主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【卵ぬき手打ち生パスタ──料理が教えてくれたこと】

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2020年5月10日

2012年秋で──母の介護に直面して、これから食事をどう賄っていくかを考えたとき、自然と思ったことを憶えている。


「ぼくが作ろう」


それまで料理を習慣的には行ってはいなかった。けれどいつしか、衰えを見せ始めた母の傍で感じていたことがあった。


「このレシピを受け継いでおきたい」


まだ見ぬ嫁は現れそうにない。もし奇跡が起きても料理に興味があるか定かではない。それに、そもそも相手を料理番として期待するなんてもっての他だ。ならば自分がやればいい──何の疑問も不安もなく、そう思った。

当時のケアマネージャーは配膳サービスの活用を勧めてくださったが、母とぼく、2人分の食事を毎日頼むと、エンゲル係数が大爆発して生活が破綻してしまう──食費を抑え、かつレシピを受け継ぐことができるという両方のメリットにおいて、ぼくが料理番になることが最適解だったのだ。

あれからこの秋で8年──もうすっかり立派な主夫だ。

その腕前は、パン作りのあと中途半端に余らせてしまった小麦粉を手打ち生パスタにするほどの成長ぶりをみせている。卵はなかったが、買い求めることなく「なし」でやってみることにしたのも、経験がものをいった。


──小麦粉・塩・水──


手元の材料をみつめ、「これではうどんと変わらないのでは?」と疑問を抱き、即座に軌道修正──普段の料理で使っている乾燥バジル、オレガノ、さらにオリーブ油を追加して練り込み、一晩冷蔵庫で寝かせた。すると生地は、グルテンが増強されたのか、粘りと硬さも十分になり、打ち粉をして麺棒で伸ばしてもちぎれることはない(我が家にはすりこぎ棒しかないのだが)。

あとは麺状にするため、三つ折りにしてよく研いだ包丁で刻んでいく──大根サラダやコールスローを作るため、自ずと千切り修行を積む羽目になっただけのことはあり、苦悶することなく好みの太さに刻むことができた。

きっとこのまま茹でると麺がくっつきかねないので、鍋に沸かしたお湯にオリーブ油を少々──このアイデアも、茹でるとくっつきやすいラザニア・シートを扱っていた経験から思いついた方法だった。

最近、食べる量を減らそうとしているため、あまり食材を手元にキープしなくなった。なのでこの日も、冷蔵庫にはニンニクとショウガくらいしかない。ゆえに、ショウガを多めに刻んでペペロンチーノにすることに。仕上げは、買ったままだったハラペーニョと長らく作り続けている自家製マスタードをのせた。

麺をフォークですくいあげ、全体を混ぜ合わせる。そして、頬張る──練り込んだスパイスの香りとオリーブ油のフレッシュな青い風味が感じられた。コシもなかなかいい。卵があればなお美味しいことは想像できたが、なくても十分に美味しい(たとえこれがうどん属性だったとしても)。

美味しく仕上がった自家製生パスタを頬張りながら、改めて、いまというときを想った。


──いつからでもなんでもできる──


それは、料理がぼくに教えてくれたことだった。

いまもこれからも、案ずることは何もない。むしろ今のぼくは、過去のいつの時代より「自由」であるとも言える。だから、この危機のなかでさえ、なんでもできる。


──ただ「一歩」を踏み出せばいい──


そうすれば、望む先に自らを誘っていくに違いない。


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【それはまるで太陽のごとく】

2020年5月6日


「身体で覚えたものは不滅です!」

そう思わず叫んでしまいそうな瞬間だった。
30数年ぶりにやっても流れるように身体が動く様は、それはある種の戦慄に値する瞬間だった。


ラジオ体操──実に偉大である。


・初めてでもお手本を見ながら何の戸惑いもなく真似ができる
・右も左も問わないシンメトリーな振付
・耳が聴こえなくても体操そのものがテンポ感を視覚的に伝えてくれる
・座って行う方法まで計画されたバリアフリー設計
・テンポとリズムに緩急があり呼吸が乱れにくい
・簡単なのに十分な爽快感が味わえる
ピアノ曲ゆえ演奏および再生環境を選ばず実施できる
・そしてその楽曲があまりに巧みなスコアである(羨望)
・言葉による支持も絶妙で音楽がなくても実施可能

きっと長所をあげればまだキリがない。そして、短所がほとんど思いつかないことにも圧倒される。

第一次世界大戦後から始まり、第二次大戦はもとより、その他の数えきれない困難な時期と寄り添ってきたことにも、いま改めて感じ入るものがある。


──望むときも望まぬときも、ラジオ体操はそばにいる──


これこそまさにクラシック・イノベーション!(歴史に残る最高水準の発明)


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【サバイバルライフのための自前ロードマップ考──BURN or ALIVE】

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2020年5月4日

18時から日本政府による発表がある。そろそろ、今後どういう事態を想定していて、それらにどのように向き合っていくのか? いわゆる出口戦略的な展望を聞かせていただけることを願っている。

完全収束または共存までの道のりには当然、いくつものフェーズがある。その流れの中で自分自身がどう振る舞っていくのかについても、考え尽くしておく必要がある。最近は、そのことばかり考えながら、これまで通り、日々を丁寧に過ごすことを念頭に置いている。

昨秋以来、随分と久しぶりにパンを焼いた。ちょうど新鮮な食材を食べ切ったので、混雑が予想される連休中の買いものを控えようと、まずは元から家にある食材を消費することにしたためだ。それに、一時的であろうとはいえ収入源が断たれた先行き不透明ななか、少しでも支出を抑える習慣を身につけたいという考えもあった。

今、ぼくの手元にあるリソースで、この危機を生きて「生活」していくことに役立つのは、培った思考と料理の技法くらい。東北の震災を経て、何事も出来る限り自力でこなせるように「自前主義」を加速させたことは、今となっては正解だったと言える。母の介護のため料理をするようになったことも同様だ。


「次は、来たる食料危機に備えて自家栽培に取り組む必要があるのかもしれない」


望まぬディストピアの先に回帰するかもしれない現実逃避的ユートピアの図を夢想しながら、昨夕、バターの代わりにオリーブオイルを使ったライ麦パンの生地をこねていた。

昨年、初めて自らパンを焼いたとき、その営みが人の生への欲求を表象しているように思えて、なかなか感動的だったことを憶えている。


──限られた材料に嵩を増す工夫を施し空腹を満たす──


発酵させて生地を膨らませてから焼くという発想はいつからあったのか? 自然界の天然酵母がもたらした天からの贈りものなのか? それとも人類が考え出した技なのか? 

初めてのパン作りは、その味を楽しむより先に、そんなことを思い浮かべていたのだったと、昨夜、想い出していた。

この先、いくつもの未来が想像できる。どんな未来に向き合っていくことになっても、生き延びて、この危機をどうやって超えてきたのかを語り継ぎたい。

そのために、何でもいいから生活を維持するために働く。叶うなら、ひとの暮らしに直接的に役に立つことが望ましい。それと並行してとても重要なことは、表現活動を絶やさないことだ。それは経済活動に直結していなくても構わない。何故なら、特に音楽は、古来、祈りや祝祭のための営みだったはずだからだ。そうした本来の純真な目的にあらゆる表現活動が回帰するとき、アートが持つ真の力が発揮される。


──ひとの心に寄り添い、今を生きる勇気を呼び覚ます──


何より、そのアートの真の力は、ぼく自身にとって欠かせない支えになる。

これまでと何も変わらない。音楽という営みだけが、ぼく自身をあらゆる恐れから解き放ってくれるのだ。


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【これからゆく道】

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2020年5月3日

「まっすぐ歩けるはずはない」

山あり谷あり、さらに落とし穴あり──真当な教育も受けず、確かな後ろ盾もないまま、音楽、そして美術の道に進む選択をしたぼくが歩んできたのは、そんな道だ。


──あれから30年も経つのか──


もしかしたら、道さえもなかった、ただの荒野だったかもしれない。だからいま、この危機に直面して、まさに明日の暮らしが危うくなっている現状においても、絶望する気配は「未だ」感じていない。無論、こうした危機に襲われることを予測できていなかったぼくだから、明日の自分のことさえ何も確かなことはないと十分に自覚しておくべきだろう。ゆえに「今日、この瞬間においては」という但書を添えておく。


──どうやってこの危機を乗り越えるのか?──


その解を導き出す手がかりを探るため、近ごろは1929年アメリカの株価大暴落が引き金になった世界大恐慌について学んでいる。

そして今日、ある大学の講義録にめぐり逢った。


《1929年アメリ大恐慌アーサー・ミラー ─2008年のアメリカ発金融危機との関連から─》

http://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/21-3_00fOikawaMasahiro.pdf


及川正博(立命館大学 国際関係学部 名誉教授)

2019年5月1日 大学発表による


アメリカ現代演劇の研究家で、特にこの講義録で語られているアメリカの劇作家、アーサー・ミラーについて多くの論文を手掛けられているという。

繰り返される歴史が物語っているように、そして今まさにその発端が起きているように、この危機の最中、対立と分断は避けられないのだろう。そしてその先に、より多くの犠牲を払うことになる争いさえも現実になり得る可能性は否定できない。


──これからゆく道は、どんな道なのだろう?──


新たな一歩を踏み出すには、いつも不安と恐れが付きまとう。もしも、はじまりのときと同じように再び荒野の只中に佇むことになったとしても構わない。ぼくの願いは、何からも侵されることはないのだから。今は新たな選択をし、前に進むとき。そしてこれから先、ぼくは望む日常を生きる。


──自らの選択を肯定するための唯一の方法──


それは「望んだ今日を手にする」ことである。

この30年の間、この道で迷い、恐れを感じたとき、ずっとそう期して選択を重ねてきたのだと、今、薄暮の空を窓越しに見上げながら改めて思い返している。


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【この恐れは何かに似ている】

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2020年5月1日

令和元日から1年が経った。

こんな日常がやってくると予想さえできていなかったのは、日々の暮らしに追われていたせい──その事実を反省しながらも、計り知れない恐れに押しつぶされそうな今、改めて自らに言い聞かせている。

「この危機に見舞われずとも、明日のことがわからないことは、宇宙誕生以来変わることのない真理のようなもの」


──だから何も恐れることはないのだ──


不安が駆け巡る脳を書き換えようと、こうして言葉を重ねている。しかし、未だ「この恐れ」を抑え込むには不十分らしい。

こうした「よくわからない想い」に決着をつけるには、ラベリングが有効であることを学んできた。


──喜怒哀楽──


人は言語を発明し、「こころ」という不可解な事象が生み出すあらゆる感情に意味づけ(ラベリング)をする。


「これが『美味しい』という気持ち」


かつての「日常」と変わることなく、西陽の当たる台所で誰のためでもなく炊き上げた極上の赤飯をひとり頬張りながら想う──。

「もしも『美味しい』という気持ちにラベリングができていなければ、きっと混乱に陥るだろう」

不可解な感情に翻弄されることなく過ごせるのは、このラベリングが果たせてのこと──そう解釈しているが故に、今ぼくは、自らを治める言葉を探している。


──「この恐れ」とは、何なのか?──


仕事を失う恐れはもちろん、生命を失う恐れでさえ、何も今に始まったことではない。どんなときも、その恐れと隣り合わせで生きているのだ。

言葉にするには、まだ時間がかかりそうだ。けれど、ずっと感じていることがある。


「この恐れは何かに似ている」


それは、かつて自分のそばに絶えずあった「ある恐れ」だ。

それが何なのか? おおよそその見当はついている。しかしもう少しじっくりと、己のこころの内を覗いてみることにしたい。「この恐れ」を消し去ると同時に、その「ある恐れ」とやらをもこの機会に手放すために。

それが果たせたら、この危機を超えた先に、望んでいた「今日」を手にできるに違いない。


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【世界一平和で安心安全な場所 ──Jくんとラザニア】

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2020年4月10日

あれは確か、小学三年生か四年生のころだった。

ある放課後、仲良くしていたJくんのお母様に声をかけられた。


「ラザニア食べに行きましょうよ」


ラザニア・・・聴いたことのない響きだった。

当時は昭和50年代半ば。今のように「イタリアン」と呼ばれる食事が街なかで気軽に食べられる時代ではなかった。「パスタ」より「スパゲティ」の呼び名が一般的だったし、家庭では、定番のナポリタンに缶詰やレトルトのボンゴレビアンコが加わって「新しさ」を感じていた時代──Jくんをコマーシャルタレントにした、今で言うところの「ステージママ」だったくらいだから、お母様は流行に敏感だったのだろう。

連れて行かれたのは、渋谷パルコだった。その中にあったレストランで食べたのが、ぼくの初めてのラザニア──しかし味はまったく覚えていない。きっとそのとき、お母様はリゾットもたのまれたのだろう。そのビジュアルが強烈に記憶に残っていて、長い間、ラザニアと言えば「米」の入っているものだと勘違いしていた。

それからラザニアを食すことは、おそらく全くなかった。母はオーブン料理は一切やらなかったし、イタリアンレストランが勃興した成人期になったころには、音楽の道で四苦八苦していたからデートに出かける余裕もなかった。そして、流行りものとは積極的に距離をとる姿勢は当時から貫かれていたうえ、何より、家でいただく母の料理が美味しかったから、外食する理由が見当たらなかった。

にも関わらず、今、自家製ラザニアをよく作るようになった。きっかけはあるドラマだった。


「言いそうなセリフがよくでてくる」


そう教えてもらって観てみると、料理のポイントや生きるうえで大切にしていることなど、ぼくがいいそうなことが確かによくでてくる。主人公の男前度合いと主夫力もぼくを映したようだ…と、得意の冗談と妄想を働かせて存分に楽しみ、すっかりハマってしまった。物語の本質も去ることながら、ぼくにとっての一番の見所は、食卓を囲むことの大切さが日常風景としてよく描かれているところ。その点に強く深く共感する。それは、ぼくが母から自ずと学んだことと同じだからだ。


──食卓こそが世界一平和で安心安全な場所──


だからここでは、どんなときも笑いに包まれていたい。仕事の話はもちろん、愚痴や悪口なんてもっての他だ。ぼくの愛する映画《ゴッドファーザー》でもそれを表象するかのようなシーンがある。


「パパは食事の席では仕事の話はしなかったわよ」


おかげで、ぼくは仕事の現場での食事の席が苦手になった。ランチミーティングなんて誘われることもなくなったが、以降お声が掛かっても食事とミーティングは別にしていただく提案をするだろう。


──食事のときは、目に前の料理とその相手に集中する──


プライベートでは、それが敵う相手としか過ごさない。


いまはそれさえも叶えられないのだけれど…。


ラザニアをよく作るようになったのは、作りおきができると分かったからだ。大きな器で焼き上げて、8等分にカット。電子レンジに対応しているタッパーに個別に移して冷蔵庫で保存すれば1週間程度は持つ。手作りするには手間のかかるミートソースは今回、2回分を一度に作り、現在冷凍庫のなかで寝かせている。

自主隔離生活前半は、ラザニアを毎日食べることができる。母の介護がきっかけで料理をすることになったのだが、こんな形でも役に立つとだなんて…無論、本望ではないが、改めて、この幸運をありがたく思う。また母に会える日が来たら、感謝の気持ちを伝えたい。

その日がまたきっとくると信じて──。


#ラザニア
#8食分
#自家製ミートソース
#自家製ホワイトソース
#2回分のミートソース=2キロ超
#総調理時間=3時間超
#きのう何食べた?
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【我が愛器からの忠告】

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2020年3月27日

3月21日──その日の夜は意気揚々としていた。厳戒態勢のなか行われたあるリハーサルは順調に進み、ようやく音楽の全体像が見え始めていたからだ。帰宅後、予定どおりアサリのパスタを作り満足な夕食をいただくことができたのも、気分が高鳴る要因のひとつだったと言えよう。


「いい流れだ。このまま仕事に取り掛かろう!」


食後、いつも通り作業を始めようとマシンを起動するも、外部ハードディスクの認識が不安定になっていた。これはリハーサル中からでていた症状ではあったが、たびたび起こるため、回避方法は既に把握済みだった。

手慣れた手順でメンテナンスを進めていると、突然のシャットダウン…嫌な予感がした。


──覚えのある症状だ──


再起動を試みるも、案の定だった。

ビデオボードの故障──この機種が抱える不具合として2016年秋にリコールを受けていたが、同じ問題が再燃──ここから再起動ループに陥ってしまった。


「このところ過酷に働かせていたから」


知られている修復作業を一通り試みてはみたが、もちろん回復せず。バックアップマシンの準備を進めつつ、修理の情報を集めることにした。

その間、ふと我に帰った。


「これは、ぼくに対する忠告に違いない」


母の介護に直接関わることがなくなった去年から、自分でも信じがたいほどの勢いで制作を勧進めてきた。無理がたたったのか気力体力の限界を迎えたのか、昨秋から重ための気管支炎を患うほどにまでなった。それでも身体は意外にも動いてくれて、この年始からは再び全力だった。


──ロックとオーケストラの融合した映画のような音楽──


多くのロックスターたちが実践してきたようなアイデアをひとりで実現するため、愛器と共に無意識に「暴走」していたに違いない。コンピュータのファンは絶えず唸りを上げていたが、それでも持ち堪えてくれたので、つい無理をさせてしまった。故障する直前も、並行していた作業が3つほどあったから、余計に負荷が重なったのだろう。

けれど不思議なことに、そのいずれの案件の進捗は、ちょうどキリの良いところだった。提出期限が迫っていた事案は、なんと故障前夜に完成。特にそれは、この14年分の想いが詰まっているもので、お世話になった方のためにもどうにかこのチャンスをものにしたいというそんな強い気持ちがあった。

身体は辛かったはずなのに、今も苦しさはあまり感じていない。母が授け育んでくれた強い身体のおかげであることに加え、病いも回復傾向にあるゆえだろうと冷静に現状を分析していたが、しかし、あのまま続けていたら…大事に至っていたもしれない。

愛器は現在、修理にでている。古い機種ゆえ治せない可能性もある旨、受付時に確認しあっているが、いまのところ業者からの連絡はない。順調であれば週明けにも帰ってくるはずだ。

故障以降、連日、バックアップマシンの環境構築を進めていた。マシンスペックがだいぶ劣るため、同じような作業をするには時間がかかりそうだが、これはあの《LIVE BONE》を制作したマシン。この危機的な時期に、再びこのマシンと向かい合うことになったのは、実に不思議な運命だ。

《LIVE BONE》は今年で初演から10周年を迎える。何の当てもなく始まった試みが作品へと成長し、幾度も上演の可能性をいただけていると思うと、深く深くありがたくおもう。と同時に、明日の事は誰にもわからないという普遍の真実について改めて想いを馳せることになる。


──今を越えて、望む明日へ──


マシンの復元は、慎重に慎重を重ねて行った。そして今朝、ようやく本格的作業に移れそうなレベルに達した。


──よし! 今から全力!──


とならないように、我が愛器はまさに身を身を挺してぼくに示してくれたことを忘れてはならない。

気づけばだいぶ疲れを感じている。当たり前だ。あんなに全身全霊を投じたのだから。身体は未だ万全ではない。今日は休む──これで決まりだ。


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