主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【幼さという凶器──母と婚約者 ふたつの死(10)】

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2022年2月15日

心ない言動に「案の定」、感情を揺さぶられている。


──自分のこころの内を公にすること──


それは少なからず、誰かを傷つけることになる──そう捉えられても仕方のないことであると、覚悟はしていた。しかしその覚悟は、現実を目の前にしてはじめて、どれだけ揺るぎないものだったのかが証明される。


──その覚悟の壁をあっさりと通り抜けてくる言動がある──


己を守るために壁を設けたのに、それが役に立たないのだから、なす術はない。だから最後の方法はただひとつ──。


──こころを閉ざす──


そうする他なくなる。取るべき手法でないと頭では理解できるが、少なくとも今は、それが最も安全な方法であることもまた事実である。


「もっと会いたかったはずだよ」
「気にせず会ってる人なんてたくさんいる」
「正しく恐れなきゃ」
「好きならすぐに会いに行くでしょ」


──本当のことは、ぼくたちしか知らない──


互いの安全と他者に移さないことを最優先して、「会わない」という選択をするまでに、どれだけの苦悩と葛藤があったか? そうすることが、一刻も早く社会を正常化することに繋がり、結果として、1日も早く再会が果たせる──そう願っていたが、ぼくたちはずっと夢を見ていたのだろう。状況は深刻になるばかりだった。

方針転換しようにも、できない事情があった。仕事のこと、そして、介護施設にいる母のことだ。いずれも他に任せることのできない、「ぼくしか」対応できないことだったからだ。


──板挟みになる苦悩──


介護者として母を見守りながら、数えきれないほど味わった「最も逃れようのない痛み」だった。母を無事に送るまで見守りつつ、代わりの利かない業務を完遂する──そんな壮絶なプレッシャーをひとりで9年も感じていたのだ。

その渦中で見舞われた1年8ヶ月という断絶──。実際に会わずに過ごす間に、幾度関係を諦めようとしたかしれない。


──離れた方がお互いに楽になれるんじゃないか?──


深刻化していく状況のなかで苦悶しながら、そんなことを繰り返し考えたこともあった。

彼女の急逝後、ご自宅の部屋から日記らしいものが出てきた、と、ご家族の方からノートを無言のまま手渡された。


──ここを読んで欲しい──


そう言わんばかりに広げられたページには、彼女もぼくと同じことを思案して苦しんでいた記述があった。

そんなところまで深く強く心を通い合わせていても、それが望む未来を約束はしてくれるわけではない──そんなことは、わかりきっていた。

離れて暮らす同い年のふたり──いつ何が起きてもおかしくない年齢でもある。ましてやこの状況下、心身への負荷はこれまで経験したことがない最高レベルだ。互いの健康を気遣い、かつ、ひとり住まいの日常に潜む危険(高いところのものを取る時、両手を塞いだままでの階段の登り降り、留守中の対応などすべて)についても話し合っていた。車の運転をする際には、自らへの注意喚起のため、おまじないまで考えた。


──事故は、不意に起こる──


ぼんやりして注意不足に陥っているときこそ、危険から逃れられなくなる。非科学的と言われようが、備えていれば、何らかの対処はできるものだ。

毎日の連絡では、必ず、感謝の言葉を伝えていた。それは、ぼくたちはどんなときも、死と隣り合わせに生きているという強い自覚があったからだ。離れて暮らす限り、何か突発的なことがあっても、お互い対応することができない──その残酷な現実にいることを忘れないためでもあった。


──この会話が最後になっても思い残すことのないように──


コロナ禍になるより前、ふたりで過ごすようになって以来ずっと、その習慣を続けてきた。

彼女が危篤になる前夜、最後となった電話でもそれは変わらなかった。


「出逢うまで50年近くかかったけれど、待ってて本当によかった」


お互いにそう伝えあった。

発言は自由だ。ただし、相手の気持ちを思いやる姿勢は欠いてはならない。こうした「ふたりのすべて」も知らずに平気で「勝手」な言動をとるのは、「若い」というより、きっと「幼い」ゆえなのだろう。

2020年、最初の緊急事態宣言が明けたころ、ふたりで暮らす計画を考えて、互いに提案しあった。


──彼女が東京に来るのか? ぼくが向こうへ移るのか?──


だが、こんな時世に生活の拠点を移す不安が拭えず、実現しなかった。見えない不安に怯えて、ぼくたちは行動できなかったのだ。


──勇気がなかった──


ぼくはこうして後悔を語り、苛立ちを露にすることで、何かのせいにしたいだけなのだろう。思い通りにならず、わめき散らすだなんて……。

結局、最も幼かったのは、ぼくだったのかも知れない。


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【3度目のワクチン接種──母と婚約者 ふたつの死(9)】

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⁡2022年2月9日

昨日はひどく疲れた1日だった。抑えきれない感情をノートに綴りながら、止めどなく泣き続けていた。ノートは、1日1度開けば済むことがほとんどだが、ときには数度、開かれる。昨日はまさにそんな1日になった。明るい方から暗い方へ……高いところから低いところへ……あらゆる感情の迷路を行ったり来たりしながら、出口を求めて彷徨う──その繰り返しである。

泣き疲れてぼんやりしていると、昨今の感染拡大に関する報道が目についた。


──早く3回目のワクチン接種をしたい──


居住区が提供してくれている最短の予約を既に取ってはいたものの、1日でも早い方がいい──そう直観して、大規模接種会場の予約サイトにアクセスした。すると、既に埋まっていたはずの今週の予約にキャンセルが見受けられた。こんな心理状態で接種するのはどうかと迷う気持ちもあったが、ぼくの願いの方が勝った。


──1日も早く社会機能を正常化させたい──


その一端を担うことができるなら、未来の自分の身の不安よりも「今」、確かなことをしたい──その一心で接種を決めた。

老衰で旅立った母と突発的な病いで急逝した婚約者──そのふたつの死はウィルス感染に直接関連するものではないが、この混乱が続く渦中で、いずれも1年8ヶ月もの間、ぼくと会うことが叶わなかったことを思うと、心身にどれだけの負担がかかっていたか? そのストレスが、寿命を縮めた可能性はゼロとは言い切れない。


──間接的コロナ死──


そう呼んでもおかしくないと、ぼくは考えている。

そして、一ト月の間にふたつの死を見つめた今、想う──。


──ぼくのような悲しみを、他の誰かに味わって欲しくない──


今日、この会場で、ぼくと同じ境遇で接種に望んでいる人は、恐らくいないだろう──接種後の待機場所でぼんやりしながら、そんなことを「また」思い浮かべていた。

およそ一ト月前、彼女を荼毘に付した夜、東京に戻ってきたときにも同じことを思った。


──1400万人のなかのひとり──


それは、単なる死別ではなかった。あの夜、あんな最期を見届けて東京の街に佇んでいたのは、きっとぼくだけだった。


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【はじめて号泣した日──母と婚約者 ふたつの死(8)】

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2022年2月2日


午後4時44分──。

いつもの場所に腰掛けて、窓辺から外の景色を見つめている。少し陽がながくなったうようだ。師走の初めに母を送ってからすっかり夕暮れ時に恐れをいだくようになっていたが、ここ数日は、その明るさが、わずかながらもぼくを安心させてくれる。

睦月の中ごろ、突然の病魔に臥して急逝した彼女の葬送に立ち会ってから、半月ほどが経った。まだこの日常に慣れる兆しは一切感じられない。その日も無事に目が覚めて「今日は大丈夫そうだ」と感じられても、突然にして激しい悲しみに支配されてしまうことが未だある。今日はまさにそんな日だった。柔らかい陽射しを感じ「大丈夫」と思った束の間、日暮れを待たずに、突如気持ちが急転した──こんなときのために──と、あらゆる文献や手法、経験談などを参考にしてはいるが、即効性を期待できるはずもなかった。


──これは、ぼくに起きた出来事──


一部始終を共に見つめた彼女のご家族でさえも、それぞれが他者とは共有することのできない痛みや感情を抱えておられるに違いない。無論、ぼくもそのなかのひとりだ。


──ぼくのなかには、ぼくにしか触れられない感情が渦巻いている──


彼女が倒れた翌日の夕刻、救急搬送された病院のICUで窓越しの再会を済ませたあと、それから以降の出来事については、もうあまり思い出せなくなっている。今後の経過について説明を受けてから病院を後にしたような……そんなおぼろげな記憶がある程度だ。とにかくご家族は前夜からの付き添いで疲れておられるから、まずは心身を休めるべく、いったん帰宅する流れになったはずである。

ぼくは、彼女が暮らすご実家ではなく、ご家族が手配くださった場所に身を寄せることになった。そこはかつて、ご家族が暮らしていたお宅跡だという。きちんと手入れされ、いつでも人が住める状態とのことで、ぼくだけのために使わせていただけることになった。


──少しでも気が休まるように──


そうご配慮いただいたお気持ちが感じられた。

ご家族が暮らしていた物件だけに、ひとりで使うには持て余すほどの広さだった。お風呂の沸かし方から家電製品の使い方までひと通り教えていただいたあと、この土地にやってきて以来はじめてのひとりの時間がやってきた。こんな悲劇的な状況下でさえも、ご家族や医療チームと密に関わる時間があったことがどれだけ心の支えになっていたか、ひとりになった瞬間に思い知った。寂しさを紛らせようと、最寄のコンビニエンスストアに出かけ、食事を買い込んだ。食欲はないわけではなかったが、普段のようには食べられそうにない。しかし、案の定、必要以上に買っていた。


──最も手軽で即効性のある孤独を紛らす方法──


そんなことをしても未来は何も変えられないのに……。

お宅には、居間の中央に立派なマッサージチェアがあった。気づけば全身が凝り固まっている。高性能と思しき佇まいをしているそのチェアに、ぼくは迷わず腰をかけた──その後、何回続けて使用したことだろう。1時間以上はそのまま身体を委ねていたはずだ。

その途中、身体がほぐれてきたところで、前日から連絡をとっていた医療従事者である友人に報告を入れた。こうして現場の様子が想像できる友人がいたこともまた、この状況下での救いのひとつだった。アドバイスを求めたわけではない。ただただ誰かに気持ちを伝えたかった。同時に、ひとりの時間を過ごす不安を取り除きたかったのだろう。やりとりは、夜更けまで続いた。

真夜中、遂にひとりの時間が始まった──。どれだけ時間が経ったときだろう。感情が一気に湧き上がった。マッサージチェアから腰を上げ、居間の窓際のゆとりあるスペースを右往左往しながら、ぼくは一気に泣きはじめた。店舗貸しされている建物の2階の角に位置するその部屋は、真夜中にひとり、どんなに泣き散らしても苦情は来そうになかった。

ここへ向かう道中の列車のなかで泣き続けていた状態を言葉に置き換えれば、あれは「嗚咽」だ。周囲に気遣い声を詰まらせてむせび泣く様のことである。あの夜のぼくの泣く様は、これをまさに「号泣」というのだろう。自分でも初めて耳にする奇声のような声を遠慮なしに上げながら、ただひたすらに泣き続ける。いくら悲しくてもそんなにながくは泣けないはずだと頭のどこかで思い浮かべながらも、涙は止む気配がない。ぼくの普段の声からは想像できないほどの甲高い音で叫び続ける──いま、その瞬間を思い出しただけで、また同じ状態に陥った。


──昔、そんなこともあったな──


いつか、自らそう口にできる時を迎えられるように、これからを生きていきたい。

そんなことを思い浮かべながら、温めておいた寝室に移り、昨夜、自宅の床で過ごした様と同じように、深く深く布団のなかに潜り込んだ。


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【窓越しの再会──母と婚約者 ふたつの死(7)】

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2022年2月1日

今日は目覚めたそばから疲れを感じた。昨夜あまり眠れなかったせいだろう。それでも気持ちを整えようと、日課となっている近所の散歩に出掛けることにした。

なるべく人と遭遇しないルートを辿ったはずが、自由勝手な人たちばかりと次々出くわした。そんな情景を目撃すると、心は自動的にやさぐれ始める。


──なんで彼女が先立ってしまったんだ──


人のためを思い感染予防を徹底して、自由を手放し、辛抱していた彼女が……。


「タバコは立ち止まって吸っていただけますか?」
「はぁ〜っ おっさん、偉そうになんだよ!」
「100メートル先までに臭うので不快です」
「だから?」
「素直に耳を貸せない方には、ジョーカーをだしますよ」
「へーあの映画のジョーカーの真似でも見せてくれんのかよ」
「婚約者が死にました。あなたのような勝手な人をみていると、今ぼくは何をしてもかまわまいとさえ思います」


自分の都合で敵意を向けた相手に注意さえも出来ず、路肩を俯き加減で男は過ぎ去る──その背中をカメラは映し出している……。映画なら、ここで現実のカットに戻る場面──そんな妄想が頭を過ぎった。

あてもなく人のいない方へと足を向けていくと、住宅街の路地に迷い込んだ。一切のひと気はなく、野良猫さえも見かけない。冬の寒さに静まり返る街並み──そのなかでただひとり歩いているぼく──これまでなら、そんな時間も心地よかったのだけれど、今はそんなはずもなかった。


──ひとりぼっち──


刹那とはまさにこのときのことを指すのだろう。恐ろしい孤独感に見舞われて、思わず涙した。

兄弟や友人、数えきれない仲間たち──そこから授けられる友愛だけでは補えないものを喪ったのだ。それも立て続けに……。

音に気づいてふと空を見上げると、左右の頭上に飛行機が2機、飛び交っていた。東京オリンピックパラリンピックの需要増を考慮して航路変更になったと記憶しているが、あれだけ右肩上がりだったインバウンド特需も、あるとき一気にカットアウトされるように失われた。


──彼女との死別も同じだった──


泣き腫らしたまま現地へ到着したのは、彼女が倒れた翌日の午後のことだった。ご家族の方に駅まで迎えにきていただいているので、トイレに寄って身支度を整えてから改札へ向かうことにした。2年以上お目にかかっていなかったからすぐにわかるか不安だったが、こんな緊急時に来訪者を待つ人の姿というものは、遠目から見ても明らかだった。

挨拶をして、駐車場へ向かって歩きながら、改めて状況を伺った。ICUにいるため会えるかどうかはわからないと再度伝えられたが、ICUと同じフロアにある家族待合室までは入れると伺って、少し安堵したことを覚えている。


──できる限り近くまで来たよ──


その想いが彼女へ届けられると思ったからだ。


わずか一ト月前、母が息を引き取ったとき、彼女は感染拡大が始まりつつあった東京へ、躊躇わずに「行く」と自ら進んで伝えてくれた。普段の様子を知らない慣れない街へひとりでやってきて、在来線を乗り継ぎ、東京郊外にある介護施設までやってくるのだ。きっと怖かったことだろう。それでも、母とぼくのために来てくれたのだ。


「お母様を見送らないと後悔する」


その強い言葉に、心打たれた。

今度は、ぼくの番である。


──あなたのそばに来ないと後悔する──


この先、ぼくの心が粉々になってしまってもいい。恐れを振り切って、そばに来たよ──きっと伝わっている。そう信じた。

部屋に入りしばらくすると、ICUからお呼びがかかった。面会できるという。厳重に入退室が管理された空間──最初の扉を通り、隔離された前室で手洗いと手指消毒をするのだが、その前に、どこから来たか? 確認が行われた。


──嘘はいけない──


彼女ともそのことを大切にしてきた。だから看護師の方の目をまっすぐ見て、正直に伝えた。


「東京から来ました。ただし、この2週間誰とも会っていません。普段から感染予防は徹底しています。」

穏やかで、かつ確かな口調でこう返答を下さった。


「はい。わかりました。」


婚約者であることを除いても、入室は特例中の特例だった。ご本人の責任において、ぼくを通して下さったのだ。想いは伝わった。有り難かった。

本人は、ICUのなかの、さらに個室に隔離されていた。少しでも身体を動かしたりすると生命の危機に触れる状態ゆえのことだった。ICUの窓越しから、生命維持が施された彼女の姿を見つめた。まるで映画で観たような景色だった。


──心拍数、77──


普段からよく見かけるゾロ目の数字にここでも出くわした。そして、一ト月前、母が荼毘に付された炉の番号も「7」──悲劇のなかにも、わずかな光を見ているような気がした。


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【涙と共に感謝を伝える──母と婚約者 ふたつの死(6)】

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2022年1月31日

今日も目覚めた直後から、心に収めたはずの疑義が沸き立ち始めてしまった。うがいをして白湯を飲むという日課にしている自律神経を整える儀式を済ませてから、いつものようにノートに向かい、感情を吐き出した。自らの思考を整理するためである。

結論は、これまでと変わることはなかった。彼女がまさに先立とうとしているとき、これからの人生を前向きになれるようにと、奇跡の時間を授けてくれたのだ。


──後ろを向く必要はないよ──


そう彼女が伝えてくれようとしている。そのメッセージを、昨日もある出来事から受け取った。


──だからもう、前を向くのだ──


さて、話は危篤の報を受けた翌日、現地へ向かうところへ戻る──。

コロナ禍以前、仕事の都合で何度となく訪れた東京駅に着いた。行き先を確認してホームに立ってなお、今、自分が何のためにどこへ向かおうとしているのかさえよくわからない気がした。ぼんやりと列車を待っていると、目の前に老夫婦の姿が見えた。この時期にどこかへ旅行だろうか? それとも地元に戻られるのだろうか? 肩を寄せ合って列を成し会話をされる姿に愛おしさを覚えると同時に、激しい嫉妬の感情が湧いていることに気がついた。


──ぼくたちにもこうした未来があったはずなのに──


「未来のことは約束できません」


これから先を共にゆかんとする相手に対してこう告げたぼくは、極めて非情だったのかもしれない。しかし、それがぼくにとっての誠意だった。


──明日のことは誰も知らない──


だからこそ、「今」を大切に一歩ずつ共に進んでいきたい──そんな願いを込めた言葉だった。


「ただ、一日でもながく一緒に過ごせるように
努力をします」


きちんとそう伝えて、言動に表してきた。彼女もぼくの思いを察してくれたと感じている。

それから時を重ねていった。永い間待ち侘びていた、愉快で穏やかな、そして何より待ち遠しい時間を、である。しかし一年と経たぬうちにコロナ禍となり、会えないままの時間を過ごすことになった。それでも、ぼくたちは確かなものをお互いに育むことができたのだ。


──努力が実らないこともある──


いや、これは実らなかった努力ではなかった。ぼくたちは成し遂げたんだ。誰もが望む確かなものを育むことを。しかもこれだけ短い時間に、実際に会うことさえままならないままに……。

ホームでひとり、心のなかでいくら言葉を重ねても何も収まるものはなかった。ただただぼんやりしながら、列車内が清掃される様子をみつめ、ホームに立ち尽くすままだった。

すると、先頭に並ぶ女性の足元に切符が落ちていることに気づいた。だいぶ踏みならされて汚れているようだった。


──彼女の切符ではないかもしれない──


この時世に声をかけるのも憚れるし相手は若い女性だ。余計に気を使ううえ、今のぼくは自分のことで精一杯……そんなことを考えている間に、ぼくは既に声をかけていた。


「ありがとうございます」


やはり彼女の切符だった。

つい一ト月前、同じ東京駅でのこと──母の葬儀に駆けつけてくれた彼女を見送るとき、似たような場面に出くわしていたことを思い出したのだ。改札へ向かっていると、困っている方が前方に現れ、ぼくは何の躊躇することもなしに声をかけていた。傍にいた彼女はそっとこう伝えてくれた。


「あなたらしいね」


──今日もちゃんとできたよ──


その瞬間を思い出して、また込み上げてきた。

願掛けでもしたかったのか、今日は彼女がくれた手編みの帽子を被ってきた。外でなくさないように家の中でしか被らなかった大切な帽子だ。わが家の冬場の寒さを案じて、一昨年の誕生日祝いに贈ってくれたものだ。お友達からは「いい歳して重たい」だのと揶揄われたようだが、ぼくはとても嬉しかった。ぼくのために、時間と想いという掛け替えのないものを込めてくれたのだから。


「今年も帽子の季節がやってきました」


たった数日前、帽子を被った様を写真に収めて送ったばかりだというのに……。

深く被ったその帽子とマスクがあるお陰で、その隙間から溢れるものは目立つことはなかった。ただ、そこから先、現地へ到着するまでの時間、ぼくは、ずっと泣いていた。ひとつ席を空けて座っていた女性は何事かと思っていただろうが、ぼくはところ憚らず、泣き続けた。

涙を流しながら、ぼくは誓った。


──どんなに泣いても、有難うと云おう──


彼女のために、そしてぼくの不安を晴らすために泣くことは、詫びることじゃない。彼女に、そしてこの旅で出逢う全ての人に感謝を伝えよう。


──有難うございます──


有ることは難しい──それ故の言葉を。まさに今こそが、贈るに相応しいときだ。


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【悲嘆に向き合う勇気──母と婚約者 ふたつの死(5)】

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2022年1月30日

今日はこの3週間の間で、最も苦しい時間に直面している。目覚めた瞬間から、既に納得して心に収めたはずの疑義がまた吹き出してきた。わが暴走した想像力は収まる気配がない──ノートに気持ちを書き出してはみたものの、感情の落としどころの糸口が見えず途中で投げ出した。無に近づこうと入浴してリラックスに努め、散歩へ出かけてはみたが、足取りは異常に重たい。道ゆく若者に迷惑と思われるほどのろのろ歩きで向かったのは、いつも買いだしに行く近所のスーパーマーケットだった。しかし日曜日の午後らしくなかなかの混みようだったので入店せず、散歩を続けた。街はそれなりに人が行き交っていて人恋しさが満たされるかと期待したが、叶わぬ期待をしてしまうほど、いまのぼくは弱り果てていたらしい。


──見るに堪えない──


生きていると、公共の場で絶えず何かに苛立ちをぶつけている人に稀に出くわすことがある。今日、ぼくが、この日曜日の街なかで他者の振る舞いを観察し続けてしまうと、まさに今ぼくが、そのような振る舞いを他者に対してしまいそうだった。こんな感情が自分のなかにあり、かつ今すぐにも湧き上がっているのを自覚するだなんて……。


──このうえない恐れや怒り、悲しみに囚われているのだろうか?──


かつては迷惑とさえ感じていた他者の振る舞いに対する見方が変わったような気がした。同時に、この状況でも勝手気ままに振る舞っている人たちでさえも、心のどこかで不安や恐れを感じているのかもしれない──その感情と向き合わないようにするために、勝手に振る舞って自由を勝ち取った気分になっているのか?


──イケナイ──


今は自分のことだけを考えたらいい。すぐにも崩れ落ちてしまいそうなわが身のことだけを……。

もう外にいても無駄だ。無駄どころが、不快だ。


──帰ろう──


こうして気持ちを書き始めた日、酷い動悸に襲われた。「ふたつの死」という問題を直視し過ぎてしまったのだろう。同時に、「こんな私的なことを公にしていいのか?」という不安も募っていた。さらに、これを明らかにすることで、公私に渡るぼくの未来の可能性を狭めてしまうことだってありうる……自分で書き始めておきながら、そんな身勝手な恐れもあった。だが、そんな葛藤を超えて、それでもいいと結論した。


──相次いだ死別経験は、ぼくのパーソナリティの一部になった──


あるとき、その気づきを授かったからである。

無論、目撃した事実やぼくの深層から今も絶えず溢れ出す邪悪な感情は語れないないことの方が多い。書けないことは、自宅に置いたノートに自筆で文字を埋めていっている。そして、毎日毎日溢れてくる彼女への感謝の想いは、送られることのないメッセージとして、電話のメモ機能に綴っている──。

昨夜は彼女を荼毘に付してから初めて、前向きな気持ちで就寝できた。付け加えると、初めて一粒の涙も流さずに、丸一日をひとりで過ごせた。しかし、一度それが達成できたからといって安心しないようにしたい。


──前向きになりつつある段階こそ注意を払う必要がある──


母の介護者時代通じて己の闇間を幾度も覗き、そこから抜け出そうとあらゆることを学んできた通り、小さく前進してはまた大きく振り戻される……その繰り返しだからだ──今日の出来事は、その経験と似ている。

特効薬など、ない。他者の似たような経験から学ぼうと参考にはするが、それが自分に有効かはわからない。


──人の痛みは知ることができない──


究極的に言えば、他者の気持ちを理解することなどあり得ないのだ。自分の気持ちさえ、どこまで把握できているかさえ定かではない。だから「わかる」だなんて言葉を、ぼくは簡単には口にしないのである。


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【怒りと抑うつのステージ── 母と婚約者 ふたつの死(4)】

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2022年1月29日

精神医学の側面から死についての考察を深めた故エリザベス・キューブラー=ロスによる「死の受容のプロセス」を参考にすると、ぼくは今、「怒り」、そして「抑うつ」の感情に支配されている段階とみていい。

この「キューブラー=ロスモデル」は、自らの死に直面した場合のケースについての考察だと捉えているが、母の喪失に備えて手に入れていた書籍《永遠の別れ》は、愛するものとの死別についても彼女のコンセプトが適応できることが示されていて、母の没後から再読していたところだった。まさにその矢先に、こんなことがわが身に降りかかるだなんて……。


「もう目覚めなくても構わない」


婚約者の危篤の報を受けたその夜から、そう念じながら床に就いてしまうことが多い。

これまでと変わらず、たくさんの人たちがぼくの身を案じてくださっていることは察している。公私問わず「あなたが必要です」と伝えてくださっている方もいる。今、ぼくは決してひとりぼっちになったわけではない。危篤の報を受けて最初に電話したのは兄夫婦だ。彼らは現地で彼女を見守るぼくに励ましのメッセージを絶えず送ってくれた。頼りになる医療関係の友人は、現場の経験をもとに心理的な動揺を抑えるための的確なアドバイスを届けてくれる。帰京後、その報告を兼ねて顔を合わせれば、気の置けない面々がぼくの気を紛らせようと必死になってくれている。ネットからも数々のエールが届けられられる──その有難さを噛み締めながら未だ破られることのないわが幸運を十二分に感じてはいるものの、それでもなお、こんな思いで寝床に就いてしまう自分がいる。

彼女の急逝から遡ること一ト月前──師走の始めに母を喪ってからというもの、夕方以降の時間が怖くなった。あれだけ気持ちよかった夕陽が、見るのも苦しく感じられるようになってしまった。続いて訪れる夜も同様だ──同じころの時間になると、危篤の報を思い出す。そしてまた、「あの夜」と同じことを切り返す──ネット検索をして原因を探ろうとしては煮詰まって、彼女の葬儀で自ら宣誓した思いに反する感情が頭のなかを埋め尽くしていく。すると自ずと動悸が高鳴り、このまま自然に導かれるのではないかと想像を巡らせてしまう……。

それと同時に想いが巡るのは母のことだ。母の死に際し、彼女の死と同様なほど囚われた想いが募っただろうか? 9年という介護者生活の間に構えてきた心の準備と88年という母の人生が、その囚われから遠のかせてくれたのだろうか? 死という同じ事象を目の前にしているのに、この明らかな差はなんだ? ぼくの気持ちの掛け方の違いが彼女を早世に導いてしまったのかもしれない。


──母の葬送に何か不手際があったのか?──


何の因果もあるはずもない。そんな無為な思考が次々と交錯しては結局疲れ果て、明け方に眠りに落ち、午後に目覚める……その繰り返しだ。


──これは、グリーフワークの一環──


そう信じている。

彼女を荼毘に付してからおよそ2週間が経った。離れて暮らした2年半──生活のなかに彼女がいないことは今も変わらないままではあるが、心情はまるっきり変わってしまった。食料を買いに出掛ければ、共に過ごした時間が自然と思い出された。そして「どうしてこんなことになったんだ?」と、また自問が繰り返される。

誰よりも他者のことを気にかけて、自分が感染してしまうこと以上に周りに移してしまわないようにと、自由を手放し感染予防対策を徹底していた彼女が、このコロナ禍に逝ってしまうだなんて……あまりに不公平じゃないか?──実際の結末でしか正確な評価はできないのに、今も荒れ狂う変異株に対して未だ楽観論を盾に自由を謳歌している人たちと、これだけ辛抱を極めてきたぼくたち……望む未来がやってくると信じて「今は会わない」という選択をしたのは言うまでもなくぼくたちだが、そのストレスと不安がどんなものだったか? 他者が仮にその記録をみたところで、その真実には触れることはできない。


──不毛だ──


今さらそんなことをいくら並べても何も生み出さないことくらいはわかっている。誰のせいでもない。自ら下した決断だったのだから──。この望まぬ結果を正確に見つめれば、いつ何時も死と隣り合わせに生きているという条件の下で、人類はやはり平等なのだ。だからぼくたちも勝手放題すればよかったのか? いや、それは違う。ぼくたちの選択は、一刻も早く安寧の世界を取り戻すための祈りだった。叶えられると信じてはいたけれど、それが祈りの本質──現実となる保証はどこにもなかった。


──それでも、その祈りは確かだった──


だからこれでいい……これでいいんだ。


そんな廻る輪の中から未だ抜け出せそうにない。


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