主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【貫いた辛抱──14,400時間(2)】

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2021年9月24日

非常階段からバルコニーを伝うルートは、施設の外周をぐるりと一周する形で、思いのほか長い道のりだった。その間、担当の方より、母の現状報告をいただいた。久々の対面でぼくに動揺が走らないように、という配慮が伺えた。当たり前のこととはいえ、有り難かった。

起き上がっているのも難しいものと想像していたが、今日は比較的状態がよく、車椅子に移して身体を起こしている状態だという。

バルコニーから居室へ入ろうとするとき、窓辺から母の姿が見えた。身体は起こしているものの、眠っているようだ。

入室──。部屋の様子は少し変わっていた。いつだったか、母が脱力状態になってしまったため、車椅子ヘの移乗が困難になってきたため(介助者にも母にとっても)、身体を釣り上げるリフトを設置したいと確認の連絡があったことを思い出した。リフトの足場に場所をとるため、音楽やオペラ映像が楽しめるようにと設置したAV機器は少し離れた位置に移されていた。そのテーブルのうえに、先日催された敬老の日のためにぼくが贈ったお祝いメッセージが飾られていた。横に添えられた写真はだいぶ前のもののようだ。母がまだ周りに笑顔を振りまいている頃の様子が映し出されていた。

施設では、こうした催しをとても丁寧にやって下さる。家族の参加も可能だったのだが、母をここに住まわせてから一度も出席できなかった。それ以降のぼくといったら、週末や連休は決まって地方出張だった。その当時は、欠席する言い訳に都合がいいと感じていたが、こうも会えなくなると、今となっては複雑な心中である。

部屋の変化と記憶の旅を一瞬のうちに感じ取っている間に、母が目を覚ました。だが、予想通り、「感動の再会」といった類のリアクションはない。虚ろな眼差しで薄らと目を開けるも、ぼくに視線は注がれなかった。母は締まりのない口から、ただただ「あーあー」と、声を上げる。より正確に描写するなら、「あ」に濁点をつけたような声色だった。そのひと声に、どんなメッセージが込められているのか、感じ取ろうと努めたが、無論、母の真意は察することさえできるはずもなかった。

会話ができなくなったのは、面会ができなくなるよりだいぶ前から既にそうだった。なので、今日の状態が悲劇的だとも感じなかった。しかし、遂に案じていたそのときがやってきたことを目の当たりにした。


──笑顔が消えた──


会話が出来ずとも、笑顔で答えてくれた母がいた。たわいもない話題や冗談に、母らしさを刻印したようなあの笑顔を絶えず見せてくれていた。それが今、消え去ろうとしている。

老いゆく母を見つめてまもなく丸9年──人生の過程で育んできた機能や能力をひとつひとつ手放していく様子をこの目で見届ける間に、想像できるようになったことがある。


──笑顔を手放すときが、そのときが近づいたサイン──


人は生まれてから最初に「笑う」という能力を手に入れるらしい。泣き叫んびながらこの世に降り立ち、最初に笑うことを覚えるというのは、なんとドラマティックな物語なのだろう──人生のエネルギー量が放物線を描くように上昇し、そして減衰していくなら、壮年期を頂点にして時間軸をさかのぼるように進むはずだ。ならば、手に入れた順序の逆を辿るように能力や機能も手放していくのではないか?──そんなことを考えるようになった。

その放物線が着地に近づいていく過程は、決して美しいものではない。それをまざまざと見せつけられてきた。在宅介護をしていた頃、まだ意識がはっきりしていた母にとっては、できたことができなくなったり、時間の感覚や記憶が揺らいでいく自分の変化に恐れや不安を覚えていたはずだ。もっとわかりやすい言葉でいえば、悔しさや恥ずかしさのようなものを感じていたに違いない。それは母の表情からも窺い知ることができた。

それに対して優しい言葉をかけても、慰めにもならない。周りは何もできないのだ。そう、何もできないのである。その無力感を、あれほど思い知らされたことはない。

だが同時に、ただひとつだけ、できることがあると知った。


──そばにいる──


それだけでいい。それができるだけでも幸運なのだと。


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