2018年12月31日
2012年10月15日、午前11時30分ごろのことだった。
相変わらずの昼夜逆転状態でその時間まで眠っていたぼくは、聴いたことのない巨大な物音で目が覚めた。同時に、音を扱う身として、その音が何を物語っているのか、瞬時に察知した。
覚悟を決めて母の居室がある二階へ駆け上がった。
──台所の床に横たわる母──
換気扇の掃除中に転落して、左側頭部をコンクリートの床に強打した。
あの日から6年と2ヶ月が過ぎた。途中、横浜に借りていた仕事場を引き上げてくるなどした事情も重なり、管理されないままの母の私物と合わさって、この家の中はモノというモノで騒然とした状況に陥っていた──あれから時間をかけてゆっくりと整え続けてきた屋内環境が、今日、ようやくあるべき姿に落ち着いた。
母がこの家を離れてそろそろ丸2年になる。今年の春からは、特別養護老人ホームに入居した。それは、ぼくが介護者として節目を迎えたことを意味する。
その区切りとして、どうしてもこの家の中をあるべき姿に収めたかった。今年も段階的に進めてきた掃除をだったが、この師走、時に嬉々として連日掃除を気繰り返すことになったのは、きっと無意識のなかでそう思っていたからに違いない。
しかしその実、常軌を逸した行為だと気づいたのは最近のことだ。数日前、ようやく完了の目処がついたとき、晴れ晴れしい気持ちよりも、ぼくは虚しさに支配されていた。
今朝も早起きして、最後の仕上げを行った。窓を磨いて、ベランダの砂埃をかき集めて、玄関を水拭きし、下駄箱を拭きあげた。母の大切にしていた靴はすっかりカビだらけになってしまった。そして、そのほとんどがヒールのついたものばかり──もう履くことはない──数足だけのこしてすべて処分することにした。袋詰めしながら、とても寂しい気持ちになっていた。
玄関を整えて、全ての掃除を終えた。それは、ながいながい6年間の終了を告げる瞬間だった。背負ったものから解き放たれるはずだった──しかし──その途端、膝から崩れ落ち、ぼくは嗚咽した。数日前に感じた虚しさのわけは、これだった。
──ぼくは遂に、生まれ変わったのだ──
この虚しさは、母の不在を受け入れる支度が整ったことの表象──いつか想像したことがある。母が先だったあとにこうして家中を片付ける日々のことを。どれだけ時間がかかるのか? 遺品を見つけてどんなに心揺さぶられるのか?──そんな未来のあるかどうかもわからないことに怯えていたのだ。
もうこれで、この家の中に何が残されているのか? 100%把握できた。怖れるものは、もう何もなくなった。
そう安堵すると同時に、封じ込めていたものが一気に込み上げてきた。
──もう大丈夫──
果たしてぼくは今、そう言い切れるだろうか?
何より喜ばしいことは、これで一切の言い訳を手放せたことである。母のことを言い訳にすることはもうできない。荒れ果てた家が、心を荒ませていた日々とも決別した。いよいよ、あるべきぼくの姿を映し出すために、全力を投じるときがきたのだ。
──今日はそれを祝う日──
全てが整ったところで、母に会いに行ってこようと思う。母の居室から、暮れゆく今年の夕陽を拝んで、年の瀬の挨拶を交わしたい。
正午前、窓拭きを終えてお隣の桜の木を見つめた。穂先はもう随分と大きく膨らんでいる。最近、ひときわ寒さも厳しくなっているというのに、桜はもう、次の春の準備をゆっくりと進めている。
この桜が満開になるころ、ぼくは今日のことをどんな風に思い出すのだろう?
そのとき、これまでの苦しみは全て笑い話に変わる──そう願って止まない。
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