【巡礼の旅〈京都 番外編〉】
2022年7月10日
母の初盆のため、本家の墓参りへ京都ひとり旅──。
主たる目的を終えた夕刻、Brian Eno展《Ambient Kyoto》への入場時間待ちの間に、音楽とコーヒーのお店へ向かい、一日中歩き倒して疲れ果てた身体に、涼と甘いものを注ぐ。
──迷ったときは、両方──
いつからか決めたわが信条どおりに、今日も甘さをダブルで。
ほろ苦さとほんのり甘い優しさと、牛乳たっぷりな味わいで、束の間の安寧を覚えたひとときとなった。
レコード店は、オシャレな音楽中心かと思いきや、50〜70年代ロックも扱われていた。Rainbow “Difficult To Cure”のジャケットが顔を覗かせていた様を目撃して、妙に安心している自分に気がついた。
このあとの展示も、たっぷり2時間弱を会場で過ごし、15キロ歩いて燃えた身体をしっかり鎮めた。
この巡礼の旅は6月末、青森県・恐山から始まり、わが生誕の地=京都で3ヶ所目──このあと大阪へ移って、東京に戻ったあと、締めくくりの場へ向かう。
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【約束の地へ、再び】
2022年6月22日
遂に劇場入りを果たした日──ここまで、ながいながい道のりだった。
《新版・NINJA》と銘打たれ、2019年の初演時は小劇場──そこから中劇場へと場所を移して行われるこの再演は、ほとんど〈新作〉と言っていいほど印象が異なっている。
この再演を誰よりも楽しみにしてくれていた、とても愛しい人が逝ってから半年が過ぎた。寒さに凍え、〈これを超える苦痛はない〉と思うほどの悲しみと孤独に震えたあの時間のことは、生涯、忘れえないだろう。
すべてのシーンを見つめるたび、彼女の多彩な表情が想い出される。目を丸くして作品の世界観に引き込まれていたかと思えば、ときには息を呑むような表情で場面を見守る──。
──ぼくの心を介して、目の前のすべてを感じてくれている──
そう信じて、溢れでてくるものをこらえている。
体調はよくなる気配がない。最近は、脳が燃えたぎっているような感覚で、頭脳に熱を帯びている。
今日もこうして「今」を迎えられているのは、亡き母と早逝した彼女が見守ってくれているからに違いない。
ここまで辿り着くことが、ぼくの役目だった。劇場では卓越した能力と経験を備えた音響チームが中心となって音作りを進めて下さっている──これでもう、安心。
すべての関係者と、この作品を見届けて下さるお客様の無事を祈願して、これから本番まで、あと僅かな時間を全力で駆け抜けたい。
思い描いた図を見届けることが理想だが、何より無事に、全行程を終えることができれば本望である。
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【〈あとがき〉喪われ、育んだ10年──母と婚約者 ふたつの死】
2021年12月3日に母を、2022年1月10日に婚約者を相次いで喪くし、今日まで何もできない毎日が続いた。
寝て、起きて、食べて、寝る──たまに飲みに出ては暴飲暴食を繰り返し、自己嫌悪に陥って自制する──その繰り返しだった。
たとえ酒場に出かけても、心のうちを吐露するのには限界がある。楽しむために来ているお客さんにも、そして、そっと耳を傾けてくれる店主にも、ぼくの悲しみを背負わせ続けるわけにはいかない。
その苦しみを吐き出すために、ぼくはここに綴ってきたのだ。誰になんと思われようとも、そしてときに誰かを傷つけてしまおうとも……。
母の介護が始まったのが2012年秋からのことで、その負担がより重くのし掛かってきたのは、2014年以降だった。リハビリや病院受診への付き添いをこなしていた時期には、スケジュール帳は母の予定で埋め尽くされるほどになっていった。そこに日常的な家事と母の生活介助が必要になる──目の前のことをこなすのに必死になっていた2016年までの2年間の負荷は、自分の許容量を遥かに越え始め、遂には心療内科へ通うことを決断するまでに至った。
治療を始めてからさらに2年が過ぎたころ、母の介護度も上がり、在宅介護の限界が見え始め、いよいよ特別養護老人ホームへの入居申請を出すことにした。
──在宅で母を看取りたい──
ひとりで介護をする身では到底不可能な望みを抱いていたぼくにとっては、大いなる挫折を味わうことになった。しかし、当時の状況をいま振り返っても、限界の限界を超えていた状態だったことは間違いない。
2012年10月15日──この日、母が自宅内で転落事故を起こした瞬間が、ぼくの介護者としての歴史の始まりだった。既にその前年、これまでなかったような体調不良を母が見せ始めていたことを思うと、母を無事に看取るまで〈10年〉の月日を要したことになる。
晩年には、パンデミックという予想だにしなかった危機まで加わり、ぼくの心労はさらに高まった。 母と会えない時間が長引くなか、その過ぎし日を振り返ったとき、40代のほぼすべてを費やしてしまったことを思い患い、事実、心身に影響を及ぼすことになった。
その不調の原因は、無論、もうひとつあった。
──離れて暮らす婚約者と会えないこと──
ぼくたちは、お互いに励まし合い、この危機を乗り越えようとしていた。この期間、ぼくが私的には誰にも会わないと決めたのは、感染予防のことだけではなかった。
──彼女を安心させたかった──
ただその一心での決断だった。
感染を免れ、この危機を乗り越えた先にある2人の未来を信じていた。これから永い未来がぼくたちに約束されているのなら、今の隔たりはほんの僅かな期間に過ぎない。この危機を2人で超えることができたら、望んでいた高みを遥かに超える〈確かなもの〉が、ぼくたち2人に授けられるに違いない。だから、共にこの危機を乗り越えよう──〈会わない〉ことは、このうえなく苦しく厳しい選択だったが、それが未来を掴むための最善の方法だと信じて、2人で判断した。
しかしそのストレスが、彼女を襲った病いの魔の手を強めてしまったとも考えられる。あの当時の2人の状況から最善の選択をしたと確信すると同時に、ぼくはきっと、この後悔にながくながく苛まれることになるのだろう。
一度も言い争うことなく、冗談ばかりの毎日が、ぼくには何より愛しかった。彼女はどうだったろう? ぼくと過ごして幸せだったろうか? 彼女が求め続けていた安心のままに生涯を閉じることができただろうか?
唯一はっきりしていることがある。それは、幸せだったのは、ぼくの方だったということだ。
──嗚呼、いま再び、ひどく号泣し始めた──
ぼくが見届けて感じたことを「書かざるを得ない」と期すも、こうして書くことは、決して楽な行為でも気持ちを解き放つための営みでもなかった。それはときに、悲しみを強めてしまうことさえあった。彼女を荼毘に付した日のことを記していたときは特にそうだ。今もあのときと同じように泣き崩れながら、そしてやはりあのときと同じように今、希っている。
──誰か、助けて──
しかし、この悲しみには、この世でぼくしか触れることができない。
──ぼくを救えるのは、ぼくしかいないのだ──
一方で、わが幸運をいま再び噛み締めている。この悲しみに寄り添ってくれる目には見えない存在が、ぼくには今、2人もいるのだから。
母のもとに生を授けられた幸運と、彼女と出逢えた奇跡に、今改めて、胸いっぱいの感謝を。
有難うございます。
2022年5月5日
母と彼女と過ごした東京の自宅にて
川瀬浩介
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【母と彼女への葬送曲〈後編〉──母と婚約者 ふたつの死(34)】
2022年5月3日
遺骨は、パウダー状になってもその質量は失われず、手にした瞬間にずっしりと重みが感じられた。
となると、手放した途端、骨は一気に沈んでいくのではないか?──ぼくが勝手に期待していたイメージでは、水なもに粉となった遺骨がたゆたう図を思い浮かべていたが、それは期待できそうにない。
その予感通り、遺骨は水なもに触れた途端に、海中ヘと吸い込まれていった。まるで逆転した重力界で放たれた打ち上げ花火のごとく、海底へと矢のように進み、すぐさま見えなくなった。
──儚い──
ドラマティックな光景を思い浮かべていたが、今になって思うと、これでよかったのだ。大切なものは、あっという間に失われてしまう──忘れかけていたその真実を、極めて象徴的な場面としてぼくの脳裏に刻んでくれたのだから。
献水、献酒を捧げたあと、時間の許すまで切花を一輪ずつ手向けた。なるべく遠くへ放たれるように、吹き荒れる春一番の風に乗せるようにして、下から上に向けて投げ入れた。
着水した花々は波間で漂いながら、各々の約束の地を探し求めるかのように自然と流されて、それぞれの海路を進んでいく──花の行方に目をやっていると、たった一輪だけ用意されていた薔薇の花だけが、目が届く距離で静止するようにして水なもに浮かび続けていた。それはまるで別れを惜しむかのような姿だった。花首をこちらに向けて、ぼくたちをながくながく見つめていた。
船は港へと帰る──。エンジン音に紛れながら、葬送のための終曲〈See You, BONE.〉が流れ続けている。母と彼女の遺影が見守るなか、ぼくたちは、遺骨が放たれた箇所を見つめながら船尾のデッキに佇んでいた。
──ゆっくりと、そして静かに、涙が溢れ出す──
それに気づいた義姉が、ぼくの背中をそっと撫でてくれた。ここに亡き婚約者がいれば、きっと同じようにしてくれたことだろう。そう感じて余計に涙が溢れてきたが、この光景を記憶にしっかりと刻むために、目を閉じず、ずっと前を向いていた。
羽田空港の滑走路付近へ近づくと、船の動きが緩やかになった。飛行機が着陸するシーンを見せて下さるようだ。船のエンジンが止まる──すると偶然にも〈See You, BONE.〉のエンディングを迎えた。しばらくすると、轟音と共に、飛行機が着陸態勢で滑走路へ降りてくる。今日の風も波も、そして船の航路も飛行機の着陸までもが、まるで完璧に演出されたような葬送となった。
再び、船は港へと向かう──。往路とは異なるルートで、時折、護岸や貨物船の近くを航行するなど、さながら海上クルーズのような時間となった。子供のころ、まだお台場がほとんど空き地だった時代に唯一存在していた船の科学館に母と行ったことがあった。
今も残る大型船舶型の建物を海上から見つめながら、ぼくは当時の記憶を呼び覚ましていた。晴海あたりからタクシーに乗って向かう途中、海底トンネルを通ると聞いて、子供らしい空想力が爆発したことを今でもよく憶えている。
──海の中を通るんだ!──
当時の少年誌で描かれていた21世紀の図が目の前に広がると期待したが、どこまで進めど海は見えてこず、ただのトンネルを通過しただけだった。大人は嘘を付いているとさえ思ったが、大人の語彙力で考えれば、なにも偽りはなかった。ここは海の底を通る〈海底トンネル〉であって、〈海中トンネル〉ではないのだから。
そんな思い出話をキャプテンと義姉にしながら、ぼくはこの悲しみから意識を遠ざけようとしていた。
東京湾から運河に戻るころ、ぼくは船が描く航路の軌跡を見つめていた。
──過ぎゆくときに刻まれた、その軌跡にこそ意味がある──
たとえその奇跡は一瞬にして消え去ってしまっても、ここまで確かにやってきた事実がある。辿り着いたこの場所から再び、新しい旅を始めればいい。
──再び歩き出すまでに、どれだけ時が過ぎようとも──
ぼくはこのことを知るために、母のもとに生を授かり、亡き婚約者とめぐり逢った──今もこれからも、そう信じることにした。
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