主夫ロマンティック

独身中年男子=川瀬浩介の介護録──母が授けてくれたこと

【混乱に棲む美】

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2018年9月14日

今日の午後、この数日案じていた通り、母は入院した。

一昨日から大きく様子は変わらないままだった。発熱も未だ続いている。容体に改善がなかったため、施設から病院へ搬送された。いくつかの検査を経たのち、病室の準備ができるまで、ぼくたちは処置室で待機していた。カーテンで仕切られた狭い空間に母と2人──そのときを待つ時間は、不思議と何の不安も感じなかった。

ストレッチャーに横たわる母は、ほとんど眠っている。しかし突然目を開いては辺りを見回す。ぼくと目を合わせると、ここ最近口にしている台詞を漏れなく発っしてくる。


「早よう起こして」


一昨日より聴き取りやすいと感じたのは、母の発声が向上したのか? それともぼくのリスニング力が急成長したのか? いずれにせよ、母は今日もずっとこの繰り返しをしていた。

外来の診察が長引いたらしく、主治医から話が聞けたのは、なんと病院に到着してから6時間後だった。その間ぼくは、母の傍に腰掛け、寝入る母をみまもりつつ、電話のなかに無数に収めてある本を読み漁っていた。

気分の向くままにページをめくると、見事な巡り合わせが連続し始めた。


「家族との時間を大切にする」
「日常の細部を見つめる」
「周りにある幸せに気づく」


そんな言葉が、次々と目に飛び込んでくる。

母との膨大な記憶は、ときにぼくを感傷的にさせる。ひとりの時間には未だ見ぬ未来の出来事を想像して気が狂いそうにもなる。けれど、目を瞑り横たわる母の傍にいるとき、一切の恐れはない。


──今、生きている──


それだけがすべてだった。

母は目を覚まして辺りを見渡し、ぼくに気づくと視線を止める。ぼくが微笑むと同じように微笑みを返してくれることもあれば、何も反応なくまた眠ってしまうこともある。病室では寝言のようなトーンでまたも伝えてきた。


「早よう起こして」


何度そう言われても、ぼくも根気よく応え続ける。


「しっかり治してからね」
「そのためにも今はゆっくり寝ないと」


そう告げると、諦めたのか安心したのか、またゆっくり目を閉じて寝入る…。

主治医を待つ間、その繰り返しを、4〜5時間ほどやっていただろうか。それはまるで赤子をあやしているかのような図だったことだろう。

途中、看護師の方がいらして、採尿のため、尿道バルーンを装着して下さった。流れ出てきた尿は、これまで見たこともないほどの濁りようで、それだけ体内に毒素が溜まっていたことをぼくに強く印象付けた。

主治医の診断は、膀胱炎と敗血症。血液検査の結果からもだいぶ重たい症状だったようだ。これから点滴による抗生剤投与が行われ経過を観察することになる。

「大丈夫だと思います」との初見ではあるが、高齢であること、そして現在の様子からして急変もありうるとしたうえで、続けて説明が加えられた。


──家族の意思確認──


その決定を伝えることに、ぼくにはもう迷いがなかった。何の動揺も物語性の欠片もなく、母の代理として、家族の代表として、意思を伝えた。

もう5年も前のことになる。母がある院内で転倒して大腿骨骨頭を骨折したときのことだ。人工関節置換手術が必要と迫られて、その場で同意書にサインを求められたとき、あまりの急な展開に想像力も気持ちもついていけず、1日待ってもらったことがあった。聞けば全国で年間10万例も行われている手術で、比較的簡単なものだったそうなのだが、こちらにとっては初めてのこと。医師はもちろんのこと同意書を準備していた看護師さえも「何を躊躇しているのか?」と言わんとした表情でぼくを見つめていたことを憶えている。

あれから、いくつもの選択を迫られてきた。そして、その先起こりうる選択についても、あらゆる可能性を想像し考え尽くしてきた。


──心が粉々にされるくらいに──


随分と時間がかかった。今日、こんな風にして冷静に話ができるようになるまでには。

処置室で待機しているときだった。ぼくは改めて母の様子をくまなくみつめていた。苦しそうな様はなく静かに眠っている。顔色も比較的いい。皺は昔からそれほど深くはない。元々色白で綺麗な肌をしていたが、今でもそれは保たれている。屋内の暮らしがながらく続いて、さらに肌は透き通るように白くなってきている。肌の下に映る赤や青の血管さえも、その肌の白さを強調するのに一役買っているように見える。搬送されてきて少しでも乱れた髪は、白髪と銀髪が絶妙に重なり合って素晴らしい表情を生み出している。


──嗚呼──


その美しい瞬間を写真に収めておこうとおもった。

電話のスピーカーを親指で蓋してシャッター音を最小限に抑えたつもりだったが、母はそれに気づいた様子で、目を覚ましてぼくを見つめた。そして、何だかんだ企んでいるような微笑みをみせて、また眠りに就いた。


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