主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【父の五十回忌──2020年、東京にて】

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2020年8月4日

49年前の今日、父が逝った。そのときのことをぼくは憶えていない。いや、憶えているはずもない。


──生後8ヶ月──


その日のことはおろか、父と過ごしたその8ヶ月のことさえ思い出せない。父に抱かれた写真を観ても、どんなエピソードを家族から聞かされようとも、一切の断片さえも呼び覚まされない。


──不在であることが自然──


父がいないことを疑問に思ったり不憫に感じたりすることはなかった。それは何より、陽気で朗らかな母の努力のおかげだった。若くして夫にに先立たれ、幼い子供と乳飲み子を抱えての日々には、この上ない不安に押しつぶされそうになった時間もあったはずだ。けれど母は「楽天的気質」という天賦の才を遺憾なく発揮し、家族を守り通してくれた。

母の存在そのものは、いま振り返ると、ぼくに生き方の手本を見せてくれたような気がする。


──やりたいことををやり通す──


その道のりに、どんな試練が待ち受けているのかは、現実に直面するまではわかるはずもなかった。そしてその現実は、いつだって予想を遥かに超えた「今」を見せつけてくれる。

試練と言えば、「いままさにこのとき」こそ、史上最大の試練だ。ここ数年にわたり解決できぬまま蓄積させてしまった問題が、このコロナ危機によって一気に暴れ出している。今を超えて新しい世界へ辿り着けるのか? 刻一刻と試されているというのに、ぼくの歩みは相変わらずのテンポのままだ。

社会機能が麻痺していく状況に直面するなか、父の五十回忌をどう過ごすのか? そのことついて、かれこれ一ト月ほど前から思案に思案を重ねていた。

我が家の墓は、かつて家族が暮らした東京都心部にある。人々の往来が多いエリアにほど近い場所ではあるが、寺町風情が漂う地区にあるため、人ごみがあるわけでもない。この時期、墓石の前ほど静かで安全な場所はないのではないか? とも思うが、何も確かなことがない状況──ぼくが感染していない確証さえないことを含めて──を考えると、自分の想いを遂げるだのという誰のためにもならない行為はあってはならない。

母からは、三十三回忌で祝い上げとする旨をその当日に聞かされていた。そしてお寺の側からも、今年の夏の法要は、檀家を集めずに行うと伝えられている。特にいま、第二波到来とも言われているなか、寺町に暮らす皆さんのことを思うと、普段より多く人が集まるお盆の時期に差し掛かったいま、声にできない不安もあるだろう。

そして何より、ぼく自身の基礎疾患という問題は、今すぐには拭えない──こうしてあらゆる状況を想像すると、今日、ぼくはここにいるのが相応しい。そう思った。だから、自宅の仏壇の前でそっとひとり、手を合わせることにした。

いつもと変わらなかったのは、父の愛したハイライトとアサヒビール(父が愛飲していたというラガーはもうない)をお供えしたこと。そして…。


──ぼくがいること──


ぼくさえいれば、それでいい。それが叶えられたのだから、今日もまた、記憶に残る日となったと言えるのだ。

昼間、昨秋から施していただいている身体の治療を終えたあと、お供えを買い求めに馴染みのスーパーマーケットに寄った。


(こんなところにも、希望は繋がれている)


ビール缶に刻まれたロゴマークに、そんな願いが宿されているようにぼくには思えた。


──命こそが希望──


今、もう何年ものあいだ唱えている言葉が頭を過った。


──ぼくは、父と母が授けてくれた希望──


その真実を胸に、この生を全うするまで生きる──いまはただ、そのことだけを切に願い続けている。

本家の墓のある京都では、今日、祝い上げが行われたのだろうか? たとえなにもなくても、どなたかが父のことを想い出して下さっていたらいい。兄弟が多かった父だから、きっとたくさんの人たちに懐かしんでもらえているに違いない。


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