主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【予期しなかった代理サイン】

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2021年5月4日

新型コロナウィルス感染拡大、第4波──。

母に代わってこの書類にサインしたのは、2度目の緊急事態宣言が解除されたあと、4月に入ってまもなくのころだった。それから一ト月と経たないうちに3度目の発出──こうして刻一刻と、日本の歴史が刻まれていく。その結末がどうなるかさえわからぬままに。

これは、高齢者へ向けたワクチン接種のための承諾書である。リスクについての説明および副反応などがみられた場合などの緊急事における対処を受けることを承諾するためのものだ。母は、この1年ほどの間に、言語による意思の疎通がほとんど取れない状態になった。それゆえに、身元引受人として入所時の契約でサインしているぼくのところへ書類が送られてきたのだった。


──「これが最後の契約ですね」──


母の介護にまつわる代理人としてサインをするのは、特別養護老人ホームへの入所時が最後になるはずだった。

担当してくださった職員の方からこの言葉をかけていただいた2018年冬の時点で、介護者として丸6年が経過していた。

在宅介護に孤軍奮闘していたころ、あらゆる介護サービスを受けるために、幾度となく契約書にサインをしてきた。身体機能維持のために理学療法士の方に家に来て指導いただく訪問リハビリをかわきりに、より積極的な身体機能向上を目指し病院へ定期的に通う通所リハビリ──仕事の都合で家を空ける際に母を預けるためのショートステイサービスとの契約は、個室を希望する母のリクエストに応えるためや希望した日程に空きがない場合に対応できるよう、最終的に数社と結ぶまでに至った。特別養護老人ホームへ移る前には、在宅介護へ戻れることを期した最後の機会として、集中したリハビリが行われる介護老人保健施設へも入所した。

その間、体調を崩して入院する事態が発生すればサイン、症状によって処置や手術が必要となればまたサイン──。


「判子を押すたび利益がでる」


高度経済成長期に時流に乗った母は、かつての自分が経験した出来事を思い返して我が家の苦境を笑い話に変えようとしてくれていたのだろう。ぼくもそれに応えるように、「これで万事解決」と祈るような気持ちでサインし続けたが、出て行くものはお金だけではなかった。ぼくの体力、気力、そして何より──時間だ。

あのころ喰らった火種をどうにか発火させないようにこれまでしのいできたが、この状況に陥ったいま、鎮火させる確かな術が未だに見当たらないままだ。それはまるで、今なお明確な戦略、方針が見出せないこの国の慌てようとまったく同じと言えなくもない。

既に高齢者向けに始まっていると言われるワクチン接種だが、母の元へは届いているだろうか?

サインするにあたり、あらゆる可能性を想像した。介護者として老いゆく母と向き合うということは、自ずと命に関わる問題に対して選択を迫られることになる。これまでの数々の選択と同様に、母とぼくの「2人のための選択」になるように──。

万が一のことを考えれば、悔いが残るようにも思えた。しかし集団生活をする施設に身を置く母である。我が家のことだけ考えての判断はできない。ましてや、母の世話を施設に職員の皆さんに託している身分だ。その方々の安全も熟慮する必要がある。

最初から、選択はひとつしかあり得なかったのだ。これまで重ねてきた選択と同じように──。


──無事を祈る──


結局、ぼくにできるのは、いかなるときもそれしかないのだ。


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