主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【昆布と鰹のあわせ出汁】

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2018年11月27日

今日はジミ・ヘンドリックスの誕生日──。

そんな「ロック」の日に、ぼくと言えば、起きたそばから昆布と鰹のあわせ出汁を取っていた。一晩水に浸け置きした日高昆布を煮立たせないように弱火で火を通し、30分間ほど過ぎたところで火を止め、昆布と同量の鰹節を鍋に投入──鰹節が昆布出汁に染み込んでいくまでしばらく待てば、見事な味わいの淡い旨味のある出汁の完成だ。


──なんてロックなんだ!──


出汁パックも使ったことはあるが、とくに鰹出汁はいい塩梅にはならなかった。顆粒タイプは手っ取り早いのが何より助かるが、出汁が濁りがちなのがいただけない。

しかしこうしてわざわざ出汁を取ってみると、この加速する時代に、なんて暴挙を行なっているのかと感じる──もう一度言おう。


──なんてロックなんだ!──


当たり前のことは次々に叶わなくなっていく。それが常だ。そんなとき、いにしえの普遍性に逆説的な過激さを覚えてしまうぼくは、やはりどうかしているのだろうか?

早速、取れたばかりのあわせ出汁を使って、このところよく食べている「きのこの煮びたし」を作った。シュウ酸除去のため下ゆでしたほうれん草を和えるのもいつもどおり。生姜、にんにく、柚子胡椒、唐辛子に胡麻油と液体あご出汁を少々加えるとできあがり。


──嗚呼、なんてロックなんだ!──


他、鶏胸肉の蒸し鶏を作って、今日は軽めに炊事を終えた。

母が京都に嫁いだ1957年は、高度経済成長に突入した初期の時代。まだ便利な調味料などさほど出回っていなかったはずだ。それでも大家族の長男の嫁として、朝から晩まで家事に家業に追われていたと聞いている。


──出汁を取るのは、その時代で終わった──


ぼくを連れて東京に移り住んだのは、1974年。料理は変わらず毎日作っていたが、そのときには既に化学調味料が食卓にはあった。再びそうしたものから遠のいて、なるべく自然のものを摂るようになったのは、この家に移り住んだ1991年からだ──あれから27年にもなるのか…。

ぼくの身体がこうして守られてきたのも(年齢の割に若く見られるのも)、母の努力による成果と言えよう。それを引き継いだ今、今度は自分で自分を育てていく番だ。


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【最後の契約(2)──感謝のエール】

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2018年11月21日

「どこのどなた様ですか?」


最近の会話の始まりはいつもこうだ。そんなときは、部屋に飾ってある名前入りの写真をみせる。すると、一時的ではあるが思い出せるようだ。写真を見ると、少し目に涙を浮かべたような表情で、母は顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを返してくれる。そしてぼくの顔と写真を見比べながら、言葉にならない声を発する。その意味が何かわかる必要はない。


──今ここで、ぼくと母は顔を合わせて笑っている──


それだけで十分なのだ。

今の母には記憶することはできないとわかりながら、今日の契約のことを伝えた。


これが最後の契約になること──
ルールを守らないと追い出されるかもしれないこと──
たくさん契約を交わしてきたこと──
実印の押し方が慣れてきたこと──


そんなことを母に伝えていると、自然と、母がぼくの子供時代にどれだけの手と頭と身体を動かして時間を割いてくれたのか?──そんな想像が一気に湧いた。


──母の決断がなければ、ぼくはいない──


母がぼくを生んでくれなければ、ぼくという存在さえなかったのだという、実に当たり前のことに改めて気づかされる。


──とても大切なことなのに、当たり前のことはいつだって忘れてしまいがちになる──


「たくさんのことをありがとう」
「ぼくを生んでくれたことも、ね」


堪えきれず目を赤くしながらそう伝えると、母は和かに笑いながら応えてくれた。


「おたがいさま! お・た・が・い・さ・ま」
「ありがとう! ありが・とうっ! あ・り・が・と・うー」


入歯が破損したままで発音がおぼつかないことがわかっているのか、語尾を強めて、そのうえクレッシェンドしていくように発声して、ぼくが確かに聴き取れるように繰り返し繰り返し、何度も何度も、そう伝えてくれた。

もしかしたら、あのときばかりは母の脳内チューニングが合っていたのかもしれない。あとどれだけその機会が残されているのかわからない。もうこの先、そんなことはないかもしれない。けれど、あの瞬間だけでもはっきりと母からのエールが聴けたことは、ぼくを抱く見えない大きな力からの褒美のように思えた。

ぼくがお腹にいるとき、父が癌に侵され、母はひとりで余命宣告を受けた。48年前のことである。今よりも未熟な医療のもと、母は当時37歳という年齢で、安全な出産が危ぶまれた。まして女手一つで子供を育てていくには現在よりも困難が予想される時代である。12歳年上だといえ、まだ幼い兄もいる──そんな状況で、主治医はぼくを産むかどうか、母に問うたという。


「ひとり減るから産んどきますわ」


実に母らしい決断だった。

夫に先立たれることがわかった状況での出産──想像を超えた心労と終が迫る父を見守る日々との狭間で相当な負担が掛かったのだろう。ぼくは、予定より一ト月も早くこの世に生を受けた。

そのせいか、逆子の状態での出産となり、へその緒が首に絡まっていた。そのことが原因で産声はなかったという。当然、未熟児としてしばらく保育器に入っていたらしい。首も曲がり頭にも大きなコブがふたつできていたそうだ。生後、京都で名のある按摩さんのところに通って矯正してもらったそうだが、首のねじれとコブの跡はいまでも僅に残っている。


「子を育てて一人前」


ぼくには未だ、子育ての経験がない。けれど、母の介護者としての時間を過ごして、親の偉大さを改めて感じることになった。


──親の介護をしてこそ一人前──


大介護時代、介護危機が目前に迫っているこの国では、じきにそう語られる日がやってきても不思議ではない。

この最後の契約を済ませて、たくさんのことに想いを巡らせている。この想いを、今は未だ想像しない形で社会に還元していきたい。

そのためには「今」を全力で過ごすことが必要だ。


──脇目も振らず、一心不乱に──


母の世代の人々があらゆる危機を乗り越えてきたように、どんなときも、前へ。


──まずは小さな一歩から──


歩み始めれば、自ずと行先は決まってくる。これまで進み続けてきた一歩一歩と同じように、自分を欺くことなく、前を向いて歩こう。


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【最後の契約(1)──終の住処へ】

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2018年11月21日

定員に空きが出たとの報告が母が入居している特別養護老人ホームから連絡が入ったのは、1週間ほど前のことだった。春から同施設のショートステイ枠を利用していた母だが、遂に「終の住処」と呼ばれる場所へ正式に入居することになった。

それに際し契約を結ぶ必要があった。穏やかな静けさに包まれた秋の日、約束の時間に施設へ向かった。

母と顔を合わせる前に、契約書にサインをすることにした。儀式のように契約内容の確認をしあいながら、署名捺印を行なっていく──。

その間、これまで何度、介護サービスを受けるために契約を交わしてきたのかと思い返していた。ケアマネジャーとの居宅介護支援契約に始まり、病院で行われる通所リハビリ、自宅へリハビリ師の方がいらして下さる訪問リハビリ、出張時に母を看てもらうためのショートステイサービスとの契約──母が気に入らなかったり、個室がある条件を求めたり、希望期間に空きがなくて新規契約が必要となったケースなどあわせて、4〜5社と契約を交わした記憶がある──介護ヘルパー派遣会社との契約、おんぶ専門のヘルパーさんとの契約…。まだ母が十分に歩けたころには、認知力維持のため近くのスーパーマーケットまで買物の付添をしてもらえるサービスに加入した。あれはまだ、介護者としての暮らしが始まった初期のころのことだ。

自宅での日常動作がおぼつかなくなり、常時みまもりが必要となったころには、自宅復帰を目指しながら積極的なリハビリを提供してもらえる介護老人保健施設に入所。この際、居宅介護支援のケアマネジャーも変更となり、改めて契約を交わした。

自宅復帰がいよいよ難しくなって、特別養護老人ホームへ移ることになったとき、定員に空きが出るまでの間は居宅介護支援扱いとなるため、また別のケアマネジャーとの契約が必要となった。

そして今回の、特別養護老人ホームとの正式契約──。

そんなこれまでの出来事を思い返しながら筆を走らせつつ、過ぎし日々のことを独り言のように担当者にお話しすると、それまで頭の中になかった言葉が返ってきた。


「これで最後の契約になりますね」


そう、これが母の介護に関わる、恐らく最後になるであろう契約だった。

もしもこの先、また別の契約を交わさなければならない事象が発生したとしたら、それはかなりの一大事に直面していることになる──今の施設では支援できない状況になり、別の施設に移らざるを得ない──考えられるのは、そんな喜ばしくはないことばかりだ。

事実、最近の母は、認知力の低下が原因なのか、自制が効かないため小さな問題を引き起こし始めている。先日も、入歯を自ら外して机の上で叩き壊してしまった。大阪人ならではの冗談も周囲の利用者の方には通じないことも多いようで、まれに相手の気分を損ねる場合もある。

周りに気を使う母だったが、そもそも集団生活から遠のいて生きる選択をしてきたことに加えて、近頃の認知力の低下は周囲との協調からさらに遠のく要因になりかねない。

ぼくにできるのは、できるだけ会いに行くこと──それくらいしかないが、それこそが、とても大切で大きな役割だと感じている。

契約を締結して、今後の生活に向けた希望を伝えたいのち、母に居室に向かった。


「今は寝ていらっしゃいます。あっ、でも浩介さんの声をきいて起きたみたいです」


いつもお世話して下さっている職員の方が、母の様子を確認してそう伝えてくださった。


「もうぼくのことは憶えてないみたいなので
知らないおじさんの体で接します」


いつもの冗談を添えて、ぼくは居室に入った。


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【喉、不調──治療開始】

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2018年11月20日

夏を迎える前から痛みを抱えていた喉──その状態のまま8月下旬の沖縄出張に向けて過酷なヴォーカル録音を続けていたツケが見事に回った。

無理な音域と裏声を多用した超ハイトーンなコーラスパートをひとり多重録音していたとき、喉がちぎれるほどの痛みを感じていたのだった。

現場に入れば、1週間、朝から晩まで場の雰囲気作りとスタッフ間の意見調整のため喋り通し…。もともと発声に負担がかかっているのか声がすぐに嗄れてしまいやすいため、喉への負荷はますます高まっていたように思う。

喉を休めても一向に痛みは収まる気配がないため、10月末、近場の病院で調べてもらったところ、問題は2箇所あると伝えられた。

ひとつは、扁桃腺の脇にイボ(浮腫)ができていること。もうひとつは、声帯ポリープ。特にイボの方は除去した方がいいとのことで、早速、別院を紹介された。

紹介先で診察を受けるまで、処方薬を投与し経過を観察するすることとなった。幸い、人と会わずに済む暮らしゆえ、発声は制限しても問題はない。完全沈黙の日を何度も体験して喉を休めながら、ステロイド吸入や漢方薬を含めた投与を続け、3週間後、紹介先の病院へ向かった。

伸びやかな空気と明るい雰囲気に包まれた心地よい病院だった。当日の秋晴れの空模様も手伝って、実に心地よい気分だった。

診断は、ポリープに関しては画像で診断する限り、小さくなっているのではないかとのことだった。このまま経過を観察しながら対応を考えていきたいが、恐らく投薬を続ければ治るだろうと伝えられる。浮腫は、取り除くのであれば、この場で取ることもできるとのこと。即座に同意書にサインして、レーザーメスによる処置でおよそ3分ほどの間に切除が完了した。えづくタイプだと全身麻酔で入院手術になると初診の病院で伝えられていたので、こちらも何より早く処置できてよかった。

3週間後、再診の予約をいただいた。傷の具合と切除部の生体検査の結果を伺う。初見では問題ないものだと思うが念のためとのこと。

いずれにせよ、この伸びやかな空気を味わうためだけでもここに通う価値はありそうだ。病院通いが楽しみになるなんて、ぼくも随分と変わったものである。


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【高速道路のうえから救急車を呼ぶ】

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2018年11月14日

母の体調も落ち着いてきたので、長らく中断したままだった義歯の修理をいよいよ再開することになった。遥々、車で1時間以上をかけて、母の掛かりつけである横浜の歯科医院に向かった。

出発前、母を車椅子から助手席へ移乗させる際、少し気になることがあった。


──自立することができなくなっている──


先の5週間の入院は寝たきりだったし、退院に向けたリハビリも大きな効果は得られなかったから、こうなるのも当然と言える。

道中も、どこか元気のない様子だった。パヴァロッティの歌(プッチーニ作〈誰も寝てはならぬ〉)にさえほとんど無反応。疲れているのか? それとも何か他の問題が起きているのか? 十分なコミュニケーションが取れなくなっている今では、察しようもなかった。

元気がないお陰で、いつかのときのように車中で暴れることもなく、無事に歯科医院に到着するも、今度は、車から入口までのわずか5メートルの距離で立ち往生してしまった。一旦、助手席に母を抱え上げるように戻し、ぼくは車椅子を用意した。


──もう歩けないのか?──


診察室には、歯科医院に常備された小型の車椅子に乗り換えて入った。診察台にも移せなかったので、車椅子に乗ったまま義歯の噛み合わせを調節していただくことになった。

医院側も慣れているのか、特に問題なく調整は終了したが、母はとても疲れた様子だった。


──ここに通えるのも、今日が最後になるかもしれない──


来た時と逆の手順で母を車に乗せると、以前、車中で母に暴れられ疲弊していたぼくの様子を知るスタッフの方から労いの声がかかった。


──お疲れではないですか?──


その日は、朝早くに起きて、いつもの日課をしっかりとこなした。そして、以前のことを振り返りながら今日の付添いの注意点を検討したうえで、さらに、祈りを捧げた。


──無事でありますように──


その話を声をかけて下さったスタッフの方にすると、その方も毎朝祈っておられるのだという。


「クリスチャンなんです」


祈りが何かを変えるわけではないかもしれない。けれどそこには、確かに、誰かの無事を願う想いがある。


──ただ祈る──


それだけで十分なのだ。


だからぼくは、今日のいかなる状況にも左右されなかった。この次にやってくる予想だにしなかった出来事に遭遇したときでさえ、極めて冷静だった。

帰り道、お腹を空かせているであろう母に、好物のあんぱんを一口食べさせた。そのとき、少し喉に詰まらせた様子がうかがえた。幸い、うまく飲み込めなかっただけで、パンは口のなかに残されていた。即座に吐き出させ、水を飲ませた。喉仏は水を飲み込むたびしっかり動く。むせ返る様子もない。つまりこの場合、喉は詰まっていないと思うのが自然だが、どうも母の様子がおかしい。

診察後、車に移乗する際、完全に脱力して膝から崩れてしまった。きっとそのとき、相当な心肺への負荷がかかったのだろう。

最終的に、その不調は一時的なものだったことがわかったのだが、帰りの第三京浜道路であまりに朦朧とした様子を見せるので、安全に路肩に車を停め(車外にでるようなことはせず──人身事故を引き起こす可能性があるため)、救急車を要請した。

高速道路上(正確には、第三京浜道路は、自動車専用道路という区分)からの要請のためか、救急車が到着する前に、まず消防車がやってきた。次いで救急車、高速道路管理者、そして警察までもが応援に駆けつけて下さった。そんな物々しさのなか状況を冷静に説明すると、救急隊から「医療関係の方ですか?」と訊ねられた。


「もう6年ほど母を介護しているものですから」


そう応えると、夏の終わりにぼく自身が救急車で運ばれたときに感じたのと同じ、言葉では伝えることのできない労わりの感情が贈られたような気がした。あのときも、介護者として疲弊した日々のことを伝えたのだった。

そんな会話をしているうちに、母の体調は落ち着きを見せはじめていた。現在考えられる状況とこれから想定される事態を救急隊と確認し合い、要請をキャンセルする旨を書面にサイン。母を再び自車へ戻していただき、救急車に先導されるようにして本線へ戻り、1時間後、母を施設へ無事に送り届けた。

施設には、戻る前に状況を伝えていただけあって、到着後の対応はとてもスムースだった。


──血圧・心拍数・血中酸素濃度ともいつも通りに回復──


ぼくはこれまでと変わらぬ調子で今日のエピソードを笑いに変えながら伝達し、その日の使命を終えた。


顔も名前も知らない誰かのために、あれだけ大勢の人たちが支えてくださり、無事を確認して「良かった」と言ってくださる──危機の中に必ず潜んでいる「人の暖かさ」を、どんなときも見逃さないようにしたい。

母ますます小さくなっていて、今では助手席にいても、その存在を感じられなくなりつつある。


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【真夜中の巨大サラダ、再び】

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2018年11月13日

作り置いた品品をたっぷりのせてサラダを頬張る24時──。いただき物のマンダリンの香り漂うオリーブオイルが、脳を心地よく刺激してくれる。

この時間、東京は、雨──。

調子を崩してからながらく休止していたトレーニングを今夜、再開する。


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【魂の浄化──映画《ボヘミアンラプソディ》から呼び覚まされる想い出】

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2018年11月9日

公開初日の映画を観に行ったのはいつ以来だろう?

もう夜も更けた時間だった。〈ボヘミアンラプソディ〉を突然に聴きたくなって、Spotifyから居間のテレビスピーカーに接続して再生を始めた。


──そういえば、今日が公開初日だ──


観たい映画は、独りで観に行くことがほとんどだ。そのとき湧き上がった様々な想いをそっと独り噛み締めたいし、圧倒的な時間を体験したあとは、自然と言葉を慎みたくなる。そして映画なら絶対に、観終わったあとの街も静まり返っている深夜に観たい!

今夜も急に思い立って出掛けた。もちろん、ネットから座席指定をして予約。中央後方の、ぼくにとってのベストポジションからそっと味わうために──。


──「きっと泣くだろうな」──


伝記的映画──知っているエピソードの前後関係が事実と異なっている部分などあって途中までは冷静に観ていたけれど、幼い頃から聴き馴染んだ名曲の数々が流れ出すと、自然と込み上げてくるものがあった。


──そしてクライマックスへ──


最新映像技術を駆使したそのシーンは、本当に本人達が乗り移ったかのようで、その世界に没入していた。涙が流れ落ちていくに連れて、ながらく背負っていたものから解き放たれていく──そんな感覚に満たされていった。


──音楽の力=魂の浄化──


同時に、このクイーンというバンドを介して、我が家族にもたくさんの想い出があることを回想していた。

クイーンの全盛期、ぼくはまだ小学生。そんなぼくが子守唄代わりに彼らの曲を耳にしていたのは、12歳離れた兄がいたお陰だった。当時の兄は、高校生で思春期真っ盛り。70年代〜80年代初頭までのロックの名盤の数々が我が家には揃っていた。


David Bowie
Pink Floyd
King Crimson
Cream
Japan


そのなかでもよく掛かっていたのが、クイーンだった。

小学校の半ばに差し買ったころ、巷にはラジカセブームが到来。もれなく波に乗ったぼくは、本体と合わせてカセットアルバムを買ってもらった。最初に選んだのは、Queen “The Greatest Hits”だった。

その1曲目に収められているのが、今回の映画のタイトルにもなった〈ボヘミアン・ラプソディ〉だ。本編ストーリーでも取り上げられているが、それを聴いた当時も、アルバムクレジットをみて「6分」という曲の長さに驚いた記憶がある。


──「こんなに長い曲を書くなんてすごい」──


まさか未来に、自身が作曲活動を行うだなんて夢にも思わなかった少年の、それが素直な感想だった。

小学6年生のとき、母に付き添ってもらって、シーズンオフの西武球場まで向かった。


──クイーンの来日コンサートを観るために──


ぼくからせがんだのか? 生きることを楽しむ天才である母が勧めたのかは憶えていない。少し肌寒い西武球場の一塁側スタンドから、遠く離れたバックスクリーン側のステージを見つめては、曲の終わりで奇声をあげる大人たちに混じって大声を上げていた。

母と所沢で過ごす時間は、それが最後になるはずだった。


──この夏、母が所沢の病院に入院するまでは──


この秋の見舞い期間中、所沢駅はとても賑わっていた。


──西武ライオンズ 10年ぶり リーグ優勝──


ぼくが観たクイーンの来日公演は、今確認すると、1982年11月3日と記録されている。その年のライオンズは、所沢に本拠地を移してから初めての日本一を勝ち取っている。


──ライオンズが優勝した年に、またこうして所沢で過ごす時間が巡ってくるなんて──


──予め記された物語──


ぼくは今年、まるで予定されていた通りここへ帰り、何かの気づきを得るよう促されたのだろうか?

人はその歩みのなかで、いくつもの岐路に立ち、行先を思案する。しかし、もしかすると、自らどこへ向かうのか? 心の奥底では決めているのかもしれない。


──フレディ・マーキュリーの物語も同じだろう──


この曲を初めて聴いてから、もう40年ほどの時間が経った。歌に込められた意味に想いを巡らし、そこにどんな心境が込められていたのか?──その謎が、この映画を観てわかった気がした。同時に、〈ボヘミアン・ラプソディ〉というタイトルと歌詩との関連性も──。

歌詩の冒頭、「命を絶たれたある男」とは、フレディ・マーキュリーそのもの──そう解釈すると、全てが繋がる。


──何かを知るには、ながいながい月日が必要になることもある──


ぼくがクイーンに出逢っていなかったら──それからあとの出来事は、すべて違っていたかもしれない。


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