【昼夜逆転仕事人】
2017月7月22日
どうりでもう目も霞んできたかと思ったら、午前11時を過ぎていた。
なんだかこんなに集中して作業ができるのは随分懐かしい感じだしありがたいのだけれど…慣れ親しんだ昼夜逆転仕事人とはいえこんな調子で進めてはいけない。
豆苗に水をやってから眠ろう。
こんなに燃料切れになるまで追い込んだのはいつ以来だろう?
やっぱり音楽を奏でいる時間だけは無になれる気がする。
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【非常常時──すべては当たり前のことなんかじゃない】
2017年7月20日
乗ることなどまずない下りの通勤電車に揺られた朝──。
この時間帯、優先席に空きはない。内部障害を抱えているとも思えない風体の輩が我関せずとばかりに踏ん反り返って見苦しい図体をシートに沈めている。
立っていることも、30分くらいの連続歩行もできるほど股関節の故障は回復してきているが、未だ松葉杖に頼る我が身は、「非常が常時」と化したこの空間の保安のために、すっかり慣れた手つきで松葉杖を素早く身に包むようにして抱えて空いた席に身体を滑り込ませた
──さて、得意の人間観察を楽しむ時間だ──
ぼくら特有の乏しい表情のせいなのかもしれないが、この景色はもはや名物と言えそうなほど長い歴史を刻み続けている。自分を守ろうと必死に「個」を貫こうとしているのか、周りの様子を察する気配など全く感じない
──これはどうかな?──
そんな空気がどう変わるのか、イジワルな試みをした
──飲み終えたペットボトルを握りつぶす──
隣で勉強していた中学生と思しき男子だけが一瞬音に反応するも、他は完全なる沈黙が続いている
──まさかみな、瞑想の達人か?──
そんな妄想を働かせてしまうほど揺るぎないこの奇妙な静寂…和かにしているのは、向かいに座った二人組の女子中学生だけだ。その微笑ましい様子をぼんやり眺めていると、また余計な記憶が蘇ってくる
──ぼくの子供のころは、在来線で子供が席に座るだなんてことはほとんどなかったな──
時は無常なり
小さな希望が、何かを変えるかもしれない、と、独りそっと微笑んでみたけれど、結果は言うまでもない。
──感じようとしなければ、気づくはずもない──
今日を迎えられたことも
太陽が光を奏でていることも
大切な人がいつもそばにいてくれることも
──すべては、当たり前のことなんかじゃない。
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【だからぼくは、生きる。】
2017年7月18日
もういつ頃のことだったか、思い出せなくなりつつある。
母を風呂に入れようとガウンに着替えさせて、二階の寝室から階段を一緒に降りていたときのことだった。母が突然体調を崩して途中で座り込んで立ち往生してしまったことがある。
まだぼくも不慣れでどうしていいかわからず、震える母を抱きかかえるようにしてただ背中をさすってあげるほかなかった。
二人で動けなくなったまま顔を見上げると、天井の明かりとりから光が射し込んでいる様子に気が付いた
──母が自宅を離れて半年が経った──
「この図をまさに途方に暮れるというのか?」と、深くため息をついたあの日の記憶が突然蘇ってきた。
その状況に困惑したこと以上に、それまで見たことのなかった母の弱々しい姿を目にしたことが、何より苦しかった。
──人は、生まれてくるときと同じように、いつか迫り来るその終に、自らの意思を映すことができない──
もしも最期のときを誰かに見守ってもらえるのだとしたら、その瞬間こそを「幸福」というのだろう──。
だからぼくは、生きる。母を見送るそのときまで。
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【言葉では交わしえない想い】
2017年7月15日
今日もまた不思議な1日だった──。
午後、母の面会ついでに今後のことについての決定事項をケアマネジャーに伝達に向かおうと家を出たところで、居宅介護支援で尽力いただいた前任のケアマネジャーとばったり出くわした。
先方から驚いた様子で呼び止められたのは他でもない
──松葉杖姿だったから──
こちらが恐縮するほど心配していただいてとてもありがたかった。
そろそろご連絡をしなくては…と思っていた矢先だったので、近況とこの先の方針決定についてお伝えした。立ち話になってしまったけれど、とてもお世話になった方なので、顔を合わせてご報告ができてよかった。
その出かける前には、やはり在宅介護中に支えていただいた往診医の先生からもご連絡があった。なんだか、背中を押されているようだった。
──決めたことを報告するのはなかなか切り出しにくい気分だった。まるでステージ本番前のような…顔を合わせて話し始めてしまえばなスムースに言葉がでてくるのだろうけれど、今日の第一声がその話になるのは少々気が重いと感じていた。それゆえに、この偶然を心から有り難く感じた
──これで上手く話せそうだ──
施設に着いて、いつものように駐車票を受け取り、森に囲まれた駐車場に車を停めて再度受付に向かう。入館者名簿に名前を書いてタグを受け取りエレベーターホールへ進む──。
母が過ごす居室に入ると、広間にあるいつもの席に座って他の入居者の方と談笑しながら、母は洗濯物をたたむお手伝いをしていた。いつもならすぐにぼくに気づくのだけれど、今日はおしゃべりに夢中らしい。
その間に自宅で洗った洗濯物を母の部屋に戻す。そんないつもの役目を果たし、ケアマネジャーを呼んでもらった。
場の空気や先方の雰囲気にも助けられたのだろう。話は実にスムースだった。
この一年の間に起きた出来事とそれを通じてぼくが感じていたことを改めて見つめなおし、現段階での最終的な結論をだした旨、正直にお伝えさせていただいた。
全てを伝え終えて安堵したのか、その瞬間だけは少し肩の荷が下りたような気がした。
お願いしていた介護保険の認定調査も既に済んでいるそうで、じきに送られてくる結果を受けて新たなケアプランを作成いただくことになった。
全ては認定結果次第ということになるが、まずはこれで方針が固まった。
母にも昨夜に続いて報告をしたが、相変わらずの笑顔を見せてくれるだけだった
──それでいいんだよ──
帰る前にはこれもいつも通り、普段母の話し相手になって下さっているSさんとおしゃべり。
母より少しだけ先に退所される予定だそうで、毎日リハビリを頑張っておられるそうだ。母とウマが合うからなのか、Sさんもぼくの冗談や自虐ネタによく笑ってくださる。
とても品のある優しい笑顔だ。毎日髪の毛もご自身できちんと整えていらっしゃるらしい。身なりもとても綺麗だ。
いい時代も大変だった時代もその全部を知ったうえで、今を、ぼくたちを育んで下さったみなさんに、こんなたわいもない会話のひとつでもお役に立てるのなら、こんなに光栄なことはない。
入居者のみなさんはそれぞれの体調に差があるから、全員がおしゃべりできるわけじゃない。それでも興味深そうにこちらをみては、目が合うと和かに微笑んで下さる
──言葉では交わしえない想いがそこにはある──
理屈や思考を超えたところに人の感情というものがある…そんなことを、今夕、改めて考えていた。
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【夏の夕暮れに】
2017年7月14日
昼間の暑さを越えてこの時間になると、涼やかな風を感じる。こんな夕方に当たると、母がいつも口にしていたことがある。
時刻は19時を過ぎて、まもなく面会時間を終えるころになっていた
──今朝、決めたことを母に伝えに行く──
表に出て、今月から新しく借りた駐車場に向かうと、西の空にとても綺麗な夕陽が映し出されていた。自ずと、あの母の言葉が蘇ってくる
「夏のこの時間が好きや」
介護老人保健施設の担当ケアマネジャーもいう通り、母はどんなときも朗かだ。勝手に機嫌を損ねて周りに当たったり、ひとり嘆いたりしたところをほとんど見たことがない。憶えているのは本当にわずかだ。
子供のころぼくが迷惑をかけて母の仕事に支障をきたしたとき──
反抗期ゆえの親子間の諍いにぼくを叱るとき──
そして、ここで暮らしているころ、ぼくの苛立ちを母にぶつけてそれに我慢ができなくなったときくらい。
介護が必要になって苦悶するぼくが、母に想いが伝わらず酷く混乱したときにも、母はただ和かにしていた
──もう色んなことがわからなくなりつつあったのだろう──
母の洗濯物を回収して、読み終えた新聞の束を袋に詰めながら話を切り出した──。
「自宅中心の生活は、今のままでは無理だと思う」
──24時間、みまもりが必要になる。公的サービスを利用するにしても、ぼく独りでは限界だということを、昨冬、母が自宅で過ごした100日間を独りで看ながら痛いほど思い知らされていた。
もしも母の体力が予想を超えて回復するのなら…しかしそれは、やはり奇跡を待ち侘びるようなことだった
──言葉を選んで伝えようとしたのは、現実と同時に、言語では言い尽くせないこの気持ちだ。
ベッドに横になったまま母は視線を逸らすことなく、ぼくのひとこと一言にうなづきながら耳を澄ましていた
──こんな瞬間が前にもあった気がする──
「あんたが頼りやから、よろしくお願いします(ニコ)」
こんなときでも、いつもと変わらぬ母の笑顔があった。
やはりもう何もわからないのだろうか?
今夜の話さえ憶えてはいられないのかもしれない
突然、抑えていたものが溢れだした。今夜だけは気丈に…そう期してこの場に向かったけれど、どうにも堪えることができなかった
──母のようになりたい──
絶えず朗かで和かで周りを明るく照らすような存在
──太陽──
母はまさに、ぼくを照らす光──。
ぼくの存在をこの浮世に映し出しているのは、紛れもなく、母だった。
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【この風のわけなどいらない】
2017年7月14日
I've just made a decision.
まだ梅雨の明けきらない東京のある日の早朝、ぼくは遂に決断した。
ようやく陽が昇りかけた頃、一晩かけて淹れた水出しコーヒーで一服しようと台所に上がって、この5年、見つめ続けた西向きの小窓の前に立ち、最近手に入れたばかりのバースプーンを手に、氷で満たしたビアグラスに注いだコーヒーをステアする。
一気に冷気が指先に伝わり、コーヒーはまさに飲み頃になった。窓を開けると、蒸した熱気で満たされた部屋に涼風が流れ込でくる。
カタカタと音を立てるグラスを片手に、痛めた腰を労わるために冷蔵庫の脇に置いたスツールに腰を掛け、代わり映えのない景色を懐かしいその風を浴びながらぼんやりと見つめていた。
「この窓を開けるとな、西からええ風が吹き込んでくるんや」
──母はいつもそう言っていたけれど、風が流れ込むのは換気扇が回っているからだということを知らなかった。
この風を感じるたび、何度も何度もそう口にした母…。
「そんな理屈は、どうでもええんや」
もしかしたら、そんな大切なことをぼくにそっと伝えてくれようとしていたのかもしれない。
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【Beside you.】
2017年7月14日
最寄りにこの路線の駅ができた小学校4年生から高校を卒業するまで、この電車に乗って学校に通っていた。
この駅で乗換えて、どういうわけかだか未だ知らないけれど、ここだけ土台の桁の高さが変わったこの場所で、いつも帰りの電車を待っていた。高校生のころは、当時流行していたWALKMANでカセットにダビングしたお気に入りの音楽を聴きながら…そして今と同じように腰を故障して浪人を強いられた予備校時代も同じように音楽を聴きながら、ここで佇んでいた。
──今夜、こんな気持ちで独り過ごすことになるなんて──
あのころの、当たり前の日々には想像することさえなかった
「もう、いいじゃないか」
──「客観の事象」などこの浮世にはないとずっと思ってきた。けれど今、まさに意味上の客観的な視点で、自分にそう語りかけるときがきている。
「全部試したじゃないか。十分によくやったよ」
──都合のいい言い訳か? それともただの甘えか?
何も手につかないわけは、この暑さのせいじゃない。
──そのことで頭のなかがいっぱいなんだ──
「この先、独りで看るのは…」
──その始まりの瞬間から今の今まで、シーンの全部をみて、感じて、痛みも苦しみも葛藤も安堵も、そして僅かな希望も喜びもすべてを味わってきたのは、ぼくだけだ
──もう、できることはなにもない──
それがわかっていても、この決断をするほどの苦しみはないのだと、今、初めて知った。
──母が身の周りのことをひとりでこなせなくなったとき──
この5年近くの間、ずっと考えてきた
──終わりのときについて──
「この状況を変えられるかもしれない」
──そんな果たされることのなかった夢を見ていた日々もあった。
けれど、結局今も、何も変えられないままだ。
「自分のために時間を…」
──熟考されることなく容易く口を突く実に尤もらしい言葉はいくらでもでてくる
「それでも…。」
この5年、知恵も記録も体力も時間も資本も絞り出して抗ってきた。でも…とうの昔に、その全てを使いきってしまった。
「それでもまだ何か可能性があるというのかい?」
「別にその選択が裏切ることにはならないよ」
たとえぼくが他者であっても、当事者に対してそんなことは絶対に言えない。どんなに真摯な気持ちが込められていようと、深く深く相手のことを想っていようと、それが何の解決にも慰めにも労りにもならないことを知っているから。
── Beside you. ──
ロックスター気取りでそう口にしているぼくだけれど、これは冗談なんかじゃない。
──相手の痛みは、想像することさえできない──
それを知ったとき、できることはただひとつだった。
──そばにいるよ──
どんな言葉よりも、それがきっと支えになるから。
たとえこれから離れ離れになっても…きっと、ね──。
もうそろそろ決心しなくちゃいけない。
母から教えられたことに倣って
──独りですべてを決めたらええ。誰かに相談したって最後に決めるのは「自分」なんやから──。
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