主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【囚われた夜──母と婚約者 ふたつの死(3)】

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2022年1月28日

東京に大雪が降った日の夜、ぼくは自宅のベランダの手すりに雪が降り積もったこの写真を彼女に送ろうとしていた。素早くリアクションがあれば、いつもよりだいぶ早い時間から電話をしたいと考えていたからだ。

しかし事実を後から追えば、既に彼女はそのとき、離れた土地の大病院のICUのなかで救命措置が施されている真っ最中だったのだ。そして、ちょうどその送信時刻と同じタイミングで、ご家族から第一報を知らせようとする着信があったのだった。彼女を見守った1週間、時のいたずらにしてはよく出来すぎたエピソードが続いたが、思えば始まりはこの瞬間からだったのかもしれない。


危篤の報を受けたその夜は、結局、眠れずに朝を迎えた──。


これはきっと何かの冗談か夢に違いない。だからぐっすり眠って朝を迎えたら元通りになる──そう期して眠ろうとしたが、案の定、眠れるはずもなかった。やれることはただひとつ──。


──ネット検索──


彼女が見舞われた症状について何をどう調べたからといって、現実が変わるはずもない。ただぼくの気持ちを鎮める手掛かりが欲しかったのだ。

何度も検索を繰り返しては疲れ果て、また眠ろうとするも寝付けない……その繰り返しだった。そんななか、寝返りを繰り返し荒れていく寝床のなかで想像を巡らせた。


──ご家族は病院で一睡もせず見守っておられる──


その図を思い浮かべると、いつもの寝床で横になっているだけでも恵まれていると自然に思えた。

そんなとき、彼女と何度もみた映画《アバウト・タイム》のワンシーンを思い出した。主人公の男性は、押し入れなどの暗がりで目を瞑り、両手に拳を握り、戻りたい時を強く願うと、過去にタイムスリップできるのだ。


──やってみよう──


馬鹿げたことだとわかっていた。でも、やらずにはいられなかった。いや、信じることで万事は真実になる──だから、真剣にやるんだ。彼女の着替えなどをしまっていた母のウォークインクローゼットの中に入り、ドアを閉め、暗闇のなかで念じた。


──彼女が初めてこの家に来てくれた日に戻れ──


ドアを開けたら、彼女がすやすやと眠っている。ぼくはその様子を確認して、真夜中に仕事部屋へ移る──。


──あの安心の時間から再び始めよう──


2人の始まりのときからもう一度……。


叶うはずもなかった。

ひとりクローゼットのなかで目を開き、小窓に掛かったカーテンの隙間から外を見ると、あたりにはまだ雪が残っていた。その様子を確認した途端、現実を感じて寒さで身が震え、再び床へ潜り込んだ。


──きっと面会には行けない──


感染状況による足止めはもちろんだが、それ以上に、ぼくの心理的負担の方が大きかった。


──このまま会わずに終えたい──


さもないと、ぼくは崩壊してしまう──彼女の亡骸と対面したら、その図が記憶に焼き付いてしまって、その衝撃で廃人同然になる……そんな不安に囚われそうになっていた。


──ダメだ。しっかり最期まで見届けないと──


一方で、その想いも残っていた。


──後悔しないようにしなくちゃ──


震える気持ちに向き合いながら、どうにか前を向うと必死にもがくも、やはり恐れが勝り、布団に潜り込む……しかしここで逃げてはダメだ──そんな心の揺らぎを感じながら、一体どれだけの期間を過ごしたろうか?

時計を見ると、午前7時を過ぎていた。


──もうじき連絡がくる──


そんな直観があった。


7:39──最新の状況が入った。


「容体が安定している」


残された時間は変わることはないそうだが、その報を聞いて、心が動いた。


──彼女がぼくを呼んでいる──


9:14──面会できないと知っても病院に駆けつけた親戚がいるとの連絡があった。それを受けて、ぼくの決意は固まった。


「面会できずとも、彼女と限りなく近いところで時を過ごします」


そう伝えて、支度を始めた。自宅を出たのは、午前10時30分過ぎ。凍結した残雪を踏みしめながら最寄駅まで歩く──しかし、目の前の景色がいつもと変わって見えた。残雪のハレーションか、色は少しあせて、景色は歪んだり揺らいだりして見える気がした。


──世界が違って見える──


これがその感覚というものなのか……。いま思い出すだけでも、また動悸が始まっている。

東京駅までの道中、何を感じ。どうやって辿り着いたのか? いまはもうすっかり思い出せない。


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