主夫ロマンティック

独身中年男子の介護録──母が授けてくれたこと。そして、それからのこと。

【はじめて号泣した日──母と婚約者 ふたつの死(8)】

f:id:kawasek:20220203003620j:image
2022年2月2日


午後4時44分──。

いつもの場所に腰掛けて、窓辺から外の景色を見つめている。少し陽がながくなったうようだ。師走の初めに母を送ってからすっかり夕暮れ時に恐れをいだくようになっていたが、ここ数日は、その明るさが、わずかながらもぼくを安心させてくれる。

睦月の中ごろ、突然の病魔に臥して急逝した彼女の葬送に立ち会ってから、半月ほどが経った。まだこの日常に慣れる兆しは一切感じられない。その日も無事に目が覚めて「今日は大丈夫そうだ」と感じられても、突然にして激しい悲しみに支配されてしまうことが未だある。今日はまさにそんな日だった。柔らかい陽射しを感じ「大丈夫」と思った束の間、日暮れを待たずに、突如気持ちが急転した──こんなときのために──と、あらゆる文献や手法、経験談などを参考にしてはいるが、即効性を期待できるはずもなかった。


──これは、ぼくに起きた出来事──


一部始終を共に見つめた彼女のご家族でさえも、それぞれが他者とは共有することのできない痛みや感情を抱えておられるに違いない。無論、ぼくもそのなかのひとりだ。


──ぼくのなかには、ぼくにしか触れられない感情が渦巻いている──


彼女が倒れた翌日の夕刻、救急搬送された病院のICUで窓越しの再会を済ませたあと、それから以降の出来事については、もうあまり思い出せなくなっている。今後の経過について説明を受けてから病院を後にしたような……そんなおぼろげな記憶がある程度だ。とにかくご家族は前夜からの付き添いで疲れておられるから、まずは心身を休めるべく、いったん帰宅する流れになったはずである。

ぼくは、彼女が暮らすご実家ではなく、ご家族が手配くださった場所に身を寄せることになった。そこはかつて、ご家族が暮らしていたお宅跡だという。きちんと手入れされ、いつでも人が住める状態とのことで、ぼくだけのために使わせていただけることになった。


──少しでも気が休まるように──


そうご配慮いただいたお気持ちが感じられた。

ご家族が暮らしていた物件だけに、ひとりで使うには持て余すほどの広さだった。お風呂の沸かし方から家電製品の使い方までひと通り教えていただいたあと、この土地にやってきて以来はじめてのひとりの時間がやってきた。こんな悲劇的な状況下でさえも、ご家族や医療チームと密に関わる時間があったことがどれだけ心の支えになっていたか、ひとりになった瞬間に思い知った。寂しさを紛らせようと、最寄のコンビニエンスストアに出かけ、食事を買い込んだ。食欲はないわけではなかったが、普段のようには食べられそうにない。しかし、案の定、必要以上に買っていた。


──最も手軽で即効性のある孤独を紛らす方法──


そんなことをしても未来は何も変えられないのに……。

お宅には、居間の中央に立派なマッサージチェアがあった。気づけば全身が凝り固まっている。高性能と思しき佇まいをしているそのチェアに、ぼくは迷わず腰をかけた──その後、何回続けて使用したことだろう。1時間以上はそのまま身体を委ねていたはずだ。

その途中、身体がほぐれてきたところで、前日から連絡をとっていた医療従事者である友人に報告を入れた。こうして現場の様子が想像できる友人がいたこともまた、この状況下での救いのひとつだった。アドバイスを求めたわけではない。ただただ誰かに気持ちを伝えたかった。同時に、ひとりの時間を過ごす不安を取り除きたかったのだろう。やりとりは、夜更けまで続いた。

真夜中、遂にひとりの時間が始まった──。どれだけ時間が経ったときだろう。感情が一気に湧き上がった。マッサージチェアから腰を上げ、居間の窓際のゆとりあるスペースを右往左往しながら、ぼくは一気に泣きはじめた。店舗貸しされている建物の2階の角に位置するその部屋は、真夜中にひとり、どんなに泣き散らしても苦情は来そうになかった。

ここへ向かう道中の列車のなかで泣き続けていた状態を言葉に置き換えれば、あれは「嗚咽」だ。周囲に気遣い声を詰まらせてむせび泣く様のことである。あの夜のぼくの泣く様は、これをまさに「号泣」というのだろう。自分でも初めて耳にする奇声のような声を遠慮なしに上げながら、ただひたすらに泣き続ける。いくら悲しくてもそんなにながくは泣けないはずだと頭のどこかで思い浮かべながらも、涙は止む気配がない。ぼくの普段の声からは想像できないほどの甲高い音で叫び続ける──いま、その瞬間を思い出しただけで、また同じ状態に陥った。


──昔、そんなこともあったな──


いつか、自らそう口にできる時を迎えられるように、これからを生きていきたい。

そんなことを思い浮かべながら、温めておいた寝室に移り、昨夜、自宅の床で過ごした様と同じように、深く深く布団のなかに潜り込んだ。


#主夫ロマンティック #介護 #介護者 #介護独身 #シーズン10 #kawaseromantic #母 #特養 #入居中 #川瀬浩介 #元介護者 #寡夫 #寡夫ロマンティック #シーズン1