主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【初心を思い返す日】

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2018年4月30日

Spiral Independent Creators Festival──。

長い名前だ。

2000年開催の第1回から参加したことを思うと、今もまだこうしていられることが不思議でならない。


──2002年──


第3回SICFグランプリ受賞。

あの日、青山通りの確かこのあたりから、母に電話をした。当時愛用していたPHSの音の良さが今となっては懐かしい。

母は何事においても過剰に喜んだりすることはなかった。特別なことがあってお祝いしたりすることもあまりなかった気がする。もちろん、それでぼくは不満に思ったことはない。あらゆる意味で豪快で愉快な母だから、何の違和感もなかった。

16年前、母にこんな未来が来ることを、ぼくは全く想像していなかった。


突然の別れを迎えることになるより
永らく病に苦しむより
事故に巻き込まれるより
若くして先立つより


──よかった──


そう思える望まない事象は無限に数えられる。

けれど、遭遇せずに済んだ出来事は、母はもちろん、ぼくが向き合うべき「今」ではない。


──これでよかった──


そう思える「今」を創り続ける、と誓ったのは、何のあてもなくアートの道に進む決意をしたときからかもしれない。

この5年半、母の晩年の在り方を、知力・体力・資本力の総てを投じて全力で創り続けてきた。しかし、終という不可避な最期へ進むには、望まなかった「今」を見つめることさえも不可避だった。


──この選択は間違いなかった──


そう思える母の送り方を、その日を迎えるまで考え続けていきたい。


SICFの会場の雰囲気は、2000年のころと何も変わらない。


──期待と不安が入り混じる──


こういう空気がたまらないからこそ、ぼくたちはずっと、ここにいるのかもしれない。


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【不滅の主夫ロマンティック】

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2018年4月29日

目指す丁寧な暮らしには、やはり「満たされた食」が欠かせない。

何の疑問を抱かせることなく、我が家には、楽しい食卓が常にあった。それを守り通してくれた母への感謝の想いは、ぼくが持ち得る語彙を総て使っても、とても言い表せないほどのものだ。


忙しいから
時間がないから
やる気がないから
不安だから
眠れないから
苛立つから
寂しいから


そんな言い訳ばかりを積み上げては、健康を意識した暮らしから遠のき、暴飲暴食生活を重ねて身体を壊しかけてしまうだなんて…。まだ何も起こっていないのは「幸運」としか言いようがない。

深く反省して、この2週間、すっかりもとの暮らしに戻っている。介護者としての日々が始まったのと時を同じくして、55年もの間、母が守り通していた台所を引き継いだ。いわばこの5年半の日々は、ぼくの家庭料理修行の時間だったと言ってもいい。母が特別養護老人ホームに入ったからといって、この習慣を途絶えさせる理由はない。

今夜も、久しぶりのメニューを含めて、いくつか作り置いた。これで次の出張から戻るころまで、満たされた食事をいつもいただくことができる。買食いや外食もたまにはいいが、この数ヶ月間は、酷い振る舞いをしていた。若干、依存傾向も現れていたような気がする。定期検査の周期がちょうどそこにやってきたおかげで、そこから早い段階で脱却する心構えができた。本当によかった。

今日の台所仕事の締めくくりに、いつでもすぐに食べられるようにと、生のレタスを丸々一個手で割いて、タッパーに保存した。その作業中、ふと思い立って、スイカの真ん中を独占するかのごとく、レタスの芯の部分──生命の源──をもぎ取って、ひと口に頬張ってみた。


──甘い──


香りもとても芳醇だった。奥歯から伝わる食感とあわせて、脳が心地よく反応しているような感覚を抱いた。

こういう瞬間をいつまでも大切にしていきたい。そして、いつもそばにこんな豊かさがあることを、伝えていきたい。

これから巡り会う、まだ顔も名前も知らない君に。


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【そう信じている】

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2018年4月29日

大型連休に入った。

みんなどこかへ出かけてしまったのだろうか?

それとも、今のぼくのこころの中がそうありたいとしているのか?


──とても静かだ──


母のこと。仕事のこと。そして自分の身体のことが一度に重なってきたこの一ト月──それぞれ落ち着きを取り戻しはじめている。その気忙しさから少し距離を置いたところで、そろそろ家のなかの整理を始めようという気になった。

母の暮らしの安全と健康を維持するために準備した様々な品品──。

離床センサー代りに使っていた人感センサーとその受信機──風呂でののぼせ防止用に設置したタイマーと浴室内の緊急ボタン──ぼくの外出状況を確認するための手作りの札──脱水状態を回避するため効率的な水分補給をサポートしてくれた経口補水液──介護に関する情報誌──。

お借りしていた福祉用具もじきに返却になるため、いつでも対応できるように整えた。

母の安全を守ることが最大の目的だったことはいうまでもないが、ぼくの介護負担を減らすことも念頭に置いて、仕組みづくりを必死に行ってきた。

この5年半に手にした知識は、いつか誰かと暮らすときに、きっとまた役に立つときがくる。パートナーがもしものときのサポートはもちろん、そのご両親の介護が必要になったときにも、この経験は参考になるに違いない。

そして何より、ぼく自身が不自由になった場合にも同様だ。

2025年には、団塊の世代が要介護となる時代に突入すると言われている。今よりもテクノロジーが進歩したとしても、若い世代が少ない現状を考えると、介護の担い手は十分に確保できそうにない。

遠い遠い未来に、今の若い世代が要介護となるころ、インターネットや携帯電話など、最新のテクノロジーを使いこなせる能力がある分、もしかしたら、なにかが劇的に変わるかもしれない。人工知能やロボット技術も、SFの世界にいよいよ追いつくときがくてもおかしくはない。

けれど、もしもそうなったとして、また別の問題を抱え込んでしまうのが、人類の業である。


──すべての事象には、光と影がある──


そのことを、忘れてはならない。


──あらゆる選択を積み重ねてきた結果が「今」──


介護者として、母と過ごしたこの5年半を振り返りながら、自戒を込めて、強く思う。


──この他の選択はなかった──


そう信じている。


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【言葉から解き放たれて】

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2018年4月28日

今日も太陽を見ていた。

雲ひとつない快晴のもと、昨日と同じように、空は白く輝いていた。


天高く煌めく太陽──。

バックミラー越しの夕陽──。


その夕陽が照らしていたのは──真昼の月


また満月が近づいている。


特別養護老人ホームに入居して、1日が経った。母に特別変わった様子はなかったようにみえた。

それを確認して、ぼくが安心しても仕方がない。


──自己満足──


もしも言葉を失ったら、ひとは感情や恐れから自由になれるだろうか?


その言葉も概念からも解き放たれたとき──「幸福」という何かを見つめることができるようになるのかもしれない。

母は、その瞬間に近づいているのだろうか?

それとも、伝えたいことを伝える機能を喪失してしまって、「自分」という器のなかに閉じ込められているのだろうか?


──あの笑顔の向こうに、ぼくには届かない叫び声がこだましているのだとしたら──


他者の痛みは、想像することしかできない。


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【白く輝く】

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2018年4月27日

このところ、眠りが浅くなっているのか、夢をよくみる。

先日は、大きなトカゲと一緒に暮らす夢を。今日は、まるで大海を旅するくじらのようにゆったりとした優雅さで気泡が煌めくプールのなかを潜りながら泳いでいる夢だった。いずれも楽しめる夢だったからよかったけれど、ぐっすり眠れず、疲れが溜まり始めている気配をこのところ感じ始めている。

今日は、母の特別養護老人ホーム入居日──泳ぐ夢を見ながら、どこかで「せめて晴れ間が広がっているといいな」と願いながら、目覚ましよりだいぶ早い時間に朝を迎えた。

迎えのため外に出ると、あいにく、空は隙間なく雲に覆われていた。けれど、それはとても不思議な光景に見えた。


──白く輝いている──


真上の空を見上げた。


──太陽が雲を発光させているんだ──


遠くの方を見上げる。厚い雲の壁を背景にして、その手前に別の雲が浮かんでいる。その姿はどこか人造な雰囲気を漂わせていて、まるで絵画を観ているようだった。

胸いっぱいの別れの儀式を終えて介護老人保健施設を後にし、母と2人、新しい棲み家まで30分ほどのドライブ。もちろん音楽は、いつもと同じ。パヴァロッティの歌唱による〈誰も寝てはならぬ〉だ。

母は今日もイタリア語の歌の最後の部分、「私は勝つ」という箇所を「ヴィンチェロぉ〜」と、繰り返し繰り返し合わせて歌っていた。曲が盛り上がる部分では、膝を叩いてリズムを取る。時にはバヴァロッティの歌い終わったところで、力一杯の拍手を送っていた。


──すべていつもどおり──


その様子を傍で感じていると、自ずと安心したのか、溢れていたものが収まってきた。


「ここが新しい家だよ」


そう告げると母は少し驚いた様子を見せたが、到着するなり職員の皆さんに投げキッスで挨拶をして、皆さんを笑わせてみせた。たくさんの笑顔と笑い声がこだましていた。

母を送り届け、居室で看護師の方に母の現状を申し送りし、いくつかの契約を交わした後、16時過ぎに家路に就いた。今日はすぐに家には向かわず、先日再開させたばかりの水泳を行うため、区民プールに車を走らせることにした。それは、そのまま帰るのが少し怖い気がしたからだった。


──無──


今日も変わることなく、ただ泳ぐことだけしか考えずにいた時間があった。


──だいじょうぶ、だいじょうぶ──


帰宅するころには夕陽が地面まで射し込むようになっていた。駐車場に車を停めて歩き出すと、その陽射しに気づいた。見上げた西の空には、いつもの見慣れた美しい夕暮れ時の景色が広がっていた。


何も変わってなんかいない。
何も起こってさえもない。
何も終わったわけでもない。


こうして静かに、淡々と、日々を積み重ねていこう。そうすることで見えてくる新しい景色が、きっとあるはずだから。


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【元介護者になった日】

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2018年4月27日

今日の午後、予定通り、一切の滞りなく、母を特別養護老人ホームに入居させた。

これで、ぼくの介護者としての日々は終わった。よほどの事情がない限り、母が自宅に戻ることはないだろうし、今後長期に渡ってぼくが介助する理由もない。洗濯はもちろん、散髪も施設にお任せできる。場合によっては、通院の付添いもお願いできる。主治医も提携されている近隣の病院の方に変更することにした。交流会や外出も計画されているようだが、すべて施設の主導となる──母はここで、ゆっくりと、不自由になりつつある身体から解き放たれるその時を待ち侘びる。


──そっと、静かに──


昼過ぎ、特養入居のために必要な品品をまとめ、約束の時間に母を迎えるため、11ヶ月の間お世話になった介護老人保健施設へ向かった。


──ぼくが泣くんだろうな──


──母の涙は見たことがない──


こういう場面での母は、いつだって笑顔だった。

到着してエレベーターを待っていると、後ろから声をかけられた。母の面倒をみて下さっていた職員の方だった。


「昼休みに入るのでお見送りに立ち会えませんが、本当にありがとうございました」


その方はかつて、リハビリ意欲のない母に今後継続して機会を与えるかどうかを決める会議のとき、「職員の皆さんの気持ちのご負担を軽減したい」というぼくの言葉を受けて、深々と頭を下げてくださった。お別れの日にお目にかかれて、ぼくも少し気持ちが和らいだけれど、そのとき既に胸いっぱいで、ほとんど言葉を発することができなかった。

母が暮らしたユニットに入ると、ケアマネジャーを始め、今日の担当者スタッフが揃って下さっていた。母に簡単に状況を説明し、ぼくは居室で手早く荷造りを始めた。


──Sさんにお礼を伝えたい──


母のよき友人として、ときにアホな会話にも付き合ってくださり、側で見守って下さっていた同じ入居者の男性にご挨拶したかった。退所時の書類と処方薬の受け渡しを終えたところで、ユニット内に目をやると、車椅子を押したいつものSさんの姿が目に留まった。

こちらから歩み寄って、言葉をかけると、ぼくはもう、堪え切れない気持ちになって、震わせた声を隠すのに必死になった。いくつか感謝の言葉を贈る──少し寂しそうにして下さっているSさんの表情が印象的だった。それを察して、続けて声をかけた。


「また母のような変な入居者の方がいらっしゃると思います」

「お母さんほどおかしな人はいないよ」


──男の照れ隠し──


いつまでもぼくたち男は、こういう口の利き方しかできないらしい。でも、そう言って下さったことが、ぼくはとても嬉しかった。溢れそうなものを抑えるどころか、その言葉が返って拍車をかけたことは言うまでもない。

入居者のみなさんを見守るためユニットに残る職員のみなさんにご挨拶をして、他数名の方に付き添われながら、あのたぬきのいるエレベーターホールに向かった。

すると不思議なことに、あのたぬきの置物まで別れを惜しむようにしているではないか!

背丈ほどある配膳用のカートが複数台、たぬきとの対面を遮るようにして立ちふさがっていたのだ。見送って下さる職員の皆さんもそれに気づいて、搔き分けるようにしてカートを移動させ、母とたぬきの別れの対面を実らせてくれた。

母はいつもと変わらず、そしてどこへいくのかもよくわからないまま、たぬきのお腹をさすったり叩いたりして楽しんでいた。

正面玄関から外へ出て、自家用車に母を移乗させると、助手席に上手く乗れた母に、そして、さも介護の専門職かのような手際の良さで介助するぼくに向けて、感嘆の声と拍手が贈られた。

母は、ケアマネジャーと握手を交わして、いつもぼくにするように、力を込めて手を強く引いた。未だ変わることのない、いつもの母の笑顔がそこにあった。


──「次は、ぼくがお世話になるころにまた来ます」──


案じていたほど号泣するには至らなかったけれど、気持ちはとうに溢れかえっていた。その場で思いついたオチのセリフにキレが足りなかったのは、きっとそのせいに違いない。


──見送る──


見えなくなるまで、手を振って下さっていたことだろう。背中にその視線を感じながら、とめどなく溢れてくるものを抑えられなかった。特養に到着するまで収まらなかったら…そんな心配をしてしまうくらいに。


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【3年物語──訳などあるはずもない】

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2018年4月27日

森山開次《サーカス》──新国立劇場での再演が近づいている。

昨日、3月の顔合わせのとき以来、初めて稽古場に足を運んだ。初演から実に3年ぶりに作品を観て、思った。


──こんな凄いことに参加させてもらっているんだ──


3年という月日の間に積み重ねたものを感じながら稽古をみつめていて、自然とそう感じる瞬間がたくさんあった。


──人が舞う──


それだけで、なぜこんなにもこころ揺さぶられるのか?

懸命に踊るその姿に、溢れるものを何度も感じた。


──踊るとは、まさに生きることと同じだ──


丁寧に、そしてひたむきに、ひとつひとつ積み上げてきたものが、その瞬間に凝縮されて、輝きを放つ。一歩間違えば、次のステップで足を滑らせて故障するかもしれない──なぜそこまで追い詰めるのか? それが確かな未来を約束してくれるわけでもないのに。


──そこに理由などあってはならない──


生きることも同じなのかもしれない。


──懸命に生きる──


ただそれだけでいい。


この作品を、母と見た日のことを思い出していた。ステージにほど近い位置に用意された車椅子席は、出演者から母とぼくの顔が間近に見える距離にあった。開演後まもなく、ぼくらの前をメンバーが通ったとき、振付の一部として映るような形でそっと会釈をして下さったこと──今でもよく憶えている。

初演が行われた年、新年早々に、母は脳梗塞を起こした。朝、顔を合わせると、顔面の右半分が崩れていた。目にした瞬間にそれとわかる症状だった。そんななか、大きな後遺症も残らず、上演を一緒に見届けられたことは何よりだった。

上演を見届けることは、オファーを頂いてから丸1年かけての、母とぼくの2人の挑戦だった。当時、介護に追われていたぼくは、依頼を一度断っている。何かまた突発的なことが母の身に起こりかねないという不安に駆られていたからだ。

光栄なことに、説得していただき、考え直した。母にもそのことを伝えた。


「この公演を成功させるためには、2人の健康が絶対条件」


それを叶えるために、必死だった。自宅や病院でのリハビリ以外にも、体力維持と頭の体操を兼ねて買物にも同行させた。脱水症状を起こさないよう、1日に飲む水分の量も管理した。食事もそれまで以上に気を使って作り続けた。みまもり携帯を持たせていつでも外出先から連絡が取れるようにした。母は身の回りのことは十分ひとりでこなせたし、よく食べていたし、順調そのものだった。

それでも、明日のことは誰にも分からなかった。

振り返れば、その前夜から予兆は現れていたのかもしれない。帰りが遅くなる旨、連絡をいれたとき、少し会話がしどろもどろになっていた気がした。母を入院させてから、残された水分を摂った記録を記すメモ帳をみると、その夜に綴った時間の数字が歪んでいた。

昨年、再演が決まったころ、既に母は介護老人保健施設に入所してから半年近くが経っていた。


「サーカスはとても良かった。また観るまで生きとらんとな」


今よりもだいぶ会話が可能だった母は、ぼくがその話をするたび、そう口にしていた。

今もたしかに、母は生きている。でも、赤ん坊に近づいている母を、劇場に連れて行くことはできない。ここは、誰もが足を踏み入れられる場所じゃない──それは、母が一番よく知っている。

稽古を見ていて、何度も涙が溢れてきた。3年という時間の間に出演者それぞれが育んできたものが、この作品に新しい表情を映している──稽古場で積み上げてきた時間の尊さを垣間見た瞬間だった。そして、そんなことを忘れさせてくれるほどに、作品に入り込める時間をぼくに与えてくれた。

まだ衣装も着けず、照明も映像もない。もちろん音響も不十分。踊りも「もっともっとできる」とメンバーたちは思っている。でも、稽古場でのレベルでこれだけ魅せられるのだから、劇場でのフルスペックな環境になったらどんなことになるのか?

そして、音楽──開次さんをはじめ、全関係者から受けた影響と支えがあって完成したそれは、今聴いても、果たして自分が手がけた仕事だろうかと耳を疑ってしまうほどの出来栄えだった。開次さんのお導きの賜物であるのだが、よくぞこんなにも細密に、無限とも言えそうなほどたくさんの要素を入れ込めたものだと、制作当時に覗き込んだ己の闇と抱いた微かな希望を思い出しなが、稽古を見つめていた。


──明日を見届けるまで、今日が最後で最新──


再演、という栄誉ある機会を与えていただいたことを誇りに、もう2度とはこない「今」をしっかりこの胸に刻もう。それはもちろん、ぼくひとりじゃない。出演者、関係者、そしてこの作品を見届けてくださるお客様たちと一緒に。

母は、ぼくの目と耳とこの身体を通して、再演を感じることができる。初日を迎える前に、そう伝えに行きたい。


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