主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【囚われた夜──母と婚約者 ふたつの死(3)】

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2022年1月28日

東京に大雪が降った日の夜、ぼくは自宅のベランダの手すりに雪が降り積もったこの写真を彼女に送ろうとしていた。素早くリアクションがあれば、いつもよりだいぶ早い時間から電話をしたいと考えていたからだ。

しかし事実を後から追えば、既に彼女はそのとき、離れた土地の大病院のICUのなかで救命措置が施されている真っ最中だったのだ。そして、ちょうどその送信時刻と同じタイミングで、ご家族から第一報を知らせようとする着信があったのだった。彼女を見守った1週間、時のいたずらにしてはよく出来すぎたエピソードが続いたが、思えば始まりはこの瞬間からだったのかもしれない。


危篤の報を受けたその夜は、結局、眠れずに朝を迎えた──。


これはきっと何かの冗談か夢に違いない。だからぐっすり眠って朝を迎えたら元通りになる──そう期して眠ろうとしたが、案の定、眠れるはずもなかった。やれることはただひとつ──。


──ネット検索──


彼女が見舞われた症状について何をどう調べたからといって、現実が変わるはずもない。ただぼくの気持ちを鎮める手掛かりが欲しかったのだ。

何度も検索を繰り返しては疲れ果て、また眠ろうとするも寝付けない……その繰り返しだった。そんななか、寝返りを繰り返し荒れていく寝床のなかで想像を巡らせた。


──ご家族は病院で一睡もせず見守っておられる──


その図を思い浮かべると、いつもの寝床で横になっているだけでも恵まれていると自然に思えた。

そんなとき、彼女と何度もみた映画《アバウト・タイム》のワンシーンを思い出した。主人公の男性は、押し入れなどの暗がりで目を瞑り、両手に拳を握り、戻りたい時を強く願うと、過去にタイムスリップできるのだ。


──やってみよう──


馬鹿げたことだとわかっていた。でも、やらずにはいられなかった。いや、信じることで万事は真実になる──だから、真剣にやるんだ。彼女の着替えなどをしまっていた母のウォークインクローゼットの中に入り、ドアを閉め、暗闇のなかで念じた。


──彼女が初めてこの家に来てくれた日に戻れ──


ドアを開けたら、彼女がすやすやと眠っている。ぼくはその様子を確認して、真夜中に仕事部屋へ移る──。


──あの安心の時間から再び始めよう──


2人の始まりのときからもう一度……。


叶うはずもなかった。

ひとりクローゼットのなかで目を開き、小窓に掛かったカーテンの隙間から外を見ると、あたりにはまだ雪が残っていた。その様子を確認した途端、現実を感じて寒さで身が震え、再び床へ潜り込んだ。


──きっと面会には行けない──


感染状況による足止めはもちろんだが、それ以上に、ぼくの心理的負担の方が大きかった。


──このまま会わずに終えたい──


さもないと、ぼくは崩壊してしまう──彼女の亡骸と対面したら、その図が記憶に焼き付いてしまって、その衝撃で廃人同然になる……そんな不安に囚われそうになっていた。


──ダメだ。しっかり最期まで見届けないと──


一方で、その想いも残っていた。


──後悔しないようにしなくちゃ──


震える気持ちに向き合いながら、どうにか前を向うと必死にもがくも、やはり恐れが勝り、布団に潜り込む……しかしここで逃げてはダメだ──そんな心の揺らぎを感じながら、一体どれだけの期間を過ごしたろうか?

時計を見ると、午前7時を過ぎていた。


──もうじき連絡がくる──


そんな直観があった。


7:39──最新の状況が入った。


「容体が安定している」


残された時間は変わることはないそうだが、その報を聞いて、心が動いた。


──彼女がぼくを呼んでいる──


9:14──面会できないと知っても病院に駆けつけた親戚がいるとの連絡があった。それを受けて、ぼくの決意は固まった。


「面会できずとも、彼女と限りなく近いところで時を過ごします」


そう伝えて、支度を始めた。自宅を出たのは、午前10時30分過ぎ。凍結した残雪を踏みしめながら最寄駅まで歩く──しかし、目の前の景色がいつもと変わって見えた。残雪のハレーションか、色は少しあせて、景色は歪んだり揺らいだりして見える気がした。


──世界が違って見える──


これがその感覚というものなのか……。いま思い出すだけでも、また動悸が始まっている。

東京駅までの道中、何を感じ。どうやって辿り着いたのか? いまはもうすっかり思い出せない。


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【繋がれた命──母と婚約者 ふたつの死(2)】

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2022年1月22日

MRI/MRA検査を受けた。この検査受診は、彼女の葬儀に立ち会ったご家族との約束でもある。

今日も午前中に目覚めるも、昨夜からの軽い動悸の影響か、身体が重たい。


──今回の出来事を可能な範囲で書き留めておきたい──


昨夜そう思って記憶を回想しているうちに苦しくなってしまった。その影響だろう。目覚めてもしばらくは布団のなかでぐずぐずしていた。出かけるにはまだ早く、起きて何かができるほどの状態でもなく、もう少し眠ろうと携帯電話の目覚ましを設定しなおした。

正午が近づくまでうとうととしつつもいったん起き上がり、台所にある風呂の追い焚きボタンを押して、再び床に戻った。このところ、心身を起動させるための習慣となっているのが、朝風呂に浸かることだ。彼女の終の瞬間を見守るために現地へ駆けつけたときから、この習慣が始まっている。

あの極端な緊張と不安から少しでも遠のきたいと必死だった。あのときとはだいぶ異なるけれど、心身の強張りは今も続いている。


──ハグ──


入浴には、それと似た効果があるような気がする。水圧で程よく圧迫される安心感と胎内回帰するかのような安堵感、そして重力から解き放たれる開放感・・・裸になり素肌で外界=自然と触れ合うこともいい。

母の介護者としての時代から、冬場の脱衣所にはヒーターを完備している。浴室へもサンダルばきで入る。寒暖差によるヒートショックを起こさないための対策だ。しっかり温まり浴槽から出たところで全身の水滴を拭う──こうすることで、裸のまま部屋に戻ってもしばらくは寒さを感じずに済む。脱衣所で肌着をまとってから手早く髪を乾かし、そのまま身支度を整えた。

予定通り家を出るも、身体が異様に重たい。脚が前へ進まない感覚がある──まさに呆然とした足取りのまま、最寄りのターミナル駅にある検査施設へ向かった。

ホテルの閑散とした地下にある検査施設は、感染爆発中の東京のなかでは安心して受診できる場所のひとつである。受付を済ませ、指示されるがままに淡々と問診票を記入し、事前問診を待つ。問診票に「気になる点があれば」と記入する欄があったので、この衝撃的悲劇について記すことにした。口頭でも一連の出来事を説明をしたが、医師は程よく感情的距離を保って下さった。今の心境では、寄り添い過ぎたりアドバイスをいただくよりこの方がいい。

次いで、促されるままロッカールームへ移り、静かに着替えを進めた。検査室前の中待合は、受付前の空間よりさらに密を避ける座席間隔調節が施されている。こうして限られたひと気を作り出しているおかげで、そこは心地よい静けさに満たされていた。


──今の気分にちょうどいい──


名前を呼ばれ、検査室へ。この時世、マスクに組み込まれたワイヤーも磁力に影響を及ぼすとのことで、マスクを外して横たわるよう指示を受けた。そこから口を開かずに身振り手振りで技師の声かけに応答した。

轟音鳴り響く装置に身を委ねる──最先端のテクノミュージックを連想させる耳をつんざくノイズがビートを刻んでゆく──するとしばらくして、思いもよらぬことが起こった。

突発的な脳の病いで急逝したパートナーのことが思い出されたのだ。あのとき、共に暮らす選択をしていたら、前兆と思しき兆候を見落とさずにすんだかもしれない・・・そんな事ばかりが頭をよぎり、自ずと涙が溢れ出てきた。けれど身体は微動だにできない。嗚咽しそうになる感情をどうにか堪えた。


──落涙は検査結果に影響しないのだろうか?──


そんなことまで思い浮かべていた。

結果は数日経ってからになるが、実に7年ぶりになる検査に足を運ぶことができたのも、彼女のお陰である。もしものことがあっても、これで対応できることだろう。

帰り道、最寄りの地下鉄の駅から地上に出ると、いつもの夕陽が拝める時刻になっていた。


──この毎日が、ずっと遠く遠くまで続く──


そう信じて疑わなかったのだけれど……。


──明日のことは誰も知らない──


そう互いに語り続けた通りになってしまった。ながく過ごせば、いつかそのときを迎えるのだが、その時はあまりにも早すぎて、ひどく残酷なタイミングでやってきてしまった。

いつか誰かから聞いた言葉を引用するならば、それはぼくの罪深さによるものなのかも知れない。そしてぼくが最も罪深いのは、その罪深さをはっきり自覚できていないことだ。

いや、この出来事に、一切の因果はない。ぼくたちはあまりに共鳴し過ぎて、身を分つのも惜しくなった──そうに違いない。


──ようやく一心同体となった──


そう思えるようになるときが、いつかやってくる──そう信じることが、早世した彼女への感謝と供養になるのだ。


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【大雪の霹靂──母と婚約者 ふたつの死(1)】

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2022年1月21日

何年ぶりだろう? この言葉を使うのは……。


──死──


少なくとも、母の介護者として見守り続けた9年間は、口語にも文語にも「死」という言葉を使わないように意識してきた。それは「死」に意識を向けたくなかったからではない。それとは逆に、「死」がすぐそばにあることを強く自覚するためだった。それは、「逃れることのできない親との死別に備えるための訓練」だったのかもしれない。同時に、その言葉を使わないことで、母の終(「終」という言葉で置き換えて表現してきた)が少しでも遠のくのではないか? そんな祈りのような気持ちも心のどこかにあった。

ここにこうして母との日常について書き綴りながら、いつしか考えるようになった。


──母を無事に送ったとき、この言葉を使うことにする──


それがまさか、母を見送ったわずか一ト月後に、最愛の女性との死別のためにも使うことになろうとは……いくらぼくが想像力が豊かであったとしても、そんな「今」がこんなにも駆け足で訪れるとは予想だにしていなかった。

2021年12月初旬、老衰により母を喪ったとき、誰よりも先に駆けつけてくれたのは彼女だった。離れて暮らしていたにもかかわらず、降り立った東京駅から慣れない都内の電車を駆使して、都心部から少し離れた介護施設までひとりで移動してくれた。

そのときぼくはひとり、母が晩年の3年半を過ごした施設の居室で別れの時間を過ごしていた。本人の意思により葬儀は行わないことになっていたため別れの時間も限られていたが、9年に及ぶ濃密な時間があったことを思えば、わずか1時間の場でもぼくには十分過ぎるほどの時間だった。

その後、葬儀社との打合せを経て再び母の居室に戻った夕暮れ前、彼女が到着した。お互い、感染予防に細心の注意を払っていたから、慣れない東京を移動するのはとても怖かったはずだ。それでも、ぼくをひとりにしないために、恐れを振り払って駆けつけてくれた。


──嬉しかった──


駆けつけてくれたからではない。


──今、そばにいてくれること──


言葉は何もいらなかった。こんなとき、言葉は何も意味をなさないと、互いに察し合っていたのだ。


──そばにいることしかできない──


それで満たされる──それを分かち合える相手だった。

母の遺体を葬儀社に引き渡すときには、ぼくの傍らにそっと寄り添い、送られる母を、そして見送るぼくを静かに見守ってくれていた。

そんな彼女が……。

東京に大雪が降った日の午後、倒れた。

ぼくはそのころ、コロナ禍以前に彼女と過ごしたぼくの自宅の窓辺から雪景色の写真を撮っていた。


「東京は大雪です」


そんなコメントを添えて彼女にメッセージを送っていた。その日は仕事が休みで身体を整えに行くと言っていたから、今日はいつもより早い時間に電話して声が聞けるんじゃないか? そんな期待を込めて、さらに雪が降る降り積もった様子をとらえた写真を送った。一通目も二通目も、返事はないままだった。


19時04分──雑事を済ませて電話を手に取ると、知らない携帯電話からの着信履歴が残されていた。無視して再度雑事に戻る。

19時07分──同じ番号から2度目の着信。不審に思ってネット検索するも、迷惑電話のリストに情報はない。伝言も残されなかったようなので気にせずにいると、その2分後、メッセージが入った。


──危篤──


目を疑った。折り返し電話をして、ご家族の方からことの詳細を伺う。


──もって今夜か明日──


あのとき、何を伝えられたのか? 言葉の意味はわかるが、何が起きているのか? よく理解できていなかった気がする。


──東京は雪──


移動できないこともなかったろうが、咄嗟に、今は行けない──そう感じた。いや、あのときぼくを立ち止まらせた感情はきっとこうだ。


──母の死を伝えられたときと同じ恐れ──


時期はちょうど、新型コロナウィルスの感染拡大第6波の始まりのころで、現地でも病院は面会中止になっているという。事情を説明して交渉して下さったようだが、感染者が急増しかけていた東京からの来訪は受け付けられないと病院側から伝えられた、と……。当然である。ぼくが逆の立場なら、同じ判断をする。危篤の彼女もこういうだろう。


「こんな時に来てはだめ」


ぼくたちは、この波をどうにか乗り越えようとしていた。その出口が近づいている感触をお互いに得ていた近ごろだったというのに……。


「天に召されたらご報告します」


ご家族が贈って下さった心痛のメッセージの残像が、今でも記憶にたしかに刻まれている。


──まずは眠ろう──


そう期して、ぼくは床に伏せた。気づくと、恐れから身を守るように、大きな身体を丸めて、布団のなかに蹲っていた。


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【或る区切りとして──叔父と叔母の墓前にて2021】

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2021年11月10日

悲しい出来事があった。

感情を容易く言葉に置き換えられるなら、きっとすぐに楽になれるのだろう。これまでも無数の感情にラベリングを施してきた。


──こんなときに混乱しないように──


これは「痛い」
これは「苦しい」
これは「辛い」
これは「悲しい」
これは「・・・」


しかしこうした分類に当てはまらない感情もある。仮に当てはまったとしても、その下層のサブカテゴリーに細部化されていく・・・そうして結局、どこまでいっても、この想いは収まるところを知らず、彷徨ったままになる──今の感情はまさにその類いに他ならない。

そんなことを思いながら、日が出る方角へ向かって車を走らせていた。


──叔父と叔母の墓前へ──


ここへ来るたび思い出されることがある。


──区切りをつける──


何かを変えたかったり、足りなくなったものを埋めたくなったり、止めどない想いに終止符を打つために、ぼくはここを求めている。実の親以上にぼくのことを気にかけてくれたお二人に、ぼくは今もすがっているのだ。

社務所で花束と線香を揃え、桶に水を満たして墓前へ向かう──霊園内には絶えず水が流された小さな水路が設けられていて、水流の音色が心地よく耳元をかすめていく。こだまするこの微かな水の音色が、ぼくの心象に広がる静けさを、より色濃いものにしてくれている。


──白妙菊?──


叔父と叔母の墓石を両側から支えるように、大きく育った葉がそびえていた。その様はまるで、立派に成人した子供たちが老いた両親を抱き抱えるようで、或る不安で心を硬らせたままのぼくの緊張を少しだけ和らげてくれた。


──叔父と叔母を知る全ての親族は今も健在──


その幸運をお二人に報告した。たとえ意思の疎通はとれないとしても、我が母も未だそこに含まれているのだ。こんな危機の真っ只中にいるというのに・・・。


──生きていることこそに意味がある──


その悲しみを超えるための誓いのような想いを込めて、墓前に手を合わせた。と同時に、意識は隣の墓石に向いていた。

ここへ「今」来たかった理由は他にもある。叔父と叔母の墓の隣りにある墓石に気づいたのは、何年前だったろう?


──9ヶ月だけのこの世──


「今日」は、誰に等しく約束されたものではない──その事実を知らせるメッセージのように、あるときこの墓石に目が止まった。

刻まれた生前のお名前を見ると、ご両親がお子さんに託された願いが十二分に伝わってくる。誕生は、ぼくより少しあとのお生まれだったようだ。


が・・・。


まさか・・・こんな偶然を望んでいたはずもない。

これは残酷な現実の表象か? それとも救済のメッセージか?


──果たして、命は自分のものなのだろうか?──


これまでの歩みのなかで、何度か深く考えさせられた問いが、再び意識の最上層へ浮上した。

この命は、親からの授かりもの。それはいわば「預かっている」ものではないのか? ならば・・・。そう、こんな話をする時間は、過ぎるほど十分にあったはずだった。


──後戻りのできない選択は、しない──


進んだ先に、望んだ「今」があるとは限らない。だから、道を間違ったら後戻りしてやり直せばいい。だからこそ、生きている必要がある。何度でも何度でもやり直すために。

もしも、進んだ道の先で、真に望んだ「今」に巡り会えたというなら、今すぐぼくに教えておくれ。

しかし、君がこうして無言を貫くのは、なぜだ? その望んだ「今」を独り占めしたいわけじゃないだろう。それとも、この浮世の苦しみを、絶えずぼくの傍らで共に味わってくれているとでもいうのか?


──「今」こそ奇跡──


「今」という瞬間は、この地上の誰もが未だ味わったことのなかった〈初めて〉の「今」なのだから。

ぼくがずっと君の傍らで語ってきた無駄話は、全部〈真実〉だったということを、まさに「今」、感じてもらえていたらと願う。そうさ、「今」のぼくには、もはや、そう願うことしかできないんだ。


──これが区切り──


己を何かに囚われてしまわないうちに、ぼくは後戻りしてやり直すよ。そのための忠告として、君のメッセージを受け止めることにする。


──有難う──


先人は偉大だ。「有る」ことは「難しい」と知っていて、こう綴ったのだから。ぼくたちが「今」ここに「有る」ことも、易しいことなんかじゃない──それを昔から「有難い」という言葉に託していたんだよ──。

そう伝えられなかった無念さが、日を追うごとに降り積もっていく。


──でもいつか、この感情を手放せる日が訪れる──


言葉はある種の呪い(まじない)である。故にぼくは、この言葉を呪いとして自らへ託する──真に望む自由に抱かれる日を迎えられるように。


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【介護者生活丸9年──10年目の介護記念日】

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2021年10月15日

9年前のあの昼間の出来事を懐かしむことができる日は、まだ来ないらしい。それまで聴いたことのないような大きな物音が鳴り響いた「あの瞬間」のことをだ。

そのときぼくは、眠っていた。それでも、音に携わる仕事をしてきただけに、その物音の発生源が「モノ」ではなく、間違いなく「ヒト」であると、まるでその瞬間を目撃していたかのように悟った。

母が自宅で転落事故を起こしてから、今日でちょうど9年が経った。あれから一段ずつ階段を下るようにして、母の老いは進んでいった。

この11月で、母が特別養護老人ホームに入居してから、丸3年になる。この間、パンデミックの影響で半分以上の時間、互いに顔を合わせることができなかった。


──母が老いていく姿をすべて見届けたい──


ぼくの願いは思わぬ障害で叶えられなくなったが、もし、すべてのシーンを目撃していたとしたら、ぼくは自己崩壊してしまっていたかもしれない。


──ぼくを守るためために必要だった──


9月末に、1年8ヶ月ぶりに母と再会を果たしたあと、ふとそんなことを思った。

パンデミックの最中に果たし得なかったことが、もうひとつあった。


──父の墓前に参ること──


この10月1日、東京では緊急事態宣言が解除された。感染拡大がおさまりつつあるこのときこそ、記念日に墓参りするチャンスだった。

花に関心がなかった父ゆえ、花を供える必要はない──母から伝えられている通り、今年も同じようにした。

墓へ向かう道中、父の愛飲した品にどれを選ぼうかと迷っていた。タバコはいつも通りのハイライトでいい。父が当時、毎日のように味わっていたというビールは、アサヒ・ラガー。今では手に入らない品ゆえ、同じメーカーでスーパードライにするか、ぼくが好きなクラフトビールにすることがこれまでんの慣例だった。

午後の遅めの時間、少しでも利用者の少ない列車に乗ろうと各駅停車を選んだ。乗降客の出入りがある出口付近は避け、かつ窓がすでに開けられ換気が万全と思われる座席に身を沈めた。そして今日もかつてと同じように、銘柄を考えていたそのときである。まさかの出来事が起こった。


──親族以外の人物のことが心に浮かんだ──


まさか君のことを思い出すだなんて・・・あれから日を追うごとに、その出来事が現実味を帯び始めているのだと、改めて思い知らされた瞬間だった。

父と同様、ビールを愛した君だから、今日は、君好みの銘柄を贈るよ。


──よなよなエール──


今では缶入りのクラフトビールの定番とも言えるほどの人気の品だ。

墓の最寄駅には、子供のころ、母に連れられてよく通った老舗スーパーマーケットがある。そんな懐かしい場所で、今はひとり、2年ぶりにビールを買った。

墓がある地域は、都心部にしては珍しい寺町で、大通りに囲まれた一角だというのに、寺街独特の満たされているようでどこか物哀しさを覚える静けさが漂っている。

普通に暮らしているだけで渦に飲み込まれて取り乱されてしまうような日常から束の間でも遠のき、再び心をチューニングし直すためには、こうしたひと気のない場所で、そっと静けさのなかに潜む時間がぼくには欠かせない。

寺の本堂脇にある井戸水をくんで墓前に立つころ、すっかり買い忘れた品があることを思い出した。


──線香──


墓参りには、線香専用の風防付きのライターを持参している。しかも今日は念のために、より火力のあるジッポーライターまで用意してきたにも関わらず、いずれも役立てられない。

しかし瞬時に頭を切り替えた。


──今日は父に、焔を灯そう──


タバコも愛した父は、きっといいライターを持ち歩いていたに違いない。今日は父の咥えタバコに火を点すようなつもりで、焔を供えることにした。

墓前を整えて、静かに手を合わせる──父と君が同じあの世に棲むことができているかはわからない。けれどもし、あの世で巡り会うことができたとしたら、世代を超えて愛したビールで盃を酌み交わせますように──そう願った。

次いで、家族に対する礼を──。ゆっくりと老いて行きながらも、今も現世での使命を果たさんと、無常の毎日を生きる母を見守って下さるお礼、そして、還暦を越えてなお社会の役に立つ勤めを果たしている兄夫婦の無事と、今にも崩れ落ちそうになりながらもぼくが健在であることを報告して、墓を後にした。

夕暮れ時の空を見上げると、真昼の月の名残が見えた。出掛けに家の近所で見上げた空に浮かんでいたあの月だ。

思えばこれまでも、苦しいとき、よく真昼の月を見上げていた気がする。


──母の終を見届けること──


それもまた、ぼくが母のもとに生を授かった使命のひとつであるはずだから。父と入れ替わるようにぼくが誕生したことが、その証なのだろう。


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【目と耳の検診から知る心身チューニング法(2)】

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2021年10月13日

続いて耳鼻科へ。待合で順番を待っている最中に、既に体力の限界に達しようとしていた。しかも、検査のための点眼薬で開放されたままの瞳孔には、病院内の白くて明るい照明がとても堪えた。瞼を閉じても強く光を感じるため、まずは俯く──それでも効果なく、今度は両手で目元を塞いだ。厚みのある手のひらの土手の部分を当てると、体温によるほのかな暖かさを覚えた。


──嗚呼、なんて暖かいんだ──


そのとき不意に、ある記憶が呼び覚まされた。あれは、ぼくが在宅介護者としての敗北を感じた日の朝のことだった。


「大きくて暖かい手や」


車に案内しようと母の手を引くと、母は少しはにかんだ様子でこう応えた。


「あなたが産んで大きく育てた手だよ」


ぼくは確か、こんな風に返した気がする。

その日は、ひとりきりで母と向き合う日常に限界を感じて、ショートステイサービスへ母を預けることにした最初の日だった。


──自宅で過ごしたい──


母がここで過ごす時間を1日でも長く保ちたかった。叶うことなら、この家で終を迎えてもらいたい──その願いがもう実現できないことを証明するような、とても象徴的な朝だった。そしてそんな日に、母はなんとも忘れ難い言葉を、手を強く握り返すというやはり忘れ難い感触を伴って、ぼくに授けたのだ。

母がゆっくり老い始めたとき、ふと思ったことがある。


──母の手の感触はどんなだったろう?──


握手やハグの習慣がない日本人にとっては、親の肌の温もりなど「忘れたまま」に日常を過ごしていくが当たり前だが、ぼくはどういうわけか、記憶にあるはずのその感触を呼び覚まさぬままでいいのか?──そんな疑問を抱いていた。

その欲求を必要以上に満たすように、その後は、母の入浴介助はもちろん、下の世話、そして緊急時に2階の寝室から母を担ぎ下ろすため、大人用の抱っこ紐を購入して、母をおんぶする日まで迎えることができた。


──これで、おあいこ──


幼きぼくに母がしてくれたことをすべて母に返した──そう思える瞬間だった。

あれは、母が特別養護老人ホームに入居するまえのことだから、既に3〜4年ほど時間が経ったことになる。時が経つのが早く感じるのは、きっと、自分の置かれた状況になかなか変化が起こせないからに違いない。それをなんとかしようと抗った結果の断片が、このドライアイと耳の不調として現れたのだろう。

それだけではなかった。この4年間、どれだけの危機が身体に起きたか? 2017年には、初夏〜秋口にかけて、全治4ヶ月を要した股関節痛に見舞われた。翌2018年の夏には、ほとんど眠らない状態で1週間の出張を乗り切り、帰京後、胸に痛みを覚えて救急搬送を自ら依頼したこともあった。2019年は重い荷物を背負い出掛ける出張が続いた年となり、秋には限界を来たし、背中に激痛がはしるようになった(現在も治療中)。同年末には、出張先で呼吸困難を発症。ことなきを得て帰京するも、その後息苦しさが取れぬままほぼ1年を過ごすことになった。

かつてこんな言葉を聞いたことがある。


──名馬は倒れない──


倒れてしまう程度だから、ぼくは名馬ではなかった。無論、名馬であることが唯一の価値観ではない。そして負け惜しみを付け加えれば・・・ぼくはそもそも、馬ではない。


──だからこれでいい──


自分が理想とするものをかたちにしたい──そうして限界に挑み、願いを音に変えて、その境界を見た──そのことを評価したい。これは、誰からも侵されることのない、自愛の心とも言える。

院内の明るい照明に耐えかねながら、こんなことまで思い返していた。

さて、いよいよ診察である。もう気力の限界に迫っていたので、キャンセルして帰ろうかと思った矢先、ようやく声がかかった。簡単に問診を受け、症状を伝えると、原因として考えられるのは・・・


──脳への過剰な刺激と血流の停滞──


目と耳から絶え間なく入り込む情報──それに脳が暴走しているのだろう。

そして、ビタミン不足も理由になりうると告げられた。


──思い当たる節がある──


気忙しさに追われて、栄養のバランスさえ考える余裕がなかったのである。

本日の聴力検査は、1時間待ちだという。さらに、診察時間の関係で今日は結果評価ができないと告げらたが、それでも了承して、待ち合いへ戻った。

長い待ち時間のあと、検査のためのブースに入った。検査中もいくつか異変を感じたが、後日受けた結果報告では、問題ないと告げられ、まずは安堵した。

それにしても、ここでも「血流」が指摘された。やはり健康は整った自律神経があってこそということに違いない。

帰り道、自然の力に頼ろうと、病院そばの森を伝って家路に就いた。秋晴れの蒼い空が今日は特に広く感じられた。


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【目と耳の検診から知る心身チューニング法(1)】

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2021年10月13日

1番──。

こんな位はもう久しく味わっていない。そんな有難いはずの位が、まさか病院の受付番号だったなんて皮肉だ。

パンデミックの最中、最も酷使したであろう目とみみに違和感を感じ始めていたのはいつからだろう。身体に備えられた機能に疎かにできるものは何ひとつないため、不備を感じたときには即、検査にいくのだけれど、信頼の置ける眼科医がいる病院では、このコロナ禍、一時、外来の受付が停止されていた事情もあり、伺う機会を逃していた。

しかし、9月ごろには、視界に浮かぶゴミが終始見えるようになり、市販薬では改善されず、かつ耳には時おり、突発的かつ断続的に、耳を刺すような耳鳴りが繰り返されるようになり、加えて、外耳に痛みを感じ始める状態になった。


──過集中──


近年、技術と経験と環境が整ったおかげで、何事も徹底的に作業を追い込めるようになってきた。端的に言えば、一音一音の磨き度合いを際限なく行ってしまうということである。ようやく理想としていた音作りが叶い始め、それに伴いより高い品質が提供できると感じたら最後、もう、入り込んだZONEからは出られなくなる──そんな傾向を自ら客観視しては危険を覚えてはいたものの、「理想」という名の誘惑に完全に溺れてしまっていたのだ。

10月──感染者数が減ってきたこのタイミングで受診しなければ、冬場になるとまたチャンスを逃してしまう──そう感じて、長い待ち時間を要する眼科受診と合わせて、耳鼻科の予約を入れた。

母の付き添いの頃から通い慣れたこの病院も、長らく続けられていた改築と増築が完了し、当時の面影は薄れている。受付の事務スタッフには男性職員の方も増え、支払いシステムは現代的に機械式へと移行していた。院内を歩くと、親御さんの付き添いと思われるご家族の方の様子が何組か目に入ってきた。陽気に日常のことをお喋りする方、会話ができない親御さんの傍でただひたすらに沈黙している方、意思の疎通はとれないまでも、子供のように駄々を捏ねる親御さんの対応に疲れ果てたのか、視線の先が定まらぬままに無表情で遠くを見つめる方・・・。


──ぼくは、このすべてを経験した──


病院内でそのことを思い返して苦しくなることはなかった。しかし瞬時に、自分の今後の人生の進路決定において非常に重要になると考えていた40代のほとんどを、母の介護に費やさざるを得なかったことについて、否応なしに振り返らざるを得ない心境に陥った。

一方で、いずれ迎える親の介護を、40代という比較的体力のある時期にできたことは、むしろ幸運だったとも思えた。ほとんどの場合、50代後半から60代にかけてそれが現実となると考えると、より過酷な日常に直面することが予想できる。

同時に幸いだったのは、そんな時期でさえ、恵まれた仕事の機会を得られたことにある。


──たとえこの先が途絶えてしまっても構わない──


そう思えるほどの、まさに「作品」と呼ぶに相応しい仕事に関われたのである。ぼくにとっての「作品」とは、至高の表現のことだ。つまり、この世にこれ以上、純真な想いを込めた仕事は、ない、ということである。それに関われたことほど幸運なことは、ぼくにとっては存在し得ない。だからこそ、きっと遠い未来に振り返ったとき、40代は公私共々、「満たされていた時代」として記憶の底から呼び覚まされることだろう。

午前9時前──眼科の予備検診から1日が始まった。視力検査を終えたのち、久方ぶりの受診ということもあり、まず先に医師による問診が行われ、その後、恒例の「瞳孔を開く目薬」が点眼された。15分ほどで瞳が開き切った状態になる。これで眼球の隅々まで検査ができるというわけだ。

明るい光りを眼に当てられた状態で検査は進む。過去にも何度か同じ検査を受けたけれど、今日ばかりは、わずかに痛みを感じるほど、目が強く染みる思いがした。差し込む光に反応して、医師の指で見開かれた瞼を瞬時に閉じたくなる──それほどの刺激だった。

ゴミが浮かんで見える問題に合わせて、疲れるとものが二重に見える症状もあると訴えたところ、左右の眼球の位置にズレがある可能性を指摘され、追って検査を行うことになった。ついでに、コロナ禍に受けるのを控えていた緑内障検査もお願いすることにして、眼科の検診を終えた。

今日わかったことは、極度のドライアイだということ。原因として、眼を酷使している環境は言うまでもないが、それによって酸素不足に陥るのだという。そう伺って、つまりは、血流不足であると自分では解釈した。


──自律神経失調──


結局のところ、大元の原因はそこにあると認めざるを得ない。

処方薬には、3種の点眼薬が用意された。これらを1日合計13回打つ──不覚にも、このおかげでZONEに入り浸ることから自ずと解放されることとなった。


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