主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【涙のスイッチ(2)】

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2019年4月2日

ぼくの誕生と入れ替わるように父が先立ち、母は兄とぼくを連れて東京に移住することを決めた。その準備におそらく3年ほど費やしていたはずだ。ぼくがちょうど幼稚園にあがる年、我が家の東京での暮らしが始まった。

移住計画が実行された頃、既に中学生だった12歳離れた兄は高校受験を見据え、一足先に東京で暮らし始めていた──叔父と叔母が親代わり──母はひとり、移住に際して必要な手続きや準備を繰り返していたのだろう。当然手が足りなくなって、まだ物心つく前のぼくを京都の保育園や叔父と叔母に預けたりして仕事をこなしていた。

東京の家に預けられるとき──ぼくを迎えに東京に来て京都に戻るとき──ぼくは母と一緒に新幹線で京都と東京を行き来した。きっと、何度も何度も往復したはずだ。それなのに、新幹線のなかでの記憶は全くない。

母は少しでも疲れを残さないようにと、グリーン車に座席を確保していたらしい。しかし、毎回のようにぼくがぐずるものだから、座席を使ったことはほとんどなかったという。ぼくを抱きかかえてデッキに立ち、ずっとあやしていたそうだ。

これは、1971年から1974年にかけての、母が30代の終わりから40代に差し掛かったころのことである。

ぼくがその親子に出逢ったのは、2019年春──母と往復した新幹線のエピソードから、45年ほど時間が経っている。

その夜、品川駅に着くと、車両のほとんどの乗客が下車していった。まもなく終着駅の東京に着くことに安堵感を覚えたのか、人目のなくなったことで緊張がほぐれたのか、疲れがぼくの涙腺を弛め始めた。

そのとき、またも聴いていたアルバムは曲間に差し掛かり、周囲の音が耳に入り込んでくるようになった。赤ん坊は、まだ泣き止む様子はない──涙のスイッチは、そこで一瞬にして「入」に切り替わった。


──ぼくもこんな風にして母を困らせていたのだろう──


──今夜のぼくのような人物から声をかけてもらったこともあったのだろうか?──


あらゆる想像が一気に押し寄せてきた。

東京駅に到着する直前、荷物を整えようと席を立つと、自然と後ろの親子に目が向いた。するとそこには、まるで絵に描いたような光景が映っていた。小さな男の子は、車窓に釘付けで、窓辺の縁を両手で掴んだまま顔をガラスの直前まで寄せて、夜の東京の街並みをじっと見つめていた。電車のスピードに合わせて移り変わる夜景が彼の目には珍しく映っているのだろうか? 母親は、少し身体を斜めにして座り、自分の膝の前のスペースに乳母車を入れて前後させながら、泣き止みそうにない赤ん坊をあやしていた。疲れた様子など見せることもなく、ごく自然にその場に居る姿に、母の力強さを見た気がした。


「ありがとうございます」


乳母車をゆりかごのように揺らしながら微笑を浮かべ、母親は丁寧に挨拶をして下さった。


「この先もお気をつけて」


ぼくはそうひと言だけ添えてデッキへ出た。体力はもちろん、気力も全くない。おまけに心は揺らいでいる。いかなる支えもないままに歩を進めると、車両の僅かな揺れにも反射できず、重たい荷物に足を取られた。よろめき、数歩後ずさりして静止すると、出口とは反対側の降車扉に背をもたれかける形で身体を支えた。

その後の短い間に、デッキはみるみると家路を急ぐ乗客でいっぱいになった。ぼくはそっと深くこうべを垂れ、母のことを思い出していた。耳元には、この旅の移動中ずっと聴いていた、Pat Metheny ‘Back In Time’が流れ続けている。オーケストラとハーモニカ、そしてPatのガットギターによる叙情的な旋律と音色、そしてハーモニーが美しく調和する一曲。


──Back In Time──


昔に戻れたら──この曲のタイトルをこんなにまでも意識したのは、このときが初めてだった。もう、たくさん抱えてしまったものを解き放つ支度は、完璧なまでに整っていた。

ホームに降りると、ぼくは堪えていたものをはばからず、歩き始めた。


──ずっと俯いたまま進む──


足元のタイルの柄が水なもに浮かんでいるように見えた。


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