【家族に甘えた1日】
2018年12月5日
家族に甘えた1日──。
たくさん泣いて、ときどき笑って…。
数々の非礼を詫び、これまでのわだかまりを解いた。
その支えに報いるために、もう一度、前へ。
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【最後の贈りもの】
201811月29日
「息子さん、何されてるんですか?」
「さっ・・きょ・・・」
「んっ?」
「さっ・きょ・く」
面会時間終了目前に施設へ着くと、前夜、母の担当だったという方からこんなエピソードを聞かせていただいた。
その日も、ぼくのアルバムをかけて下さっていたそうだ。それを聴きながら笑っていた母に訊ねて下さったのだという。母は今、度重なる義歯の破損であまりうまく発音できない。
「息子さんたちご兄弟の写真をみて、いつも笑っていらっしゃいます」
母は横たわりながらも、自分も右手の少し離れたところにある衣類棚の上に置かれた写真に頻繁に目線をやる。そのことには気づいていたが、母の視線の角度から察して、母が愛したイタリア人指揮者=クラウディオ・アバドの写真を眺めているのだとぼくは思っていた。
ぼくたち兄弟の名前は思い出せなくても、アバドやパヴァロッティなど、愛聴していた音楽家たちの名前と顔は今でも記憶に鮮明にあるらしい。50代を迎えた母は、遅くに産んだぼくの子育て役からもようやく解放されて、再び音楽を楽しみだした。時はバブル期──母は欧州まで演奏会を見に出掛けるほど熱心で、まさに自由を謳歌していた。
──中年期の黄金時代──
認知力が衰えても、最もいい時代の記憶は残ることが多いのだという。
──楽しかった日々の記憶──
それが母にとっては「音楽」なのだ。
今日の面会時も、母は頻繁に目線を写真の方にやった。
「アバドの写真を見てるんだね」
「あんたの写真を見てるんや」
──心を揺さぶられた──
母は確かに、いつもと同じ視線を衣装棚の方に送っていた。見間違いはなかった…。職員の方から伝え聞いた言葉は、本当だったのだ。
──息子さんたちの写真を見ている──
母の記憶のなかに棲むぼくは、今もまだ、作曲家であるらしい。今年の春、一緒に観に行った森山開次《サーカス》の再演のことも憶えてくれていた。
──母のなかで、ぼくは作曲家として生きている──
その事実が母のなかにあること──その「今」がまだ目の前にある現実に、感謝の想いが溢れてきた。
来年、《サーカス》と同じ新国立劇場で初演される森山開次《NINJA》の音楽を任されたことも伝えた。すると母は、手を叩いて喜びを表現してくれた。それから先は、どんな言葉を伝えても手を叩いて笑顔を贈ってくれるようになった──例えば、こんな感じで。
「まだ嫁には出逢えそうにないんだけどさ」
(パチパチパチパチ)
すっかり板についた、ぼくの飛び切りの苦笑を母に返した。
子供帰りしていてもいい。記憶がなくなっても構わない。この笑顔が、終のそのときまで永くながく続きますように──ぼくは今、それだけを願っている。
母の笑顔をみまみりながら、その笑顔の素晴らしさを伝えた。
「笑いを贈ることって素敵だな、と、今になって母であるあなたから学んでいるよ」
(パチパチパチパチパチパチ)
「笑顔は連鎖するんだ」
(パチパチパチパチパチパチ)
「言葉が通じなければ笑えばいいんだよね」
(パチパチパチパチパチパチパチパチ)
「ホントにいい笑顔だね」
(パチパチパチパチパチパチパチパチ)
こうして綴りながら、その時間のことを想い出すと、どういうわけか、自然と視界が潤んでしまう。あんなに素敵な笑顔を想い出しているというのに…。
──母は永遠──
目の前から消え去るとき、母はぼくのなかに移り棲む。そして目を瞑れば、たくさんの想い出が蘇ってくる。この笑顔も、ぼくの記憶に頼れば想いのままに呼び覚ますことが可能だ。
ぼくだけじゃない。母を知るすべての人たちのなかに、母は棲むことができる。身体といういつか果てる器から解き放たれて、母は遂に、真に自由な存在へと帰っていく──。
──みまもる──
母が再び原初へと戻るその様を、しっかりと見届けたい。
その時間こそが、母がぼくに授けようとしている最後の贈りものに違いない。
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【レンズ豆とキヌア】
2018年12月1日
パスタに代わる食材として、レンズ豆とキヌアを試そうしている──。
スパゲッティ・サラダのパスタ部分を置き換えてみることにしようと計画しているが、今夜は下茹でするところまででおしまい。
映像書き出し作業中に料理をするのは、とても効率が良く、自ずと気持ちが高鳴る。
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【新しい食生活】
2018年11月28日
玄米、赤出汁、鯖の味噌煮、酢納豆、大根とアボカド・ブロッコリーのサラダ──これが最近の夕飯。
朝、1食目は(というより昼だが)、果物と乳製品とプロテイン…そしてコーヒー。夕食として2食目にこのような献立を摂って、今度はエスプレッソを淹れて豆乳で割ったものを飲み干して締める。3食目はプロテイン(または鶏胸肉の蒸し鶏)だけ。リラックスしたいときには、玄米茶をはじめとする日本茶をいただく──そんな食生活をしている。
今のところ、実に調子がいい、が──。
実験は続く。
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【昆布と鰹のあわせ出汁】
2018年11月27日
今日はジミ・ヘンドリックスの誕生日──。
そんな「ロック」の日に、ぼくと言えば、起きたそばから昆布と鰹のあわせ出汁を取っていた。一晩水に浸け置きした日高昆布を煮立たせないように弱火で火を通し、30分間ほど過ぎたところで火を止め、昆布と同量の鰹節を鍋に投入──鰹節が昆布出汁に染み込んでいくまでしばらく待てば、見事な味わいの淡い旨味のある出汁の完成だ。
──なんてロックなんだ!──
出汁パックも使ったことはあるが、とくに鰹出汁はいい塩梅にはならなかった。顆粒タイプは手っ取り早いのが何より助かるが、出汁が濁りがちなのがいただけない。
しかしこうしてわざわざ出汁を取ってみると、この加速する時代に、なんて暴挙を行なっているのかと感じる──もう一度言おう。
──なんてロックなんだ!──
当たり前のことは次々に叶わなくなっていく。それが常だ。そんなとき、いにしえの普遍性に逆説的な過激さを覚えてしまうぼくは、やはりどうかしているのだろうか?
早速、取れたばかりのあわせ出汁を使って、このところよく食べている「きのこの煮びたし」を作った。シュウ酸除去のため下ゆでしたほうれん草を和えるのもいつもどおり。生姜、にんにく、柚子胡椒、唐辛子に胡麻油と液体あご出汁を少々加えるとできあがり。
──嗚呼、なんてロックなんだ!──
他、鶏胸肉の蒸し鶏を作って、今日は軽めに炊事を終えた。
母が京都に嫁いだ1957年は、高度経済成長に突入した初期の時代。まだ便利な調味料などさほど出回っていなかったはずだ。それでも大家族の長男の嫁として、朝から晩まで家事に家業に追われていたと聞いている。
──出汁を取るのは、その時代で終わった──
ぼくを連れて東京に移り住んだのは、1974年。料理は変わらず毎日作っていたが、そのときには既に化学調味料が食卓にはあった。再びそうしたものから遠のいて、なるべく自然のものを摂るようになったのは、この家に移り住んだ1991年からだ──あれから27年にもなるのか…。
ぼくの身体がこうして守られてきたのも(年齢の割に若く見られるのも)、母の努力による成果と言えよう。それを引き継いだ今、今度は自分で自分を育てていく番だ。
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【最後の契約(2)──感謝のエール】
2018年11月21日
「どこのどなた様ですか?」
最近の会話の始まりはいつもこうだ。そんなときは、部屋に飾ってある名前入りの写真をみせる。すると、一時的ではあるが思い出せるようだ。写真を見ると、少し目に涙を浮かべたような表情で、母は顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを返してくれる。そしてぼくの顔と写真を見比べながら、言葉にならない声を発する。その意味が何かわかる必要はない。
──今ここで、ぼくと母は顔を合わせて笑っている──
それだけで十分なのだ。
今の母には記憶することはできないとわかりながら、今日の契約のことを伝えた。
これが最後の契約になること──
ルールを守らないと追い出されるかもしれないこと──
たくさん契約を交わしてきたこと──
実印の押し方が慣れてきたこと──
そんなことを母に伝えていると、自然と、母がぼくの子供時代にどれだけの手と頭と身体を動かして時間を割いてくれたのか?──そんな想像が一気に湧いた。
──母の決断がなければ、ぼくはいない──
母がぼくを生んでくれなければ、ぼくという存在さえなかったのだという、実に当たり前のことに改めて気づかされる。
──とても大切なことなのに、当たり前のことはいつだって忘れてしまいがちになる──
「たくさんのことをありがとう」
「ぼくを生んでくれたことも、ね」
堪えきれず目を赤くしながらそう伝えると、母は和かに笑いながら応えてくれた。
「おたがいさま! お・た・が・い・さ・ま」
「ありがとう! ありが・とうっ! あ・り・が・と・うー」
入歯が破損したままで発音がおぼつかないことがわかっているのか、語尾を強めて、そのうえクレッシェンドしていくように発声して、ぼくが確かに聴き取れるように繰り返し繰り返し、何度も何度も、そう伝えてくれた。
もしかしたら、あのときばかりは母の脳内チューニングが合っていたのかもしれない。あとどれだけその機会が残されているのかわからない。もうこの先、そんなことはないかもしれない。けれど、あの瞬間だけでもはっきりと母からのエールが聴けたことは、ぼくを抱く見えない大きな力からの褒美のように思えた。
ぼくがお腹にいるとき、父が癌に侵され、母はひとりで余命宣告を受けた。48年前のことである。今よりも未熟な医療のもと、母は当時37歳という年齢で、安全な出産が危ぶまれた。まして女手一つで子供を育てていくには現在よりも困難が予想される時代である。12歳年上だといえ、まだ幼い兄もいる──そんな状況で、主治医はぼくを産むかどうか、母に問うたという。
「ひとり減るから産んどきますわ」
実に母らしい決断だった。
夫に先立たれることがわかった状況での出産──想像を超えた心労と終が迫る父を見守る日々との狭間で相当な負担が掛かったのだろう。ぼくは、予定より一ト月も早くこの世に生を受けた。
そのせいか、逆子の状態での出産となり、へその緒が首に絡まっていた。そのことが原因で産声はなかったという。当然、未熟児としてしばらく保育器に入っていたらしい。首も曲がり頭にも大きなコブがふたつできていたそうだ。生後、京都で名のある按摩さんのところに通って矯正してもらったそうだが、首のねじれとコブの跡はいまでも僅に残っている。
「子を育てて一人前」
ぼくには未だ、子育ての経験がない。けれど、母の介護者としての時間を過ごして、親の偉大さを改めて感じることになった。
──親の介護をしてこそ一人前──
大介護時代、介護危機が目前に迫っているこの国では、じきにそう語られる日がやってきても不思議ではない。
この最後の契約を済ませて、たくさんのことに想いを巡らせている。この想いを、今は未だ想像しない形で社会に還元していきたい。
そのためには「今」を全力で過ごすことが必要だ。
──脇目も振らず、一心不乱に──
母の世代の人々があらゆる危機を乗り越えてきたように、どんなときも、前へ。
──まずは小さな一歩から──
歩み始めれば、自ずと行先は決まってくる。これまで進み続けてきた一歩一歩と同じように、自分を欺くことなく、前を向いて歩こう。
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【最後の契約(1)──終の住処へ】
2018年11月21日
定員に空きが出たとの報告が母が入居している特別養護老人ホームから連絡が入ったのは、1週間ほど前のことだった。春から同施設のショートステイ枠を利用していた母だが、遂に「終の住処」と呼ばれる場所へ正式に入居することになった。
それに際し契約を結ぶ必要があった。穏やかな静けさに包まれた秋の日、約束の時間に施設へ向かった。
母と顔を合わせる前に、契約書にサインをすることにした。儀式のように契約内容の確認をしあいながら、署名捺印を行なっていく──。
その間、これまで何度、介護サービスを受けるために契約を交わしてきたのかと思い返していた。ケアマネジャーとの居宅介護支援契約に始まり、病院で行われる通所リハビリ、自宅へリハビリ師の方がいらして下さる訪問リハビリ、出張時に母を看てもらうためのショートステイサービスとの契約──母が気に入らなかったり、個室がある条件を求めたり、希望期間に空きがなくて新規契約が必要となったケースなどあわせて、4〜5社と契約を交わした記憶がある──介護ヘルパー派遣会社との契約、おんぶ専門のヘルパーさんとの契約…。まだ母が十分に歩けたころには、認知力維持のため近くのスーパーマーケットまで買物の付添をしてもらえるサービスに加入した。あれはまだ、介護者としての暮らしが始まった初期のころのことだ。
自宅での日常動作がおぼつかなくなり、常時みまもりが必要となったころには、自宅復帰を目指しながら積極的なリハビリを提供してもらえる介護老人保健施設に入所。この際、居宅介護支援のケアマネジャーも変更となり、改めて契約を交わした。
自宅復帰がいよいよ難しくなって、特別養護老人ホームへ移ることになったとき、定員に空きが出るまでの間は居宅介護支援扱いとなるため、また別のケアマネジャーとの契約が必要となった。
そして今回の、特別養護老人ホームとの正式契約──。
そんなこれまでの出来事を思い返しながら筆を走らせつつ、過ぎし日々のことを独り言のように担当者にお話しすると、それまで頭の中になかった言葉が返ってきた。
「これで最後の契約になりますね」
そう、これが母の介護に関わる、恐らく最後になるであろう契約だった。
もしもこの先、また別の契約を交わさなければならない事象が発生したとしたら、それはかなりの一大事に直面していることになる──今の施設では支援できない状況になり、別の施設に移らざるを得ない──考えられるのは、そんな喜ばしくはないことばかりだ。
事実、最近の母は、認知力の低下が原因なのか、自制が効かないため小さな問題を引き起こし始めている。先日も、入歯を自ら外して机の上で叩き壊してしまった。大阪人ならではの冗談も周囲の利用者の方には通じないことも多いようで、まれに相手の気分を損ねる場合もある。
周りに気を使う母だったが、そもそも集団生活から遠のいて生きる選択をしてきたことに加えて、近頃の認知力の低下は周囲との協調からさらに遠のく要因になりかねない。
ぼくにできるのは、できるだけ会いに行くこと──それくらいしかないが、それこそが、とても大切で大きな役割だと感じている。
契約を締結して、今後の生活に向けた希望を伝えたいのち、母に居室に向かった。
「今は寝ていらっしゃいます。あっ、でも浩介さんの声をきいて起きたみたいです」
いつもお世話して下さっている職員の方が、母の様子を確認してそう伝えてくださった。
「もうぼくのことは憶えてないみたいなので
知らないおじさんの体で接します」
いつもの冗談を添えて、ぼくは居室に入った。
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