主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【二人一脚】母、入院100日記

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今日は、母が30年お世話になっている横浜の歯科医院へ3ヶ月振りに向かった。また、虫歯ができてしまった…。これから数回かけて治療に入るため、往復の送迎をするため、横浜の仕事場の稼働率が低下してしまうが、母を横浜へ連れて行く機会が増えれば、仕事場に設置している作品といま取り組んでいることを観てもらうのに都合がいい(はず)。 というわけで、早速今日、招いてみた。デビュー作《Long Autumn Sweet Thing》、代表作《ベアリング・グロッケン II》との再会──「これ、憶えている」と言ってもらえたのには安心した──そして、開発中のギターの演奏に合わせて光を奏でる様子をちょっとだけ見せてみた──伝わっていようといまいと関係ない。今夜、こうした時間が一緒に過ごせたことが大切だから。館内の見学を手短に済ませ、一緒にBankART Pubで夕食を。名物=タイカレーと新メニュー=バジル・パスタを分け合って食べて、家路に就いた。赤レンガ倉庫、山下公園、元町、本牧と、横浜名所を周ってから、ベイブリッジを経由して都内へ向かうことに。鶴見、川崎、羽田、芝浦、銀座…道中は、マーラーの10番を大音量で聴き入っていた。まばゆく妖しい光を放つ高速道路から眺める都会の景色は、音楽の力のお陰で、或る物語を奏でているように映った。母は時折鼻歌を歌い上機嫌な様子で、久しぶりの夜の時間を楽しんでいたようだった。指差した10年前のぼくの顔写真に「だいぶ若いときの顔やな」とツッコミを忘れなかった母──「いまの顔の方がいいですね」と、スウィートな女子たちが社交辞令をいってくれるんだ──ツッコミにひとこと返さずにはいられないぼく。母も、昔より今の方がずっといい顔をしている。 #主夫ロマンティック #主夫 #介護 #介護者 #介護独身 #BankARTAIR2016 #PlayALight #光を奏でる #installation #installationart #guitar #godin #electricguitar #笑顔 #smile #母 #mom #mother

 

春、夏と二つの季節が過ぎて、大好きな秋がやってきた。この間に起きた出来事を振り返りながらその月日を数えると、母が入院してから100日ほど経っていた──。

 

「介護者としての暮らしを守りながら、どこまで表現活動ができるのか?」

 

それを確かめるために二ヶ月限定で設けた横浜の仕事場だった(BankART AIR 2016参加)。途中、母にもスタジオの様子を見学に来てもらったりして、終盤まではとても順調だったが、オープンスタジオを目前に控えた5月中旬から母は体調を崩した。お願いしている往診医のサポートのもと在宅で療養していたが、一週間経過しても発熱が引かず、病院へ引き継いでもらうことになった。自宅で看ていた間、食事や身の回りの世話、トイレやおむつ交換など、ぼくは24時間体制でほとんど眠れない状態になっていた。入院が決まったとき、どこかで安心していた自分がいた。

 

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連日24時間、母を看ること5夜目──我が愛しい「孤独と重圧」に遂に耐えかねて、いつも通り、肌荒れ発生(泣) それでも束の間に風呂に入れたのはよかった。早く母も入れてあげたい。明日、少し元気になったら、身体を拭いてあげよう。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #介護危機 #JINSPC #天然パーマ #天パ民 #ヒゲ #肌荒れ #脂漏性皮膚炎 #遺影? #イエイ #疲労 #fatigue

 

この4年ほどの間に、本当にたくさんの時間を母と過ごしてきた。二人三脚、というよりも、二人一脚──そんな毎日──人生を締めくくりを迎えようとしているのか、母の心身には、様々な変調が見受けられるようになってきていた。

 

この夏に、母の心臓の状態を確認するための入院検査を予定していた。心臓弁膜症か冠動脈瘤、またはその両方の疑いがあり、その問題を取り除かないと、血圧の乱高下が抑えられない、という診断だった。症状によっては、心停止ということもある、と。もしも確実に、この症状があの世へ導いてくれるのなら、処置をしない、という選択もあったかもしれない。しかしいつものように「次の瞬間何が起こるのか? 誰も知り得ない」のである。無理な延命は本人も家族も望んではいない。けれど、目の前の問題に向けては、あらゆる可能性を考慮し対処していくしかないのだ。

 

夏に予定を組んでいたのは、ぼくの仕事の都合でもあった。海外出張が予定されていたため、それを終えたのちに──もし万が一のことがあっても対応できるように──万全の体制で臨むつもりだった。だが、まさに「誰も知り得ない」ように、母は倒れた。

 

入院の直接的な原因となったのは、引かない発熱。だが医師からは、解熱への処置を終えたところで、心臓の検査を行って、必要な処置を行う方向で検討してみてはどうかと助言いただいた。何度も入退院するのは、家族はもちろん、母本人にとっても負担になる。実に的確な助言だと考え、それに応じた。

 

ところが、母の発熱は、自宅で看ていたときと同様に、乱高下を繰り返していた。心臓の検査に移ろうにも、何よりまず熱が下がらないことには進めない。入院後から連日、熱源を特定すべくあらゆる検査をしていただいのだが、結局、原因が特定できないままだった。最終的に「不明熱」という、理由がわからない発熱症状ではないかとの判断が下された(シェーグレン症候群の疑いありとのこと)。

 

熱が下がらず検査にも進めない。さらには、弱っている心臓への負荷を考慮して、リハビリもできない(結局、その後、検査およびカテーテルによる心臓冠動脈へのステンシル挿入処置を受けることになったのだが、母は丸2ヶ月に渡って、ほとんど寝たきりだった)。

 

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病院へ向かう道すがら近所の洋品店に寄って、髪の毛がすっかり伸びた母に、カチューシャを買った。手にとって、得意の想像力をフル稼働しながら装着したときの様子を思い浮かべる──間違いなく似合わない──悶々としながら店舗を進むと、他にピンッとくるものが目に飛び込んできた──色はもちろん、赤だ──病院にて、まずはカチューシャから試してみる…すると案の定、一気に老け込んで見えてしまった──これはイケナイ──早速ヘアバンドに切り替える。髪の毛を押さえるという目的は満たさないものの、ボウボウさ加減が見た目抑えられ、かつ「やる気」に満ちた表情に映る。ちょっとした、ロックスターの雰囲気さえ漂わせる。これはなかなかいいじゃないか!──今日はまた熱がぶり返したらしく、38度近くまで上昇しているらしい。顔を合わせたときには少し疲れた様子だったが、ヘアバンド効果か、帰り際は表情にも活気が見えてきた──熱の原因がわかったらしい。明日、主治医から説明を受ける。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #nursing #carer #careperson #bed #hospital #入院 #hospitalization #nike #ナイキ

 

入院して一ト月半ほどが経過したころだったろうか。母の熱も比較的治まってきたところで、検査が行われた。結果は、案じたほどひどい状態ではなかった。心臓弁膜症がひどければ弁膜置換手術を、冠動脈瘤カテーテル処置できないほどであったならば、冠動脈バイパス手術を必要と伝えられるところだったが、いずれも重度ではなかった。ただ、冠動脈瘤が2箇所あり、これが心臓に負荷がかかっている原因になっているであろうとのこと。この程度であればカテーテルによるステンシル挿入処置をすることで解消できるという。それは、対処できる処置の選択肢のなかでは、最も身体への負担が少ないものだった。「やり残しなし」を声高にうたう母は、とにかくいかなる治療もいらないと口にするのだが(よく考えずに)、このまま放置しても寝たきりに近づくだけだと説得し、処置を受けてもらうことになった。

 

しかし問題になったのは、そのスケジュール──ぼくの不在の間に処置せざるを得なくなった──前年、母は脳梗塞を起こしている。高齢ゆえ、体内の血管の至るところに動脈瘤ができている可能性も非常に高い。カテーテルを挿入したことによって、血管の内側にあるコブを剥がしてしまうこともありうる。そしてそれが脳内の血管で詰まれば、再び脳梗塞を発症することになる。そうした検査による合併症が起こる可能性についても説明を受けたが、なんと「2%」もあるらしい──50人に1人──かなり高い確率であると考えるのが妥当であろう。

 

ぼくが立ち会っていようと、何もすることはできない。でも、家族だからこそできることがある──たとえその場にいるだけでも──それが叶うことはなかった。

 

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桃の夕暮れ。#空模様 #空 #sky #evening #東京 #tokyo #underconstruction #建設中 #pinksky #pink #桃色 #桃

 

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横浜へ出掛ける前の1時間、ちょうど夕食どきだったので、母を見舞いに病院まで向かった。弁当を買って、病室で一緒に食事を摂るも、母は何度も食べきれないおかずをぼくに勧めてくる。「食べた量も記録されているから」と伝えても「デザート、食べ」と…。顔色もよく元気そうだったが、目には映らないところは今も刻々と変化し続けている。そばでずっと看ているぼくには、変化の度合いも緩やかに映るが、1年に数えるほどしか顔を会わせることができない家族にとっては、都度、変わりぶりに大きく動揺するに違いない。その恐怖を想うと、自ずと足が遠のいても仕方のないことなのだろう──食事を終えて、母の歯を磨いて、入歯の手入れをして、すっかり伸びた髪をといてあげてから病室を後にした。エレベーター前の窓辺から見つめた夕暮れ時の空模様は、なんとも不可思議な色合いだった。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #母 #入院

 

2016年6月29日(水)午後──ぼくがバンコクへ向かう機上にいる時間、母は一人で処置を受けた──大丈夫。何事も独りで乗り越えてきた母だから。きっと、大丈夫。

 

1週間の出張期間中、2度に分けて心臓冠動脈瘤を拡張するためのステンシル挿入処置が行われた。2度目はぼくが帰国する翌日の予定だったが、1度目の処置後経過良好とのことで、ぼくが母と顔を合わせたときには、既に2箇所とも問題なく処置されていた。処置中の様子を記録した動画を見せていただいたが、ステンシル挿入後は、実に見事に、脈々と血液が脈打つようになっていた。見事だった。

 

母の顔色も、だいぶ良くなって元気そうだった。そして幸運なことに、心臓の問題を解決してから、熱がほとんど出なくなっているという。その理由については、担当医も「謎」と口にしていたが、因果関係がはっきりせずとも、熱にうなされずに済むのであればそれでいい。抗生剤も効かないような状態だったのだから。

 

2度も血管の中をカテーテルを通したせいもあって、処置後の母は内出血のあとだらけだった。

 

入院からちょうど2ヶ月が過ぎたころ、今度はいよいよ、自宅復帰に向けたリハビリを集中的に行うため、リハビリ病棟に移ることになった。4年前、自宅内で転落事故を起こして頭部を強打し、脳震盪を起こし救急で偶然運ばれた先は、リハビリに定評のある病院だった。これも、亡き父の加護によるものか? ここから最長3ヶ月に渡って、リハビリ、リハビリ、リハビリ、だ。

 

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母、リハビリ開始、3日目──リハビリを見学にいった。今の母の状態をこの目で確認しておきたかったから。伝え聞いていたよりも劣ってはいないように見えたが、筋力低下以上に身体の使い方を忘れてしまっているようで、起き上がり、立ち上がりとも不安定になっている。とくに立ち上がりは介助が必要な状態。ここでの挑戦は最長90日──果たして、母は自分の物語にどんなドラマを巻き起こせるだろうか? 専門家が首をかしげるほどの回復を期したい──それにしてもこのリハビリ室の図は懐かしい。ここへ通っていたのは3年前、《LIVE BONE》劇場版の制作中だった。今日と変わらず、ここから母を見守っていた。後ろ姿は随分と変わってしまったけれど、ぼくのもきっとだいぶ変わっているに違いない──背中を見つめる眼差しがある日は果たしてくるだろうか? なんてね(苦笑) #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #入院 #リハビリ #車椅子

 

2016年9月15日(木)正午──いまぼくは、これをフィリピンの空港で書いている。ロンドンに向かう乗継ぎのための中継地だ。9月に入って、母のリハビリの回復度合いを確認するため、リハビリ担当者、ケアマネージャー、福祉用具レンタル会社の担当者立ち会いのもと、自宅内でどれだけ過ごせるかを確認する「家屋内調査」というものが行われた。リハビリ開始当初は、自宅復帰を望むのは現状では難しいと判断され、家屋内調査前も自宅復帰が敵わなかった場合の「念のため」の策として、老人保険福祉施設への入所手続きも並行して行われていた。ぼく自身も、家屋内調査とは、自宅復帰できるかどうかを確認するというよりも、家族の目に、自宅で過ごすことは難しそうだと自覚させるためのものに違いないと覚悟していた。事実、ひとつひとつ確認される自宅内での動作のなかで、「これは家族にとっても相当負担になる」と思われる日常動作をとてもひとりではできそうにないことがわかった──これで終わりか──そう感じていたのであるが、担当者の判断は逆だった──「まずは自宅に戻って試してみましょう」──その場に立ち会って下さったケアマネージャーとも相談しながら、ヘルパーさんの導入、週2度のデイケアサービス(リハビリ付のデイサービス)通い、そしてこれまで通り、週2度の訪問リハビリを継続しながら、様子をみていくことになった。

 

のちに、退院の日取りも決まった。予定通り、無事に自宅に戻れたら、母にとっては約5ヶ月ぶりの我が家となる。

 

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母の退院予定が決まった──旅に出る前に、もう一度最新のリハビリの成果を確認しに病院へ向かった──さっさか歩けている──見舞いにいくと母はいつもそう口にしていたが、ぼくは半信半疑だった。でも、今日目にした限りでは、入院前の状態に限りなく近付いているように見えた。自宅に戻ってから環境が変われば、新たな問題も浮上するだろう。けれど今は、僅かながら希望がもてる──親身になって根気強く接して下さるリハビリ科のみなさんに、深く深く感謝したい。あと一ト月、調子に乗って院内で不用意な事故を起こさないようにお願いしてから病院をあとに(以前それで退院後に本人が苦しむことになったため)。また明日、顔を合わせてから出発したいと思う。 #主夫ロマンティック #介護 #介護者 #母入院中 #退院日決定 #リハビリ

 

母が不在の間、母がぼくに与えてくれた時間を有意義に過ごすために、専心していた──コンパクトで一人でも移動可能なモバイル・ギターサウンドシステムの構築──衣類など、荷物の内容も吟味して、できるだけ簡素化したパッキングを心がけた。そして今、旅の途にいる。

 

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フィリピン=マニラ空港経由でロンドンに向かう。早朝到着便ゆえか、即座に搭乗ゲートへは通して貰えず、待合室で待機が指示された。まだ日が昇る前の時間、部屋は薄暗く、なんとも言いようのない居心地。疲れもピークゆえ、郷に従い仮眠をとることにした──2時間ほどうとうとしていたのだろうか? 午前8時、名前が呼ばれいよいよ搭乗ゲートへ。そしてなんと、朝食と昼食の引換券まで与えられた。薄暗い部屋から保管検査を通ってエレベーターで上階へ上がると、光に満ちたロビーに到着した──悪くない演出だ──Cafe Franceという名のお店でサンドイッチとコーヒーをオーダーしてお腹を満たしつつ、ひと息つく。すると、目の前ではスズメがチュンチュン鳴いている。タイルの上を足を滑らすこともなく、空を舞うように自由に駆け回り、旅行者の食べこぼしをさらっていく──そんな小さい身体で欲張ったら、ぼくみたいになるぞ──朝陽を浴びながら、スズメの戯れをも気にかけない寛容さを感じて、また眠気に包まれた。しかしここでは眠れない。次のフライトでぐっすり休みたいから。 #philipine #philipineairlines #transit #journey #tolondon

 

東京を発ってまずロンドンに入り、パリ、ベルリン、ミラノを3週間に渡って巡る。介護者として、表現者であることを同時に保てるかを試してきた日々をさらに拡張して、旅をしながら、そして表現をしながら、介護者としての使命を果たすことができるか? まずはその手始めとしてのテストケースが今回の旅である。

 

来年、再来年、そしてこれから先にも、こうした歩みを絶やさないようにしたい。とくに母が脳梗塞を起こしてからの1年半の間は、母のことにかかりきりだったから。自分の時間を大切にしたいと願う一方で、ひとりではどうにもならないことを思い知り、途方に暮れていた日々だった。そんな孤立状態からどうにか抜け出そうと必死だった今年。その挑戦の仕上げに、そしてこの挑戦の本当の意味での幕開けとして、この3週間に巡り合うであろう出来事をすべて感じ取ってきたい。

 

さて、長いと思っていた8時間の乗継ぎ待ちも、そろそろ搭乗時間が迫っている。どんな旅になるのだろうか? 後先考えず「今」を見つめたい。先入観や思い込み、常識というものを取り払いたい。そしてなにより、母とぼくと、ぼくのまわりにいるひとたちの安寧を祈ろう。こうして、ここで「今」を見つめていられるのは、たくさんの支えあってのことなのだから。

 

2016年9月15日──フィリピンにて。

 

以下、追記。

2016年9月16日──ロンドン Hounslowの宿にて。

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「トラブルメイカー」──思いもよらぬ印象的な一言から旅は始まった──全旅程を予約したExpediaのオススメによると、ロンドン=ヒースロー空港から宿までの移動は、ヒースローエクスプレスを使えとでている。アプリから予約も済ませメールもプリントアウトしたし万全、かと思われたが、ここに二つの落とし穴があった──ひとつめ=メールには引換券が表示されていなかった──ふたつめ=宿は空港から近いのに、特急でロンドン中心部に近い駅まで連れて行かれた──出発3日前にブッキングして何も予定を決めずに飛びたったゆえ、きっと何かあるだろうと予想していたけれど、最初に入る国が英語の国ならきっと大丈夫…本当にそのまま、予想通りの展開になってしまった──鉄道スタッフは「Expediaはトラブルメイカー」といいながら最初は迷惑そうだった。けれど「Expediaにはトラブルを与えてくれて感謝している。そのおかげでぼくらは友達になれたんだから」と冗談をいうと、最後は満面の笑みで送り出してくれた。ブリティッシュアクセントが心地よい英国紳士、陽気な笑顔が血縁を想わせるイタリア系スタッフ、トルコ系と思われる顔立ちをした女性スタッフ…一気にたくさんの友達ができたのだから。ようやく列車に乗り込んで、即座にFree Wifiに接続。宿まで距離は直ぐだから最初の駅に違いない…そんな連想クイズは見事に不正解だった。アクセスしたGoogle Mapで確認した現在位置は、マークしておいたホテルをあっと言う間に過ぎ去っていったのだ──終着駅Padingtonにはノンストップで到着。そこで宿に直接電話してルートを確認した。60キロの荷物をアンチバリアフリーな地下鉄へ担ぎ込み、階段をガタガタ運びながらどうにか乗換えを済ますと、陽気に酔っ払ったお兄さんが絡んできた──「ミュージシャンか? スーツケースのなかにはドラムが入っているんだろう」と聞いてきたので、いつもの調子で腹を叩いて「ドラムはここだ(ニコ)」と応えると、案じた通り、彼をノセてしまった。そこからお兄さん、歌いだす。乗客も巻き込んで歌いだす(嗚呼)──「今夜はビールを何パイント飲んだんだ?」と訊ねるも、ぼくの質問は無視して歌い続ける彼(苦笑)──ふと後ろに目をやると、連れ合いの女性の姿が見えなくなっていた。「君の彼女はどこ?」この質問には流石に怯えたのか、ぼく顔まけの苦笑を浮かべたお兄さん…しばらくして気が晴れたようで、急に静かになって真顔に戻るあたりは、どこの国でも同じらしい──もう25時に近づいていただろうか? どういうわけか、着陸してから4時間近く経過してしまった。たどり着いたHounslowは普通の家屋も立ち並ぶ街で、昔観た映画《シド&ナンシー》やら《ピンクフロイド「ザ・ウォール」》に出てきそうな雰囲気がある。宿はだいぶ使い込まれていて、ところどころ軋む音がするものの、部屋は広くてありがたい。ベッドに身を沈め、ここを勧めてきたExpediaにはやはり感謝したい気分になったが、ドタバタの移動中にふと頭を過ぎったことを思い出した──これがもし、まだ見ぬ我が嫁との旅だったら、成田離婚確定だな──しかし、こんな夜をも楽しめない相手なら、とても一緒には居られないだろうな、と、異国でも早速、都合のいい言い訳を見繕うぼく…気付けば喉がカラカラだ。レセプションで教えてもらった近くの24時間巨大スーパーマーケットへ向かい水分を大量に仕入れるも、甘い香りの誘惑に負けてドーナツまで買ってしまった──大丈夫──今回の旅には、小型体重計を持ってきているから──また都合のいい言い訳か…(苦笑)──丁寧に暮らす──それがこれからの生きる指針だ。それを異国でも実行するため、愛用のコーヒーも携えてきた。携帯用ミルにドリッパー、それからポットがないときのためのコイル式電熱器まで──準備に余念がなかったのは旅程ではなく、まさに「日々」のためのことだった──さて、これから3週間とことん楽しもう。期せずして母が与えてくれた自由時間の締めくくりに、喜怒哀楽に充ち満ちた日々を。母が帰ってくる我が家に無事辿り着くまで。 #london #paris #berlin #milano #journey