主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと

【20年前、東京にて】

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2021年9月11日

幸せの総量は、決まっているのか?──。

今から20年前、その出来事を目撃することになる前夜──日本時間、2001年9月11日、夜──ぼくは自宅の寝床に横たわりながら電話をしていた。どれくらい通話していただろう? 2時間? それとも3時間? おぼろげな記憶をたどると、日付を跨ぐころまで、ずいぶんと長電話していたような記憶が蘇ってくる。

通話を終え、心が満ちた想いで、そのまま眠りに就いた。あのとき覚えた安心に抱かれたような感覚は、そのときまで味わったことがないものだった。


──こんなにも穏やかな感情があるのか?──


そう初めて知った瞬間だった。

それを幸福と呼ぶなら、紛れもなくその通りだろう。しかし20年経った今も、その感覚を的確に言葉で表現することはできない──それくらい、とてつもなく大きな感覚だった。


──世界で何が起きているかも知らずに──


翌朝目覚めると、テレビはその報道で一色だった。目を疑う光景だった。ぼくが安心に包まれているころ、世界は激震していたのだ。

以来、この日を迎えるたびに思い返す。


──幸せの総量は決まっているのかもしれない──


ぼくが満たされているとき どこかで誰かが泣いている

どこかで誰かが笑っているとき ぼくはここで闇を見つめている


今、1世紀ぶりのパンデミックの最中にある。世界中が苦しんでいる。そんな状況でも、穏やかな気持ちでいることは、恐らく可能なのだろう──どんな闇間にも、安らぎの陽光は射す。


──この地上に授けられた幸せの総量が今も保たれていれば──


幼い頃の戦争体験を母から聞かされてきた。母の語り口は決して悲劇的なものではなかった。当時、親の庇護下にあったことも大きな理由だと思われるが、やはりそうさせたのは、母の楽天的な気質と、その後の人生において、自分が望む暮らしを手に入れたことによるものだと察している。それが、当時の記憶を陰惨なものとしてだけではなく、懐かしい思い出話として語らせることを叶えたのだろう。


──過去を肯定するには、望む今を得る他ない──


創作という荒野に自ら飛び込んだ。その道程で味わった苦痛や蔑みを乗り越えていくために、ずっとこう言い聞かせてきた。そう自然と感じ得たのは、母の背中を見てきたからなのかも知れない。

ここでいう「過去」とは、「選択」とも言い換えられる。


──歩んできた道のりは、間違っていなかった──


ぼくは、そう思いたいのだ。


あの安心に満ちた夜から20年──今夜は、じつに静かな夜だ。何に満たされることもなく、何に怯えることもない──あるのは「今が間違いない」という確かな感触への欲望ただそれだけである。

そう痛感する今、思わずため息が漏れた。その感触に頼る暮らしが、今も続いているのだ。30年前の駆け出しのころと何も変わってはいない──嗚呼、ぼくは何も成長していないのだ。

しかしこのパンデミックは、その事実を真摯に受け止めるのに最も適した時期と言える。歩んできた道を肯定するために、ここから再び、望んだ「今」を追い求めていくのだ。

そのためにはまず、はっきりとした絵を描くことが必要である。この一年半、何度もその絵を描いては破棄し続けてきた。それは、この何年もの間、ぼくのなかに棲みつく「恐れ」を手放せないからに他ならない。その恐れこそをかき消し、真に望む「今」がどんな景色をしているのか? 心の底から、明らかにするのだ。

2002年──今と似た恐れに押しつぶされそうになっていたころ、こんなに巨大なオムライスを平らげていたのは、お腹を満たすことで不安を拭おうとしていたに違いない。それは単に食欲で不安を埋め尽くそうとしただけではない。食卓という、ぼくにとって最も安心で安全な場所に還ることができる幸運を無意識に噛み締めていたのだ──この危機の最中、日増しにその想いを確かにすることができた今があることを、なにより有難いこととして感謝したい。

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