主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【母の死を受け止めた日──母と婚約者 ふたつの死(12)】

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2022年2月22日

「2」が並んだ日──今日は、来る母の海洋葬へ向けて、東京の西部にある会社窓口へ母の遺骨を引き渡す予定が組まれていた。

約束は午後だったが、自宅から距離があるため、午前早めに起床する計画していた。しかし、相変わらず体内時計のズレが生じたままで、なかなか寝付けない。それをいいことに、映画を観ることにした。喪失をテーマにした話題の《ドライブ・マイ・カー》である。

引き寄せられるように巡り会う2人──静かに展開していく物語が、今のぼくの心の静けさと呼応して、安心感を覚えた。けれど……。


──こんなにも人は喪失に囚われてしまうのか──


いつかそれを真に受け止められる時が来るまで、静かに静かに待ち侘びる──残されたものには、それしかできない。


──時間が味方してくれる──


喪失をテーマにしたキューブラー・ロスの名著《永遠の別れ》のなかに、こう記されていた。「時間」とは、まさに「生きる」ことだ。これから生きていく時間こそが、決して裏切ることのない「ぼくの味方」──だから、生きよう。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、どんなに孤独でも、どんなに蔑まれることがあっても。

出掛ける前、母の遺骨を持ち運ぶための準備をした。火葬場から帰るときもそうだっが、風呂敷が見当たらなかったため、母が愛用していたスカーフで包んだ。

包もうとして遺骨を持ち上げたとき、ぼくは自ずと遺骨を抱きしめていた。母に感謝を伝えようとしたのだろう。そのとき、母を喪ってから初めて、母のために泣いた。

涙を流せないことにどこか後ろめたさを絶えず感じていた。悲しみの表出は様々で、決して涙を流すことが至上の想いを表しているわけではない。けれど、悲しみや喪失感はあっても、こんなにも涙が流れないことに違和感があったままだった。それがこの日、遂に解き放たれた──こうして思い返すだけで、今もまた、深くて強い悲しみと共に、激しい涙が溢れてくる。


──この骨を、彼女と一緒に拾った──


「お母様を送らないと後悔する」


感染の不安があるなか、その想いを胸に東京まで火葬に駆けつけてくれたことをまた思い出して、涙の勢いが余計に増した。

遺骨を抱き、胸を張って家を出た。空を見上げると、見事な青空が広がっていた。母が亡くなった報を受けた翌日、母に顔を合わせにいくために出掛けたときと似た、とても心地よい青空だった。痛快で朗らかな、あの母の笑顔を映したような伸び伸びとした空気に満たされている──。

東京の西側へ車で向かうと、道中に武蔵野平野の広大さを実感できるのがいい。高い建物は少なくなるため見晴らしがよく、その平らな地形が、どこまでも続いていく感覚を味合わせてくれるからだ。


「迷うといけませんから」


と、会社の方は詳細にルートを案内してくれたが、Google Mapが的確にナビゲーションしてくれたおかげで難なく現地へ到着できた。車庫に車を寄せると、担当の方が出迎えて下さった。

遺骨を引き渡すだけで、事務的に済むことと想像していたが、生前の母のことなどをお話しする時間を設けて下さっていた。話の流れのなかで、急逝した彼女のことにも触れた。海洋葬にも列席してくれる予定になっていたことも伝えた。

こうして亡き人のことを話すことは供養になる。そして何より、残された側の慰めと癒しにもなる──けれど、ぼくにはまだまだ話し足りないのかもしれない。話すたび、思い出すたび、今も涙が溢れてくる。

彼女の終を見届け東京に戻ってから、髪は伸び放題だった。表情もだいぶやつれていたに違いない。今日を迎えるまでの4週間、ぼくはひとりこの喪失に向き合い、悲嘆に暮れるため時間を費やしていたからだ。帰京した当初は、悲しみと孤独を紛らせようと必死だった。この出来事を誰かに伝えて傾聴してもらう──そんな時間のなかに身を寄せ、感情を埋めようとしていた。


──向き合う時間が必要だ──


それは苦しみを伴う選択だと分かってはいた。しかし、そうしないと、この痛みを受け容れることが出来ない──そう思い直した。

その成果が得られたのかどうか、今もわからない。このところは余計に悲しみが増しているような感覚もある。堰き止められていた母への感情が放出され、同時に彼女の永遠の不在という普遍の現実がより強度を高め、ぼくに迫りつつある。


──もう嫌だ──


五十路を迎えた中年でさえも、ためらうことなくそう口にしてしまうくらいに、来る日も来る日も、強く、深く、激しく、泣き続けている。


──ぼくは、ぼくの味方になる──


こんな今の自分を、肯定できるようになりたい。またいつの日か、母と彼女とぼくが交わし合った、あの一片の曇りない笑顔が、ぼくに蘇ってくる──そう信じられるようになるために。


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