか?──


無論、そんなはずもなかった。遺されたものの悲しみが消え失せたわけではないことを、ぼくはこれから思い知らされていくことになった。


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【最期の意志を叶える──母と婚約者 ふたつの死(13)】

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2022年3月25日

喪失と向き合う時間は何かに似ている──母を喪って100箇日が過ぎ、婚約者の急逝から四十九日を超えた、未だ苦悶する最中、そんなことが頭をよぎった。


──禁断症状──


突如としてたち消えた関わり──それを克服するには、この状況に慣れるしかない。そう考えると、まさに今の苦痛は、禁断症状に他ならない──そう感じたのだ。

婚約者の四十九日が近づくころから、より強くより激しく号泣するようになった。相変わらず、公にできない想いはノートに書き綴っているのだが、そのころから手紙の形式で書くようになっていった。これまで毎日のようにメッセージを送り合っていた関わりを突然に失い、その悲しみを手紙を書くことで埋めたいと考えたからだ。

手紙はこれまでと変わらず、彼女の名前を記して、あいさつから始める──。


「〇〇さん こんばんは」


ぼくたちはお互いに「さん付け」で呼び合っていた。ぼく自身、子供のころからこういう関係に憧れていたこともあったし、何より、お互いの両親が授けてくれた名前を呼び合うことに、不思議な安堵感を抱いていた。ぼくたち同い年の中年カップルは、どこまでも冗談ばかりの毎日で、とても成熟した大人とは言い切れない部分も多々あったけれど、そんな馬鹿げた毎日が、とても愛おしかった。

彼女が倒れたあの雪の日にも、同じ書き出しでメッセージを送っていた。ご家族から危篤を知らされたのは、それから数時間後のことだった。

危篤の報を受けた翌日、離れて暮らしていた彼女の地元へ向かい、それから数日間、容体を見守っていた。時間の経過に伴い、厳しい現実を目の当たりにしながら、同時に「ある選択」を求められることになった。

病院に搬送されたその時から、彼女の意識が戻る兆候は一切見られなかった。それは、あらゆる診断結果からも明らかだった。見守っていた誰もが奇跡を信じていたが、現実は残酷なまでに、彼女の終が迫っていることを告げるばかりだった。

危篤の報を受けた時には、ぼくの到着まで持たない可能性もあると告られていた。それでも、彼女は、ぼくが到着してから3日間も持ち堪えた。


「愛の力ですね」


ずっと寄り添って下さった看護師の方は、そうぼくに伝えてくれた。

残された時間がもうほとんどなくなり、最後の検査が完了するまでの間、ご家族とぼくは身体を休めにそれぞれ帰宅することにした。

彼女の生は、まもなく終を迎えようとしている。だがしかし、遺されたものたちは、彼女の最期の意志を叶えようと、もがいていた。


──新たな挑戦が始まる──


彼女が育った家のなかでひとり、ぼくはある資料に目を通していた。その挑戦が社会のなかでどう評価されているのかを十分に知っておくために。そして、今、ざわめくぼくの気持ちを少しでも和らげるために。

病院へ再集合する時刻は、翌日未明。その場に立ち会うのは、ぼくだけとなった。ご家族は恐らく、ぼくに気遣ってくださったのだろう。最後に2人で過ごす時間を与えてくださった──そう思っている。

挑戦に向けた検査が順調に進んでいる知らせは医療チームから適宜報告が届いていた。時刻は既に日付をまたぎ、出かける時刻が迫っている。そろそろ身支度の開始だ。


──彼女の最期にきちんと身なりを整えたい──


帰宅してすぐに洗濯した服は完全に乾いている。入浴もして身を清め、帰りがけに買った整髪料で髪も整えた。準備は整った。

真夜中にひとり、静まり返った街に佇み、手配したタクシーの到着を待つ──今のぼくに残された務めは、その光景を目撃するための勇気を振り絞ることだけになった。


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【死は忌むべきものではない】

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2022年3月24日

昨日は極端な1日だった。

こんな状況の最中に、わが幸運を噛み締める出来事があったかと思えば、同時に、恩師の訃報が届けられた。今の気持ちに染み入る言葉を交わし合い、想像さえし得なかった穏やかな時間が過ぎた途端、恩師の訃報が重くのしかかりだし、心身のバランスが崩れた。

その影響で今日の予定──母が暮らした介護施設での退所手続き──をキャンセルすることになった。

床に深く身を沈めながら、この厳しい時代の記憶を振り返った。


──この8ヶ月で4人との死別を経験した──


昨夏、緊急事態宣言下に、友人を喪った。その事実がようやく実感を帯びてきたころ、冬の帳に母が逝った。

その支えきれそうにない喪失をあたかもなかったことのようにしてくれたのは、愉快で穏やかな日常を授けてくれた婚約者の存在だった。


──どんな不安も安寧の地に誘われる──


そう感じられるほどの時間を共に過ごした女性が、母の死から一ト月後、突発的な病により急逝した。


──母の喪失に慣れる暇もなかった──


婚約者の死から二タ月余りが経ったいま、そのすべての死別の悲しみが一気に押し寄せてきている──そんな最中に、今度は、恩師が逝った。


──死別は乗り越えるものではなく受け容れるもの──


死別や悲嘆に関するあらゆる本を手にとっている。これは、そのなかで出逢った言葉のひとつである。

死は忌むべきものではない──故人の死を悼むとは、そう思えるようになるまでの時間のことを差すのかもしれない。


──亡くなった人の分まで生きる──


遺されたものにとって、その想いはずっと消えないだろう。しかし、そうした使命感を強く抱きすぎるのは、ぼくには向いていないと近ごろ感じるようになってきた。

その想いに囚われてしまうことは、他者の人生を生きることに成りかねない──そう思ったからだ。


──死別を受け容れる──


この言葉に自分なりの意味づけが果たせたとき、何かが変わるのだろうか? はっきりとした分岐点があるとは思えない。きっと緩やかに日常のなかに想いは薄れていき、そのとき、朧げになった記憶との距離感が保てる──そんな感覚を抱ける日がやってくるのだろう。

それは「今」かもしれないし、果てしなく遠い未来になるかもしれない。

たとえそんな日がやってこなかったとしても、わが人生を全うすることができるように──今はただ、そう願うばかりである。


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A moment of Marine Funeral for my mother

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5th March 2022

On 5th March in Tokyo Bay.

The day is the same day as my parents’ wedding anniversary.

 

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【母の死を受け止めた日──母と婚約者 ふたつの死(12)】

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2022年2月22日

「2」が並んだ日──今日は、来る母の海洋葬へ向けて、東京の西部にある会社窓口へ母の遺骨を引き渡す予定が組まれていた。

約束は午後だったが、自宅から距離があるため、午前早めに起床する計画していた。しかし、相変わらず体内時計のズレが生じたままで、なかなか寝付けない。それをいいことに、映画を観ることにした。喪失をテーマにした話題の《ドライブ・マイ・カー》である。

引き寄せられるように巡り会う2人──静かに展開していく物語が、今のぼくの心の静けさと呼応して、安心感を覚えた。けれど……。


──こんなにも人は喪失に囚われてしまうのか──


いつかそれを真に受け止められる時が来るまで、静かに静かに待ち侘びる──残されたものには、それしかできない。


──時間が味方してくれる──


喪失をテーマにしたキューブラー・ロスの名著《永遠の別れ》のなかに、こう記されていた。「時間」とは、まさに「生きる」ことだ。これから生きていく時間こそが、決して裏切ることのない「ぼくの味方」──だから、生きよう。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、どんなに孤独でも、どんなに蔑まれることがあっても。

出掛ける前、母の遺骨を持ち運ぶための準備をした。火葬場から帰るときもそうだっが、風呂敷が見当たらなかったため、母が愛用していたスカーフで包んだ。

包もうとして遺骨を持ち上げたとき、ぼくは自ずと遺骨を抱きしめていた。母に感謝を伝えようとしたのだろう。そのとき、母を喪ってから初めて、母のために泣いた。

涙を流せないことにどこか後ろめたさを絶えず感じていた。悲しみの表出は様々で、決して涙を流すことが至上の想いを表しているわけではない。けれど、悲しみや喪失感はあっても、こんなにも涙が流れないことに違和感があったままだった。それがこの日、遂に解き放たれた──こうして思い返すだけで、今もまた、深くて強い悲しみと共に、激しい涙が溢れてくる。


──この骨を、彼女と一緒に拾った──


「お母様を送らないと後悔する」


感染の不安があるなか、その想いを胸に東京まで火葬に駆けつけてくれたことをまた思い出して、涙の勢いが余計に増した。

遺骨を抱き、胸を張って家を出た。空を見上げると、見事な青空が広がっていた。母が亡くなった報を受けた翌日、母に顔を合わせにいくために出掛けたときと似た、とても心地よい青空だった。痛快で朗らかな、あの母の笑顔を映したような伸び伸びとした空気に満たされている──。

東京の西側へ車で向かうと、道中に武蔵野平野の広大さを実感できるのがいい。高い建物は少なくなるため見晴らしがよく、その平らな地形が、どこまでも続いていく感覚を味合わせてくれるからだ。


「迷うといけませんから」


と、会社の方は詳細にルートを案内してくれたが、Google Mapが的確にナビゲーションしてくれたおかげで難なく現地へ到着できた。車庫に車を寄せると、担当の方が出迎えて下さった。

遺骨を引き渡すだけで、事務的に済むことと想像していたが、生前の母のことなどをお話しする時間を設けて下さっていた。話の流れのなかで、急逝した彼女のことにも触れた。海洋葬にも列席してくれる予定になっていたことも伝えた。

こうして亡き人のことを話すことは供養になる。そして何より、残された側の慰めと癒しにもなる──けれど、ぼくにはまだまだ話し足りないのかもしれない。話すたび、思い出すたび、今も涙が溢れてくる。

彼女の終を見届け東京に戻ってから、髪は伸び放題だった。表情もだいぶやつれていたに違いない。今日を迎えるまでの4週間、ぼくはひとりこの喪失に向き合い、悲嘆に暮れるため時間を費やしていたからだ。帰京した当初は、悲しみと孤独を紛らせようと必死だった。この出来事を誰かに伝えて傾聴してもらう──そんな時間のなかに身を寄せ、感情を埋めようとしていた。


──向き合う時間が必要だ──


それは苦しみを伴う選択だと分かってはいた。しかし、そうしないと、この痛みを受け容れることが出来ない──そう思い直した。

その成果が得られたのかどうか、今もわからない。このところは余計に悲しみが増しているような感覚もある。堰き止められていた母への感情が放出され、同時に彼女の永遠の不在という普遍の現実がより強度を高め、ぼくに迫りつつある。


──もう嫌だ──


五十路を迎えた中年でさえも、ためらうことなくそう口にしてしまうくらいに、来る日も来る日も、強く、深く、激しく、泣き続けている。


──ぼくは、ぼくの味方になる──


こんな今の自分を、肯定できるようになりたい。またいつの日か、母と彼女とぼくが交わし合った、あの一片の曇りない笑顔が、ぼくに蘇ってくる──そう信じられるようになるために。


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【あの日の手の温もり──母と婚約者 ふたつの死(11)】

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2022年2月19日

3度目のワクチン接種──副反応で2日間、寝込むことになった。レポートされている通りの症状が次々と現れた。発熱は一時、39度を記録したが、不思議と熱による身体のだるさや辛さは感じなかった。呼吸も正常で苦しさもなかった。一番堪えたのは、悪寒。手の末端から冷え始め、スマートフォンを持つ手があまりの冷たさに耐えきれず、友人にメッセージを送るのも困難に思えた。


──こんな状態で助けを呼べるだろうか?──


もしものときを想像して、とても恐ろしくなった。


──時に痛みは役に立つ──


しかしこの副反応は、今のぼくには恩恵となった。少なくとも反応が出ているあいだに限っては、この、ふたつの死について考える余裕はなくなった。

だが、こうしてひとり悶絶していると、この上なく不安になる。


──そばにいてくれたら──


その叶わぬ願いが、ぼくにある出来事を思い出させた。

危篤の報を受け、現地へ入った初日の夜だったか、2度目の面会の機会が与えられた。状況の説明と、もうひとつの意味がその面会にはあった。


──お別れを伝える──


ぼくはあらゆるシーンを鮮明に記憶に残してしまう。その光景に囚われてしまわないかどうか、それが唯一の不安だった。

人工呼吸器が装着された彼女の表情を見つめると、少しまぶたが開いているように見受けられた。その僅かな隙間から、瞳の様子が伺えたような気がした。


──瞳孔が開いたままになっている──


そう感じられた。すべてぼくの想像の世界の出来事だったのかもしれない。けれど、その様が、ぼくに厳しい現実を明らかにした。


──彼女はもう、帰って来ない──


意識の回復は見込めない──彼女の表情が、そう無言で語っているように思えた。

生命維持が施されているとはいえ、少しでも身体を動かすと容体が急変しかねない状態と告げられるも、こうした僅かな時間が、限られたお別れを伝える場になる。細心の注意を払いながら、彼女の手に触れた。


「よく働いている手だ」


思わずそんな言葉が漏れた。その瞬間、同時に思い出されたことがあった。


──あの日の手の温もり──


一ト月前、母を荼毘に付した日のことだった。火葬場から母の遺骨を家に持ち帰ったあと、彼女を東京駅まで送っていく車中で、ぼくは心の支えとしてよく聴いている音楽をかけた。


Peter Gabriel ‘Wallflower’ New Blood Version (2011)


1982年のオリジナルからオーケストラ・バージョンに改変された一曲である。歌い上げる歌詩の世界は、そのときのぼくの心情とは異なるが、言葉の節々に、ぼくの悲しみに寄り添う想いが感じられる。


「何度も聴いたはずの曲が、違って聴こえてなんとも言えない気持ちになりました」


彼女も気に入ってくれていた曲だった。これは、その夜、彼女が無事に帰宅したあとに送られてきたメッセージの一部である。

ある赤信号で停車したとき、ストリングスが情感豊かに旋律を奏でる場面に差し掛かった。溢れくる感情を抑えようとしていたぼくに気づいたのか、次の瞬間、彼女の小さな手が、ぼくの首もとにそっと添えられた。


──言葉にならない──


彼女もきっと同じ気持ちだったのだろう。添えられた手の温もりがすべてを物語っていた。それだけで十分通じあえていた。あんなにも人の手の温もりを感じたことは、今までなかった。

今、そのときを振り返り思い出したことがある。


「大きくてあったかい手やなぁ」


生前の母を初めてショートステイに預けた日、車に乗ろうとする母の手を握りしめたときだった。母は少し照れ臭そうな口調でそう伝えてくれた。

あのとき、ICUのベッドに横たわる彼女は、ぼくの手の温もりを感じられただろうか? 医学の常識を超えて、ぼくが寄り添っていることがわかっただろうか?

彼女の手の温もりは、まさにあの日あの夜の温もりだった。生命維持のため身体を温められた状態ではあったが、紛れもない、彼女の温もりのままだった。


「これからどんな気持ちが湧いてきて、どんな風に感じるのか、、、帰りの車の中でふと思っていました」


この曲を聴き返すたび、ぼくがこの問いに自ら答え続けていくことだろう。

Wallflowerの花言葉を今、初めて調べてみた。戦慄している。


──愛の絆、逆境にも変わらない愛、逆境にも変わらぬ誠──


それは奇しくも、ぼくたちの今を映している言葉だった。


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