主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【着信──緊張、高鳴る】

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2021年9月7日

今日は兄の誕生日。母に手紙を送るには最適な日のひとつだ。

会話ができなくなっただけでなく、面会もできぬままの状況が続いていることもあり、現在、母がどんな様子なのかまったくわからない。そこで募る不安は、ある話題から母の感情がどう変化するのかである。だから、先月の父の命日のことは伝えなかった。

誕生日の祝いと家族の無事を祝う感謝の言葉とはいえ、それをどう捉えるかは、今の本人次第・・・それでも、危機が隣り合わせにあるコロナ禍という現実と、高齢である現状を踏まえると…。


──いつ何が起きてもおかしくはない──


そんな免罪符のような言葉を言い訳にして、自分の想いを晴らそうとしているのだから、ぼくは未だ、自分の都合を優先させているのだ。

贈った言葉を母がどう受け止めたのかはわからない。そして、これはただの偶然であると思われる。けれど、まさに不安が的中したともいえ、かつ「よりによって」と思わせる時機にそれは起きてしまった。


──手紙を受け取ったあと、調子を崩した──


連絡を受けた段階では落ち着きを取り戻しつつあると伝えられている。

母の世話をして下さっている施設は、情報共有が徹底されていて安心できる。体調に少しでも変化があると、その旨、逐一報告を下さるのだ。先日も、このところ見受けられる変化の様子とその対処方法について報告をいただいたばかりだった。

母を預けることになって以来、携帯電話に登録済みの施設名が着信時に表示されるたび、一息ついてから応答する習慣が身に付いてしまった。


──覚悟──


いつかこの電話は、そのときを告げる知らせになる。それを直接受けられるのならまだ幸運なのかもしれない。何らかの事情で電話が取れず伝言メッセージで知らされることになるよりも、だ。時差なく確認できれば、思い残すことがまたひとつ減らせるかもしれないから──嗚呼、これもまた、ぼくの都合に他ならない。

この一年半のすべてが、今、ぼくを極度の疲労に貶めている。介護者として独り母と向き合い、闇に堕ちた苦い経験から、心身を保つあらゆる方法を学んできた。だからこそ、今夜もまだこうしていられるのだ。

そんなことを思い浮かべながらあるサイトにアクセスすると、6年前の記録がリマイドされた。介護者生活が丸3年を迎えようとしていたころだ。奇しくも今日と同じ、兄の誕生日だったなんて(冷静に分析的視点で観察すれば、出産は命がけであると考えると、子の誕生日は周期的に体調変化が伴う巡り合わせにあるのかもしれない)。


──何事もあきらめない──


まだそんな生易しい夢物語のようなことを思い浮かべていられた時代の出来事だった。今、あの瞬間を振り返ると、その朝目撃した母の苦しむ姿を見て、ぼくの不安は、次のステージに進んだのだ。それでも現実を直視することを拒み、在宅介護と創作を並行しようとした。「挑戦」と言えば聞こえはいい。しかし史実を追えば、あれば「愚策」だった。その結果、母は頻繁に調子を崩すようになり、以降、自宅と病院、施設を巡回するような暮らしを強いられることになった。

不甲斐ないぼくに、母は施設のベッドの上から柔かに伝えてくれた。


「あんたが頼りや」


そう何度も何度も、時には額の前に手を合わせて伝えてくれた。

ぼくは、やれるだけのこと以上のことをやった。それはぼくにか評価できないことだが、ここまでやる事例はかなり稀だと思う。そんなにまでしても、もっと上手く立ち回れたら…そう想う気持ちは未だ拭えない。

ぼくの事情を知る周りの方は、そっと優しさを運んで下さる。でも、その拭うことのできない気持ちが、ぼくの心を閉ざしてしまう。そっと寄り添って下さるお気持ちを有り難く感じると同時に、この想いは、どうしたって共有することはできない──今も未だ、ぼくはそう捉えている。それはきっと、そう捉えることでしか、自分を保てないと感じているせいだろう。

介護に限らず、窮地に追いやられている多くの方が口を閉ざしてしまうのは、「わかることなど有り得ない」という経験があるからに違いない。


──ただそばに寄り添うこと──


母の介護者として授けられた最も大きな気づきである。

それ以外なにもできないし、それ以上なにも望まない──在宅介護者として覚えた喜怒哀楽すべての感情を通じてそう知らしめてくれたことが、母からぼくへの至上の贈りものとなった。

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