【介護者としての日々は作務のようなもの】
2018年2月3日
学校を卒業して以来、組織らしい組織に属したことがないせいもあって、季節行事からはますます遠のいている──節分もそのうちのひとつだ。
我が家では、そもそも母がまったく季節行事をやらなかった。それには、母のなかでは理由は明確にあるらしい。
「京都に嫁いで、年中、季節行事をこなしたから、もうええわ」
昭和30年代のこと。嫁ぎ先が大家族だったうえに商売もやっていたから、取引先や関係先からの人の出入りも多い。しかも母は長男の嫁。さぞ大変だったことだろう。
そんなことを思い出しながら、深夜になって洗濯物のアイロンがけを始めた。今回は、母のものも自分のものも、だいぶ溜めすぎている。施設に届ける母の衣類から優先して進めていったが、量が多くて自分のシャツには手がつけられなかった。
──作務──
淡々と手を動かしている間に頭に浮かぶ思考──。
それこそまさに「気づき」だ。
修行僧に課せられる「作務」の目的のひとつもまた同じなのではないかと想像できる。
この5年という時間、苦しいことばかりでは無論なかったけれど──悪いことばかりじゃない──そう捉えられるようになるまでは相当な時間が必要だった。
「こんなことをしている間に、するべきことがあるんじゃないか?」
「ここでキャリアが止まってしまうのだろうか?」
「遠い未来に介護者としての終わりのときを迎えて、ぼくは何を思うのか?」
今になって振り返れば、そんな心配は何も必要なかった。
──目の前にあることに向き合うことしかできない──
──今から目を逸らさないための鍛錬──
この時間は、母がぼくに与えてくれた、最後の修行のとき。
どんな苦行をも生き抜くための──。
それは、これからの時代に、これからのぼくの歩みに、欠かせない「ちから」。
それが、今日までに得た、数えきれないほどの「気づき」のひとつ。
いつまでも、変わることのない深い感謝を、母へ。
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