主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【介護者生活8周年── 信じる・受容れる・自然に過ごす──無意識の決断】2/3

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2020年10月21日


8年前のあの日、突然我が家に鳴り響いた轟音──そのとき感じた不安と恐れは今もはっきりと憶えている。音を専門とする身だけに、その異常な音の質感は、一瞬にしてぼくの想像力を掻き立てた。


──かなり大きなものが落ちた音──


何かが倒れた音ではない。何か、かなり質量のあるものが、ある程度高さのあるところから、落ちた──そのときぼくはすっかり眠っていたのだが、それでも、その音の質感からことの事態を瞬時に察し、現場に駆け寄るまでの10秒程度の間に、あらゆる想像を巡らせて、ある覚悟を決めていた。


──不幸中の幸い──


その言葉しか思い浮かばないような状況をぼくは目の当たりにした。

家事をしている最中の転落事故──高齢者にはよくあるケースが我が家で起こった瞬間だった。頭を床に打ち付け、幸いにも外傷はなかったが、脳震盪を起こして記憶が一時混乱している様子が窺えた。混乱は時間を追うごとに増し、事故直後、会話ができた母は救急隊が到着するころには自分の身に何が起きたのかも定かでなくなり、救急隊の姿に怯え、「自分は平気だ」と訴え、担ぎ出されることにさえ拒む姿勢を見せていた。記憶も抵抗も徐々に薄れていき、病院に運ばれて救急措置を受けて病室のベッドに身を沈めたときには、もう言葉も発することができず、視線も虚ろ。話しかけてもぼくのことさえ認識できない様子だった。頬を撫でても感覚があるのかないのかはっきりした反応は返ってこず、声が聞こえているかさえ定かではなかった──あの瞬間、自然に涙が溢れてきたことを憶えている。


──恐れと不安──


それは、恐れと不安に他ならなかった。この先に起こりうる望まない現実の図が一気に脳内を駆け巡った。

外傷は打撲程度だったそうで安堵したが、主治医から1週間の入院を必要とする旨を伺い、その日はいったん帰宅することにした。

翌日、改めて主治医に症状を伺いに向かうと、慌てた表情でぼくを診察室に迎え入れて下さった。


「お母様が突然にたくさん話し出されるようになったんです」


言葉を発することができない要介護老人が事故を起こして運ばれてきたとでも思われたのだろう。脳に衝撃を受けて眠っていた機能が目覚めた! そんな奇跡の瞬間を医師が目撃!・・・それが夢物語ではないことくらい、ぼくには明らかだった。

病室に向かうと、母はいつもの調子で和かにぼくを迎えてくれた。母が普段の様子に戻ったことを主治医に報告し、ぼくは病室に再び戻り、ベッド脇の椅子に腰掛けた。


──今日の無事は奇跡──


そんなことを母に伝えながら、事故の様子やぼくが感じた不安などを話したような記憶がある。

あの日の安堵感は、そう長くは続かなかった。その後、この事故の影響が引き金となって、様々な出来事が母の身に起こるようになった。それはもちろん、ぼく自身をも巻き込むかたちで・・・。

3/3へつづく

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