主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【貫いた辛抱──14,400時間(4)】

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2021年9月24日

今日の面会には、母との再会以外にも目的があった。この20ヶ月の間の母の移ろいを知りたかったのだ。15分間の面会時間の途中で、日ごろ母のお世話をして下さっている職員の方お2人から、最近の母の様子を聞かせていただいた。


「またに笑顔で応えて下さることもあるんですよ」

「おはようって声を返して下さる日もあります」


他にもいくつか様子を聞かせて下さったけれど、覚えているのこれだけ──ぼくの願いを写しとったかのような言葉ばかりだ。

表情だけでなく、身体にも変化が見受けられた。指先や肘の関節に硬直が見受けられるようになっている。その症状を抑える目的で、大きなクッションを脇の下で挟んでお腹の上で抱えるように座っていた。叶うことならそんな様子は目にしたくないと思うはずだが、そんな母の姿に、どこかしら可愛らしさを覚えた。

肌艶はまだ健在だった。元から白い肌だったが、屋内生活が続き、白さにより磨きがかかったようだ。白さは貧血も多少影響していると思われるが、血色はよく、とても穏やかな表情に見えた。

しかし、頬だけでなく、こめかみの辺りまで痩けてきている──その様子をみて、母から聞かされた父の闘病末期の様子を想像した。


「こんなところまで肉が落ちるんやなぁ」


癌に侵されていた父は、8ヶ月間を病床で過ごし、ぼくの誕生と入れ替わるように、41歳で先だった。贅肉はおろか、あらゆる肉がそぎ落とされていったという。


──当時の父は、こんな表情だったのか?──


ふと、そんなことが頭を過った。

僅かな対面時間だった──14,400時間ぶりの再会だったこと。秒数に置き換えると51,000,000秒もあること。それを聞いて「お金やったらええのになぁ」と思ったでしょ──かつて当たり前のようにしていたたわいもない話を再現するかのように、ぼくはひとり、言葉を発していた。側から見れば、まるで道化師のようだったかもしれない。もちろん、なんと思われようと構わない。もしも母を楽しませることができたのなら。

母の手に触れてみたい──そう思った。しかし硬直している手を握ることはもうできない。そしてこの時世である。なので、膝をさすってみた。でも堪えきれず、母の手に指先で触れてみた。次いで、手の甲で触れてみた。今も変わらず、母らしい冷たい手をしていた。

歩行がおぼつかなくなって、母に手を引いて歩くことが増えたころ、母はぼくの手を握って、いつも同じ言葉を繰り返し、笑みをこぼした。


「大きくて暖かい手や」


親子で手を繋いで歩くなんて、とても照れ臭いことだったけれど、そんな時間が授けられたことに、今は感謝している。

時間になり、担当の方が迎えて下さった。今日の目的はもうひとつ、今後のことについての確認だった。用意周到な母だから、自分を送る際の意思も予め伝えられていた。墓も自分で用意し、戒名までも自ら考えた。だからあとは、具体的な流れを確認すればいい。

通常の相談室ではなく、換気と感染予防対策の行き届いたコミュニティルームで詳細に流れを教えていただく──その応対は、丁寧であることは言うまでもないが、心の通った姿勢をどんなときも感じられるのが、何よりぼくを安心させてくれた。


──この施設に導かれたことも奇跡──


相談を終えたあと、母の入居時から始まっていた別棟建設が完成した話を聞かせていただいた。これまでに以上に地域との交流を図ろうと、専門業務目的で設計されたといってもおかしくない立派な設えのカフェが誕生していた。その一角には、ワークアウトのためのマシンやコインランドリー、スパも併設されている。

せっかくなので、カフェで一服することにした。平日の夕方──客はぼくひとりだが、奥の方に掛けられた黒板に絵を描いて子供たちが遊んでいる。こんな時間を持つのも、最初の緊急事態宣言以来、初めてのことだ。

オーダー時、ちょっとした愉快な出来事があった。ぼくも相変わらずの調子で、相手を一瞬混乱させるような妙な冗談をいい、応酬した。


──ぼくらしい時間だ──


席について、その些細なやりとりを思い返した。わずか二言三言の出来事だけれど、こんな瞬間さえ辛抱してきた20ヶ月だったのだ。

「コロナが憎い」だなんて思ったことはない。仮に母や自分や大切な人が感染して逝ってしまったとしても、そう思うことはないだろう。こんな今を生み出してしまったのは、人類に他ならないのだ。無論、ぼくもそのうちのひとりである。

いつかの真夜中、抱えきれない不安に襲われて、ここまで車を走らせてきたことがある。そのとき、気づきを授かった。


──この不安は、母の苦しみに寄り添っている──


そう思えば、「今」を越えていけそうな気がした。


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