主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【自然から学ぶ──再び】

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2020年3月26日

案の定、混乱時にかならず起きる「いつかみた様相」を呈してきている。


──他者の言動を批判する──


人が会うことを制限されているにも関わらずそれが目につくというのは、まさしく現代の象徴である。


今こそひとつになるときだというのに…。


もしもウィルスに意思があるのだとしたら、その命を脅かす猛威以上に、人類がいがみ合い自滅する道を歩ませようとしているに違いない──そんな妄想さえ浮かんでくる。

我が家の窓辺から見える隣家の桜は、今年も静かに、準備を整えつつある。


「満開のときを誰にも見届けてもらえなくても構わない」


そんな勇ましい姿勢を感じる。


──自分にできることをする──


ぼくのそばで佇む桜を見上げながら、そのことを問い続けていこう。


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【今日という名の贈りものを再び】

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2020年3月25日

「この危機を乗り越えて生き延びることができたら何をしようか?」

風水的には全く勧められないらしい西陽の射す台所でコーヒーを淹れるなどしてひと息つきながら、近ごろ、よくそんなことを思い浮かべる。

ここはぼくのお気に入りの場所。介護者として母と過ごした日々に昼夜問わず独り過ごし、多くのことを授かった「気づきの場」でもある。今日もこの場所で、「気づきのとき」が訪れた。


──何か特別なことはないだろうか?──


例えばスカイダイビングをやってみるとか、これまでしたことがなかったことは楽しいだろうか? と想像を巡らせるも、実際のところ、少しも興味が湧かない。

ではこんなのはどうか?


「五十路からのダンサーデビュー!」


こんな風に得意の妄想力を暴走させてみても、なんら高揚しない。いまこの瞬間、心から思い浮かんでくる「本当に欲している出来事」はみな、特別なことではなかった。



馴染みの酒場で気のおけない仲間たちとどうでもいい話に興じたい

大切な人と延々とダラダラ過ごしたい

まともな会話はできずとも母に会いたい

変わらぬ日常を丁寧に生きたい


──すべては今まで通りのことだった。


しかし今となっては、「奪われてしまった日常」のこととなった。


──「日常」こそが特別──


気づきのときが訪れた。

誰かの言葉にこんな一節がある。


「今日は贈りもの。だからプレゼント(present)というのさ」


昔、誰かが教えてくれたその言葉を思い出し、深く深く、いま生きている幸運を噛み締めた。


──この危機に見舞われている今も贈りものなのだろうか?──


人はいつだって、特別な日常がそばにあることを忘れてしまう。それをこんなに極端にかつゆっくりと迫りくる形で再び痛感させてくれたことを「教訓」という名の贈りものだと捉えよう。困難から学び前進できる能力こそが人類の叡智に他ならないのだから──。

生き延びることさえできれば、ひとはどうにかする。歴史が物語る通りに。


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【チーズケーキを頬張り「いまこのとき」を想う】

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2020年3月8日

この冬は、ずっと調子を崩したままだ。

昨晩秋の出張中、突如襲われた呼吸困難──主治医によれば、肺の音を聴く限り肺炎や喘息ではないという。逆流性食道炎による食道への胃酸上昇で刺激され気管支炎を起こした・・・と考えられるとのことで、胃薬など処方され経過をみている。

日常生活にはさほど支障はないうえ、状態はゆっくりと良くなっている。なのであまり心配はしていないが、そんな最中、世界は大きく揺るがされ始めた。

「健康体であれば過剰な心配はない」と言われているが、いまの自分がいるのは、その枠の外。


──外部との接触は最小限にすべし──


自らそう決めて、最近は、外出も食材の買いものにでるのみとなった。

日ごろからあまり出歩く方ではないが、こういう状況でやはりどこか負担を感じているのだろう。その憂さ晴らしか、遂にこんな嗜みに手を染めた。


──チーズケーキを作る──


母の介護がきっかけではあったが、料理をするようになって、日々、驚きと気づきを得ることが多くなった。


「まさかケーキを作る日が訪れるだなんて」


仕上がった品を頬張り、改善点を考えながらその驚きにひとり静かに興奮していると、いつもの思索癖が暴走し始める。


「次に何が起こるのか? わからない」


母の介護をしながら常々考えてきたことがまたも頭の中を駆け巡る。そしてその真実を突き詰めていく──。


「今日、こうして生きていることさえ、ぼく自身知り得なかったこと」


──今があることこそが奇跡──


母が不調に見舞われて以降、この7年半近くの間、料理をしている時間にあらゆる事象について考察を巡らせた。そこから授けられた数えきれない気づきは、まさしくぼくの宝となっている。

今まさに、明日があるかどうかさえ脅かされつつある。だからこそ、いまこのときを全力で生きたい。そのためにも、健康な心身を1日も早く取り戻す──今できることは、無理せず、そして楽しく日々を過ごすこと──ぼくにできるのはそれくらいしかない。

こんな調子でも食欲がさほど衰えなかったのは幸運だったと言えよう。強い身体を授け育んでくれた母に、改めて感謝の念が募る。

母が入居している特別養護老人ホームは、もちろん現在、面会制限中──予定日通りであれば、次に母に会う頃には、きっと桜は満開になっているだろう。母の笑顔がいつまでも朗らかであることを祈りながら、その時を待ちわびたい。


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【母の予言】

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2020年2月5日

「人生やり残しなし」

被介護者になってから、母は幾度となくこの言葉を口にしていた。月に一度行われる介護サービス担当者会議では、今月の目標を訊ねるケアマネージャーにいつもこう言い放っていた。


「やりたいことはぜんぶやった」


ぼくはそんな母の言葉を受けて、毎度、願いを込めてさらに付け加えた。


「その言葉を口にするのは、健やかにあの世にたどり着いてからにして下さい」


──まだやり残していることがある──


母にそう自覚してもらうために、である。

あれからもう、7年ほど時間が過ぎた。


午前9時──。


昼夜逆転仕事人のぼくにしては珍しく、その日の約束は朝一番からだった。

先日、母の87歳の誕生会を催していただいたのだが、その前から、熱を発したり体調が不安定な状態が頻繁に見受けられるようになったという。全体的な身体機能も衰えてきているので、いざというときのために、家族の意思確認を改めてする必要があるとのことで、医師の説明を受けに朝から施設へ向かった。

元々夜型の暮らしなうえに、いくつか並行している仕事もあり、結局前夜もほとんど眠ることはなかった。このところ、寝不足のときの気づけに、熱い目のシャワーを首元に当てることがなかば習慣になっている──こんなことをしているから不調がいまだ燻っているに違いない──その日の朝も同じ作法で心身を強制起動すると、不思議といつも以上に気力に溢れた状態となった。

道中、今一度、これまでの経緯を振り返っていた。一番大切なのは、母の意思を尊重すること。その旨は、入所時に伝えている。


──無理な延命はしない──


「見取介護」をしていただけることが、この特別養護老人ホームを選んだ理由のひとつである。入所前の面談で確認したのは、真っ先にそのことだった。

それは、実際に起きた例として文献で学んでいた「我が家が望まない現実」があるからだった。例えば、まず予め考えておかなければならないのは「胃ろう」についてである。母の意思では「必要ない」とのことだったが、容態が急変して救急搬送され、入院となり、体力低下で胃ろうを余儀なくされるケースがあるのだという。命を守る使命のある医療機関では当然の対応だが、問題は、胃ろうを本人や家族が拒否した場合に起こるらしい。病院から退院後、元にいた施設へ戻る際、「胃ろう処置を施していない状態では受け入れられない」といったケースも起こりうるというのだ。

もしもそうなってしまった場合、ほかの受け入れ先を探すというのは現実的ではない。結果、胃ろうを選択せざるを得なくなり、本人の意思に反することになりかねない。

母に、何も思い残すことなく先立ってもらうためのお手伝いをする──それが介護者としてのぼくの務めだった。


──二人のための選択──


介護者として日々を過ごしながら、母にもずっとそう伝えてきた。これからの選択はすべて、二人のためのもの──そうは言っても、やはりどこかで、互いに犠牲にしなくてはならないことや辛抱が必要だった。

ならばせめて、最期は母の意思もぼくの願いも叶えたい。どれだけ準備しても必ず約束されることはない「健やかなる終」を果たし得たい──いつからか、ずっとそう思い続けてきた。

意思確認の当日、手短に状況の説明があった。初めてお目にかかる医師だったが、きちんと名乗って挨拶をして下さったのが、何よりも安心感を与えてくれた。


「見取介護をご希望とのことですが、気持ちの変化はありますか?」


そう訊ねられ、不意に口を突いた言葉に自分でも驚いた。


「そのためにここにきました」


気持ちの揺らぎは一切なかった。溢れくる想いも湧いてはこず──ここまで心情の変化は、それだけ永い時間を費やしてきた証だった。

承諾書にサインを記し、母の教えに則って、今回も実印を押して役目を終えた(本件の承諾書に実印は不要)。

その間、母は、住み慣れた施設の居間で、朝食を摂っていた。嚥下機能も低下した今では、100%ペースト状にされた食事になっているが、その日も全量食べ切っていた。もともと色白な肌は日焼けしない環境で暮らしていることもありさらに白さを増して、艶々としている。そして変わらぬ笑顔が、今もある。

和やかな空気が、今日もこの施設を包んでいる。振り返れば、まさにここへ導かれるかのようにやってきたのだ。母の変わらぬ笑顔は、この場の和やかさを映しているのかもしれない。

帰り道、ひとり家路を急ぐなか、久しぶりに気づきを得た。


「人生やり残しなし」


あの母の言葉は、予言だったのだ。このまま突発的なことが起きぬまま老衰というかたちで終を迎えられたら・・・母の予言はまさに現実となる。そして我が母なら、それを成し遂げるに違いない。


──祈ること──


ぼくにできる残された役目は、もうそのことだけになった。


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【母、誕生会──87歳】

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2020年1月20日

母の誕生日当日である1月17日に予定されていた誕生会は、ぼくの急用により延期された。


──明日のことは誰も知らない──


「今」という瞬間しか確かなことはない──母との日々を過ごして、そう強く意識させられてきた。ゆえに延期することには不安もあったが


「母ならきっと背中を押してくる」


そう信じて、延期することにした。

役目を無事に勤め上げ、その他いくつかの約束を果たし、責任という荷を少しだけ下ろして当日を迎えることができたときには、少々感慨深いものがあった。


87歳──。


穏やかにこの歳を迎えることは、ぼくの介護者としての目標だった。

自分を産んでくれた両親はもちろん、母方のご先祖様よりも長生きとなり、母は、家系の最高齢記録を更新した。

穏やかにそのときを迎えられたとはいえ、ゆっくりと様子は変わってきている。そうした変化についてぼくは、かつてほど過敏に反応しなくなった。それこそ「自然」なのである。その流れに抗うことなく過ごせることは、何より幸運なのだ。


──宇宙は元に戻ろうとしている──


その宇宙の原理について思いを巡らせると、人が緩やかに衰えていくこともまさに「戻ろうとしている証」である。

母の居室にて──。

職員の方に迎えられたとき、一番のサプライズがあった。


「ギターを弾いていただけますか?」


愛用のギターたちは自分が演奏しやすいように調整してあるので、他者のギターを弾くのはとても緊張するのだが、せっかくなので、〈ハッピーバースデー〉の演奏にトライしてみた。その場でコード進行をネット検索して、自分の声のキーに合うように移調して練習していると、いつも母の世話をして下さっている職員の皆さんが続々と駆けつけて下さった。そしてみんなで歌声を贈る──母はいつもと変わらない笑顔をその日もぼくたちに返してくれた。


──今日があることの喜び──


どんなときもそう感じられるように──それを実行してきたのが、母の人生だった。それを完遂させることが、ぼくの役目のひとつだ。

ぼくの手元には、その母の人生を支えて下さった方々からいただいた母宛の年賀状がある。皆さんが御健在であること、母に伝えた。

そろそろ、ぼくからご案内を差し上げる時期が近づいている。もしも叶うなら、再会を果たせたらと願う。特別なことはなにもいらないけれど、「今」になって再会を果たせること以上に特別なことはない──そんな想いがずっと前から心のなかにあり続けている。


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【介護者生活7年を過ぎて──令和元年大晦日】

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2019年12月31日

2019年を終えようとしている。

2016年から2019年初頭まで費やした「我が改革」の成果を見届けようとした今年──新しい門出を迎えるに相応しく、元号も新たになった。

この1年、主に取り組んでいたのは、まず何より、全力で創作に没入すること。その願いどおり、多くの作品に関わることができたのはなによりだったが、その影響が身体に及んでしまったのが残念であった。

重たい荷物を背負っての出張が続いたせいか、秋口から胸椎にズレが生じて、背中から首にかけて激痛が走るようになった。それから2か月余り、治療を重ねて、この年の瀬にようやく痛みから解放されるも、11月の大型出張で患った気管支炎を今も拗らせたままだ。

深夜の宿泊先で、突然、生まれて初めて「呼吸困難」という症状を味わうも、相変わらず人知れず冷静に対処していた自分をどこかで俯瞰して眺めては、そっと苦笑を浮かべていたことを、今、改めて想い出している。


──先立つわけにはいかない──


願えば叶うものでもないが、「そのとき」を迎えるまでたったひとつ望むのは、そのことだ。

2019年、母と会う時間を意図的に制限してきた。昨年末に特別養護老人ホームに正式入所してからこの1年間、最長で3ヶ月間連続で面会をしなかった。年間を通じては、半年以上、母と顔を合わせなかったことになる。

そうした理由をときおり考えるも、結論はいつも同じだ。


──そのわけは、ひとつじゃない──


思い浮かんだ理由はすべて真実であり、言い訳でもある。

でも、それでよかったと思っている。

介護者として母と過ごした日々は、先の10月で丸7年を迎えた。昔のことは、もうだいぶおぼろげな記憶になってきている。忘却を果たせたのは、塗り固めてしまった苦痛から遠のくためであると同時に、母との日々で得た人生観や生死感、あるいは宗教観ともいえる物事の捉え方や気づきによって、過ぎ去った出来事への執着から解き放たれたからではないかと感じている。


──昔のことは忘れろ──


後戻りしそうになってしまったとき、心のなかで即座にそう自分に語りかけている瞬間を、今年、何度も味わってきた。

晦日を迎えた今日、先祖の墓参りと母との3ヶ月ぶりの面会を果たしてきた。

クリスマスのために手に入れた品は、母がかつて毎年のように観ていたニューイヤーズイヴコンサートの映像記録集。当日はぼくの体調が優れず面会を断念したが、むしろ今日渡せてよかった。母がどこまで感じることができているのかはわからないけれど、こうした時間が今もあることが、とても嬉しかった。


──母も同じ想いでいてくれたら──


母のベッドの足元に腰掛け、ぼくはただただ、そう願うばかりだった。

母の手を握る──面会まで眠っていたせいもあり、とても暖かかった。手は、筋力が衰えてきたのか、これまで感じたことのないほど柔らかかった。

オーケストラの演奏を見つめながら30分ほどの面会──今日は遂に、母がいつもの台詞を口にしなかった。


「起こして! 起こして!」


すべては移ろいつつある。それでも、いつもの屈託のない母の笑顔が今も変わらずあるあることが、何より──。

母と会うたび想うのは、我が家が幸運に恵まれていること──ただそれだけだ。


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【母の裁縫箱に詰まったもの】

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2019年4月3日

ながらく続いた介護者としての日々のなかで、ひとつだけ決めていたことがある。


──裁縫だけはやらない──


もう昔のことすぎてその理由はあまり思い出せないが、あらゆることをこなし過ぎていたせいもあり、時間がかかる作業はしたくないと思ったのか、ひとつくらい誰かに任せてもいい仕事があるのではないかと感じていたのか…。何れにせよ、母の衣類で縫い付けなければいけないほどの状態に陥ったものはなかったし、自分の衣類のほつれや破れは、寸法直しのお店に何度かお世話なることで事足りていた。

しかしついに、その禁断の扉を開ける日がやってきた。

母の裁縫箱は、押入れの奥にしばらく隠しておいたままだった。認知力が衰えてきていた母は、足元がおぼつかなくなっていたにも関わらず、箸や歯ブラシ、ハサミなど先の尖ったものを手に持ちながら家の中を移動することが多くなっていた。ぼくの留守中、裁縫箱を持ち出して、特段今する必要もなさそうな針仕事をしていたときには、正に背筋が凍る思いだった。たとえ外野から「老人の自由を奪っている」と言われようとも、そうするほか、ぼくの安寧は得られそうになかった。


──この大きな裁ちバサミを母の手に触れさせるわけにはいかない──


そうしてまたひとつ、解のない問いを背負い続けることになった。


──その選択は、母とぼく、お互いのためになるのか?──


裁縫箱を開ける。昭和の時代を思わせる試供品がまず目に留まった──ソーイングセット──それをずっと保管しているのは、モノのない時代に育った昭和一桁生まれの母らしい一面だ。針山はすっかり埃を被っていたが、ぼくの子供の頃から変わることなくずっと同じものが使われている。確か、「自分の髪の毛を入れて作った」と教えてくれた気がする。髪の毛の油分が針を錆びさせないと言っていたような──裁縫箱ひとつとっても、色々な記憶が詰まっているものだと、我ながら感心していた。

針づかいは、小学生の頃の家庭科の時間以来、およそ36年ぶり。おぼつかない手付きに苦笑を浮かべながらも記憶を頼りに手を進めていると、不思議なことに、母の手さばきを思い出した。はっきりとは思い出せないが、どんな手の動きをしていたのかをイメージできたのだ。

すると、いきなり上達したような感覚になり、針を進めるスピードがあがった。調子に乗って思うより早くできたと浮かれながら仕上がりを確認しようとポケットの裏側を見ると、案の定、余計なところまで縫ってしまったことに気づいた。


「これは糸を切って一からやり直すのか?」


と天を仰いだが、そのときも母がしていたことが蘇ってきた。


──針から糸を抜けば間違ったところからやり直せる──


そう思い出したとき、手が止まった。


──それだけたくさんの時間を、ぼくは母の傍で過ごしてきたんだ──


そばにいるときは、そんなことさえ気づけないのに──。


──その気づきを得るために──


ぼくが裁縫を遠ざけていた理由は、そのためにあった──そう思うことにした。


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