主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【大雪の霹靂──母と婚約者 ふたつの死(1)】

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2022年1月21日

何年ぶりだろう? この言葉を使うのは……。


──死──


少なくとも、母の介護者として見守り続けた9年間は、口語にも文語にも「死」という言葉を使わないように意識してきた。それは「死」に意識を向けたくなかったからではない。それとは逆に、「死」がすぐそばにあることを強く自覚するためだった。それは、「逃れることのできない親との死別に備えるための訓練」だったのかもしれない。同時に、その言葉を使わないことで、母の終(「終」という言葉で置き換えて表現してきた)が少しでも遠のくのではないか? そんな祈りのような気持ちも心のどこかにあった。

ここにこうして母との日常について書き綴りながら、いつしか考えるようになった。


──母を無事に送ったとき、この言葉を使うことにする──


それがまさか、母を見送ったわずか一ト月後に、最愛の女性との死別のためにも使うことになろうとは……いくらぼくが想像力が豊かであったとしても、そんな「今」がこんなにも駆け足で訪れるとは予想だにしていなかった。

2021年12月初旬、老衰により母を喪ったとき、誰よりも先に駆けつけてくれたのは彼女だった。離れて暮らしていたにもかかわらず、降り立った東京駅から慣れない都内の電車を駆使して、都心部から少し離れた介護施設までひとりで移動してくれた。

そのときぼくはひとり、母が晩年の3年半を過ごした施設の居室で別れの時間を過ごしていた。本人の意思により葬儀は行わないことになっていたため別れの時間も限られていたが、9年に及ぶ濃密な時間があったことを思えば、わずか1時間の場でもぼくには十分過ぎるほどの時間だった。

その後、葬儀社との打合せを経て再び母の居室に戻った夕暮れ前、彼女が到着した。お互い、感染予防に細心の注意を払っていたから、慣れない東京を移動するのはとても怖かったはずだ。それでも、ぼくをひとりにしないために、恐れを振り払って駆けつけてくれた。


──嬉しかった──


駆けつけてくれたからではない。


──今、そばにいてくれること──


言葉は何もいらなかった。こんなとき、言葉は何も意味をなさないと、互いに察し合っていたのだ。


──そばにいることしかできない──


それで満たされる──それを分かち合える相手だった。

母の遺体を葬儀社に引き渡すときには、ぼくの傍らにそっと寄り添い、送られる母を、そして見送るぼくを静かに見守ってくれていた。

そんな彼女が……。

東京に大雪が降った日の午後、倒れた。

ぼくはそのころ、コロナ禍以前に彼女と過ごしたぼくの自宅の窓辺から雪景色の写真を撮っていた。


「東京は大雪です」


そんなコメントを添えて彼女にメッセージを送っていた。その日は仕事が休みで身体を整えに行くと言っていたから、今日はいつもより早い時間に電話して声が聞けるんじゃないか? そんな期待を込めて、さらに雪が降る降り積もった様子をとらえた写真を送った。一通目も二通目も、返事はないままだった。


19時04分──雑事を済ませて電話を手に取ると、知らない携帯電話からの着信履歴が残されていた。無視して再度雑事に戻る。

19時07分──同じ番号から2度目の着信。不審に思ってネット検索するも、迷惑電話のリストに情報はない。伝言も残されなかったようなので気にせずにいると、その2分後、メッセージが入った。


──危篤──


目を疑った。折り返し電話をして、ご家族の方からことの詳細を伺う。


──もって今夜か明日──


あのとき、何を伝えられたのか? 言葉の意味はわかるが、何が起きているのか? よく理解できていなかった気がする。


──東京は雪──


移動できないこともなかったろうが、咄嗟に、今は行けない──そう感じた。いや、あのときぼくを立ち止まらせた感情はきっとこうだ。


──母の死を伝えられたときと同じ恐れ──


時期はちょうど、新型コロナウィルスの感染拡大第6波の始まりのころで、現地でも病院は面会中止になっているという。事情を説明して交渉して下さったようだが、感染者が急増しかけていた東京からの来訪は受け付けられないと病院側から伝えられた、と……。当然である。ぼくが逆の立場なら、同じ判断をする。危篤の彼女もこういうだろう。


「こんな時に来てはだめ」


ぼくたちは、この波をどうにか乗り越えようとしていた。その出口が近づいている感触をお互いに得ていた近ごろだったというのに……。


「天に召されたらご報告します」


ご家族が贈って下さった心痛のメッセージの残像が、今でも記憶にたしかに刻まれている。


──まずは眠ろう──


そう期して、ぼくは床に伏せた。気づくと、恐れから身を守るように、大きな身体を丸めて、布団のなかに蹲っていた。


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