主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【貫いた辛抱──14,400時間(3)】

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2021年9月24日

ぼくが一方的に喋って、母がその様子を見つめる──それだけのやりとりに収まったのは、いつごろからだろうか? 特別養護老人ホームにお世話になり始めた3年前は、だいぶ子供がえりが進んで、思うときに思ったまま何でも口に出すようになり始めていたが、まだいくらかやりとりができていた記憶がある。

入居してしばらくは、面会時、大広間で他の入居者の方と寛ぐ母と対面していた。しかし、ぼく自身がその場に慣れることができず、その後は、母が居室で休んでいる時間を見計らって面会に行くことにした。

なぜ慣れることができなかったのか? 


──母の未来の図──


そこにその姿を見てしまったからだ。

まさに今の母がそうであるように、身体の自由が効かなくなり、会話もできず、100%要介助な状態になる様を、ぼくは見つめることができなかった。それに、普段は見かけない身体の大きなよく喋る男性がその場にいると、物珍しさからか、入居者の方から質問攻めにあうのも負担になっていった。子供の輪の中に入ったようで、毎度同じ質問の繰り返しになる。退屈させないようにと、都度、冗談を交えて違った答えを用意したりして、無駄なサービス精神を発揮してしまうのが、次第に苦しくなった。それに、面会は、母との時間を過ごすためのものでもある。そのことだけに集中したかった。

今日与えられた15分間、できる限り母に語りかけるようにした。始終目は虚ろで、ぼくに視線が注がれることはほとんどなかったが、それでもよかった。こんな危機に見舞われて、もう会えないままになる──そう案じたほどだったから。それを思えば、こうして顔を合わせることができただけで、有難いのである。

「あーあー」と、「あ」に濁点が付いたような声色で何かを伝えようとしてくれていた母──その様子を見て、相変わらずのぼくは、その音のひとつひとつに、何か意味が込められているのではないか?

会話が出来なくなったのは、その機能がなくなったからではないのではないか? 意思も言葉もまだあるが、それを伝えるための回線が途切れてしまっているだけ──いつからかそう感じるようになった。「あーあー」と、母がこうして絶えず声を発するのは、何か伝えたいことがあるからなのだ──ただそう信じたいだけなのかもしれないけれど。


──信じる──


冷静になって人との関わりについて振り返ってみたい。言葉や行動、ときには表情を使って、人は互いに意思を伝え合おうとする。しかし、そのひとつひとつが真実を伝えていると、どうして思えるのだろう? 言葉が交わせるからといって、その言葉が本心だと何が証明するのか? 流した涙は嘘じゃないと何故わかるのか? 贈りものが付け届けではないとどうしたら知ることができるのか?


──信じる──


それしか方法はないのだ。

「あーあー」という母の発する声に、何が込められているのか? 


「こんなところにながらく押し込めるなんて」
「1年8ヶ月も放っておくなんて親不孝ものが」
「はようお迎えにきて欲しいわ」
「あんたに逢えて嬉しいわ」
「目線は合わせられんけど喜んでるで」
「心では悦びあふれて泣いてんねんけど涙腺の回路が壊れとってな」
「ありがとうありがとう」
「ほんまにあんたが頼りや」


このすべてが込められているかもしれないし、すべてはただの音なのかもしれない。それとも、生まれたての赤子のように、原初の叫び=プライマルスクリームなのか? それは、ぼくには知る術がない。

──と、こんなことに思いを馳せていたのは、帰り道に寄った施設付近の公園を散策している時のことだった。一番大きな空が望める広場にたどり着くと、ちょうど夕暮れどきに差し掛かり、時刻は17時30分──子供たちに帰宅を促す放送が流れ出した。


「新型コロナウィルスの緊急事態宣言が発令されています」


時代を移す文言が取り入れられたアナウンス──それを聴くなり、子供たちはすんなりと家路に就き始めた。


「大人たちにも見習って欲しいものだな」


そんなことを思いながら、明るい光が刺す方向へ進むと、ナイター設備が整えられた野球場があった。指導している若者はたった一人──子供たちは、1チーム分=9人もいない様子だった。それでも二タ組に分かれて攻守交代しながらボールを追いかけ回していた。


──ぼくにもこんな時代があった──


無邪気さとはまさに「邪気が無い」と書く。ただただ夢中で、夢中であることにさえ気づかずに、「今」だけを信じている


──「今」だけを信じる──


それが、今日、母と再会する必要があった理由に違いない。14,400時間も費やして──いや、50年という月日を捧げて、確かな実感をもとに知り得た真実なのだ。

さあ時間だ。ぼくも帰ろう。人は、誰かの手本となり得るまで成長して初めて「大人」になる──その道を、今からぼくも進むのだ。


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