主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【夏の終わりに──夕暮れと鈴虫の声と蛍光灯】

f:id:kawasek:20180818221027j:image

2018年8月18日

平成最後の夏が終わろうとしている。

暦のうえではもう秋──昼間は蝉の声が聴こえるが、夜になると鈴虫が騒ぎ出す。自然は、今日もたしかに、時間が進んでいることを伝えてくれる。

毎年この季節になると、母がよく口にしていた言葉を想い出す。


「夏の夕暮れの、これくらいの時間が好きや」


陽が落ちて、少し涼やかな風が感じられるその束の間のひとときを、母は自分なりに楽しんでいた。


「運動したあとしか美味しくあらへん」


40代から始めて30年間続けた運動から帰ったあと、毎度そう言いながら南向きの窓に向かって座り、軽くつまみを頬張りながら缶ビールを味わった。


「今日はバタフライで100メートル泳いだねん」


母は水泳が好きだった。結婚をして名字が変わり、名前の文字すべてに三水など水に関わる名前になったから水には御縁がある──そんなことを話してくれた。嫁いだ先の家業が水道設備工事だったことも、母にそう思わせた理由のひとつだった。


「ビール飲みたい! 乾杯!」


一昨年の入院時、まもなく退院になるころ、ながらく付き添って下さった馴染みのリハビリ担当者と、母はそんな遊びを始めていた。ジョッキを片手に持ったつもりで乾杯の真似をするだけだったが、変わりばえのない毎日のなかで見出した楽しみだったのかもしれない。

無論、入院中だからビールは流石に与えられないが、現在お世話になっている特別養護老人ホームでは、同じようにしてビールをせがむ母にたまにではあるが、少量だけ提供して下さっているようだ。そのビールを飲みながら、いつも自分がそう口にしていたことを母は想い出すだろうか?

そんなことを思い浮かべながら、今夕、日課にしている読書をしていた。この夏から設けた事務専用机で、そのときの気分に合わせて色んな本を読んでいる。最近すっかり目のピント調節が利かなくなっているのだけれど、2年前に作った老眼鏡が今になってとても役に立っている。

その当時も母は長期入院をしていた。心臓冠動脈にカテーテル処置をしたあとだった。衰えた体力を回復させるため循環器内科からリハビリ病棟に移り、1日3回も励んでくれていた。それでも、この家で暮らす終わりの日が近づいていることは明らかだった。ぼくはただ顔をみせてみまもることしかできなかった。

秋に退院を果たしたあと、母が自宅で過ごした最後の3ヶ月は、ぼくがほぼ付きっ切りの毎日だった。ぼくの限界の訪れを察するようにして母は再び調子を崩し、1日2度も救急搬送され、そのまま病院に戻ることになった──再び長期入院し退院した後、11ヶ月の介護老人保健施設での暮らしを経て、今に至っている。

今夜も鈴虫の声が聴こえる。母の暮らすホームも緑豊かな環境にある。きっとこの音色が聞こえている違いない。今夕のことを憶えていられるかはわからないけれど。

この時季の空気に蛍光灯の灯りがよく似合うと感じるのは、いつの時代の記憶を参照しているのだろう。


──白い光──


この空気を感じると、親元を離れて過ごした林間学校やキャンプ教室での食堂の光景がいつも思い浮かぶ。


天井から吊るされた無数のハエ除けのガムテープ──。
スチールの脚に花柄の天板がつけられた昭和なイメージのテーブル──。
麦茶で満たされたアルマイトの大きなやかん──。


その様子を照らしだすのは、もちろん蛍光灯だ。陰翳礼讃と謳った嗜好はとうに古の出来事で、隅々まで明るく照らし出す、まさに経済成長の象徴として君臨した白い光──。高度経済成長期に、母はその登場を目撃しているに違いない。


──炎・蝋燭・ガス燈・電球・蛍光灯・LED・有機EL──


新しい光の創造は、人類の叡智の表象でもある。

昔は好きになれなかったけれど、不思議なことにLEDが登場した以降になってから、この白い光にも良さを見出せるようになった。それは、ぼくもそれだけ歳を重ねて、この光にも「或る想い」を重ねることができるようになったからに他ならない。

過ぎゆく時の流れを、光の移り変わりと共に感じている。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #蛍光灯 #鈴虫 #光 #高度経済成長

【カーキ色のソファー】

f:id:kawasek:20180817160805j:image

2018年8月17日

頭のなかが色んなことで渦巻いている。こんなときは、単純作業をするのがいい。掃除や家の雑務は、まさに作務のような効果が期待できる。思考が整理されるのはもちろんだが、この一見、生産性も意味もなさそうな営みのなかに「ある気づき」が得られたりする。

今日は長年気になり続けていた革張りソファーのひび割れを遂に補修した。ただクリームを塗るだけのことだが、長らく続いた母との日常のなかでは、なかなか手が回らない仕事だった。

西側の出窓の前に据えられた5脚のカーキ色のソファーは、この家のキーカラーに合わせて選んだものだった。


──グリーン──


「気持ちが落ち着く効果があって、最近では病院でも取り入れられている」


たしかそんな感じで勧められた記憶がある。グリーンはぼくの好きな色だ。何かにつけてグリーンを選ぶぼくに母が教えてくれた。


「あんたは緑が好きなんやな」


20歳の頃、歩行困難になるほどの重度の腰痛に見舞われて仮面浪人をしていたとき、ぼくはこの家の設計に立ち会っていた。母と2人、何度も施工会社に足を運んで、設計士と間取りの調整をしたり、カラーコーディネイターと内装の色合いを選定したりしていた。予備校にもろくに出席せず、家で作曲の真似事をしていたぼくは、母のアシスタントとして打合せに帯同していたのだが、子どものころからの空間好きのセンスで多少は貢献できたのではないかと思っている。特に、竣工後の内装の手直しでは、ぼくのアイデアで切り抜けたシーンもあった。

思えばそれは、平成の始まりのころの話だ。ここへ越してきたのが、平成2年の夏。多過ぎた荷物の処理に困って段階的に引越すことになり、母より先にここへひとりでやってきたのだった。

気づけば、今年で平成の夏も最後となった。文字通り、平成な世を期した祈りの時代は、30年で幕を閉じようとしている。母はまたひとつ、歴史的瞬間に立ち会えるだろうか?──陛下は母と同い年。明らかに母よりお元気である。

このカーキ色のソファーは、ずっと我が家の歴史を見つめてきた──引越した当初、兄の外国の友人がやってきて集合写真を撮ったのもこのソファーの前だった。母が普段いつも過ごしていたのもこのソファー。テレビを観たり昼寝をしたりしていた。身体が弱り始めて布団での寝起きが難しくなった母がベッドがの準備が整うまで休んでいたのもこのソファーだ。そこから転げ落ちて手首を骨折したこともあった。見えない明日に怯え助けを乞うた家族会議でぼくが嗚咽したのもこのソファー。点滴を投与される母を一晩中見守っていたのも、疲れ果てて眠ってしまったのもここ。そして、大切だったひととの束の間のときを過ごしたのも、このソファーだ。映像作品をゆっくり観覧してもらうため展示に持ち出したことも何度かあった。1脚だけ痛みが激しかったのは、きっとそのせいに違いない。

買い求めたクリームの色は、案じた通り、少し濃かった。調整するために白色や薄め液も合わせて買おうか迷ったが、多少色ムラがでた方が趣がでそうな気がした。しかし素人の手さばきでは、ムラというより汚れに見えなくもない。


──このムラもまた、我が家の歴史になった──


今日は湿度が低く、とても過ごしやすい。朝の空気は、もう秋の涼しさだ。

大好きな秋を今年もまた感じたい。想い出す出来事がたくさんあるから。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #カーキ色 #ソファー #修復 #秋の気配

【めぐる命】

f:id:kawasek:20180815221132j:image

2018年8月15日

今日、当時「この日」を実際に経験した母に会っておきたかった。当日のことはよく話してくれたが、今の母が何度目かの今日を迎えて何を口にするのか? それともしないのか? 興味があった。


──やっとぐっすり眠れる──


その日、母は12歳。疎開も経験したそうだが、大阪の真ん中で育った子供時代の母にとっては、それが素直な感想だったという。空襲が来るたび夜中に起こされて、家のすぐ傍に設けられた防空壕に身を潜めるたび、子供ながらに母は感じていたらしい。


──家ごと倒れてきたらお仕舞い──


地面を1〜2メートル掘って上に土を被せただけの穴に入っても無事が約束されているわけではないことを、子供も知っていたわけである。

母の85年の歩みには色んな出来事があった。あらゆる危機を越えて今日まで無事に過ごせたことは、何より幸運なことだ。若くして夫に先立たれたことも、その危機のひとつに他ならない。

夕方、施設にいくと、母は居間でテレビのニュースを眺めていた。何を話しかけても、母は予想した通りの反応だった。今日が「その日」だということも、感知していない様子だった。

そうなったとき話題に困らないように、今日は、母がかつて熱心に勉強していたイタリア語のテキストを持っていった。細かくたくさん書き込みがあるそのテキストは、母の黄金時代の1ページでもある。

80年代半ば、浮かれた景気の波に乗って、日本人も海外旅行に繰り出すようになった時代。母は長年憧れていたイタリアにひとり向かった。そこで陽気に話しかけてくれるイタリアのみなさんと話がしたい──その一心で、以来、イタリア語を学び始めた。

ぼくが中学に上がると、今度は英語やフランス語、スペイン語までも習い始めた。当時流行っていた、いわゆる「カルチャーセンター」という場所に通って、同時に複数の語学を学びだしたのである。

家ではラジオ講座も活用していた。放送をカセットテープに録音して繰り返し繰り返し聴くほど熱心だった。身体の自由が利かなくなるまで、ずっと勉強していた。

最近まで家に中には、当時のテキストやカセット、辞書や参考書が山のように保管されていた。もう役目を果たすことのないそれらは母の不在を象徴するようで、眺めているのも苦しい。ためらうことも懐かしむことなく、ぼくはそのたいはんを処分した。

そのなかで唯一残したのが、イタリア語のテキストだった。他のどの語学のそれよりも書き込みが多く、包装紙を自分で細工してカバーまで付けていた。即座にページが開けるように見出しまで正確に設けてあった。


──この自分のこだわりを母は懐かしむだろうか?──


母に見せると、進んで手にとってページをめくっていた。想像したほど興味は続かなかったが、書き込みを指でなぞっては、自分が書いた文字だということをぼくに何度も伝えてくれた。

夕食前の気忙しい時間──滞在は、わずか25分。そのうち、会話らしい会話はなかった。


──こんな日もある──


今日は、母が押入れに積み上げたままにしたものを処分する準備をした。この家にきて27年目の夏──たった一度さえも使われないままだったものもある。


──ひとつを得たら、ひとつを手放す──


母の命も、めぐりくる新たな命のために捧げられるころが近づいている。

偶然に開いたテキストは、食事に関するページだった。それは、家族の食卓を長年守り通した母の献身の表れのように思えた。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #終戦記念日 

【答えが知りたいわけじゃない】

f:id:kawasek:20180814233342j:image

2018年8月14日

今夜も米が美味しく炊けた。十六穀米入り玄米である。

ながらく胚芽米を愛用していたけれど、今年の春から玄米に切り替えた。つけ置き時間がながいなどやや手間がかかるが、ぼくの激しい咀嚼欲を十二分に満たしてくれるため、最近では、おやつ代りにも玄米を食べるほど多く食している。焼き海苔やおかか、ごまに柚子胡椒を和えたり、ときにはオリーブオイル(もちろんエクストラヴァージン)を使って味付けしたりもする。低糖質のため、食後も血糖値が上がらないのか、眠くならないのもいい。

母から台所を引き継いで以来、米を炊飯器で炊いた記憶は一度しかない。それも、久しく使われていなかった炊飯器を人に譲るとき、動作確認のために動かしたきりだ。

そんな昔のことを思い返しながら、今夜も耳を澄まして土鍋の声に耳を傾けていた。


──どうやって米の炊き方を見出したのか?──


そもそも、米は自生していたのだろうか? それを発見したとして、どのように食べられる状態まで導いたのか? 精米技術の向上も、現在のレベルに達するまで相当な時間がかかったはずだ──土鍋の構造だってそうだ。この蓋に設けられた穴は、画期的な発明だったに違いない。


──嗚呼、まただ──


そんなことを考えて何になる? きっと義務教育のどこかの時代に習ったはずだ。もはや思い出せるはずもないが、今どき、答え合わせするのは一瞬だ。知りたければ、即座にネットにアクセスすればいい。

しかし、ぼくは答えが知りたいわけではなかった。


──当たり前のことなど何もなかった──


今一度、その忘れがちな事実を心に刻む必要があったのだろう。それが何のためなのか、今夜はまだわかりそうにないけれど。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #男の料理 #料理男子 #料理中年 #玄米 #十六穀米 #土鍋ごはん

【虫の知らせ──premonition】

f:id:kawasek:20180814012900j:image

2018年8月13日

この単語を憶えたのは、10代の終わりごろだったろうか。David SylvianがHolger Czukayと協働したアルバム《Plight & Premonition》を聴いたときだった。

あれからながい年月が過ぎた今年、なんと再発を果たしたというので、現代的にストリーミングで聴いてみたところ、新たにミックスが施されたのか未発表の別バージョンなのか、これまで聴いてきた音源とは違う印象を受けた。もちろんストリーミングで全編楽しめるのだけれど、やはり気になるレコードは盤を求めたい。早速オーダーした。

割れた器を見つめて、一番最初に思い浮かべたのは、そのアルバムのことだった。あの当時から色んな音楽に触れていたお陰で今があると思うと、今日、こうしていることは「定め」と言っても過言ではなさそうだ。

もうひとつ、思い浮かべたことがある。母から台所を引き継いで、もうじき丸6年になるが、これまでひとつ足りとも食器を割ったことなどなかった。それなのに、今夜、遂にその最初の機会に遭遇してしまった。

しかもこの器は、20年ほど前に友人の結婚式の引出物でいただいた小皿だった。最近、レーズンやデーツ、くるみなどのナッツ類をつまむのによく使っていたものだった。

今日は寝不足のせいもあって、異様な疲れに支配されたていた。仕事の成果も得られず、トレーニングに出かける気力もなく、何もできなかった。その流れを明日に持ち越したくないと、めせて食器くらいは洗って1日を終えたい──それがいけなかった。しかし、怪我もなく済んだのは何よりだった。

それにしても、見事に真っ二つである。ここ数日のぼくの心情からすると、様々な意味をここに当てはめられそうだが、いまはこう思うことにする。


──これは、なにかの身代わり──


これから続くたくさんの約束を無事に果たせるよう、律して過ごしていきたい。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #虫の知らせ #premonition

 

【ひとりよがり】

f:id:kawasek:20180813103350j:image

2018年8月10日

昨日の母の態度が、頭にこびりついて離れない。


──途方に暮れる──


母に背を向けられたときの気持ちを言葉にするなら、きっとこうだ。

どうしたらこの気持ちを手放せるのか見当も付かなかった。ただ…母を見守り続けたこの6年近くの時間を思うと、その光景はあまりにも物語性に溢れているように思えた。そして思わずシャッターを切った。

しばらくすると母はまた向きを変え、ベッドの手すりを伝うようにして進み、今度は洗面台の前までやってきた。手を洗うわけでも鏡を見るわけでもない。ただそこで車椅子を停めて、居室の扉の方をじっと見つめている。ぼくがすぐ隣にいることさえ感知していない──それは、実に象徴的な老いた親の姿だった。

溢れるものを抑えながら母に何か話しかけたが、内容は覚えていない。母はゆっくりこちらを向いてぼくの顔を見つめた。そして、いつもの和かな笑顔を浮かべる──このあと母が何を口にするのか、ぼくにはわかる。


「どちらさまですか?」


こんなときは、冗談で返すといい。


「誰だろうね? ぼくが誰だか教えてよ」


それは、ぼくの叫びだった。

笑みを浮かべながら、再び母は前を向いた。横顔はどこか寂しそうで、瞳は潤んでいるようにみえた。


──すべて演技だったらいいのに──


帰宅後は、何もできなかった。最近は毎日練習しているギターさえも手に取る気がおきなかった。


──しばらく母には会わない方がいい──


そう思ったが、そのままにするとかえって次の機会が遠のいてしまう…そんな気がした。

梨がまだ手元にあってよかった。ささやかでも、母に会いに行くための理由になる。

今度は、梨をスムージーにして持っていくことにした。梨と豆乳、氷をミキサーにかけただけの状態で味見──とてもシンプルながら、梨の甘みと香り、舌触りを残したさわやかな味になった。

母が愛用していたカップも持参した。とても冷たそうにして最初は嫌がっていたけれど、ゆっくり一杯飲み干すと、おかわりまでしてくれた。下の義歯がないから、口に移したスムージーがよだれと一緒に垂れてきたりもした。けれど、そんな姿も今日はとても愛しく思えた。

介護者としてのぼくの想いは、いつだって一方通行。ひとりよがりの片想いだ。相手のためというより、自分が思い残さないために行動している…そんな自覚がこの6年、常にありながらも、それでも何かできることはないかと苦悶してしまう。母が今年の梨を味わえたところで何かが変わるわけでもない。そんなことは無論わかっている。しかしだからと言って、何もしないという選択は、いつもぼくにはできそうになかった。

たわいもないやりとりがいくつか続いたあと、母は、大ファンだったイタリア人指揮者=クラウディオ・アバドの本が部屋に飾ってあることに気づいた。手渡すとページをめくるたび目に入ってきた写真一枚一枚を手でさすりながら「アバドさん、アバドさん」と嬉しそうに声をかけていた。ぼくたち兄弟のこと、亡き夫のこと、そして近ごろでは自分のことさえも記憶から消し去ろうとしている母が、今でも愛した音楽家たちのことはよく憶えているのは幸運なことに思えた。

部屋ではパバロッティ歌唱による〈誰も寝てはならぬ〉が今日もかかっている。歌の終盤に差し掛かると、いつものように「vincero(勝つ)」というイタリア語の歌詩を一緒になって大きな声で歌いだす。


「あっちに連れてって」


また今日も、少し苛立った口調で母はリクエストしてきた。もうじき夕食の時間だからちょうどいい。みなさんが集う居間へ母を連れていくことにした。

周りに人がいると、母は自然にぼくのことを紹介してくれる。


「この子は次男。長男はもっと大きいの」


息子たちがいることもおぼろげになりつつあるはずなのに、状況が整うと反射的に対応できるのだろうか?


「暖かい手やなぁ」


別れ際には必ず握手をすることにしている。今日は久しぶりに母がそう応えてくれた。


「あなたがそうして育ててくれたんだよ」


そう伝えると、帰り際、このところそっぽを向いてしまうことが多い母が、今日はぼくが見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。

表に出ると、空はもう秋の気配が漂っていた。ひとつ大きく息を吐いて、一仕事終えたあとのような気分で車に乗り込み、家路に就いた。車線が入り組んでいていつも混み合うある大きな交差点に差し掛かろうとしたとき、一台の車が進路に困った様子で徐行していたので道を譲った。信号で停車して何気なくナンバーに目をやると…そこにはまさか、母の誕生日と同じ数字が並んでいた。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #エール #claudioabbado #pavarotti

【母の苛立ち】

f:id:kawasek:20180812202514j:image
2018年8月9日

従兄弟から毎年贈られてくる千葉・八千代の梨を母にも食べてもらいたくて、今日は丁寧に皮を剥いて、しっかりと保冷した状態で持っていった。


──義歯はなくとも食べられる──


その見込みが見事に甘かったことを思い知らされた。

母は嬉しそうに梨をひと切れ手に取り、上歯の義歯を上手く使って、その半分を頬張った。しかし、下歯がないものだから、そこから先が上手く噛み切れないまま、口の中で梨を持て余していた。


「もういらん」


そう言い放って、唾液まみれの少し角が取れた梨を口から吐き出してぼくに手渡した。

近ごろの母に会うと、必ず色んな要求をされる。特にベッドに横たわっているときには、「起こして」「車椅子に座らせて」とせがんでくる。

座る姿勢が悪くてお尻の尾てい骨あたりに負荷がかかり、皮が剥けてしまう症状が以前入所していた介護老人保健施設にいたころから発生していた。座ることも姿勢を維持するリハビリになるのだが、何よりお尻への負担を軽減するため、午後には横になる時間を設けて下さっている。つまり、勝手に起き上がると、またお尻に痛みがでてしまう可能性が高まるわけだが、説明しても母は言うことを聞くはずがなかった。

最近は、なるべく好きなようにさせてあげようと思っている。母の要求はその場限り…いや、「その瞬間限り」と言った方がいいだろう。次の瞬間には前言を撤回して別の要求をしたりもするが、できる限り応えている。

車椅子の使い方も少し上達してきて、部屋のあちこちにつかまっては狭い空間のなかを自分で移動している。傍目には、それはいい出来事のように映るかもしれない。けれど、ぼくには、とてもそうは感じられない。


──伝えたいことがあるんや──


母はそう言いたいのかもしれない。それなのに、言葉も身体も思い通りに働かない…そんな苛立ちが母の心を支配しているように見えてしまう。

かつてのように明晰であれば、限られた面会の時間を大切にしようというある種の気配りができたはずだ。しかしいまの母に、もはやそれを期待することはできない。

きっと物心つく前の子供は、こんな調子で自由に振る舞うのだろう。周りの想いなどお構いなしに。


「たいくつ」


母は少し怒った口調で、一音づつ区切るように発音してぼくに告げると、窓辺のクローゼットに手をかけて車椅子の向きを変えた。そしてぼくに背中を向けて、ほんの少しだけ窓の方に近づいた。それはとてもゆっくりとした動きだった。まるで決別の覚悟ができたかのような静けさがそこにはあった。フローリングの床にタイヤの軋む音が、いまもまだ耳に残っている。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン6 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #苛立ち #決別 #覚悟